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■史跡・文化財

田の神

 隈媛姫神社の前にある桃木野石を用いた,高さ65cmの座像である。鼻を少し損じているが穏やかな表情で纓を背中に長く垂らした冠を被り,両裾は左右に跳ね上がっている。両手を前で合わせて輪をつくっているが,この中に笏を差したものと思われている。明和4年(1767)の刻銘があり,神像型座像の田の神の中では,きわめて古いものである。


島津都美墓

 島津都美は,加治木島津4代久門,後の24代藩主となった島津重年の夫人で,25代島津重豪の生母である。都美は垂水島津家の息女で重豪を産んで2日目に死去した。重豪は安永6年(1777),母の33年忌にあたり墓の隣に亀趺碑を供養塔として建立した。これを通称「亀墓」と呼んでいる。


加治木城跡

 築城の年代は不明であるが,加治木氏が平安末期に移ったという説から,12世紀には存在していると考えられる。以来加治木氏がここを去った明応5年(1496)までの約300年間,伊地知氏が破れた大永7年(1527)までの約30年間,肝付氏が喜入に移った文禄4年(1595)までの約70年間,加治木歴代の支配者の居城でした。


日木山宝塔

 この宝塔は,現存する高さ2.4m余りで,四面に梵字が深く刻まれている。北側石塔には寛元元年(1243),南側石塔には仁治参年(1242)の年号が刻まれている。
加治木八郎親平の二男木田三郎信経夫婦の墓と言われているが,明確ではない。


南浦文之墓

 文之和尚は,弘治元年(1555)日向国南郷外浦に生まれ,島津義久・義弘・家久に仕えて,島津家の政治・外交に活躍した。鹿児島の大竜寺の開基や鎌倉の建長寺の住職も勤めたが,朱子学に秀で,漢籍の訓点を施し,後世まで「文之点」として日本儒学の発展に貢献した。また鉄砲伝来の様子を資料や伝承によりまとめた「鉄炮記」も著している。
 昭和11年9月3日国指定文化財となる。


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【問い合わせ】
 加治木町役場社会教育課文化財係
        電 話:0995(63
)8880
        メール:bunkazai8880@po.synapse.ne.jp


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