山での炭酸ガス中毒について
梅雨明け直後が一番危ない
雨上がり後の湿度の高い気象状況
落ち葉が深く積もった窪地で起きる
植物腐敗で起きる炭酸ガス毒で窒息死
その時、自覚すること
私の回避策=息を止めて窪地を出る
炭酸ガスによる中毒について、テレビ番組「Xファイル1999.7.4」で取り上げていたので、私が体験したことを紹介しておきましょう。
釣り人が海に転落したことから、消防団活動として、捜索に参加したときである。この時、私は遠くから来た予約患者を抱えていたので、早朝からの捜索活動に参加できず、遠来の一人だけを施術して、後から捜索に参加した。
時間的に遅れていたので、海岸におりるための山道を歩いていく行程は遠すぎて、時間的に捜索に加われず、海岸側から行く道筋を選んだ。自宅を出発する前に、捜索活動に加わることと海岸線を辿る単独行動をとることを捜索本部に伝え、自分は捜索本部が出す通信を傍受できるラジオを携帯している旨を伝えておいた。後は完全に単独の行動になった。
転落したと思われる場所は、笠瀬という急峻な岩場の下にあり、この付近は、主に上之坊の人間の行動エリアである。勿論、私自身の子供の時からの草刈り場であり、付近の地理には詳しいつもりである。
ここの海岸は、特異な性質を持っている。乾燥しているときは普通であるが、水に濡れると滑りやすくなって、海水面からは上がれないのである。滑らない藁草履を履いていても滑り角度が違う。だから、瀬から瀬に飛び移ることは出来ない。引き潮になったばかりの頃は、完全に乾いていないため、うっかり乗ると滑る。そういう危険な海岸なのである。
そういうこともあって、海岸を進み、先の団員と合流する積もりであった。しかし、当時刻、車で接近できる場所に到達した時、海面にあぶくが浮き始めて、海は満ち潮になる直前の潮の様子であった。
車を降りて海岸の岩場に取り付いた時、潮が満ち潮に向かって動き始めていた。困難な岩場の迂回に時間をとられながら、「小塩が浦」の岩場を廻ったとき、既に消防団員と合流できる為に越えなければならない岩の取り付き部分の足場石が波に隠れ始めていた。そこが浸かると、その先にあるオーバーハングを越えることが出来ないので、合流を諦めて、あらゆる漂流物が打ち寄せる「小塩が浦」の海面を監視することにした。消防団が捜索本部と通信している状況は、中継している消防車の通信と共に聞こえていた。
昼過ぎになって、捜索を打ち切る連絡が、捜索本部から伝えられた。消防団員は引き上げる様にという通信を聞いて、私も引き上げることにした。既に満潮になっていたので、直接海岸を通って車の所に行くことは出来ず、「小塩が浦」の山道を通って山越えをして戻ろうと考えた。
山道は深い斜面の谷を通って尾根に出る経路の状態になっていた。通る人が少なくなった山道は、倒木と落葉が積もり、柔らかい感触が長靴を透して感じられた。酸欠ガスの予想をしながら、呼吸の仕方を浅めにして歩いていた。梅雨明け前の湿度の高い真昼の山の中は風がなく、非常に蒸し暑かった。窪地を通過している最中に息苦しさを感じた。
咄嗟に判断したことは、一応念頭に置いていた植物質の酸化による酸素欠乏と炭酸ガス中毒であった。
息を止めて、斜め上に、空気が動く海側の方向に出来るだけ近づくように、酸素消費が多くなる早い動きをしないで、ゆっくりと行動して歩いた。落葉がない、林が少し開いた所まで抜けて、大きく息をした。
すると、今まで、背中にのし掛かるように感じていた重さが薄らいできた。さらに山の尾根を目指して登った。
尾根に出て、何度も深呼吸をした。しかし、頭がさえなくなった感じがとれないので、尾根沿いに海岸の上まで急いだ。海風を受けながら暫く休んだ。
無風の日でも、海から吹き上げる風はあり、微かに上昇気流を感じた。
座っている間、俺がここで死んでも誰も捜し出せないだろう事と、梅雨明け寸前の湿気が多い山の中は、炭酸ガスが多く、危険なのだということを痛感した。無風状態であったので、窪地には炭酸ガスが停滞しているであろう事の知識があったので、事故を回避できたが、致死量のガス濃度ではないにしても、二酸化炭素濃度が高い状態にあるため、長時間の山歩きが判断力や身体の耐久力を低下させている可能性が高いだろう事を感じた。
この事が、脳細胞の破壊を起こし、この後に岡山市の吉備SAで、車中、天火に焙られながら、脱水状態で寝てしまったことなどが重なって、現在の脳梗塞の引き金にになったかなとも思う。