百 姓 流 台 風 コ ー ス 予 想 術
これは「現代農業」1982年8月号に掲載したものを再度タイプし直したものです。当時のものに若干加筆をしてあります。
DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD
上村巖さん(41歳)は、台風銀座、鹿児島県坊津町でポンカン を栽培している一農家である。
上村さんは、全身の五感を研ぎ澄ませて大気の流れを掴み、台風の 進路を予測する。自分のところに来るか来ないか、いつから影響が
あるか。一刻も早く知る事に、上村さんは努力を積み重ねて来た。
いささか専門的過ぎるかも知れないが、実に面白い。憎らしい台 風もその正体と進路をこうまで見抜かれると、赤い顔をして照れる
のじゃないかという気がして来る。(編集部)
DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD
台風の進路は発生した時にほぼ決まっている。
台風は発生した時にそのコースはほぼ決まっている様だといえば、気象学者ならずとも失笑されるであろうし、読者もマユツバものと思いながら読ま
れることらにろう。だが事実である。
●ピタリ当てた第二室戸台風の進路
昭和36年、第二室戸台風が発生した時、私は大阪市西淀川区の淀川製鋼本社鍍金課整備の係りで、機械修理に明け暮れていた。台風が必ず大阪に来るという確信を持っていた。しかし、当初は北西に進んでいたので鹿児島に向かう予想が出されていたのである。
36年9月11日の朝、早朝の打合せの為会社の詰所に集まった時、
「台風が鹿児島に行くねえ。家の方は大丈夫なのかい。」と言われて、
「いや、この台風は明日から明後日に掛けて一日掛かって南向きに1回転して、真っ直ぐ大阪湾に入って来る。上陸地点は神戸市です。大阪はこの西淀川区一帯大水害になるから、今の内に工場内のモーター類を船に載せて置いた方がよい。4日半後には必ず来ますよ。」と断言したが、
「気象台が分らんのに何でお前が分かるのか。そんな事言ったって誰が信じられるか。ほんまにあほやなあ、お前は。」と加藤班長がなだめたので、皆が大笑いした。
「信じて貰えないのは仕方がありません。それじゃ、せめて船だけは工場の運河に船止めの命令を出して下さい。どうせ台風で出港は無理なんですから、その程度の命令は出せるでしょう。モーターを船に載せないと水没工場は長期間の稼働停止は免れませんから。それと、整備部に言って非常発電機の点検を必ずさせておいて下さい。揚水ポンプの電源が勝負ですよ。会社の命運が掛かる覚悟をして下さい。」と信じて貰えない絶望感の中で精一杯の説明をした。
台風は第2室戸台風と命名され、西宮に上陸し、西淀川区は3分の2が2週間に亘って水没した。
台風上陸3日後の夕刻、水没の避難の為に工場運河に係船していた船に積み込んでいたモーター類を元の位置に据え戻し終わり、生産が再開された工場の稼働音を疲れ切った耳で聞きながら、整備員一同が詰所に集まって苦労を労い合っていた夕方、宮下組長が、
「上村君、良く言い当てたねえ。時間までピッタリだったよ。」と言い、加藤組長は、
「上村が言うたから来たんと違うか。余りにも当たり過ぎてたがな。こんな大変な目に合うたんは工場が始まって以来やなあ。ほんまに皆よう頑張ったわ。船よう止めてたわ。上村が言わなんだらどないもしようなかったなあ。」と冷やかした。中澤氏が言葉を継いで、
「上村、お前も儲け損のうたなあ。賭けようか言うたのに、乗ってくれへんで良かったわ。みんなガッポリ行かれるとこやったわ。お前はほんまに人良過ぎるんや。あほなんやなあ。」と大笑いで帰途に着いたが、工場の屋根よりも高い水の恐怖を初めて経験したのであった。食品が無くなる事を予測して、台風来襲の前々日に10日分の食料を買い込んでいたので、値上りと品不足の被害を免れた。
【台風のコース予測 まずどこに目をつけるか】
どうして台風のコースの予測が出来るか。なぜ分かるのか、どの様に予測していたのか、そのあらましを、いくつかの台風の例を出してみよう。
●台風は高気圧の壁に沿って進む
(高気圧の壁に沿って転がって行く)
昭和44年8月22日朝9時前、当地に上陸した台風9号は、発生の日に直撃が分かった例である。
発生の前日(8月14日)と当日の天気図を見ると、日本の南海上に太平洋高気圧がない。しかも北の高気圧がはっきりしている。この台風は西に押す風がない状態で発生したが、この台風が日本に接近する頃も、発生時と類似した(相似的と言える)気圧配置になるものだ。
例え接近した前日まで太平洋高気圧が強く張り出していても、台風の向きが西進から東進に変わる《転回点》(後述)に来た頃、あっと言う間に高気圧が後退し、まるで台風が高気圧を吸い尽くす様に見えるものである。
逆に、太平洋高気圧が最盛期に発生したものであれば、その台風が日本に接近した時は、やはり太平洋高気圧が強くなり、台風コースが西に伸びる事になる。
およそ北緯15度以南、東経140度以東で発生した台風は、西北西に進む。その進み方は、高気圧の壁に沿っている。その高気圧の壁は1010mbと見なせる。これから台風側は気圧が急傾斜で低くなる。
●台風は静風区域へ向かって進む
台風は、周りの風が吹き込んでいるものだと考えては、本当の意味が分からなくなる。上昇気流によって希薄になった中心を埋め戻そうと周りの空気が動くのであり、上昇気流がなければ台風はない。言い換えれば、台風は周りの空気を吸い集めている能動的な気団であると考えるべきで、それゆえに高気圧の壁から離れないのである。
これが理解出来れば、台風は空気の流れが静止している所に向かって進むものだと言う点も分かるだろう。これは、台風が蛇行する時の大事な目安になる。
●天気変動の周期を掴むこと
さて、44年8月15日の台風9号発生の日、東支那海に西から来た三角のオムスビ型の高気圧があり、太平洋高気圧は遥か南方に後退している事が分かる。
そこで予測としては、台風の西進と合わせて太平洋高気圧が勢力を拡大し西日本に台風が接近する頃に、その高気圧が後退してしまう事になる。
「発生位置から推して、6〜7日後に奇麗に放物線を描いて日本を総なめだ。しかも高気圧の通った後に入るから発達するぞ。風速40bだな。こりゃ野間岬台風だよ。」と見た。
何故なら、この時の日本上空は静風区域になっているのである。天気図の16日と、22日、23日との気圧配置の相似性を見て頂きたい。この時の天気は6.5日位の周期で変動していることが判る。
●太平洋高気圧の盛衰を知ること
太平洋高気圧が何日の周期で盛衰を繰り返しているかによって、その夏の傾向が掴める。つまり、天気図上に太平洋高気圧が出始めてから、天気図の右半分近くが高気圧となり、それがまたなくなるまでの、その間の日数を数えて見てほしい。天気図は、何日かの周期をおいて良く似た姿を持ち、周期が崩れ始めた時、季節が変わり始めていることを示す。その時の周期の特徴は、次の季節の天気の周期の特徴を示している。
西進する台風が、何日間で《転回点》に達するかは一番難しいところだ。台風の発生した場所によって違うが、進行速度はおよそ15`だから、1日に360`西進することになる。発生時だけは進行速度が殆ど一定しているから、新聞などの報道で確認するとよい。
発生点から進行方向に合わせて線を引くと東経125度、北緯25度付近に達する。ここを台風が進行方向を西向きから東向きに変える転回点になる、およその目安の位置と見なして本当の転回点がどこになるかを推定することになる。この位置に台風が到達した時の太平洋高気圧の形がどの様になっているかを推定しなければならない。
【予測のカギは太平洋高気圧の三つの型を知ること】
第二図は、夏から秋にかけての太平洋高気圧の型を、高気圧の外縁(1010m=年によって高い低いがある)のおよその線で示したものである。
実際の型は様々で、パターン化は危険であるが、高気圧の張り出しの型は、およそこの様な型になると思えばよい。
@の型は、梅雨明けと8月下旬から9月の残暑の強い時に出る型。非常に長生きのする高気圧である。盛衰の周期が2倍になってしまうことがある。
Aの型は、酷暑の夏に出る型で、強い高気圧が大陸まで広がっていく。衰退の足は早く、1日で20度の後退が起きることが多い高気圧である。
Bの型は、冷たい夏の高気圧で、日本の上空を境にして北半分は移動性高気圧南半分はオホーツク高気圧か北太平洋高気圧となり、日本は前線帯になっていることもあり、北半分が太平洋に出ると南に張り出して発達することがある。このBからA、@と移り変わり秋になることもある。この様な変化の年は@の型の高気圧が10月まで繰り返して現れることが多い。
●夏を引き連れた台風とは?
こうした高気圧の変化は、Bの型と@の型がせめぎあう梅雨に始まり、Aの型の夏、@の型の晩夏を経て、Bの型の高気圧の位置で北から大陸の移動性高気圧が来て北側の縁で秋雨前線を形成する様になる。
この型をのみ込んだ時、忘れてならないのは、この変化の引金は台風であるということだ。夏を引き連れて来た台風、秋を引き出す台風を、皆さんも実感されていると思う。
夏を引き連れた台風とは、Bの型で太平洋高気圧が後退しているところへ台風が発達しながら西進し、この台風を追う様に太平洋高気圧が勢力を西へ広げて来た時である。
また、秋を引き出す台風は、@の型の高気圧の最盛期に発生した台風が発達しながら西進し、高気圧のエネルギーを吸い尽くす様に猛烈に発達し、フィリッピン以西まで広がっていた高気圧が1〜2日で急速に東方海上に後退してしまい、台風は中心に向かって吸い込むべき空気が不足した分を大陸の奥深くから引き出す。この巨大な気団のダイナミックな動きが季節を変え、台風の勢力を弱め、コースそのものを変える要素ともなるので、@の型の高気圧がいつから形成されたか、いつまで続くかの見極めは最大の緊張がいる。
●高気圧の後退で台風は方向転換
では、高気圧の後退の見極めは何によって出来るか。これは高気圧の中に向かって進む台風がある事実と合わせて、知っておく必要がある。
第3図の様になっている場合は、台風は必ず高気圧の方向に進路が変わるのだと考えるべきである。高気圧の壁に沿って進んだ台風が、この性質から転換していく時であり、高気圧が1〜2日後には後退して、台風が東に向きを変える時が来ていると判断出来る。この高気圧と台風の動きは、時々刻々変わるもので、体験上、前日の夜7時の天気図になかった兆しが翌朝の7時の天気図に微かに現れ、9時、12時と高層の雲の動きを観察していると、30分位で急変していることがあり、これが台風のコースを一転させていた実例が多数ある。
確信を持ってコースを予測していた台風が、直撃のコースを進んでいる場合、転回が予測通りの時間に始まるかどうか、本当にかたずを飲む思いで、後に述べる高・中・低各層の雲の動きを分刻みで見つめることもある。
【台風は転回点を境に放物線上を西から東に折り返す】
先に例示した44年8月16日の高気圧は、太平洋高気圧の先端が北緯22度東経142度で、@の型の弱いものである。北の方にはオホーツク海北部に中心を持つ移動性高気圧が台湾の北端まで広がり、等圧線は九州南岸付近に大きなくびれを持っている。このくびれは、台風がやがてこの高気圧のあった所へ進むことを意味している。17日、18日、19日と見ていくと、このことが明瞭に理解されると思う。
8月19日21時現在の、台風を取り巻く1010mの等圧線のくびれを見て頂きたい。台風をぐるりと取り巻く様に、大きくくびれている。この時台風は、東方の高気圧の西の端を回った、つまり転回点を越えたと見ることが出来る。(第3図参照)
●台風コースは放物線を描く
この転回点を過ぎたあと、台風がどこへ行くかだが、台風のコースは第4図の様に放物線となることが多いので、いままで進んで来た線を転回点から逆にして伸ばしてみれば良い。
この時、静風域があれば台風は高気圧に向かう様にその静風域へ進むので、多少の揺らぎは起きるが、台風はこの放物線上に戻って来る。
やがて陸地に近づくと、台風に向かって吹き込む風が複雑な陸地の凸凹の影響を受けて、この論理は通用しなくなる。
遠方洋上にある時は、来るか来ないかの予測が重点であるが、近づいて来たらどこを通って行くかが問題になる。従って、自分の目で見たものが有力な判断の材料となるので、午前9時と午後3時には雲を見ておく。そして11時55分と午後7時前の天気図を突き合わせる。夕刻明るい内にもう一度雲を確認すれば、この間の変化を読める。
●黒潮本流の上を通ると発達する
44年の9号台風のコースは、気象台の予報と私の予測とは常に食い違っていたので、その違いを並べて見よう。
新聞に載っていた図があるので明白に判るが、8月20日9時の予想進路は対馬海峡に向かうコースを主軸としていた。同日の21時で長崎に向かうと見、21日12時では大隅半島を予報、同日21時には天草を予報したが、実際には鹿児島の野間岬から枕崎市までを台風の中心の目が通って吹上浜に上陸となった。
前にも書いた様に、私は野間岬台風への上陸を予測していたので、家族と言い争う羽目となった。目の前に台風が迫っていても来てほしくない気持ちは強く、少しでもそれるという気象台を信じたいものだ。
「絶対に直撃だ。しかも台風は黒潮本流を通って来るから衰えるどころか、発達するぞ。間違いないんだ。」と喚きつつ、母屋の対策をした。さらに、翌朝に台風の中心が通った時のポンカン園の姿を見るために夜の内に園内の倉庫に移って泊まり込み、縦横に走り回る風を見た。
木はもみくちゃにされて、北側に伸びた太い枝も南に折り曲げられて地面を払う、40bを越える暴風であった。
●高山帯で揺れる進路
44年9号台風のコースは、東に行く程気象台と私の見解は食い違った。22日の夜の予報では、太平洋を通り、真っ直ぐ東に行くことになっていた。
私は富士山の裏から大菩薩峠を通って東京に挨拶をし、太平洋に出て向きを北に変え、北海道の襟裳岬にぶつかって、大雪山まで行く筈だと言ったのだった。
それは何故か。
上陸点は転回点を境とする放物線の折り返しによって決まっていた。その後、富士山の裏、中山道コースと見たのは、太平洋から吸い寄せる風に対して、北からは高山帯に遮られて台風を南に押す風が不足していると見ていたためである。さらに、太平洋に出た後のコースの屈曲は、太平洋高気圧が大きく張り出し始める日が来ていることを見ていたからである。これは、高層の雲の動きで、南から吹き出した風を視認して確信していた。
●蛇行は目と肌で判る
これに付け加えると、8月21日21時の予想進路図を見ると判る様に、北緯30度で蛇行して北に首を振っている。この日、当地では前夜から肌寒かったのが昼過ぎから暑くなり、夜と共に温度が下がったので、蛇行を実感していた。
空の色もこれにつれて、はっきりと変わるものである。太平洋高気圧の空の色と、北の高気圧の空の色とでは、明白な違いがある。これは梅雨明けの時に実感される通りで、この色の違いは、自分の位置と台風を結ぶ線上において太平洋高気圧の影響を受けるか、北の高気圧の影響を受けるかを推し量る大事な要素となる。台風が西にあって、自分の位置とを結ぶ線と台風の進路が合致している例で言えば、太平洋高気圧の影響を受けている時は北を通り、北の高気圧の影響下にあるときは南を通ると推定出来る。
これと、後述する高層・中層・下層の雲の動きと合わせて考えれば、高い確率となる。直撃の時は、両方の高気圧が交ざっている。
【進路を目前で西に変え大陸へ向かう台風もある】
52年の9号台風は、型の違った台風だった。
「今までの台風とは違うぞ。坊ノ岬の沖250`から350`の所を急角度で曲がって真っ直ぐ西へ行く。しかし、そこから先は行き場がない。沖永良部は大被害が出るぞ」と弟に話したのだった。
52年9月2日の天気図は、高気圧帯が太平洋から大陸の奥地まで広がっている。しかも高気圧の張り出しはピークであることが判る。
さらに台風が北上する角度が緯度線に対して急で、転回点が見えない。このような角度で来た時は、放物線が2乗線でなく3乗の形を持ち西へ折曲がることがある。これを私は“2乗線関数”に対する“3次関数台風”と呼んでいる。
9月2,3,4,5日と、太平洋の高圧帯は広がっている。この場合は、台風が転回点に到達した時高気圧が引き、すぐまた押し返して来るため、台風は蛇行後西に進み、北には通り道がない。
●発生は等圧線のくびれで判る。
52年9月2日の天気図と9日のそれを比べて頂きたい。高気圧の広がりと低気圧(台風も含む)の位置がよく似ていることが判ると思う。この時の気圧は位置は、およそ7日の周期に乗っていたと読める。この考え方は、私が電気回路に趣味があり、地球の天気変化が短安定マルチバイブレーターという発振回路と同じ性質を持っていることを気づいた時から、同期があっているか、あっていないかで天気の周期が読めることを判り、台風のコース予測にも適用出来ると感じたからである。
3日と10日を比べても同じである。3日の太平洋を見ると、北緯25度、東経140度の付近にある等圧線がくびれている。この日に私は熱低か台風が発生したらしいと読んでいた。それは、太平洋の縁に当たる屋久島の上空に発生する入道雲が金床雲になり、暫くすると、もっと低空の雲の頂きにも現れ、雲の色が黒ずんで来たことで空間エネルギーに大きな変動が発生した兆候が明瞭に現れたからである。
発生後何日でその台風が日本付近に来るかは、発生の頃の天気周期と発生の位置によって違うが、私は北緯20度以南、東経140度で発生した場合、ほぼ1週間掛かると見積っている。これは私の住む鹿児島県坊津町での見積だから、当地からの距離によってさらに半日から1日の違いがあることになる。また、迷走を見込む必要のある台風では、その日数を加えなければならない。
●目の前で急カーブして上海へ
さて、台風発生が判ると、どう進むかである。9月3日の天気図のくびれを北西に伸ばすと、九州に掛かる。ここに1週間後台風の外縁が掛かると見ていた。その後の台風の進路は、来た太平洋の高気圧が東北東から広がり、上海付近が無風域になって、目の前で急カーブだなと見た。弟にも、
「おかしな台風だ。上海から先の行き場がない。」と話していた。
コースの途中の沖永良部では、中心が島のど真ん中を突っ切ると見ていた。
9日の朝9時の気象台の進路予想は、台風が転回点を回ったと見て、北北東が予想コースとなった。坊津直撃コースだ。
私の観測では、8日の21時の太平洋高気圧は5日から拡大し始めた勢力の最盛期直前にあり、東に曲がろうとする台風を西に押し戻すのに充分な力になる。しかし、もう1日最盛期になるのが遅ければ直撃だ。10日の午前零時が別れ目だ、と弟に話していた。
9日の午後7時のテレビの予報は、坊の岬直撃になっていたが、
「そのうち気象台も気づくよ。俺は寝る」と、一眠りして、11時30分の情報にびっくり。コースはそのままであった。
「しまった。俺の予想もついに外れるようになったのか。直撃に供えて家の対策はちゃんとしてあるが、ハウスに一仕事残っていた」と、外に走り出て、寒冷紗の押さえに掛かった。その仕事を朝の6時まで見かねて加勢に来た妻とやって、薄命の空を走る雲を見透かしてガックリ。妻に、
「おい、もう止めろ。骨折り損だ。台風はもうそこいらにはおらん。ずっと西に行っているぞ。大変だ、以西底引き船が遭難するぞ。長崎に帰り付けないと判断して上海方向に逃げている筈だぞ。台風の勢力はまだまだ落ちないんだが、漁船が沈まなきゃ良いがねえ。兎に角茶を飲みに帰ろう」と声を掛けた。家に戻ってテレビを見ると、上海へ直進中だった。逃げ場を失った漁船団の姿が寝不足の脳裏に焼き付いていた。
●北の冷気は台風を急に弱める
この時、何故確信を持って前夜に一眠りしたかに付いて述べると、次のように予測を立てていたからだ。
この日、日本全体が非常に広い高圧帯に入っており、夕方の高層の風向きは相当に強い東南東風になっていた。そのため台風は東には曲がれない上に、迷走する台風が広がる高気圧のために太平洋上で北上の頭を押さえられるのと同じ状態が起きる。従って坊ノ岬の直前で西に急旋回して上海に向かうと見たのである。
この9号台風は、上海に上陸した直後に、太平洋高気圧が急激に後退して台風を西に押す力がなくなり、台風自体も北の高気圧に北上を押さえられ、冷気に取り巻かれて急速に消滅した。北の冷気は台風を急激に弱める作用がある。
【五感を研ぎ澄ませて台風の動きを掴む】
台風のコースの予測は、発生時は天気図上で行うが、一度立てた予測は常に修正をしていかねばならない。
現実に自分がいる所から見える空の色、雲の色、動く方向、気温の変化といったものを自分で感じ取り、空気の動きがどうなっていきつつあるか推定し、立てた予測を修正しなければならない。
手にし得る天気図というものは、常に過去のものであり、今この瞬間の天気図は気象庁といえども持っていない。「ひまわり」によって雲の動きが奇麗に判るようになり、正確な台風の位置も、太平洋上に発生した時から判るようになっている。
だが、一筋の雲の消長は見えず、その意味するものを読み取ることは出来ないのである。これが出来るのは、見上げている自分の目だけである。
(追記=1990年9月に宮古島沖で920mまで発達し、沖縄の南から種子島の南を通り抜けて和歌山県の白浜に上陸した台風で起きた現象。この台風はどこを通っても大被害が出ると恐怖し、沖縄の南西海上を移動していた時、北極の寒気を持ったバイカル湖の付近の空気がほしいと祈っていた。次の日の朝、「ひまわり」の写真に大陸の奥地から南下する一筋の雲が見えた。やがて、黄海の中央部を通り、その寒気は薩摩芋状になって坊津と上海の中間を通り、奄美大島沖を北上中の台風の圏域に到達した。固唾を呑んで「ひまわり」の画像を観察していると、台風の目の向かって大きく螺旋を描きながら侵入した寒気が暴風圏の雲の壁に亀裂を作り、寒気が中心に到達した時、台風は種子島の南100`程の地点に達しており、巨大な暴風圏は坊津もすっぽりと包み込んでいた。この時、テレビは台風の中心気圧が5m上昇したことを伝えた。その意義をテレビ局員はクローズアップしようと質問したが、気象台の解説担当者はこの気圧上昇を単なる観測誤差の範囲として全く評価しなかった。それは、気象庁がシベリア南部からはるばると台風に進行していった一筋の雲の意味を読んでいなかったこと
を意味していた。ところが、坊津では5分も経たない間に暴風圏内の風雨が急速に縮小して行く様がはっきりと判る家の周りの山々の静寂が始まったのである。台風はさらに接近しつつあるのに暴風圏が逆に遠ざかって行くという不思議な体験を初めてした。1時間後暴風圏の半分以下への急速な縮小を予報図が示していた。冷気の雲の大きさは黄海中部を通過する時で緯度方向で2度経度方向では1度程度、坊ノ岬沖を通過する時で緯度方向で5度経度方向の幅が2度程度であり、台風の中心に先端が到達した時、冷気による雲の切れ目が丁度台風を1周する長さになっていた。この時の雲の動きの映像が保存されていれば確認が可能である。)
●雲の動きで位置と進路がわかる
今日では気象予測の全てを気象台まかせの感があるが、かつては私達一人ひとりが五感をもってやっていた。この五感について私は研ぎ澄まして天地を見ている。
特に、雲はどこへいくのか、それも低層・中層・高層の雲の動きに分けて観察する。
低層の雲の動きは、風向きの左15度を目安として、いま台風のある“位置”を示している。
中層の雲の動きは12時間後、高層のそれは24時間後の台風が進んでいく方向を示していると見てよい。
三層の雲の動きが全く別の方向を示していることがある。低層が東風、中層が北風、高層が西風ということもある。こんな時の台風は、自分の位置の南西〜西南西にあり、極く接近して南を通り、東方に進むと見ることが出来る。
上の例の場合と、中層の風向きだけが違って南または南東風の場合(高層は西風、低層は東風)台風は接近して西を通り、東へ向かう最悪コースとなる。さらに、中層が西〜西南西になっている時は直撃である。
高層が南風、中層も南風の時は、真っ直ぐ北上する。
こうした関係を図示すると、第6図のようになる。
●肌でつかむ風や雨の性質
この雲の動きに加えて、自分の位置は大陸気団の中にあるか、太平洋気団の中にあるかを感知することである。吹く風が大陸から吹いて来たか、太平洋から吹いて来たかである。台風が接近して来た時、2日前と比べてぬくいか肌寒いか。また雨が降っている時は生ぬるい雨か薄寒い雨かを感じ取ること。こんなことは台風が接近している時は一番よい判断材料になる。
ベト付くぬくさは太平洋気団内、サラッとした冷気を感じる時は大陸気団内にあることが判る。この感じは、山を越えて来たか、海を亘って来たかによって温度や湿度がさらに味付けされていることになる。
生暖かい風の時に南東にある台風は、この方向から直撃、南にある台風は西方通過となる。
肌寒い風の時に南にある台風は、南を東に通過、南西から西にある台風は西進と考えることが出来る。これは、第6図と合わせて判断すれば完全になる。
接近12時間くらい前になると夜は全く雲は見えていない分けで、こんな時、肌に感じる風の違いが有効に使える。微妙な温度変化は台風が蛇行している様子を正確に表している。テレビが見えていれば、この頃は30分置きの位置が判るが、南から東へ行くか、西から北へ行くか等は、温度がはっきり変わるので、確信をもって推定出来る。
●雲の色と形で高気圧を読む
さらに言えば、北の高気圧は、西からの移動性高気圧と東のオホーツク海高気圧があり、それぞれ雲の色が違う。これは高気圧の性質が違うことを知らせている。西からの移動性高気圧によるものは雲が一つ一つ離れていることが多いが、オホーツクの高気圧によるものはボヤーッとして空一面が灰色に見えている。ただ、この現象は当地に置ける観察であり、各地において複雑な地形により別の現象となっているかも知れないので、各々確かめてほしい。
太平洋高気圧が張り出す時と後退する時とで雲の性質が変化するのと同じで、坊津においては大陸の高気圧は張り出しながら通過する位置に当たり、オホーツク海高気圧が坊津にまで張り出している時は、勢力の最先端の限界点に近い位置に当たることが原因で雲の形が違うのかも知れないのである。天気図には示されないけれども高層にオホーツク海高気圧が到達していることが判る状態があることが観察される時、天空は太陽光線の透過率が低下し、雲はないが北東方向が暗く、空からの輻射熱がなくなり、温度が下がっていることが判る。
未完