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■史跡・文化財

龍門司坂(たつもんじざか) 国指定文化財に指定されました



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  龍門司坂は,「竜門司坂」として昭和62年に鹿児島県指定文化財となっていましたが,今回,江戸時代の主要幹線「大口筋」の一部で,鹿児島市から姶良町をつなぐ「白銀坂」と一緒に,近世の交通を考える上で貴重な文化財として位置付けられました。平成18年7月28日付けで国指定文化財になりました。
 この坂道は寛文12年(1635)に造られ,元文6年(1741)頃に石敷に整備された,全長が1,500mの坂道で,現在は,約500mが当時の姿で残っています。苔むした石畳と杉木立の中に,道沿いに咲くドクダミの白い花や,ツワブキの黄色い花が演出する情緒たっぷりの坂道で,『歴史の道百選』にも選ばれています。
 近くには,『日本の滝百選』の「龍門滝」や滝を観ながら入浴できる温泉施設,鹿児島湾にそびえる雄大な桜島を眺望する展望所,薩摩焼(龍門司焼)の里に造られたスポーツと陶芸体験施設「陶夢ランド」や「さえずりの森キャンプ場」など多彩な人気スポットが集中しています。


龍門司焼古窯(りゅうもんじやきふるかま)

 龍門司焼の里に初めて陶工が移ってきたのは,元禄の始め(1688年頃)と言われる。その30年後に現在の地に移り,以来昭和30年まで約260年余りの間連綿と稼働してきた窯である。幾度となく改築されているが,一つの窯がこんなに長期間使われる例は珍しい。多くの陶工たちの苦楽や生活が染み込んだ貴重な文化財である。


金山橋

 藩政時代,旧道は龍門司坂を越えて小山田に通じていたが,明治12年頃島津家が当時の加治木港(通称舌出し)を起点として山ヶ野金山に通じる道を開いた。このとき石橋の金山橋が築かれ,この橋を第1金山橋とし,以下,第2,第3と命名した。長さ約23m・幅4.2m・川床からの高さが10mあり,上流の「板井出の滝」との組み合わせが美しい。


加治木島津家屋形跡

 慶長12年(1607),島津義弘が重富の平松城から加治木に移る時,はじめ加治木城に入る予定だったが,幕府に禁じられたために易学者江夏友賢に命じて新しい屋形を定めた。「東の丸」・「中の丸」・「西の丸」などが築かれ,その後「中納言様御殿」や幕末には「御対面所」などが造られた。御対面所は近代になってから,第七郷校,仮県庁,郡役所などに使われた。


加治木銭鋳銭所跡(写真は加治木銭)

 国内で安定した貨幣生産が行われるようになるのは江戸時代になってからで,それ以前は中国(宋・明)からの輸入に頼っていた。しかし絶対量の不足から各地で粗雑な中国銭の模造銭が造られており,加治木にもその鋳銭所があった。最盛期は慶長の頃といわれ,寛永の頃には廃れていくが,全国で模鋳銭所跡が確認されているのは,ここだけである。

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【問い合わせ】
 加治木町役場社会教育課文化財係
        電 話:0995(63
)8880
        メール:bunkazai8880@po.synapse.ne.jp


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