加藤登喜子さんとの会話の事
枕崎市で労音の公演があり、その後で交流会があった。
まあ、労音で会員を募って、例会を成功させて事の反省会である。
私はその頃、手相に関心を持っていた時期であったので、加藤登紀子さんが実行委員の席に回ってきて、労をねぎらって下さった。私の所にも来て下さったので、逆風の中で歌い続ける強い芯の人の手相を見たいと、お願いした。
みんなは、私がそう言うのではないかと、前もって止めたのだが、私は是非みたいと言っていた。だから、ギョッとした雰囲気が背中に感じられた。加藤登紀子さんは気軽に掌を見せてくれた。断られる事を予想していたので、差し出された手を取って、緊張してしまった。
それでも、「ダイナミックな生き方をする人生ですね。然し、この手相にはミコミリの線があると言って、手の甲の感触が機になって、
「妊娠していませんか。」と、聞いた。
加藤登紀子さん本人は、
「そんな筈はありません。」と、否定した。
然し、絶対に無いという、全否定はしなかった。
可能性までを完全否定しなかったので、
「今後、2ヶ月間は、身体に気を付けて下さい。」と、言った。
それに対して、加藤登紀子さんは、
「有り難うございます。」と、答えられた。
その瞬間、交流会場は、凍り付いていた。あの馬鹿め、手相を見るのてはなく、妊娠などと、個人のプライバシーに踏み込んでいるよ。これ以上言わなければいいがなあーと、聞き耳を立てて、お互いの会話は、吹き飛んでいた。
これ以上、深追いしては迷惑になると思って、掌を見せて貰ったお礼を言って、外の事に話題を変えた。

加藤登紀子さんは、外の実行委員との会話を交わし続けられて、長い時間を過ごされてから、退座された。その後、私は、散々非難された。
「これから、2.3ヶ月すれば判る事だよ。あの人は、逮捕される危険の中で、逢瀬を遂げられた事を大事にされると思うよ。堕すようなことはされないよ。闘士なんだ。戦いの先頭にいる者同士なのだ。二人は、」と答えて避難を相手にしなかった。

2月後、加藤登紀子さんは記者会見を開いて、妊娠が公表された。
労音の実行委員会は、3月の例会に向けての準備をしていた。12月の加藤登紀子例会では、失礼な質問をしたと言って避難していた人たちが、加藤登紀子妊娠の公表後は、
「本当だったのだねえ。間違いなく当たっていたのだー。」と賞賛した。
それだけでなく、実行委員会終了後の雑談の時、そっと手を出して、
「妊娠していないか見て。」と言った。
この時、手を出さなかった人たちでも、誰もいなくなった時に、見てくれといった人もいた。
この中に、妊娠している人があった。急いで親を説得して、結婚する様に勧めた。反対していても、身籠もっている事が判ったら、親は、結婚に同意するから、先ず、詫びを言って、人を立てて話を進めなさいと話した。
その頃、労音実行委員長の久木田 健さんは、忙しかったなあ。

ポンペイの城壁の落書き

移りて止まぬ時の間に なべてのものは変わるなり
日は大空に輝けど 海の彼方に沈むなり
月は美空に満れども 欠けて細るぞ口惜しき
春の野に陽炎い立ちて 麦の色僅かに青し

ーーーー小学 5 年の時の俳句ーーー</br>
泥水も 照らす月の 光あり