| 実子の小児麻痺 |
母の従兄弟、いつも私の守をしてくれていた庄之助店の美代子の兄、静雄の長女が重い熱病にかかった。熱が収まってみると、足が麻痺して動かせなくなっていることが事が明らかになった。かわいそうでならなかった。
何軒もの医者に掛かったが、医者は治らないものだと言ったと、祖父の庄之助が、遊びに来て、泣きながら爺さんに語るのを聞いていた。村会議員であり、いつも気丈に店を切り盛りして、働いている庄之助爺さんが、祖父と語っているときにだけ見せる、弱気な姿であった。
原因がいろいろ取り沙汰された。一応、守をしてくれていたオミツ婆さんの小屋が不潔だった性かなとか言われて、暫く、オミツ婆さんもしょげ返っていたが、そうしたことも沈静化して、再び、オミツ婆さんが静雄兄さんの子供達の守をするようになった。
実子は家にいることが多かったので、庄之助商店の店の裏に行って、実子に歩く姿を見せてくれるように頼んだ。実子は、快く歩いて見せてくれた。大きく頭や肩が振れ、手も大きく振って、動かなくなった足を必死で前に出そうとして藻掻きながら歩いた。
実子の歩く姿を見て、根本的には治せないにしても、もっと楽に歩けるようにはならないものかと考え続けた。歩く時の、手の動きに鍵があるのかも知れないと思った。
歩く時、初めは横にあった手が、後ろに引かれ、前にて出た足を追うように動きながら、何かを掴もうとして、空中を掴む動作をしながら、振れて行き、何も掴むものがないままに行き過ぎ、引き戻されているのではないかと考えたのである。
動作の最後の瞬間に手を握っているのは、その意味なのではないか。そう考えて、掌を見てみると、掌の中央部が、握りすぎた力で真っ赤になっていた。その様子を見ていたミエ婆さんが、
「私達がいくら開かせようとしても開かなかったのに、巌ちゃんが言ったら開いたねえ。不思議ねえ。」と言って覗き込んだ。
実子の手は、手に取って開かせていたのであったが、柔らかかった。指を握ったり開いたりさせてみると、中指の半分から小指までが、少しいびつな動きをして、方向が捻れ、時間遅れがある動きになることが判った。その事の意味を考えることにして、帰った。
数日後、店に遊びに行って、ゆっくりと歩いてみてくれないかと、実子に語ってみた。実子は純粋に素直な子であったので、歩いて見せてくれた。座敷を何回か歩いて貰った。外にいた母親の信子が入ってきて、歩いて見せているのを咎めた。
「何をしているの。この子は、見せ物じゃないよ。医者が治らないと言ったのを、子供のくせに何が出来るもんかい。人んげえん子に、おかしな事をせんに置いてくれ。」と言った。
『お母さん、巌兄ちゃんはそんな人ではなか。私には、巌兄ちゃんが思ってくれている意味が分かる。』と実子が言った。
まだ、小学校に行き始めたばかりの幼い実子が、言った言葉かなと思った。実子に信じて貰えたことが嬉しかった。
だが、信子は頑なに、私が観察することを拒絶した。その日以後、信子がいない日に行って、実子に歩いて貰ってみた。庄之助と妻のミエは、その様子を見ていた。鉛筆を持たせてみようと言って、庄之助おじいさんに言うと、庄之助おじいさんは、売り物の店の鉛筆を出してくれた。
「NEWか(にか)品物を使って良かとな。使おて短くなった物で良かとに。」と、確かめると、
「実子が歩けるようになるかも知れないのに、古い物は使えないよ。いいから使ってくれ。巌博士に任せる。」と笑って言った
実子が歩く時、右の手が、何かを持ちたがって空気を掴んでいるいる風に見えた、その右手に、鉛筆を握らせてみた。すると、身体の振れ方が変わったように見えた。足音も、足の引きずりが少なくなった歩き方に見えた。実子は、庄之助爺さんの所に行って、
『爺ちゃん、ほら。』と言って、歩いて見せた。庄之助爺さんは、嬉しそうに頷いた。
暫くして、信子が帰ってきた。実験をしていた事を知って、信子は激怒して、
『オイげえん子は、見せ物んじゃなかたっど。勝手にそんな事をして。』と言ったので、これ以後、実子に対しては、実験を止めた。もう少し大きい物を握らせたかったが、お終いになった。
本人よりも、障害を除くのには、親の心が問題なのだと思った。
後年、実子が高校3年生の時に、もう一度、実験をする機会があった。今限り、機会はないだろうと思いながら話すと、その時も、実子は素直に歩き方を観察するのに応じてくれた。信子は止めなさいと言ったが、実子はきっぱりと自分の意志を言った。
『母ちゃん、母ちゃんは、世間体ばかり言って邪魔をして来たけど、巌兄ちゃんは私が少しでも不自由がなくなる歩き方をどうすればいいか、一生懸命考えてくれている。巌兄ちゃんは、私を裏切ったことは一回もしていないよ。ずっと我慢していたけど、今日は私の意志で歩いて見せているんだから、母ちゃんは黙っとって。私はもう子供じゃないんだから、どうするかは、私が決めるから。巌兄ちゃん、納得が出来るまで見てくれていいよ。』と言って歩いてくれた。
成長した子供の言葉に、信子は圧倒されて家の外へ出ていった。
私は、幼い日から無駄になるかも知れないがという心配をしながらの実験だったのだが、信じて実行してくれていた事を裏付ける実子の信頼した言葉に涙が出た。
「克郎、竹はないかねえ。これぐらいの。」と言って、親指と人差し指で○を造った。やり取りを興味深そうに見ていた実子の弟の克郎が、
『ええっと、七夕に使った竹で良ければ床下にある。』と言って、表の縁側の下にあった竹を床下から持ち出した。
「それでいい。根本を一節だけ切って作ってみよう。」と、鋸で切り取らせて、実子に渡した。
その竹を持って歩く実子の姿は、揺れかが少なくなり、気品のある姿に変わった。やはり、子供の時に考えたことは間違っていなかったのだ。あの時に、もう一歩先まで、実験を進めることが出来ていたら、もっと子供の時に普通の歩き方が取り戻せたのだろうになあと思った。
『うわあ、姉ちゃん奇麗。殆ど、ふらつきがない。別な人みたい。』妹たちが言った。
「じゃあ、今度は、ここの段差を通過するように通ってみてくれ。」と、家の下座と中座の間の20cmの段差を通過するように歩くことを指示してみた。
実子は、大きい段差であるのに、平坦な座敷を通るときと変わらない姿で通っていった。
『完璧ィ。』と、見ていた全員が口をそろえて叫び、拍手をした。そこへ父親の静雄が、
『どうしたのかい。わっぜ、弾んで賑やかじゃが、何があったのかい。』と、聞きながら、茶の間に胡座をかいて座った。
『父ちゃん、実子を見てみやいご。』と、克郎が歩いている実子を指さした。
『うおっ、げんしたとかい。歩き方が違うが。格好良く見えやせんけねえ。』
「判っこ、変わっておっとが。」と、私も興奮しながら聞くと、
『判る、判る。歩き方が全然違うがね。げんしてね。実子は何も無理して歩いて居るようには見えんが。だけど、明らかに違うねえ。昔もう一度、歩いてくれないものかと思うて居った歩き方や。』と、嬉しそうに、目に潤まして言った。
「実子、もう良かが。座らんかさ。」と、話の中に入るように促した。
全員が、うれしさで浮き浮きとして、はしゃいだ。
「実子の卒業前に結果が出て良かった。小児麻痺になった3歳から、15年掛けて、やっと出せた答が、たったの竹ん筒ぽ1本だ。今の俺には、間に合わせの、こんな答しか出せなかった。本当はもっと根本的な治療がしたかったけど、医者でない俺には、ここまでが出せる答だ。」と、話した。
『嬉しい。凄く嬉しい。ありがとう。信じていたことが間違いでなかったのって、凄く嬉しい。いつも、巌兄ちゃんは一生懸命にしてくれていることは判っていたもん。』実子はうれしさを満面に溢れさせて話した。
遊びに来ていた従兄弟の真澄が、
『巌兄ちゃん。凄いがね。脳溢血で倒れた家の婆ちゃんが歩けるようになった時も、小さい私がびっくりしていたけど、私が生まれた時から、実ちゃんはずっと、足を引きずる歩き方しか出来なかったから、一生、そうなんだと思い込んでいたけど、そうではなかったことを確かめて見せてくれたんだから。今日は、感激よ。』と、腕を握った。
私は、ただ、黙って、うんうんと頷いた。物を言えば、涙が出そうだった。過ぎ去った時間が悔しかった。
実子は、『爺ちゃん、ほら。』と、小さい日の最初の時と同じように、奥にいた庄之助爺さんの所へ歩きぶりを見せに行った。一緒にいた美代子姉さんが、
『びっこが判らないようになったねえ。』と喜んで茶の間に出てきた。
『実子、さっきは凄い事を言っちゃったから、お母さんは圧倒されたようだよ。』克郎が、中に入ってこない母の方を覗きながら、言った。
『何を言うたのや。」と、静雄が穏やかに言った。
『凄い事ご。しかし、あの口振りは真似が出来ないなあ。本人でないと出せない迫力な。』と、克郎が言った。
『言わんにおって。』と、実子が克郎の腕を揺すった。
『おおきに、おおきに。茶を飲もうや。祝いをせんな。真由美、店の一番旨い菓子を盛ってきてくれ。』と、曰くあり気のやり取りを、微笑みで受け流して、私の手を握り締めて、静雄兄が言った。
美代子姉が嬉しそうに茶を入れる準備をした。
『信子がすれば良かとに。母ちゃんはよ。』と、不思議そうに言った。
「実子、母ちゃんはショックを受けているからよお、その竹を持って歩く練習をある程度してから、お母さんに見せろ。そうすれば納得するから。自立を始めた子供の嬉しい言葉だけど、お母さんは、まだ、自立できていないからね。」と促した。
『うん、うん、』と頷きながら、静雄が聞いていた。
「後は、今握っている竹がもっと大きい方がいいか、どうかだから、克郎、実子のために、いろいろの太さに切った竹をやってみてくれ。一件落着で俺は帰る。」と外にいる信子を気遣って、声だけ掛けて帰った。
信子は、中の家族の明るい笑い声や話を聞いていたのだろう。泣いていた。そして、頭を下げて
『ありがとう。私が間違っていた。ずっと心を掛けてくれて、ありがとう。』礼を言った。
実子の姿が、奇麗になって、もう一つやりたい事が膨らんで出てきた。
もう一人、酷い、小児麻痺の後遺症の人がいたのである。坊泊小学校の下に住んでいて、坊ノ浜の隅の坊で鰹節製造をしている55歳過ぎの男であった。名前は、鮫島仲之助と言った。
以前、出会った時に、その不自由さと、非常に強い劣等感を持っていることを語って貰ったことがあったのを忘れられなかった。その時は、子供の日の実子の実験のことを忘れていたので、話を聞いただけで終わった。
実子の実験が終わった時、仲之助小父の足にも、この実験の結果が適用できるかも知れないと、胸が弾んだ。もし、同じ結果を出せれば、劣等感の日々が消える。その思いでいたが、出会う日がないままに9年が過ぎ、1972年になっていた。
私は鰹船の番頭をする事になり、坊ノ浜に行くのが日常になった日、前に何度か行った時いなかった仲之助の鰹節製造工場の前を通ると、久しぶりに工場が開いていた。工場の前で、単車を止めて、工場に行くと、本人だけがいた。後で寄るから待っていてくれるように言って、港の船の所に行った。
用事を済ませて工場に行くと、夫婦で待っていた。
「あのな、腹を立てないで聞いて欲しいのだけど、実験をしたいのですよ。」と、切り出した。
『何を実験するのや。』
「前、足の事で不自由をしていることを聞かせて貰ったことがあった。覚えておいやんな。」
『覚えているよ。一生懸命聞いてくれたから。』
「その時の答を、出してみたい訳ご。10年遅れでな。」
『実験は、何をする訳。』
「馬鹿にするち言うて、腹を立てんに居ってな。」
『良かよ。折角しと考えてくれて、試すことだから、結果が良い物でなくても、それは当然だと受け止めるよ。』
「じゃあな、本当は準備をして来てするべきだったけど、いつも閉まっていたもので、今、ここである物で間に合わせてしてみよう。」
『何がいるかい。要る物を言うて呉れ。』
「その箒を使おう。本当は、あの柄の大きさで、短いのがいいけど、あれでいいが。」
やり取りを聞いていた妻の夏江が、工場に中程の柱に立て掛けてあった箒を持ってきて、仲之助に渡した。
「本当は、柄の上がいいと思うけど、歩きにくいから、まず、水平に持てるところを持って歩いてみて。」
鮫島仲之助は、箒の柄を水平に持って鰹節工場の奥の闇に向かって消えていった。やはり、予想通りに、酷いビッコがなくなっていた。
「どんな感じがするな。」と、姿が見えない闇に向かって聞くと
『真っ直ぐに歩ける。』、振り向いた仲之助小父が、外の光に顔だけが白く浮き上がって、意外そうな表情で答えた。
『お父さん、身体が横に振れておらんよ。』と、妻の夏江が言った。
「そう、そこが肝心な訳。身体が触れないで、しかも真っ直ぐに歩けるようになるの。」
仲之助小父は不思議そうな面もちで、真昼の道路の照り返しの中に戻ってきた。
『何でかなあ。』と、この不思議な現象が起きている自分が理解できない風で言った。
「これはなあ、本当は、最初に話を聞いたときより前、今から25年前に、庄之助店の静雄兄さんの実子で実験をやり掛けて、途中で信子姉に実子を見せ物にするなと叱られて、中断しておって、完結しておらんことだったもので、結論がはっきりしておらんから、御身に実験をする勇気がなかった訳。9年前に実子が高校を卒業する前にと思って試してみたら、間違いないいい結果が出ることが判って、何度か、御身にも試してみようと、工場を覗くけど閉まって居ってなあ。」
『面倒を掛けてたんだねえ。病気をしてねえ。一時閉めていたもんだから。』とすまな気に言った。
『もう一度、歩いてみる。』と、歩き出した。前よりも、良い歩き方になっていた。速い足取りで奥から戻ってきた仲之助小父に、
「握りの大きさが、もっと大きい方が、もっと歩き易いと思うから、本気の柄の頭の部分の大きさを目安にして、後で適当な物を捜して作ってみればいい。」と説明した。
仲之助小父は、間近に戻ってきて、握りの太さの目安を聞き直したので、箒の柄の頭ぐらいがいいだろうと話した。
すると、奥に行って鋸を出してきた。そして、箒の柄を切ろうとした。私は、
「箒を切ると、使えなくなるがな。後で適当なものを捜せば。」と言って制止しようとした。
『箒一本が何かい。この足が良く歩けるかも知れない時に。箒は、また買ってくればいい事。ないどこいかい。今、先生の前で試してみたいよ。』と、言い切って、一気に竹を引き切った。
『おーおぉ、何所ではなか事ごな。』と、夏江も言った。
「その竹ん筒っぽを持って歩いてみて。さっきの場合と比べてみて、歩き安さの具合がどうかを、やってみて。」言ったときは、もう歩き出していた。
『たーー、全然違ご。別人の如くだが。うわーぁ。』と、夏江が嬌声で叫んだ。
『あっはっはっは。えっへっへ。こりゃ、本当の事かい。夢ん如くある。うんにゃ、足は付いてとっかい。こりゃあ。』と、何回も工場を歩いた。奥に入って行く度ごとに前屈みの身体が、直立した形に変わり、大きく見えるようになった。私も姿の変化に心が弾んで、
「これで、人目を避けて、下浜ん隅んくじらを通らないで、真ん中を堂々と歩けるな。」と、言った。
『うん、そうする。』と、自信を持って答えた
家との間を行き来する時に、身体を曲げて歩く姿を人に見られたくないばかりに、祇園の前を通り、下浜の元の揚場に出てから、公民館の外側・川口に掛かった板橋を通り、下浜の海岸の風化して凸凹になった石垣の上を通って、田中旅館の横から県道を越えて、階段を上り、中坊のお寺の裏から、上中坊に行き、家の降りていたのである。どこも、人が通りたがらない、足場の悪い危険なところであった。
「これでな、毎日、朝晩に10分ぐらいずつ、竹ん筒っぽを握って歩いてみて欲しい訳。足の長さが変わる筈じゃっで。そうなれば、竹も要らなくなると思うが。」と、説明した。
『判った。そうする。ありがとう。俺なんかみたいな者の為に、ずーっと心掛けていてくれて、本当にありがとう。お礼をしたい。いくら包めばいいかなあ。』と、考えてもいないことを言った。
「実験に代金がいるかなあ。そんな事は考えてもいない。俺は何も使っていないし。実験だから、ただに決まっているわな。」と、答えた。
『じゃあ、後で考える事にさせてくれ。ありがとう。これでは足りない気がする。本当にありがとう。』と、夫婦で頭を下げた。夏江は跪いていた。
「いやあ、これで、長年の課題から解放されたわな。やっと、肩の荷が下りた。」と、開放感を語った。
『んだーぁ、ずーっと、考え続けて呉れていたのね。』と、夏江がありがたげに言った。
「まあーな、自分の解決したい関心事として、足が悪いことを知った小学校の時から考え続けた訳な。」
『人にはできん事ねえ。』
「イヤ、みんな、不可能なことを何時の日か実現したいと思いながら、できんまま死んでいるのかもご。俺は短い人生の間に解決できる程度の事しかテーマを見つけだせなかったのだと思うご。」
『そんな事はなかよぉ。良かったねえ。お父さん。巌ちゃんの見える所で暮らしておってねえ。』と、夏江が言った。
この日は、ここまでで帰った。
この日の結果は、1ヶ月ほどしてから聞くことが出来た。
「仲之助小父、その後、いけな具合になったな。」と、鰹節工場の前に立ち寄って聞くと、
『ありがとう。お陰で、もう、俺は別人になったよ。歩き方が変わると言う事が、こんなにも全てを変えるものかよと思っている。』と、答えながら出てきた。
確かに足の長さが変わっていた。今までは不自由な足は、爪先すら地面に届かず、鳥が眠っている時の様に宙に浮いていたのが、足の平の半分が地に着いており、踵が少し浮いているだけになっていた
今まで、家から鰹節工場まで30分掛かっていたのが、10分で来るようになった。
工場に着いた時、疲れて、30分程度、座って疲れをとっていたのが要らなくなった。
と、一気に語った。
これらの意味は、歩く時、実子と違い、両肩を持ち上げて、その弾みで足を挙げて歩く動作をしていたので、もの凄い体力消耗をしながら歩いていた事と、足が降りる位置を定められないため、真っ直ぐに歩けず、右に流れて行き、数歩毎に左に修正して、鋸の歯のように不連続な航跡を描いて歩くので、非常に無駄な距離を歩いていたのだという。つまり、垂直にも、水平にも、無駄な距離をロスして歩いていたのが、なくなったことをはっきりと意識できたという。
歩こうとする時、行動を始める前に、そこに到達するまでの必要時間を意識したのが、行動が先に起こる不思議さを感じたという。
これらを、待ちかねていた様に報告する形で語った。
それは、健康である人間には意識できない、不可能であったものが、可能になった人にだけ実感できる、世界観の違いであったろう。
また、語り口が、淀みなく、流暢に語れるようになった事が判るかなあと、嬉しそうに言った。以前は、言葉を選ぶのに時間が掛かる風で、『どもり』とは違う、僅かばかりの言葉の停滞があったため、『待ちの時間』が必要であったのが、消えていた。それが嬉しそうであった。
しかし、滑稽な会話が、これから始まるのである。
その日、
『帰りには寄ってくれ。』と、言われたのを、用事のために忘れたまま帰った。
すると、夕方、8kgクラスの鰹を、頼まれたと、近くの船員が持ってきた。
次の日、礼を言うと、手を横に振った。
一週間ほどして、鰹節工場の前を黙って通った。
港に行って、入港した鰹船の係留作業が終わって、船頭と話していると、
『オーーイ、博士ー。』という声が聞こえた。
声の方を見ると、仲之助小父が、船の方を見て叫んでいた。船の周りには、私と船頭しか残っていなかったので、船頭を指さして、「彼か。」と言うと、手を横に振った。「俺か。」と指を自分に向けると、「うん、うん。」と、頭を前に振った。
「なんだろう。」と、言いながら、船頭との話を続けていると、また、呼んだ。
船頭が「用事のようだから、行って来なさい。」と、自分は船の方に戻った。
行ってみると、また、大きな魚を持って行けと下げてきた。家にはメテ魚があったのでいらないと答えると、『そう言われると思った。凄く形の良い鰹だったものだから鰹節にするといいと思ったんだ。じゃあいいよ。鰹節にしておくから、出来上がった時に言うから、』
「済まんなあ。気を遣わせるなあ。申し訳ない。」と、頭を下げると、
『何を言うかい。吾子は俺の大先生だ。』
「そのさあ、博士と呼ぶのを止めてくれないかなあ。みんな、びっくりして見ているから。」
『だって、あんたは俺にとっては博士以上なんだから、博士だよ。俺が足の事でどれほど悔しい思いをして来たか分かるかい。この足のために何度大学にも診て貰いに言ったか知らないだろう。行っても治りませんと言われる事は分かっていても、いつか、治るようになっているかも知れないと、空想して、行ってしまう。そんな俺の足が、ほら、見てくれ。こんなに普通に歩ける。大学の博士に出来なかった事を可能にしてくれた人が、博士でなくて、何と呼びますか。俺には博士だから、博士と呼ばせて貰う。誰が何と言おうと博士は博士だ。』
「おーいで良いから、みんなが笑うもんなあ。恥ずかしいよお。」
『でも、博士だ。』
これ以後も、私が坊の浜に行くと、このように呼ばれ続けた。