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これは、今から13年後、2015,6年頃に起きる事についての話です。 |
これは純粋のフィクションでもノンフィクションでもありません。私が10才になる前に、私の記憶に前もって埋め込んだといわれて当時覗き見た未来の壮絶な戦いの記憶です。時間軸が二つの時間を行き来して、違うので表現もずれています。信じるか信じないかは、貴方の意思次第です。何時という時間の読み出しは出来ていませんでした。
人類の滅亡について、様々な憶測が流れている。
それが、分からない未来の事であるだけに、色々の想像が語られているわけである。それそれが想像を逞しくして語られたものもあるし、啓示を受けたものもあり得るのであろう。
私が知っているものがそれに当たるのであるとすれば、この人類の未来は、全ての地上に存在する人間に対する抹殺である。自然界の偶然の現象として起こるものではない。この世を造った意志が、人類一切を抹消する意志に基づいて、為に行われるものである。
従って、運が良ければ生き残れるというものではない。生き残れるか死ぬか、全ては己の生き方一つに掛かっている。生き残ったから幸せがあるのではない。あるのは、全ての文明が失われた、地球である。
つまり、人類抹殺が意志を持って、行われるのである。
それは人類のみに対して選択的に行われる行為である。
私がここに書こうとしている事は、この記憶(起きていたと思うが、1949年頃、半睡状態で経験したもの)が現実にある、無い、のレベルで論議をする事が目的ではない。この人類殲滅後の、荒涼たる地球上で生き伸びた人々が、人類殲滅を諦めさせた時のもので、その手だてと、やがて来る未来で、人間として生き延びる事が出来るかもしれない方法について、せめてこのファイルを読んだ人にだけでも伝えて置きたいと思って、古い封印された記憶の断片を垣間見た記憶のごみ箱の中から拾い出して、書き記していきたい。
これを読んだ人には、生き延びるチャンスが与えられるのであって欲しい。生き残りは自らの意志に掛かっているのである。
はじめに
封印されていた記憶の封印が解かれたのは、1997年、私は脳の病気になり、一時期、意志伝達能力を失っていた。この状況にあった時、脳の破壊状況を知りたくて、子供の時からの自分の記憶を辿っていて、私が子供の時体験した「絶望的人類の将来に関わるかも知れない未来」についての封印されている記憶があった事を、思い出した。しかし、言葉が話せないという記憶の伝達能力を失っていたので、私の記憶を再現出来ないため、他の人に伝えられないままに終わるのかと、悲しい思いでいた。その時、会話は出来ないが、不自由ながらもパソコンでならば、人文字づつ記憶の中身を文字として打ち出せると気付き、キーボードに向かう能力が徐々に回復して、辿々しいながらも何とか、文字が打てる様になったので。一字一字を思うように動かない手で入力していけた。言葉による伝達が出来た喜びは、私を有頂天にしました。封印は、解かれて、当時の記憶が次々に出てきました。
ここに語ろうとする話は取るに足らない、下らない事であるかもしれない。自分の過剰意識であるかもしれない。だが、子供である私が、何故、文語体を用いて、大人の言葉でなされる会話を記憶していたのか。同じ言葉使いは村山内閣の誕生に関わる予言と以後の景気の変化について語った時も起きている。
もし、これが未来に起こる事を見ていたのであるならば、人類の一切を抹殺したかった意志行使者にとっては、朦朧として意識の中でもはっきりと発言していたように、「正しい、強い意志を持った人間は抹殺出来ない。」事で、人類の殲滅が行われる中でも生存出き得る道に繋がって行くのかしれない。
1998年になって、病気が治まり、意志伝達能力が復活してくる過程での、失われた記憶が再現できるか、脳の能力を私なりに評価している過程で、ここに書く封印された記憶の内容が、再現出来る事を知り、コーナーを作って書き記す事にしたのである。一回で全容を思い出せるのではないので、少しづつ書き足して行く。
この封印された記憶は、私がまだ子供であった1949年頃(’47年は間違い)から、一つの宣告から、続き物のような睡眠していない覚醒した意識の元で夢の様に幾夜にも亘って、私の体験とは関係なく、外部から埋め込まれているという記憶の中身を見たものであり、夢ではなく、朝、半睡状態から覚めた時も会話を非常に鮮明に記憶していたものである。
この頃はまだSFや宇宙物語が始まっていない頃であり、勿論ノストラダムスの予言がある事も知らない時期のものである。ただ、封印がされた記憶は、断片を雷鳴の中で読み出せて以後、全く思い出せなくなっていたものである。そうでありながら、若干の内容は、周りの子供達に予言の様に語った事がある。これに対する子供達の反応は、信じられない。であり、中に一人だけ、信じるという子がいた。その子は、未来の中でも生き残っていた。
その時期に、宇宙では、人間の能力の及ばぬ別世界で戦いが行われている事を、人類がロケットでロケットを打ち落とす戦争をはじめる前に、坊津の夜の高空でロケットがロケットで打ち落とされる事実として目撃して知っていた。
それは戦争中、頭の上をB-29が飛んでいた高さ、多分最高飛行高度(日本軍の高射砲が届かないであろう安全高度)よりも、数倍上の遥かに高い高度で、しかも、巨大な物体が、流れ星が飛ぶような速いスピードで動き、最後は攻撃が起こって飛び散った事から 当時は、凄い事が地球圏外で行われている事だけは感じていた。
この時、これを目撃したのは、同じ場所に147人の子供と50人ほどの青年が居たのに、私一人だけであった。翌日からの学校の宿直室で新聞を見せて貰って、この事実がどう報道されるのか新聞記事を克明に調べ続けたが、飛行機事故のニュースなどは報道されなかった。
アメリカ・イギリス・ソヴィエトなどが、力を張り合っている事が、大変な手後れを起こす事として感じた事だけは記憶している。地球人同士の戦いではない事は、ラジオや新聞にニュースが出ない事から確信していた。いずれにしても、地球が一つになって戦っても負けるだろうなあと思った。
子供でありながらの、この意識は不思議であった。また、今考えると、まだ、これだけの世界観が形成されていなかった筈である。米ソの対立は意識出来ていたが。
私はそうした状況よりも前に、人類が全滅した世界を、封印された記憶と言う形で雷鳴の中で、読み出す事で見ていた。従って、その意味する所が理解出来なかった。私が読み出した物が何なのか。夢の様な記憶の意味が分からないが、戦争で起こった物ではない、人間が作った物が何もなくなっている恐ろしい世界である事だけは実感していた。
しかも続き物として現れる記憶の中身が示しているものは、大人になって「人類が絶滅する、殺される、選ばれたものだけが生き残れる、」等という、予言めいた印刷物が売られているものを見ると、全てがそこで終わっているのに、封印された埋め込まれた記憶を見ていたものは、それから先の話であり、違っていた。
封印された記憶の内容
私が見た未来の記憶は、それから先の世界であるように思う。人間がすべて殺されるのは、突然起こるのではない。その前に、人類がすべて殺される前に、選択の時が存在している。しかも、日頃の行いの全てが問われる。その条件の提示は、あらゆる場所にいる、全ての人類が聞いている。そういう不思議な能力のある者が、天空から現われ、全人類に呼びかけるのである。
「生き残る為に、光の放射の中に入るか、それをしないで殺される事を選ぶか」の呼びかけとして行われる。これで、既に、世界中の人間が、抹殺されて居なくなりつつあるという事が伝わった来た。日本の事と、アジアの事はニュースとして伝わってきていた。しかし、次第に世界中の通信網が途絶えている事をラジオが伝えていった。
選択を迫る声は、全天の3分の1を覆うほどの巨大な白銀に輝く宇宙船から、耳をふさいでも聞かされる方法で行われるのである。多分、脳に直接届いているのではないかと思う。人類を殲滅するときに使われる宇宙船には、三種類のサイズがある。そして、各サイズによって機能は異なっている。三種類の規模は、後で述べる人類の防御能力と関わっている。
封印された記憶の中身を見た最初は、1949年頃(当初’47年としているが記憶の間違いである)であるから、意味が分からないままに、記憶から消えている部分もあるのだと思うが、印象的に最初に出てくる場面は、知っている人が全くいない、自分が保護出来た家族以外、何も無くなった世界である。地表部に存在した、全ての建造物が存在しなくなった世界である。見渡す限りの一切の物が失われている、荒涼たる世界である。勿論生きている人間は、存在しない世界である。しかし、屍は存在ない。
(書き進む間に、この人類殲滅の序章となる最初に近い部分の、私に対して呼びかけが行われた記憶が出てきたので、書き加えて行く。)
記憶の中から、呼び起こされたものは、その頃、恐ろしさに身を揉み、格闘したものであった。言葉は、文語体の呼びかけであり、私は知らない筈の文語体と口語体で返事している。そして、用語が、当時の自分に学習歴の無い用語で行われていた。明くる日、覚醒した記憶の中でその言葉を辞典で調べる事が度々あった。
私の頭の中に封印した記憶の存在を示された始まりは、激しい雨と、この世の終わりかと思う雷鳴の轟く深夜に呼び起こされた所から、第一ページが始まった。
「巌よ、目を覚ますのじゃ。」
激しい雷鳴と共に、揺り動かされている自分に気付いた。しかし、意味が飲み込めないので、そのままに眠ろうとした。布団の中から出る事に抵抗していた。
「巌よ、今宵、その方に言って置かねばならぬ事がある。目を覚まして、よーく聞くのじゃ。」
「私は眠たい。いやだ。」
「起きよ。眠ってはならぬ。起きて、わしの言う事を聞くのじゃ。」
「寝たい。明日にしてくれ。」
「明日という日はないものと思え。この雷鳴の轟く間しか、わしの声はそなたに届かぬぞ。」
「大事な話じゃぞ。しっかりと目を覚まして、余の言葉を聞くがよい。」
「貴方は誰ですか。何が起きているのですか。」
「余の名を聞いて如何いたす。」
「寝ている子を起こすならば、名を名乗られるが至当でありましょう。何故、迷われますのか。」
「名乗るべきは確かなれども、余に名はない。」
「ならば、姿を見せて話しをされよ。姿も見ずして会話は御座るまい。姿を見れば何であるかが分かるではありませんか。」
「余には姿はない。お前を、この世に存在たらしめた者だと申せば分かるであろう。」
「然からば父上ですか。であるならば、フィリピンで戦死されて、この世には存在しない筈です。」
「如何にも。その方が申しているのは、地上にある存在としてのものであるが、人間は地上にある姿とともに神の世界を持つのじゃ。」
「神ですか。それは姿は見えないのですか。」
「人間が人として地上にある間、それを見る事は叶わぬ。」
「地上に在る者は、どうして見る事が叶わんのですか。」
「それは簡単な事よ。存在の仕組みが異なる故じゃ。」
「見えない物を、在ると信じれと言うのですか。」
「如何にも。そう致さねば余の存在も見えぬのじゃぞ。」
「どうすれば見えるのですか。見えない物は見たくなります。」
「心を鎮め、一切の雑念を去り、自らの存在を空気と一つに致す時、余の姿が見えるであろう。その時、一滴の露が頬を伝うであろう。余が存在として感じられるのじゃ。そこまでじゃ。」」
「難しい事ですか。」
「幾十年の年月が必要となるであろう。その方が欲に塗れなば易く、溺るればその方の命の限りをもってしても叶わぬ事となろう。」
「欲とは何の事ですか。」
「その言葉が表す物は、大きくならねば分からぬ。今のそなたには、無縁の世界なのじゃ。父母に欠けたるはありといえども、そなたを慈しむ母あり、祖父母あり。いとおしむ環境あり。欠けたるを補いて余れる世界で育ちいる事を知れ。」
「それは、学校に行き、一緒にいる同士を見、上之坊の民人の生業を感じれば分かる事ではあります。」
「生業などと、使ってはならぬ言葉を申すか。賢くは見ゆれど、使ってはならぬ。心致せ。大王は、余が、そなたを送りたる事、知らぬゆえ、立腹致そう。あの者が立腹致すと、天まで荒れる故、その日まで気取られぬように致すがよい。大王は、企みを知ったならば、余が命じたる事をぬかるを恐れて、そなたの頭の中まで覗いて読み取るぞ。」
「余が大王に命じたる事の一切は、その方の頭の中に、全て明かしてある故、時が来れば、我が名は自ずと明らかとなり、その方に託したる我が願いも、また自ずと明らかになる事になるであろう。」
「その願いと言うのが、何であるかを、私に分かる言葉で語って下さい。」
「今申したであろうが、言葉として、この世の物を動かせば、其の物の揺らぎは、全て、大王の身体にも伝わるのじゃ。それは、大王の知る所となるであろう。さすれば、大王は、その方の在処を探り、その方の頭の中まで探り出すのじゃ。それゆえ、今は聞いてはならぬのじゃ。」
「大王の力が及ばぬ時は、ないのですか。」
「一切の時は、大王の世である。」
「どうしてなのですか。貴方は、大王に対して何なのですか。」
「絶対の存在じゃ。世が一度決めた事は、永遠にそのまま行われるのじゃ。大王が、大王たるゆえんは、そこにあるのじゃ。大王の命が懸けられておる。いったん命じたことは、如何にあろうと、そのまま行われる。」
「ならば、大王の世界と結ばれていない世界で、記憶を見る事は出来ませぬのか。」
「それは、無い事じゃ。全ての物の動きは、大王と共に在る事ゆえ、ならぬのじゃ。」
「私の頭に記憶を埋められる時は、どうされたのですか。」
「封印を致して置いたのじゃ。」
「封印は何でされたのですか。」
「稲妻じゃ。雷鳴が轟いておる間、大王は安堵致す。其の隙間を使って、そなたに役目を与えたのじゃ。」
「ならば、稲妻の間でだけは、記憶を覗けるのではありませんか。」
「出来ぬ事では在るまいが、大王が、この世の全ての時を支配致さぬ時は、稲妻から雷鳴が終わるまでの僅かな時だけであるゆえ、大王が見張って居る、時空の全ての時に、僅かの時にありても、雷の時をいずるなれば、直ちに大王の知る所となり、先ほど申したようになり、ソナタの脳に記憶されていることの一切を、覗かれる。さすれば、終わりの時、大王は戦いの先手を打ちて、吾が願いを、封じて行くであろう。吾が願いも、藻くずと墜ゆる事と相なる。」
「私は、稲妻の間に記憶を見ます。」
「止めよ。苦労を致すぞ。尋常ならざる苦労が、大王によって仕組まれ、幾層倍にもなって圧し掛かって参るぞ。」
「ならば、何故、今、時を止めて、直接語らないのですか。私は、その私の記憶に埋め込まれているものを忘れる事はないのですか。私は、記憶力が良くない事に悩んでおります。記憶が出来ない私に、難しい事を託されても無理です。その役目から、私を解いて下さい。」と、私は懇願した。
「心配致さずとも、記憶致しておる物は消えぬ。記憶致しておろうとも記憶読み出さぬ限り大王には在処は知られぬ。読めぬだけじゃ。」
そして、気付いて、なんで、勝手に記憶に埋め込むのかと腹立たしさを感じていた。そして、泣いて役目を解くように求めた。
「良いか。よおく聞くのじゃ。そなたは既に与えられた役目を果たさねばならぬ。運命と知るが良い。ワシは大王に、人類の殲滅の役目を既に言い渡してある。それゆえ、大王は、余の言葉の通りに、全ての者を殲滅いたすであろう。大王は、手加減をいたす事は許されぬのじゃ。手加減を致すことは、天に於ける大王、自らの存在位置が無くなることを意味して居る故、情け容赦はない。それ故に、人間は、手にした文明の全てを失うのじゃ。文明にしがみ付くものは、全て命をも失う。」
「何故ですか。知識をも失うのですか。」・
「余は、それで構わぬと決めたのであるが、欲望に生きぬ者は、罪を問えぬ筈と申す者が余に縋り、余を攻めおった。しかるが故に、そなたに、生きうる道を送る事に致したのじゃ。否応は許されぬぞ。文明の一切を失って、頭の中に残されたる叡智だけが、そなたたちの持ちうる物の全てじゃ。大王が去る日まで、人間が造りたる文明の一切の物を、身につけてはならぬ。身に纏うものの一切さえも、大王が、そなた達、人間の生き残りおる存在を知る所以となるであろう。そなたは、大王と戦わねばならぬのじゃぞ。もはや、泣く事は許されぬのじゃ。」
「私には力がありません。戦えと言われても、気力もありませぬ。」
「そなたは、戦わねばならぬ。人間は、全ての物を失うのじゃ。そなたは、何も無い世界を生きねばならぬ。生き残りたる者に、生きるべき術を与えねばならぬ。そなた一人にて致すのではない。人間は、頼り合いたる縁にて、結ばれし全ての物を失うが、そなたが慈しみたる人の繋がり、遙かにある愛の形は残るぞ。身につけたる術は、失う事無きゆえ、それを叡智として、活かすべし。もはや、今宵は、雷の時を使いすぎたる気配有り。語りて、長きに過ぎたり。大王に悟られぬ内に、終わりと致そう。たけき雷の走る夜に、我が名を呼べ。呼べば参るであろう。」
言葉は、雷鳴と共に語られ、私の弱気の言葉に対して、天空から叩き付けるように降ってきた。激しい地響きが、大地を揺さぶった。私は、頭から布団の中に潜り込み、泣きじゃくった。明くる日、枕と布団は、はっきりと、頭を埋めていた場所だけか濡れていた。夢ではないことを知った。
次の雷鳴の轟く夜から、戒めを聞かず、記憶の読み出しを、試み始めた。この頃、激しい雷鳴が轟く夜が、繰り返してあった。坊津の雷鳴は、地形に為に残響が繰り返し、20〜30秒続くことが、少なくない。
雷鳴の間の、僅かな時間で、記憶を読み始めて、2年ほどが過ぎた頃、雷鳴が短く終わった時があった。以前、聞いた声とは違う、大きな声が響き渡った。
「誰じゃ、わしの支配する空間をすり抜けて、勝手な動きを致した者があろう。この世の行く末を、何故、知って居るもがあるのじゃ。何者じゃ。」
大王の探索が始まった。大王に、何度も嫌疑を掛けられ、身が刻まれ、肉片となって捨てられた。そして、魂まで、二度と活動出来ないように、切り離された。踏み砕かれる前に、肉体を離れて非難していた魂は、見張りがいなくなった時、肉片を拾い集めて、ガラスの器に入れて、再び、現世の活動を出来るように復活した。魂と肉体の破壊と再生は、五回行われた。
大王の激しい、執拗な追求は、再生の度に繰り替えされた。切り裂かれた肉体が山野に捨てられ、動物の餌食になった時、私の魂は、鳴きながら微かに残った肉片を拾い集めた。その数は8個であった。動物か食えずに残っていた骨の欠片と共に洗い清めて、再生のために幾日か安置した。この再生が完了するまでの期間、私は学校に行く道が判らなくなり、学校がある方向とは違う道を歩いていて、反対側から学校に向かっていた同級生に呼び止められ、学校への道を戻ったり、同級生が会わなかった時は、とんでもない場所に行ったりしていた。
封印された記憶の核心
異変が始まる3日前に、空の色が暗い色になって空気が冷たく変わり、重ね着をしないと寒くて行動がしにくくなった。東の空の高い所に、時々、白銀色の巨大な宇宙船が、現れるようになる。最初は飛行機かと思ってみていたが、高い空を止ったり前進したり、戦闘機に形態からは考えられない飛び回り方であった。遥か高空にいると思っていたものが、いつの間にか直ぐ近い低空の来て止っていた。地球の飛行機の飛び方ではなかった。それらの飛行隊が数を増やすのにつれて空の青色はなくなった。太陽が昇らなくなっていたのが、また、上って来たが今までの方向からではなくなった。その宇宙船は二つのグループになっている様に見えた。東から来たものと、西から来たものである様であった。西から来たグループは東から来たグループの動きを阻もうとしているかの様であった。東の方の宇宙船の範囲は空の色がなく、昼なのに星が見える空の状態であったが、西の方から来た宇宙船のいる範囲は青紫色で、まるで溶接の時の色に似ている光で包まれていた。
坊津から見えている空間は山の西に面した急な斜面にへばりつく様に家が並んでいるので東の空は見える範囲が狭いので、東から来ているグループの様子は全体で見えないが、東から来ているグループは、西から来ているグループがあたふたとしているのに比べて、動きがゆったりとしていた。東から来た宇宙船の戦闘用と思われるものは、飛行機の形をしているが、それに比べて、翼が小さく短かった。
やがて、戦いが始まった。小さい宇宙船同志が戦っている時は、西側が優勢に見えたが、東が大きめの宇宙船で戦い始めると、力の差は歴然としていた。瞬く間に西から来た宇宙船は数が減り、坊津の空からは見えなくなった。
こうした事が3日間繰り返された。3日目に東側から現れた宇宙船は、小型のものよりも遙かに高い所を飛んでいる筈なのに、リアス式海岸特有に三角形に見える坊津の空を覆い尽くして両翼は見えない程の大きさであった。その大きな母船らしい宇宙船に対しては、西から来ている宇宙船の武器は無力であった。
母船からの武器は見えていなかったが、西からの宇宙船はひとたまりもなく消滅していった。地球の防衛組織は、この事態に反撃しようと出動したらしいが、持っている装備は消えて、何も出来なかったという事であった。どうやら、東から来た宇宙船が勝ったらしい。それで一週間程の空の上の異変はなくなった。空の色は無くなったまま、元には戻らなかった。
傍目には、巨大宇宙船は、現在生きている人間の数を数えているように見える日々が過ぎていった。。巨大宇宙船からは、青白い光が、時々出ている。その光を見上げて見た者は消えていった。人は、それを気づかない振りをしている。それを見ると、消されてしまうという噂が広がって行く。確かに、消息が分からなくなった者が増えて、周りの住人の数が減っている。光を見たい衝動を堪えて、その光を無視している者だけが残ってくる。
やがて、まずヨーロッパからの連絡が途絶え、暫くしてアメリカからに通信が途絶えたとラジオが伝え始めた。更にハワイ島の通信の出来なくなったとラジオが繰り返して伝えていたと言う。
光を見る時の角度が、光の照射角中心から30度以内に入ると、立ったままでは、意志の力だけで、光を見ないでいる事は出来なくなる。光を見たい、強い誘惑が起きるのである。光源に対する仰角が60゜を越えないように、腹這いになって、頭を押さえて、物に捕まり、目に光が射し入らないように、両眼を押さえて、強い意志を働かせると、光の照射を受けても、目を開く誘惑を、押し留める事が出来る。意志は、敵対して行うのではなく、ひたすらに自分自身の身体に対しての行為として行うと地表に留まれるのである。
人類殲滅の意志が行使され始めたのである。最初に説明が行われ、広場に集まる様にと言う指示が出された。その指示通り広場に行った者は帰ってこなかった。広場の上に輝く宇宙船が現れて、集まっていた人に光を照射して、吸い上げたという。
同じ様な事があらゆる所で行われていた。次第に残っている人間の数が減り、情報が入ってこないので、周りがどういう状況になっているのかが、判らなくなってきた。
人類は、意志の行使者に対して、反撃しようとするが、人類が持っている一切の兵器は、意志の行使者に対して、全く無力である。持っていた全ての金属は、消滅して、素手になっていた。
しかし、やがて、この光による方法だけでは、人類を一掃出来ない事に気づいた、人類殲滅の行使者は、生き残っている者を殺す作戦を開始する。
この段階で、小型の戦闘型飛行艇が、使われるようになる。生き残って、地上にいる者は、全て消されて行く。地表部にいた人間は、全て殺されるようになる。
人間が、これに対抗する方法は、特殊な能力を持った者が、光を発していない戦闘艇に対して一定の時間、強く思念を送ると、戦闘艇が飛行能力を失って、墜落する事でだけあった。地表に降りた宇宙人は、生命能力が消えて、消滅した。
その探索の司令をしているのは、遥かな高空にいる巨大宇宙船である。その宇宙船に、たくさんの戦闘母艦が繋がっており、戦闘母艦から、戦闘艇が出てきて、地表面を探索する。
戦闘艇は、地表近くまで降りて、生きている反応のある物を、全て、光で打ち尽くしている。ただ、その生きている反応は、人間が、上を向いている時だけキャッチされ、伏せて、静止している者は、存在を捕らえる事が出来ない。探知能力が低い装置で、探している。
それで、戦闘艇が、上空にいる時だけ伏せて、息も止めてやり過ごし、上空に、全くいない状態になった時に移動して、生き残った人間が、僅かにいる事が分かり、連絡を取るあうようになって行く。それが、母艦宇宙船に探知される。
ある段階で、静止して伏せている者は、探知出来ていない事を、生き残っていた人間が捕らえられて、喋ってしまい、地表にいる、全ての生物反応が探知出来る装置を開発して、配備して使い始める。その装置の配備までは、相当の時間が掛かる。
戦闘飛行艇より大型の飛行艇が現われて、その荒涼たる世界に「生きている人間はいないか。生きている者があればすぐ出てきなさい。命は助けます。」という声が響き渡る。そして「生きている者の反応が無いか、人間の反応を、徹底的に探してみろ。良く探せ。」と、言う声が聞こえて、声に反応した一切の人間が、殺されて行く。
その時に、人間が対抗出来る方法は、地中に潜り、思考活動を停止した状態に、脳をコントロール出来る人だけである。自然の洞窟に入った者は、その深さが十分であれば、思考が行われていても、探知されない。人工の施設にいる者は、完全に、思考を停止していないと、探知される。
その過程で、人間側は特殊能力が無くても、中に一人思念力の高い人がいれば、人間は手を繋いで人の輪を作って目標物を見つめて思念すれば戦闘艇を落とせる事を気付く。
それによって、落とされた宇宙人は、地表に落ちると消滅してしまう。宇宙人は地球では存在することが出来ないようであった。戦闘艇は3人の人間が手を繋いで、念力を送るだけで落ちる。そこで、何処に居たのか、人が集まってきた、戦闘艇が行き過ぎるのを待って立ち上がり、手を繋いで念力を送って戦闘艇を落として行く。
それに対して、宇宙船側は、三段構えの作戦を組み立てて対抗する。行き過ぎた戦闘艇を落とそうとする人間を、後ろから来た戦闘艇が殺す作戦である。二機目の戦闘艇が見落として、立ち上がった人間に落とされた戦闘艇があっても三機目が人間を殺すのである。これに対抗するために、戦闘隊形の一番後ろの戦闘艇を落とす作戦かが編み出された。
この作戦で、それまで生き残っていた、たくさんの人間が死ぬが、宇宙船側も多くの戦闘艇を失う。戦闘戦略は双方とも多様になっていた。しかし、生き残っている人間の数は次第に少なくなっていた。
宇宙船が飛び去っている間に、打ち落とした戦闘艇を飛べるように修理して、飛行能力を獲得する。戦闘艇は意志で操縦できる装置になっていて、人間の意志でも操縦できるものであった。私は、これで日本中を飛び回って、生き残った人間が、山間部の洞窟にいる事を確認した。日本中の生き残りの人間の数は、1万人以下だが皆無ではなかった。それらの人々に戦闘の方法を教えた。
人間が生き残っている反応は、ロボット探知器とスパイにキャッチされていた。再び、人類殲滅の戦闘が始まったという知らせを受けた。
その過程で、大分・岡山・長野・福島・仙台に私が知っている人が生き残っている事が分かってきた。
(当時は意味が分からなかった。子供の私には土地鑑が無く、イメージ能力も持っていなかったので、意味する事は及びも付かない会話であった。しかし、2000年の今、それらの地には寂動正体療法の施術を受けた人達がいるのである。正体によって、人間が変わる事の意味が、ここに繋がって行くのかもしれない。)
その人達と連絡は思念によって行い、一切の機器を必要としなかった。これで大王が撤退している間に連絡を取り、その人達が家族単位で生き残っている事を知り、抱き合って、再会の喜びを確かめ合った感触が残っているのを、夢から覚めた時に不思議に思った。
一度、私は大王に捕らえられた。そして、人類の降伏を求められた。拒絶した私は、何故か地上に戻された。その前に、大王は私を笑って言った。
『その方の肉体には、人類文明の細工の工作物が仕掛けられておる。今降伏するならば、工作物が破裂してその方が命を失うのは免除致そう。拒絶すれば命を失うことになる。いかが致すか。』 大王の宣告を私は拒絶した。人類文明の一切が破壊される時が来た。大王は、高らかに笑いながら、私の絶命を見ていた。しかし、私の身体では爆発は起きなかった。大王が爆発させる事が出来るものは金属だけで、それ以外の物質に対しては持てる力が及ばない事が判った。
大王は金属に対してだけ変化を与える事が出来たのである。金属以外のもので形作られたものに対しては無力であったのだ。その事は、大王が意志の命じた事を全部実行できないことを示すものであった。
この時は、意味が分からなかったが、50年が経った今、確かに大王が言った通りのものが、私の下半身には埋め込まれている。
更に、私は太陽の光が当たると電気が起きるガラス板を、避難している地下の穴蔵を照明するために使っていた。発電板は電灯用の100Vではなく、自動車の蓄電池と同じボルト数であった。そして、大王が殲滅を始めた時、ガラス板と繋いであった銅線は地表上から30cmは消滅していた。
また、ガラス板の金属枠も口金もなくなっていた。電気が起きるガラス板も駄目になったのかとがっかりしたが、念のために口金端子が溶けて無くなっている際の所を調べている時に、間違って指を当て電撃を感じてガラス板を落としてしまった。電気を起こす力は無くなっていなかったのである。金属でない土類元素で作られている物は物性を変えることは出来ていなかった。
喜んで地下で溶け残っていた線を繰り出して繋いでみると中にいるみんなが声を上げた。電気は起きているのである。このガラス板は大王のUFOが通過する度に銅線部分が溶けてなくなっていた。このガラス板はみんなが生き残るためにはどうしても必要なものであった。
地下での避難生活が長くなり、大王が活動する昼間は外に出る事が出来ない為、狭い中にいる人間の熱で地下室内は蒸し暑くなった。当初は岩壁が熱吸収してくれていたが、岩盤の冷たさが無くなり、その効果が無くなってきた。
そこで地上に残っていた大きなビニールパイプを探してきて、前から何時か要るだろうと思って持ち込んであったパソコン用の換気扇をとりつけ、室内の空気を追い出す様にした。換気扇は人工頭脳装置の冷却用に造られたものを、何時の日か使うと思って買っていた大きめのものであった。これで酸素欠乏も起きていた壕の中がさやかな空気で洗われていった。
最初、換気扇は外に取り付ける事を考えたが、素材が金属であるため銅線の様に溶ける事に気付いて、地下室内部に取り付けなおした。また、パイプから外に排気する方向に取り付けた結果として、この付近に人間がいる反応がある。徹底的に調べよという指示が出され、電線が溶けて切れる事が判ったので、パイプは吸気に使用して、排気は入口の階段を通して石の扉の隙間から出るようにしたところ、執拗な探査はなくなった。
人間がいるとして執拗に探査されるのが無くなっただけではなく、換気扇の音が地下室内に木霊して五月蠅ものであったが、地下室側内に付けた結果、換気扇の音が共鳴しなくなった。
換気扇を回すと、次の問題が出てきた。電気が起きるガラス板が常に太陽に向いていないと換気の効果が落ちる事であった。地下室の上の石垣と植え込みの木を利用して竹で支える様にした。そして、三本の竹を地下室から出し入れして朝と夕方の竹の長さを変え、電気が起きるガラス板の向きを変えられる様にした。
旨くいく様になったと思ったら、吸い込みの空気に乗ってパイプの中に虫が入ってくる様になった。空気の取り入れ口は石垣から飛び出さない様にしていたが、下向きにパイプを付け足し、パイプの口は麻袋で覆い縄で縛った。これは失敗であった。
雨が降る日、濡れた麻袋は雨露が幕を張って空気を通さなくなり、しかも吸い込んだ空気は水分を含んでいるため、身体の水分が蒸発せず、べっとりとなった。雨が降る間は大王は活動しなかったので、急いで上村麻吉の家の後に行き、潰れた家の残骸から網戸の防虫網を剥ぎ取ってきてパイプの内側の丸めて入れた。
これで爽やかさが戻った。ただ、雨の日は発電力が落ちているため、換気扇の勢いは弱かった。地下にいるみんなは、入ってくる空気の傍に寄っていた。
やがて、「全ての人類の生存反応が検出されなくなった。戦闘を終了せよ。」の声が全戦闘艇に伝えられる。この司令は打ち落とした戦闘飛行艇で傍受される。しかし、これは謀略で、幾度か殺戮の飛行艇は来襲する。
やがて、「かかる強き意志を持てる人間は宇宙全体の存在と等しきモノにて、全宇宙は我が意志の下に置くものなりとても、抹殺する事は我が存在を否定し、自らを抹殺するに等しき事にて不可能なり。断念せざるを得ず。我が宇宙に我が意思の及ばぬ領域ありとは。地球一つを消せば済む事でなれども、他を損なう戦いの意思無き者に、それを行うは我が意にあらず。もはや、これ以上の戦いを致すには及ぶまい。残れる者、優しく栄えるが良い。」という嘆きの声とともに人類を抹殺する司令は放棄され、意志の行使者の存在が消え去った。
大王の作戦が完璧でなかったことが確認されて、終結が決定された。
心の意志かが勝利したことを、生き残った人々と喜び合った。そして、生き残った人を、東北に終結して、人間の生きる場の再建が始まった。
以下、記憶の呼び出しが出来た時に続く(殲滅の前に起きる大災害、戦闘の内容など)
新しく見えてくる景色は、人々が殺されていく中を分捕ったUFOで飛行している様子である。見えている景色は、未だに続いている人類殲滅の活動者に見つからないように三浦半島と館山の中間の海上を北上している。三浦半島の東端を過ぎた当たりから生き残っている人の助けを求める念力通信波が聞こえる。私は念力の放射に導かれる様に横浜市の南の海面近くから念力波が一番強い山の麓を確認し、再上昇して山の頂上に着陸した。その時、上空を最後の殲滅をする光線が通過した。私は、故障して不時着しているUFOの風を装ってやり過ごした。飛び去りながら、「もう、何も残っていない様だなあ。生きている人間の反応がない。」という通信を傍受していた。UFOが全部飛び去って、上空にも母船がいなくなった事を確かめて、生き残っている人の念力を探した。
生き残っている人間が微かに出している念力を捜しに山を下りた。念力の放射源は降りた山から北西の方角になっていた。私自身も念力を放射しているので、「どこにいますか。」と尋ねた。「助けて。ここよ。」という念力波が届いた。通信が成り立った事を確認した。ゆっくりと、強くなる方角に歩いて行った。
破壊された瓦礫が積み重なって出来た空間の隙間に、若い子と庇い合う様に女が潜んでいた。「良く隠れていましたね。私ですよ。助けに来ましたよ。もう大丈夫です。」と、声を掛けたが庇い合う手を緩めようとはしなかった。私は、女の肩を叩き、そっと、手を握って、暫くそのままにしていた。やがて、通い合うものを感じたのであろう。女はゆっくりと頭で子供を押さえて庇っていた頭の力を緩め、頭を擡げた。顎を子供の肩に乗せ、眩しげに私を見た。「やっぱり、助けに来て下さったのね。信じていました。」と、力の籠もった声で言った。「ああ、きっと、頑張って生き残っている筈だと確信していました。良かった。」と、握っていた手に力を込めた。語り合う声を聞いて身体を二つ折りにされて抑え付けられていた子供が体を起こした。弾みで、女は頭を隙間の天井で打った。
「もう、出ても大丈夫だよ。UFOは飛び去って何もない空が戻ってきたましたよ。」と言った。二人は信じられない様な顔を並べて空を仰いだ。久し振りに見る空が眩しそうであった。隙間から出て、立ち上がった二人は、膝が伸ばせなかった。その姿勢でずっと耐えていた事を示したいた。足が伸びない女を抱いて、支えた。最初は凭せ掛けていた身体に力が戻ってきたのだろう。次第に軽くなってきた。そして、嗚咽をし始め私の身体を堅く抱きしめてきた。私は、長い我慢の中で堅くなっていた女の背中を撫でさすり続けた。女の身体が温かくなってきた。《 》
大人二人の様子を嬉しげに見ていた。子供は、もうすぐ大人になる頃であった。二人の肌はカサカサに乾いていたので、まず、持っていた水を二人に与えた。暫くして、空腹を言ったので、乾パンを一片だけ与えた。「何日食べていないの。」と、聞くと、「何日だろうか。前触れの現象があったら、こうなると教えられていたから、その積もりで水と食料は持っていたの。だけど、使い果たして、飲まず食わずで貴方が来るのを待ったわ。」「それなのに水一杯と乾パン一個でしたね。水は飲んでいいけど、食べ物はゆっくりね。」
「もっと欲しいだろうけど、今一遍に食べると死ぬよ。肌がカサカサになっているだろう。水を飲めなかった胃袋の中も肌みたいに水分が切れて乾いているからね。堅い物を飲み込むと胃が傷ついて死ぬよ。肌に汗が滲むまで待つといいですよ。そしたら、もう少し食べられる。」子供の目を見つめながら言った。子供は目を見開いて私の言葉を聞いていた。子供の目には、警戒心はなかった。
二人の身体が体力を取り戻す間に、私は付近の状況を確かめに歩いて回った。二人がいた所から真っ直ぐ東に向かっている道路があった。全ての建物は崩壊していたが、木造の家は、屋根が残ったままになっていた。釘や土台と固定したボルトはなくなっているので、風で揺れ、その度に瓦や屋根の防熱材が落下していた。人の姿はない。海岸に向かって延びる道を歩いていくと、食糧貯蔵用の黄色いサイロが支柱の鉄材が無くなったために、支えを失って倒れたらしく、中から、貯蔵されていた米が少しずつ流れ出してセメント舗装の上に円錐の山になって溜まっていた。
その米の山を掬って袋に入れている人がいた。「管理人は居ますか。」と聞くと、みんな居なくなったという返事であった。その人は、袋をいくつも持って米を詰めていた。私は一袋だけ、親子のために詰めて持っていく事にした。零れた米の山に近づくと、中からネズミが何匹も飛び出してきた。私が驚くと、「米が零れているのでネズミがウヨウヨ居る様になった。毎日数が増えている様だ。」と男が説明した。
「貴方は、前から見ているのですか。」と聞くと、『そうだよ。ワシは地下で暮らしていて、人が出入りしなくなったので、どうしたのかと思って外に出てきたら、人が消え、ビルがただのセメントの塊になり、木造の家も柱だけになっていた。何があったのか判らんが、ここにあったカントリーエレベーターの穀類サイロが倒れて、米や麦が流れ出ているから、袋に詰めて地下に運んでいるのさ。』と話した。「こんなにネズミが多いと、排泄物も一緒に入ってしまうから中のものを取ればいいのに。」と言うと、『零れたものは拾いも、中のものを取ると泥棒だよ。』と言う返事であった。泥棒にも一分の利かなと思った。
「そんなに取っといてどうするの。早く山に逃げないと、これから高潮がやってくるよ。」と注意した。『俺は今まで貧乏だった。これから米で一儲けして、ゆったりと暮らすよ。人に売るものは、ネズミの糞も一緒で良いんだ。知るもんかい。中のものは足場がないと取れないよ。どうしても取りたかったら、あすこに木バシゴがあるから、やりな。運び出すのが大変だよ。』と言った。私は木橋子を引きずってきてサイロの下を掃き清めて、滑らないようにし、サイロに口に取り付けた。サイロに上り、中の米を一袋詰めておろした。男はまだ詰めていた。『早く逃げた方が良いよ。高潮が来るんだよ。』と言ったが男の耳には入らない様であった。梯子はネズミが登らないように外そうとしたが、「折角生き延びたのに、欲の皮が突っ張っていて、先が見えない様であった。
私は、20kgほど入った米の袋を担いで、母子の所に戻った。『どうしたのですか。』と女が言った。「これから、喰う物も何もない時が始まる。これだけあれば、せめてもの時を過ごせる。その間、安全な場所に移らなくてはならない。水と当座の食べ物と、衣類と、使える鍋とか残っていれば、欠片でも良いから持って下さい。」と促した。二人は立ち上がり、使える物を探した。殆ど何もなかった。
「これから、西の山の遙か向こうの大山まで行かなくてはいけない。もう、人殺しはなくなったから、山に登って、木陰で休もう。これからは身体は出来るだけ包んで、外気から肌を露出しない様にして守るの。全てを自分の知恵で守らなくてはいけないのだよ。履き物も、ベタ靴で紐の通った物が良い。遠い道を歩くから、足が段々腫れてくるから、締めなくてはいけないよ。下はズボンをはいてね。」と主に娘に対して話した。母親はそれを聞いて行動した。まるで長年暮らしていた家族かの様に素直に言葉を受け止めて準備をした。
少しダラダラの坂を昇って、木陰に到着した。そこで、暫く休んで出発する事にした。私は分捕ったUFOをこの山に置いたつもりで見に行った。所が無くなっていた。これからは全ての行動を徒歩で行わなくてはいけないという制約がのし掛かってきた。仕方がなかった。まだ、他にも生き残っている人がいたのだと思った。腰を上げて、さあ行こうと母子を促した。子供は直ぐに行動した。然し、母親は、「あの人が・・・・」と、動きたがらなかった。
言っているのは夫ではなかった。子供も承知していた様で、「お母さん、今まで待ったのよ。こうして来て頂いた上村先生にも申し訳ないでしょう。もう決断しなくては、」と、母の手を取って揺すった。
「そうね。今まで待ったのよね。行かなくてはね。」と言ったので、「貴方方を安全な場所に連れて行った後で、来る事が出来なかった方が、生きて居れば、貴方達の居場所を教えます。津波が来るので途中厚木までの間は低くなっているから、出来るだけ急がないといけません。相模川を渡り終われば次第に上り坂になるから、生き残りの勝負は付く。頑張りましょう。」と説明した。胸の内では、女の未練を思った。
行程は、歩き通して2日半懸かった。西から東に続く尾根道を歩いていた時、遙か彼方の山に分捕ったUFOがあるのが見えた。盗まれたと思ったが、不慣れな土地で、置いた山を勘違いしていたのだ。一応安全な高さまで辿り着いていたので、母子には先に行っていても良いよと言って、私は、分捕りUFOを取りに引き返した。何時、高潮が来るかと心配しながらUFOの場所まで戻った。UFOを見つけて操縦を始める直前、生き残っていたらしい兵士が近づいてきた。兵士は頚機関銃らしい武器を持っていたので、UFOに乗り込んで、垂直に急発進した。日本語でなく英語で何か言っているが、判らないまま上昇した。兵士は、銃を構えて狙いを定めようとしていた。構え終わるまでに距離を取れる事態ではなかったので、少しだけジグザグの進路を取って、下を見ている左の顔面の僅かに横を弾丸が通過した。
私は大山に分捕りUFOを着陸させて、母子の所に戻った。米の袋を二人で持って坂を昇りつつあった。私が、着くと、「こんな重たいものを、私達親子の為に担いでくれていらしたのね。有り難う。」と母親が言った。「これだけあれば、暫く生きている事が出来ます。その間に生き残っている人達を捜してくる積もりだ。」と答えて、二人が持ち上げてくれた米の袋を肩に担いだ。そして、坂を昇っていると、女の子が後ろから押してくれた。山道を登っていって、少し下りになっている所が、道の両側が緩やかな風化した小石が積もり、上は木で覆われたトンネルの様になっていた。私はそこで休む事にして、「今夜はここで休みましょう。ここなら、夜明けに突然降る雨の時の濡れないで済みます。ここの小砂利は角張っていて痛いですから、グランドシートを広げましょう。」と、母親の荷物を解いて、シートを広げた。
シートを広げて腰を下ろすと、腹が減っている事に気付いた。水は、一人4リットルずつ、途中の湧水を汲んで持っていたので、まず、身体を労りたい母親の水から使う事にした。コップで大事に少しずつ飲んだ。そして、携行食品を分け合って食べた。以前からこの時のために買ってあった金属の膜で保存目的で作ってあった物は、全部、外の金属膜が消えて、外の透明な膜の中にたまっていた。
それを腐されるまでに食べる事にした。一つ一つを丁寧に紙で包んであったので、粗末になっている物はなかった。更に外を新聞紙で包んであったので、見事に包まれていた。人柄を忍ばせるものとして感激した。新聞紙は、後々の為に折りたたんで、透明な膜に包んで直した。
腹が膨れると3人並んで横になった。星の光が上を覆っている枝や木の葉の隙間から時々見えていた。暫くするとうとうした。母親が私の身体を触っているので目が覚めた。
まさぐられているのに任せながら、手を伸ばして、ゆっくりと乳房を撫でた。それから、手を下に滑らせ、陰毛を撫でた。割れ目は既に潤っていた。それから暫く愛撫を続け、一つになった。母親は子供に気を使いながらも、やがて夢中になって、堪えきれずに、私の上着を噛みながら嗚咽を漏らし、身を揉み続けた。終わってから、私は母親の陰部を綺麗に舐め取った。母親も、私の物を舐めて綺麗にしてくれた。
暫くして、母親が安心して眠りに就いたのを見計らって、分捕りUFOを見に、山の上まで登って行き始めた。
山の道は星明かりで満ちていた。すると、後ろから着いてくる足音に身がすくんだ。「誰だ。」と、声を上げると、
「驚かして御免なさい。おじさま、私よ。」と、女の子の声であった。「どうしたの。お母様と一緒に居て上げなさい。お母さんにとって、貴方だけが生き甲斐なんだよ。」と、嗜めると、
「おじさま、私におじさまの子供を産ませて欲しいの。お母様にもおじさまの子供を産みたいと言って話したの。お母様も承知して下さったわ。ですから、お願い。お母様になさったようにして抱いて。」と、哀願するように言った。
私は、女の子の肩を抱いた。「お母様も同意されたのね。分かった。本当は、貴方に相応しい若い人を見つけてあげたいけど、こうなっては望めないから、そうしよう。その前にUFOを見てくるから、それまでお母様と居て上げて。」と言った。女の子はもう娘であった。
UFOの所に行って、異常がない事を確かめて、母子の所に戻ると、娘が居なかった。
何かあったと思って、探すと、男と女が争っているような声が聞こえた。足音を忍ばせて微かに拒むような女の声がする方に行くと、道が曲がった所で娘が男に組み敷かれ、下着は剥ぎ取られて低く垂れた木の枝に引っ掛かっていた。
男はズボンを下ろそうとしている所であった。屈強な男であったので、私より逞しく力が勝っている事は間違いなかった。この逞しい男の精液を受け入れて子を宿す方がこれからの厳しい時を生き抜くのに良いのではないかと、迷った。
迷っている間に男はズボンを下げ陰茎を秘部に宛おうとして、娘の必死の抵抗に遭い挿入が旨くいかなかった。
娘は、「先せーい。早く助けに来てーっ。」と叫んだ。
その声を聞いて娘がさっき話した言葉を思い出し、私は、「何をするかっ。貴様ーっ。」と大声で喚いた。
声に怯んだ男は頭を上げた。「俺が見つけた女だ。俺の好きなようにするのだ。邪魔するなっ。」と言いかけた時、私は持っていた太い木の棒で男の顎を払い、男に体当たりした。
体当たりを受けて男は立ち上がろうとしたが、足は、ズリ下げたズボンが枷になって男の自由を奪っていた。陰茎は夜目にも隆々としてそびえていた。
三度の体当たりで男を道の外に突き落とした。そこは、高さが200mを越える絶壁の場所であった。男は絶壁の岩に何度も身体を打ち付けて落ちて行った。
「大丈夫だったかい。」と、娘に近づくと、「有り難う。やっぱり助けに来て下さったのね。」と、言いながらしがみ付いてきた。
私は、「御免ね。怖い思いをさせてしまったね。」と言いながら娘を抱いた。
「怖かった。強い力で組み敷かれてしまったから、駄目かと思ったの。あの男の堅い物が私の大事な所に入りそうになって時はもう力が抜けそうで、腰か自然に受け入れそうになってしまった。でも、私は先生、貴方の子を産むのだと決めていたから、駄目になりそうな身体を止めて抵抗を止めなかったの。良かったあ。今、直ぐに私を抱いて。ねっ、ねっ。」と抱き合っている指に力を込めた。
「分かった。その為には、場所を作ろう場所と言っても今はこれしかないけど、」と言って、上着を脱いで、敷き広げ、その上に娘を横たえた。そして、男に犯されそうになった秘部を舌で丁寧に舐めて清めた。
その事で娘は燃え始めた。娘は処女であった。十分に愛撫を加えてからゆっくりと時間を掛けて一つになった。初めての経験であるのに、娘の口からは快感に包まれいる吐息が漏れ続けた。
射精してからも暫く中にいた。「おじさま、私ね、今日は妊娠する日だったの。だから、他の男の子だけは身籠もりたくなかった。おじさまは必ず来てくれると思っていたから歯を食いしばって抵抗し続けたの。駄目かと思ったけど、良かった。おじさまの子が産めるのよ。」と、譫言のように繰り返し確信を持って語った。
そして、ひしと抱きついた。この夜の性交で、母と娘は同時に妊娠していた。身体を正体してあったので、二人ともお産は軽かった。それは、後日、分かった事であった。母親の所に戻ると、娘は直ぐに母親に耳打ちした。「お母様、先生のお子を産ませて貰える事になりましたのよ。」と。
母親は近くで落ちていく男の絶叫が聞こえたのと、二人の睦み合いの声が続いたので起きていた。「そおぉ、おめでとう、良かったわね。必ず身籠もれるように体を大事にしましょうね。」と、母は娘を優しく抱きしめた。
その後、私は母親の頭を上げさせて娘の頭も受け止めて、母親の後ろの添い寝した。「一遍に二人のお相手、ご苦労様でした。これからは交代交代にしましょうね。体が持つかしら。」と私の腕を枕にしている頭を揺すって、くすくす笑った。
私の腕には、娘も腕枕をしていたので、重かった。それでも一方の手では母の上から娘の腰も抱えて守っていた。その腕を母親がいとおしそうに撫でていた。(12歳にならない私には、朝、目が醒めても覚えていて、いつもよ大きくり堅くなっている股間を不思議に思った。これらの行為がどういう意味なのか分からなかった。)
二人を山の上に導いて、東京に戻り、生きている人を捜した。親しかった女が助けを求めてきた。然し、私の心は開かなかった。「貴方は彼を選択したのだ。彼がいるだろう。彼を捜して助けて一緒に行きなさい。私は、西に行く。早く行かないと、海が盛り上がってくるよ。」と言った。
「青梅では、あの人が王様気取りでいますよ。貴方は死んだ事になっていて、みんながあの人に縋って生きる状態になっているのよね。」と言った。「もう、この事態の中では、どうでも良い事だよ。一人でも助かる人が増える事が第一だ。」と答えた。会話はそこで途切れた。
それから、青梅に辿り着いた。その途中には、助かっている人はいなかった。青梅について、生存している人の出す念力を探知すると、懐かしい人がいた。王様気取りの男の妻であった。「ご主人は。」と、聞くと、「昨日、一寸出てくると言って出ていったまま帰ってきません。」と、途方に暮れて力を失い、しょんぼりとしている風であった。
「そうですか。生きていれば通信能力はある筈ですが、生きている人の反応はありませんでしたよ。ご主人は、もう、帰ってこないと思います。みんなは、西の山に登る様にあっちにいますから、一緒に行きましょう。」と促した。
女は立ち戻らない夫に未練気であったが、一緒に山に登る道を辿り始めた。食料を持っていなかったので、持っていた食物と水を渡した。長い間、食べていなかった風で、急いで食べようとしたので、「少しづつ食べなさい。急いで食べると毒になりますよ。」と、注意した。
かつて、活動していた青梅の道は、土地勘が働いて、みんなが行った道に辿り着いた。早く着ける様にレールが消滅して枕木だけになっている電車の軌道敷きを選んだ。
途中で、日が暮れてしまい、進めなくなったので、山裾の木の下に腰を下ろした。女は、震えている事を気付いて、私は抱き寄せた。女はしなだれてきた。
「身体を治してあって良かったね。」と言うと、「あの時は、ビックリしたけど、本当に言われた通りになりましたのね。拘りを捨てて、こうして、助けられる事、有り難いと思っています。」と言って、身を擦り寄せてきた。私は、強く抱き寄せて、横になった。視力が弱い彼女にとって、暗闇は恐怖の世界であった。身近に人がいる気配だけが、生き残った人間として、安堵出来るものであったろう。彼女は顔を私の腕の下に埋めて寝た。
私には、もう一人、気がかりな人がいた。彼女は住んでいたのは川崎市であった。だが、生き残っている人を探して行く時、川崎の付近では、生き残った人の反応が得られなかった。死んではいない事は、霊魂としての語りかけがない事から、確信していた。何故反応がないのか、恐らく、生き残っている人間を徹底的に捜す探知を免れる為に前もって話していた通り、地下に潜ったに違いなかった。地下の彼女は、全ての生存の反応を消して耐えているに違いなかった。西の山に掛かるシリウスをを見つめながら、その彼女に自分の能力の限界の力を集めて、動き出す様に思念を送った。
明くる日、朝早くから山に向かう行動を開始した。そして、中腹に掛かった時、「先生ー。上村先生、私よー。何処にいますかー。」と、声が麓から聞こえてきた。矢張り彼女は生きていたのだ。私は狂喜して、「おーーい。ここだよーー。上にいるよーー。」と、有頂天になって、答えた。彼女は耐えて、生きていたのだった。私は、一緒にいた彼女に先に行く様に行って、昇ってくる彼女の所まで、700m程の標高を下っていった。
「頑張ったんだね。良かった。」と、彼女を抱いた。「先生に教えられていた通りに私なりに頑張っていたわ。そして、夕べ、先生の呼びかけが聞こえてきたの。だから、穴から出て、歩いてきたの。逢えて良かった。」と、にっこり笑った。「本当に。探したけど、反応がなかったので、深い所に行ってるなあと通信が出来ない事を心配したよ。もう、高潮が起こる時まで時間がないと思って焦って、最後の念力を送ったよ。届いて良かった。」と話すと、「あんな深い所まで届くのですね。深い穴の中だったんです。凄い念力だわ。」と、顔を見上げた。「UFOを打ち落とす時に使って以来の集中だったなあ。」と、笑った。「みんなも山に登っていくから、この道を行こう。」と、促した。
「先生、私、何も持ってくる物がなかったので、これだけを持ってきたわ。しようがないから置いて行くかなあ。」と、背負っていた荷物を下ろした。「壊れたひな人形よ。捨てても良いと思ったんだけど、残った物はこれしかなかったの。捨てちゃうかなあ。」と、笑った。「これは、大事な物だよ。生き残っている人たちは、喰う物しか持っていない。これは、貴重な物よ。今まで生きた人間が持っていた文化なんだ。その証を持ってきてくれたんだね。重たかったろう。分けて持って行こう。」と分け合った。これは、10年振りに再会した年、久しく押入に仕舞われたままになっていた物を2004年に飾った物であった。
今となって、2004年再会の時に話してあった事を、全部、理解していた。
(この女性は、1993年に初めて会ってから、10年間連絡がなかった。高校生の時に患者としてきて、母親にあの子は神性のある子ですから、大事に育てて下さい。今の私には、彼女が持っている神性の意味は分かりません。今は、本人には教えない方が良いと思います。と、話した。最初会った時から坊津まで来たにもかかわらず、悪い体を治せず仕舞いだったので、10年の間、いろいろな原因が分かってくる度に、連絡があればなあと思っていた人であった。池袋で治せる様になって、すぐに母親が、自分を治してくれと言って来た。それで連絡の道が開き、6ヶ月後に来たが、最初10年前の時はシナリオの記憶が封印されていたので神性の意味が分からなかったが、再会して顔を見た瞬間、貴方は、人類殲滅後の未来に於いて、私を助けてくれる人だよ。何と言う事か。母親には話してあったのだが、貴方が持っている神性の意味が分からなかった。それは人類殲滅後に私を助けて活動してくれる女性、貴方はその人です。私は50年前に貴方に会っているのです。1993年に最初に会ったあの時は、貴方にある神性の意味が分からなかったのよねえ。と事態を話した。むろん、時空の違い、時が錯綜する話を彼女が素直に受け入れる筈はなかった。体が悪いのを治して欲しいだけであった。それは良いから、完全に治るまでは来てねと話した。私が一挙に話す言葉に彼女は戸惑いながらも、全部治るまで来ます。よろしくお願いしますと手を搗いた。この人の出現によって、人類殲滅のシナリオは、間違いなくある物である事を確信した。その時のキーワードが壊れた雛人形だった。2004年3月、「壊れたひな人形を飾ってみた。捨てようと思ったのだけど。」とメールが来た時、それは大事なお雛様。捨てないで」と頼んだものだった。)
こうして、東京で生き残っている人たちを確かめ、一緒に生き伸びられる対策をして、疲れ果てて、坊津の我が家の家族の元に戻り着いて、3日間、私は、眠り続けた。母と妻は、「どこに行っていたのか、こんなにまで疲れ果てて、語る力もない。」と話していた。
それから、大津波の前の地鳴りが始まるのである。
だが、生き残った人間の苦難はこれで終わったのではなかった。
暫くの平穏の時が過ぎ、隠れている溶岩の地下室ではどんなに耳を押さえても聞こえてくる低い音が不安を掻きたてていた。
外に出ると音は聞こえず、隠れている岩穴の中でだけ聞こえる音であった。ごろごろと地響きの様で足下から聞こえてきている事が分かるまで暫く懸かった。
毎日止まることなく続いている音で、岩穴にいる事は気力が持たない感じであった。いつ再開されるか分からないUFOの攻撃に備えて緊張は怠らなかった。夜の間は大王の来襲はなかったので、天文薄明が始まるまでの暗闇の間だけ外に寝る事にした。だが、この時、関東で救出活動中に聞いた通りに大王の殲滅の活動は終わっていた。
地底から聞こえている音が、何が起きているのか分からなかったが、毎日続いている地底からの音であったので慣れて緊張を忘れかけた頃、大洪水が始まったのである。
それは天から降ってくる水で起きたものではなかった。
海辺に住む私は海の潮が余りにも引いていると聞いて、坊の浦海岸が見える我が家の岩穴の西に出て海辺を見た。視界を遮っていた鉄筋コンクリートの公民館は鉄筋が消滅したために崩壊していたので、穴を出て10mほどで坊の浦が見渡せた。
海の潮は長瀬から更に沖に向かって引いていく所であった。これはとてつもない高潮が押し寄せてくると考えて、電気を起こすガラス板と電線を風呂敷に包み、みんなで僅かに残っている食料など荷物を分け合って持ち、穴から真っ直ぐに山の上に逃げる事にした。更に、家の所に戻って、残っていた食料を分担して包み、これからの長い耐乏生活の備えにした。
避難している穴は上之坊公民館の直ぐ横にあり、穴からは、低い所を通ることなく尾根を辿れる道の際にあった。
内之木場の畑に行く道はづっと続いている筈なのに絶壁になって途切れていた。途切れた上は左に曲がって背丈の低い密生した木立ちを押し分けながら、内之木場の150mの尾根の頂に辿り着いた。
私が知っている構造と違う状態に戸惑いながら進んだ。
(この情景を見た1949年当時は、水平な山道が続いていたのであるが、2000年にトンネルが出来て、山道がトンネルの工事で切られてしまい、絶壁になっている。1949年と2000年とでは景色が違う。息子が助かった穴そのものの上である。)
内之木場の上の五つ塚との境の丘からは、坊の浦を上から俯瞰する様な形で見え、海は寺ヶ崎と峰ヶ先で結ぶ坊之港口の線よりも更に沖へ引いていた。内之木場の150mの高さでは足りない事が予想出来た。
そこで120mの低い松ヶ迫の所を通らなくてはならないが、更にそれよりも高い果越の上の番屋丘に登る事にした。ここは200mの高さがあった。
命からがら内之木場の頂上に着いた者は我が家族だけではなかった。
他にも生き残っている人がいたのである。坊の浦の高台の寺地区に住んでいた人であった。どうして助かったのかと聞くと「巌兄いさんが昔冗談めかして空から青い光が差し込んで来て、宇宙船に乗りなさいと言われるけどその光を見てんはいけない。両手で爆弾が落ちる時、目と鼓膜を守るの要領で、声も聞こえない様に耳を塞ぎなさいと、防ぎ方を教えられた通りにして頑張っていた。あの時、貴方は、将来私がここの上之坊ではなく、坊の浜の寺の人と結婚して、そこの住んでいるとまで言われていたの。その通りに結婚して、その通りに住んでいたから、以前からこの日に備えて家の裏の山を掘って、その上を板切れで覆って土を載せて家族みんなで隠れていた。」と、話した。
遙か遠い昔、人類殲滅の事を封印されて思い出せなかった記憶について、その子は上之坊の出身であり、私が読み出したばかりで、細かい事を忘れてしまう前の子供の頃、後年、私が世話をし続けた子供会で、小学生同士で雑談を語っている時に、殲滅から生き残るための方法を話した事を覚えていたのであった。それをずっと信じていてくれたのだ。一家を引き連れていた。一緒に暮らしていた年寄りもいた。足手纏になるから行かないと言ったが、生きてきた証は、今生き通して、頑張る事しかないのよ。生きる人間の強かさを神様に見て欲しいのよ。と説得したという。その頃はどちらかというと愚鈍で、相手にしてくれる人はなかったが、私の話を真剣に聞き、その時、私は何処の居るのだろうかと聞いたので答えた会話であった。感動した。
急な尾根道を昇ってきた人たちに、更に更にもう一つ山を越えて先に行く事を言うには躊躇いがあった。それでも話した。疲れたけれども、それでも助かるためには一緒に行くと答えた。喜んで先に進もうとした時、遙か100m下の歩行道側の畑道を昇ってくる人たちが一緒に歩きかけた「たっちゃーん」と」女の子の名前を呼んだ。「おーい。ここよ。頂上にいるよ。これからもう一つ先の番屋丘の山に移る所よー。」と答えて、「待っているから早く昇って来て。」とその子が答えると、「たつちゃん、私達は後から行くから潮に追いつかれるかも知れない。先に行っていていいよ。貴方は年寄り達も一緒だから追いつけるから先に行ってて。」と答えながら姿が見られない斜面を登り始めた。
「それじゃあ、先に行っているから尾根を通って来てよう。」「分かったー。有り難う。ここの道は私が知っている道と違っている。どうしてなのー」と戸惑っている声になった。私は「道の形が違っているから、今歩いている所からは山が急で登れないから畑を左に走って霧島側から上った方が良いよー」と声だけが谷向かいの山に木霊した。「そうする。先に行っててねー。」と声だけが内之木場に移っている事を推測させて、山々に木霊していた。
私が昔話した事を聞いて信じて、同じように愛宕の山を穿って穴を掘り、対策をしていたのだという。子供の時、私が殲滅について話すと、お前は頭がどうかなっているんじゃないかと揶揄され続けていた。然し、信じた人がいたのだ。嬉しかった。
そうしている間に戻ってきた潮が坊の浦の入江を満たして、更に海は大きく膨らんでいた。白波を立てることなく、海面がゆっくりと膨らんでいく様に見えた。大王達が金属を消滅させてしまったので、鉄筋の家は崩壊していたが、木造の家は壁は剥がれ落ちたまま、木組みが残り、屋根は釘の固定が無くなっていたので、風が吹く度毎に瓦が落ちつつあったが、木組みの御陰でかろうじて残っているものもあった。
それらの建物も、土台が固定されていなくなっていたので、海水に飲まれ海面に漂い始めた。その時、坊の浜の寺付近が海面になり、その子が住んでいた家の付近が、海水の中に飲まれていく所であった。海に漂い始めた我が家の残骸を見て、子供の時と同じ、「キエーーン」と甲高い声を上げて泣いた。上之坊は少し標高が高いので私の家はまだ残っていたが、それも時間の問題であった。慣れ親しんだ古里の全てが海面に飲まれて消えていく悲しさを、見詰めていたが、泣き声を聞いてて、我が目にも涙が浮かんだ。唇を噛む歯に力が入った。
目をしばたきながら、内之木場の山の頂から松ヶ迫に下って、低い所を通り抜けるための時間が無くなってる焦りを感じた。
若い息子達を先に行かせ、私は足の弱い母に足取りを合わせてたが途中から背負って畑の畦を下った。そして、松ヶ迫の所に来た時、畑である筈のそこは黒いセメントの様なものが敷き詰められた道になっていた(アスファルト舗装)。
そして、その先は山になっている筈なのにセメントの石垣があった。
(今松ヶ迫団地の水源配水池付近)。どうして俺が知っている土地の様子が違っているのだと私は狼狽えた。50年経った今その通りになっている。
石垣は母には越えられない高さであった。母は、「私はもういいからお前だけ行け。」と言った。構わず尻込みする母を背負い、僅かに草が生えている斜面の場所を足掛かりにして、そこをよじ登った。昇っていく足下を押し寄せて来た潮が満たし始めていた。傾斜を昇り始めた波に追われた。(松ヶ迫は1947年当時は畑であったが1990年代に宅地造成されて団地になっている。)
坊の浦側から上がってきた海水と犬戻・浦尻側から上がってきた海水とは少しスピードが違っていた様で弓田平に差し掛かる時、十文字側から弓田側に海水が流れ落ちた。弓田平の谷が海水で満たされる僅かの間に海水が流れている弓田平の道を走り抜けた。背中の母は「私を置いていけ」と泣きながら言った。
妻が「荷物を一つ持とうかい」と行ったので、電気を起こすガラス板と電線の入った風呂敷を妻に渡した。やっとの事で弓田平を越えて耳取峠の坂に差し掛かった時、後から来た人たちの声が後ろに聞こえてきた。
間に合ったのだ。坂を昇る間に潮に飲まれただろうと諦めていたのに、何という強さだと驚いた。私は母を背負ったままで、坂を昇って疲れ果てて、足下が洗われているので流されそうになる子供達に手を貸して前に子供を抱き背中に母を背負ったままで、何度も往復した。
「たーーぁ、お祖母さんを背負って逃げて来られたのな。」と驚いて涙ぐんだ。最期に残った女に手を差し伸べた時、もう海水は腰の高さになっていた。抱き合って、助け合いながら、海水に流されないように踏ん張りながら、弓田の狭い道を足探りして越えた。
一緒に生きていた祖父母は、「ここまでしてくれて有り難う。時間がないから、お前達だけで行ってくれ。私達は魂魄となって、お前達を守る。良く、尽くしてくれた。感謝している。早く行って、助かってくれ。」と手を合わせて拝んだという。
その女としっかりと抱き合いながら流れる海水の中を耳取峠の道に入る事が出来た。
その時、私は胸に痛みを感じて足が蹌踉けた。先に行ってた筈の長男が引き返してきて、背中の母を引き上げた。一人になると何とか動けた。生き残っている数は遙かに多い人数になった。
耳取峠の丘から番屋丘の道に入った時、みんなは息を飲んだ。
家からここに至る間、坊津の急な斜面を押し寄せる海面に追われる思いで上り続けていたので、今起こっている状態についての事態認識が出来ていなかった。
耳取峠から枕崎の方を見て、起きている事態の意味が飲み込めてきた。枕崎の市街から続く平地は完全に海の中に消え、見慣れた岩戸の山もなく、開聞岳は裾野が消え、斜面の長さが短くなって島になっていた。
すぐ傍の春日の山も、山頂部の三角の頂だけが残り、果越の畑に下る道にも海水が入り、海中に没する所であった。
もう耳取から深谷を通り果越の畑に通っていた道も海中に没していた。自分たちが居る場所は僅かしか残っていない陸地である事が分かってきた。
その先の果て越しの道に残してある、大王の攻撃の時に打ち落として修理が済んでいた、もう一機の戦闘飛行艇小型UFOも、海水に浸かる危険がある状態であった。
私は、早く行って戦闘飛行艇小型UFOを移動しなければと焦った。修理が終わって念力で操縦出来る状態になっていたが、盗まれる事を恐れて果越の果樹園の中に隠してあった。
一応人目に付かない所であったが、上昇する海面に対して高さが足りない感じであった。
(この1947年当時の我が家の畑は、斜面の中腹にあり、台風の被害がない場所であったが、1954年にポンカン生産組合が出来て、私も組合に参加したが、旨くいかなくて個人分割した時に高い所も取得していた。この時、なぜか高い所を取得して将来に備える必要性を意識していた。しかし、この分陰されている記憶の事は思い出せなかった。)
弓田平の山を越えて、番屋の丘まではダラダラの登り道で、急く心で歩いても標高はなかなか上がらなかった。然し、もう海面の上昇は起こらなくなっている様に見えた。番屋丘は山になっていた筈なのに頂には木がなくなって草原になって、ここには無かった筈の白い石塊がこんもりと散乱していた。
ここも知っている状態と違っていた。そこの石は元々黒かったし、樹齢50年を越えた雑木林であったのである。
(番屋丘の上はポンカン園と同じ頃牧場が作られたが倒産してしまった。その後栗野輝氏が買い取り、また、2003年になって、尾根の頂上沿いに巨大風力発電塔が建てられた。この風力発電機の白いタワーが金属が無くなって、崩壊し破砕されて、散らばるのであろう。)
丘から見えるものは海ばかりで、所々に高い山が島状にポツンポツンと残っているばかりであった。光線を見ずに生き残っていたであろう多くの人も、これで全滅していた。我が家のポンカン園も標高80mであったから海の底に沈んで、僅かに上の放置している畑が残っていた。そこは、山であった筈なのに開墾した土地になっていた。(子供の頃は山林で現在ポンカン園の上部で1950年に第二次構造改善事業でポンカン生産組合が開梱して畑にした。)
母を番屋の最頂部に残して、果越の戦闘飛行艇小型UFOが置いてある所に行った。海水はその少し下まで上昇してきていた。急いで小型UFOに乗り組んだ。動かし方は修繕した時にやり方を確認しただけで、実際に飛ぶのは初めてであった。やっとの事で離陸させて、フラフラしながら尾根の最頂部に避難して、家族が居る番屋丘の場所に戻った。
到着して妻に風呂敷の事を聞くと、重たいので途中で捨ててきたという返事であった。咎めると『重たかったのよ。どうせ電気があっても使えるものがないのだから持っていても仕方がないでしょう.』と答えた。
捨てた場所を聞くと海水が止まっている際付近であった。子供達とその場所に行ってみた。海水に浸かっている椿の木の枝に引っ掛かっていた。
而も、そこは急斜面で滑りやすい赤土になっていた。どうするかを迷った。意を決して木の枝を伝って風呂敷を掴んだ。この時足場が崩れて私は海水の中に落ちた。銅線の重みで首の上まで水に浸かった。それを見て、長男が助けに海水に入った。長男に助けられて、私は木の枝を掴み、茂みの中に入った。流され掛ける長男の手を引き寄せたが、波が引いた時に手が離れてしまった。
私を助ける為に全体力を使い切った長男は、浮かぶ事が出来ずに海水に沈んだ。私は、持っていた道具を灌木に引っかけて、海水に入り、長男を捜したが探し当てる事が出来なかった。
手探りでは探せないと思い、海水の中に顔を漬けて、目を開けて探した。枯れ草が目に刺さっていたかった。でも、それに拘っている間に長男の命が無くなると思って、必死で探した。すると、傍の深みに沈んでいるのが判った。深く息を吸い込み、長男を引き上げ、水面近くまで引き上げる事が出来た。水面に浮かべたままで、水中で息を口の中に吹き込んだ。一回では効果がなかったので、三回繰り返した。
すると、微かに息をした。頭を下げて、胸を高くした状態で、息を吹き込んだ。吹き込んだ空気の文だけ水が出てきて、自力で息が出来る様になってきた。息が戻ってきたので、水面に浮かべたまま、滑る場所を避けて、上がり易い場所に移動し、僅かに起きる波の力を利用して引き上げた。そこで、更に完全に息が戻るまで、救命処置をした。
完全に回復したのを確かめて、海水に入った場所を避けて灌木を分け昇った。この時まで長男との関係はギクシャクしていたが、助け合った事で互いの蟠りが解けていくのを感じた。
高い土手を上りきったその時、止まっていた海面が更に上昇し始めた。自分たちが落ちていた場所も更に水嵩が増し、流れ込んだ海水が渦になっていた。
追われる様にみんながいる最頂部へ逃げた。そこは番屋丘よりも低くなっている事に気付いた。木が生い茂っていたので判らなかったので、行きすぎていた。みんなを急いで母がいる番屋丘に移動させた。そうして、修理した戦闘飛行艇小型UFOに長男を乗せ念力だけで離陸させたのを見て長男は驚いた。
その時、泊浦側からの潮が流れ下ってきた。矢張り東シナ海側の海面の高さが太平洋側よりも先に高くなる事を示していた。東シナ海に押し寄せて潮が支那大陸にぶっつかって反射する様に日本海側の海岸に押し寄せている事が推測出来た。
今まで修理をして念力で浮上させられる事を確認しただけで、本格的に飛行した事はなかったのであるが、流れ下ってくる潮を見て思い切って浮上させ、やっとの事で操縦して、更に番屋丘に移動した。東京方面で使っていたUFOと、操縦方法が違っていた。
私が乗ってきた戦闘飛行艇小型UFOを見たみんなは、殺されると思って地面に伏せていた。「心配しなくてもいいよ。私だ。」と言って、中から私と長男が出てきたのを見て驚いた。母が笑った。
みんながいちばん高い所に辿り着いて、見える限りの水没しなかった山を数えていた。あの山はどこの何という名前だと言い合っていた。
近い所から見て行っている内に、アスコで光っているものは何だろうと大隅半島を指さした。なんと言う事か。高い波が大隅半島の山並みを越え、滝になって錦江湾に流れ込んでいるのである。大隅半島に打ち寄せている波は、自分たちがいる坊津とは比べものにならない高い波である。高い山並みを越えた潮が、大隅半島の谷間を流れ下る様子が見えていたのだ。
太平洋側の海岸は恐ろしい状態になっている。その海水が佐多岬を回って押し寄せてきたから、十文字の尾根では回ってきた潮の方が高くなっていたのだ。鹿児島の二つに裂けている地形の特徴が、坊津の低い山での生き残りを可能にしていたのだ。
大隅の高い山を越えて流れ下る白い滝を見つめて、日本全体が高い波にのまれているであろう様子を想像して身体が震えた。(子供の頃から、この大隅半島の山を越えて流れ下る部分の情景だけが記憶に残っていて、何なのかは判らず、坊津から見る大隅の景色の中にだぶって見え続けていた。)
更に驚く事があった。すぐ向かいの湯穴の上の山に人がいる事が確認出来た。枕崎の人も助かっていたのだ。(この近くの方が正体に来られた時、人類殲滅の話をして、ここに逃げる様に言ったが、この人なのか。)
この後、日本中の生き残っている人を捜して、連絡を取り合い、二人に会いに行った時、「この子は、貴方の子供よ。貴女は一遍に二人の孫のおじいさんになられたのよ。大きくなったでしょう。」と言って、二人がそれぞれ二ヶ月になる子供を抱いて寄ってきた。私は母親よりも先に娘の目を見て、「子供を産む時に一人にして済まなかったね。頑張ってくれたのだね。有り難う。寂しくなかったかい。」と、母と娘の顔を見ながら言った。二人のお産は、余りにも軽かったので、今までのお産の苦しみを知っている女達には、驚きであったという。而も、産後、直ぐに活動が出来たので生き残っていた僅かの人間の共同活動にも殆ど支障がなかったという。私は、生き残って共同体を造っていた人々に頭を下げて感謝の思いを話した。「いいえ、心配なさる事はありません。この二人の子供は、生き残った私達の希望の象徴です。」と応えた。その子供は、人類殲滅後、最初に生まれた子として、大事に育てられていた。
勿論、一番気にしていた女も控え目にしていたが、一緒だった。
連絡を取り合った残った人間が100人の人の輪を作り、大型の宇宙艇を打ち落とせるようになり、更に1000人の人の輪を作って念力を出すと、宇宙飛行艇は、その戦闘能力を失い、中に閉じ込められていた人間が解放される。その再開の情景がある。
話が前後するが、生き残った人間達は、最後の試練を受ける事態に直面した。最初、大王のシナリオが終わって、物凄い高さの津波も終わって、地球上に残っている生物は、一挙に減り、当然の事ながら生き残っている人間も、平坦地で生き延びた人の全てが死んでしまっていた。そうした状況の中で、王が教えてくれた封印された記憶を話す私の言葉を信じた人は、生きる努力をした。高い山に登っていたのである。その生き残った人間達が、再び攻撃に晒される事が起きた。もうUFOによる攻撃はないと思っていたそのUFOによる攻撃であった。大王が攻撃した時は、人間を殲滅するという意志が明確であったが、その時の攻撃のUFOと今起きている攻撃のUFOは違っていた。UFOの色や形が違った。沢山の人を助けた筈のUFOであった。攻撃の意味が分からないままに、逃げまどった。
なのに、何故。
この攻撃で、殲滅の攻撃からも、大津波からも助かった人達が、死んだ。殺し方も違った。殲滅で死んだ人達は、身体は消滅していたが、今度は死体が残った。生き残っている者達は、殺された遺体を穴を掘って埋めた。
こうなれば、反撃するしかないと決断した。反撃の手段は、念力しかなかった。私は、一人で反撃を試みたが、台風の向きを変える強さの念力を以て対しても、UFOは落とせなかった。大王の攻撃の時のUFOは、小型のものであったので打ち落とせたが、今、人間を攻撃してくるUFOは、遙かに大きなもので、一人のエネルギーでは不足している事がハッキリした。ただ、念力を照射されたUFOの飛び方は、正常な飛翔力を失う事は、分かった。もう少し念力が強ければ、打ち落とす事が可能である事を示していた。幾度かの攻撃に対して、力不足の念力で対抗していた。明らかに操縦能力に打撃を与える程度には出来ているのに、打ち落とせない。その状態では、決定的な打撃をUFOに与えられない事から、一緒にいる母娘に加勢を頼む事にした。しかし、それでも力が足りなかった。原因は、念力を一瞬に集中する能力の不足であった。数日間、このタイミングを合わせる練習をした。
いよいよ、迎撃の時は来た。
いつもの様にしたい放題の殺戮を始めたUFOに対して、私と女は手を硬く握り合い、顔をUFOに向け、攻撃する点を見つめた。接近するのを待って、真っ正面に来た時、念力を照射した。照射を受けたUFOはそのまま、慣性状態になり、山の中に墜落した。他のUFOが反撃してこない事を確かめてから、私と女は硬く抱き合って、撃墜の成功を喜び合った。UFOの跳梁を欲しいままにされ、沢山の生き残りの人間を殺された悔しさが、吹き飛ぶ思いであった。
しかし、UFOは、反撃を始めた。私達は、一回の迎撃で念力を集中する為に相当のエネルギーを使っていたので、女の方が疲労が激しく、直ぐに迎撃を始める事が出来なかった。そこで、私一人でUFOに立ち向かう事にした。出来るだけ攻撃的な小型の戦闘性の高いものを狙った。結果は、一人では打ち落とす所までは行かないが、ダメージは与えている様で、その後しばらくは接近しなくなった。
その間に女は疲れが回復して、再び念力が使える様になって、二人で組んでのUFO迎撃を再開した。UFOが手も使わずに落とせる事におもしろさを感じる様になって、疲れる事が無くなった。二人で10機のUFOを落とした時、娘も参加したいと言い出した。私は、いい事だと賛成した
。三人で向かい合えばもっと大きなものが打ち落とせる様になると考えたからである。クローバーの様に手を組んでUFOに向かった。UFOを打ち落とす時間が短くなった。手を繋ぐ人数を増やせば、UFOに対抗出来る能力が増していた。その様子を見た他の生き残りの人達も、念力の大砲の輪に加わり始めた。高い念力能力の人が入っていれば、人数を増やす事によって、念力を増幅出来たのである。また、念力の輪が閉じていない時は、増幅されない事が分かってきた。手を繋いで輪になる事によって、念力は、低かった人も高くなり、念力能力がみんなのモノになり、その威力を発揮した。また、この人の輪を使ってみんなの念力力を高めてUFOに照射すると、一人一人の念力の力が増していた。
こうして、UFOの迎撃能力が次第に高い能力を発揮できるようになって、小さいUFOだけでなく、大きいUFOに対しても迎撃を試みた。初めて、大きなUFOを迎撃した時、UFOは近くに落ちた。完全な迎撃ではなく、操縦能力が無くなった程度のモノであったのだろう。ゆらゆらとしながら落ちた。その後、他のUFOからの攻撃が行われなくなったので、みんな、落ちているUFOの周りに集まった。
入口らしい所を上げると、中から、這い出てきたのは、以前、UFOに引き上げられていた筈の人達であった。沢山の人間が出てきた。中にいる時は、どんな姿で入っていたのか、とても、普通に入っていたとは思えない人数であった。圧縮梱包されていたのではないかと思われる状態であった。UFOの中には宇宙人は居なくなっていた。墜落した時に、消滅している様であった。今まで打ち落とした全てのUFOで同じ事が起きていた。
地球に戻ってきた人々を喜んで迎えようとしたが、彼等は言葉を話さなかった。言葉を失っている様である。いろいろの語り掛けに対して、全く反応しない。その中には顔見知りの者もあった。だが、親しみを込めた呼びかけにも、何ら表情を変えないのである。
違いは、それだけではなかった。
差し出した食べ物を食べないのである。食べ物は穀類や山から集めてきた木の実であった。全く振り向きもしなかった。その時、本の少しだけの山鳥の肉を出してみた。すると、それまで、一切の働きかけに反応しなかった人達が、猛然と反応し、一切れの肉片を取り合って、獣の様に呻き声を出して取っ組み合いを始めた。この事で、初めて彼等が地球人としての姿はしていながら、もはや、人間としての素養を持っていないらしい事を気付いた。後ずさりしながら、草葺きの小屋に入り、どうすれば良いかを語り合った。
≪ 以下、続く≫
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お知らせ・・・・何度も見て居られる方、03.07,03に前半に重要な追加しました。040423にも追加。 |
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