4月の末に2週間ぶりに札幌東京の旅から帰ってみると地震エネルギーを計測していたパソコンは冷たくなって目を覚まさないままになった。
連休中に岡山までの途路、車が熊本インター通過中に故障してしまい、気掛かりな薩摩郡の地震エネルギーを計測に行けないまま経過。新しいセンサーは作成当時失敗作かと諦めていたのが3月18日に日向灘の地震が静まった結果として今度は川内市で6に近い地震が始まると、鹿児島市で断言していた時のレベルが、26日朝に帰り着いて見ると2倍に上昇して継続していた。その夕刻に地震は発生した。
センサーが正常に地震エネルギーを関知していたことが証明されてしまった。
余震とされた地震が発生している間、高いレベルにあったデーターが異様に下がり始め、5月6日を過ぎると殆ど0レベル。地震も終わりかと思った。
5月11日から突然レベルが上がったので、12日に来た川内在住の患者さんに
「今度は湯田付近のピークが動くかもしれない。続発した地震で岩盤が動きやすくなっているから、震度6は下らないだろう。箪笥や食器棚は天井に固定しなさい。開き戸には厚い輪ゴムを填めないと今度は前のような訳には行きませんからね。」
『そんなーーー。原発はどうなりますの。前の時も今までも全部当たっているから恐いなー。』
「中では一次冷却水がジャプーーーンジャプーーン。ドパーーッとがぶるでしょうなあ。原子炉自体は深ーーい岩盤に杭を沢山打ち込んであるから大丈夫でしょう。でも、冷却水が暴れてラドンガスが大量に放出されるのじゃないかな。水が暴れると地震の振動そのものよりも恐いですよ。そっちの方で取り付けボルトがギーーッギーッと軋むでしょうね。それで持たなくなったらチャイナシンドロームです。」
『ふーーん』。判っていない返事。その後、その事態での見の守り方とか、生き残り作戦の講義を施術の間続けた。
13日、昼過ぎになってレベルが低下し始めた。午後2時38分、私は枕崎郵便局の局舎の南西の角に単車を止めて立ち上がった瞬間であった。
@単車が大きく揺れた。スタンドが壊れたと思って支えた。
A良く見ると局舎と駐車場の舗装面とが別々に動いている。地震なのだと気付いて局舎の外壁がはがれ落ちないかを確認。
B見回すと、すぐ横の花渡川沿いの道路が波打っている。路面の波打ちは10cm位の落差があるようにみえた。
C通行中の車も気付いたのか止まった。
D郵便局から人が飛び出してきた。
E太い送電線が波打って電柱と電柱の間で3つの波が出来ていた。
Fしばらくしてテレビ放送で見るような横の揺れに変わった。
止まっていた車が動きだした。
その時になって、しまったと思った。家を出る時に、枕崎でビデオで映す事態が起きるからビデオカメラを持って行こうと考えたのだったが、20年振りに乗った今時はやりの原付の乗りにくさに身体も頭も固くなっていたようだった。
G郵便局から飛び出て来た人が、財布を置いたまま飛び出てきた妹を叱っているのを見て「普通ですよ。当たり前ですよ。馬鹿じゃないのですよ。」と宥める方に意識が飛んでしまっていた所為かもしれない。「俺も普通なのだ」と思ったが、郵便局に忘れ物をして出ていることを気付いて「俺は阿呆だな」と苦笑い。
神戸の大震災の放送場面で「お金が燃えてしまう。」と泣きながら引き返そうとする妹さんを、姉だと思われる婦人が「お金は又稼ぎ直せばいい。今は生きることよ。行こう。」と、燃えさかる火災の明かりに照らされたシルエットの中で手を引っ張っていた情景が思い出された。
郵便局の中に入ると局員がテレビのチャンネルを回して地震情報の放送を探していたので「今度のは震度5を下らないでしょうね。3分経たないと詳しい情報は出ませんよ。」と語ったがその通りであった。
最初の地震の夜から、計測に行ったときに崩落していた家や道路などが受けた被害を案じた
家に帰ると、前日12日に地震を予告していた患者の両親が着いていた。
車で走っている最中で、地震原が川内方面であったことも何も知らないでいた。
「娘さんが箪笥に押さえられていなければいいが。」と言いながらも少し待ってから電話させた。前日言っていた通り、家具は倒れ、茶碗類も散乱しているとのことであった。阪神大震災前から、私が予告した事はそのままに起きることを最も良く知っている人達であったのだが、予告しても何もしないままになった典型例と言えた。
「幸い学校などがすぐには壊れなかったようだけど、明日の朝登校した子供達は柱が挫屈して傾いた校舎を見るところが出るでしょうね。生徒がいないうちに壊れればいいですがね。」と語りながら施術したが、翌日、宮之城高校の校舎が崩れ落ちていて、その通りになった。
奄美近海地震の時は、3日前からの異常現象を即座にパソコンで知らせ続けられたが、相次いでパソコンが壊れてしまい、尋常に作動するものがなくなった事と正常に作動するものが仕事場になくなって速報が出来ないでいる。車が完全に壊れて長期間身動きできないでいる。こんな中で大きい地震が続発しているのは辛い。
坊津で測っているデーターは波打ちながら5月10日以前のデーターに下がりつつある。このまま静まることを祈っている。