正体日記

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北村泰一(九州大学名誉教授)
2000月4月9日夜10時から放送された番組「知ってるつもり」で北村泰一さんが語っている姿を見た。殆ど、不自由なく会話が出来ていた。この時まで、北村さんがどんな方であるのかを知らなかった。
 日本の南極観測船は僅か5000tの『宗谷』で凍り付いた氷原に閉じ込められ、必死の脱出を繰り返して叶わなくなり、ついに、身動きが取れなくなって、ソヴェト連邦のオビ号が、遥かに続く流氷原の彼方から流氷を割ってグングンと近づいてくる感激を味わった記録映画を見たのは、昭和39年であったと思う。次の年には、ニュージランドのグレーシャーク号に助けられた。
 北村さんが、福岡県職員の方に連れられて来られた時、中国高地の地質調査に行って、高山病になってなったとだけ聞かされていた。
 その時は、『わ・・・たく・・・しは、・・きた・む・・・・・・た・・・い・い・・ちと・も・・・・・・う・・し・ま・・・・・・す。わ・・・・・・た・・くし・・・・は・・・・・・』たどたどしい会話しか出来ず、喋れるようになりたい願望を表現して私に伝えられるのに、20分以上を要した。
 そうした会話能力の状態の患者との会話には慣れているので、30秒以上の空白の待ち時間でも、患者が会話しようという意欲を持つ限り、待つ事には苛立ちを感じる事はなかった。北村さんは、その時、自分の思いを早く伝えたいのに、余りにも言葉が出ない事に苛立って、一部は筆談をされた。それほどに、会話能力が無かった。
 五回ほどの施術を受けられて、放送で話された程度の能力が出てきた。
 
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A1.身体中がカチカチの小学生

長野県の小学生の話。頭でっかちのボーっとして応答能力が鈍い状態の子。

今まで、あっちこっちの医療施設にいって、捗々しくない結果しかなかった。

生まれるときに逆子で生まれ、帝王切開によって取り出されている。母胎内で逆子の状態が回復しなかったので、帝王切開だったのであるが、身体の障害が出ることを予告されていた。

施術を受けに訪れた時、会話はテンポが遅く、歩行もぎこちなく、安定性がなかった。
仰臥位で寝かせて全身の接触に対する反応と筋肉の硬さを触れた。反応が強く、接触の瞬間に痛さに対する反応がある。

軽く触れていてさえ、痛さの反応をする。その反応が痛みであることを確かめて、環軸関節のズレを最初に矯正した。すぐに身体が柔らかくなってきた。

本人に今までの痛みがなくなっていることを確認させた。母親の変化を確認する質問に対して、すぐに応答した。母親は、その応答速度の速さに驚く。

環椎の矯正だけで、劇的な変化が起きることを目の当たりにして感激に目が潤んでいる。

本人自身が、自発的な発言をして身体の変化の実感を母親に話す。

全身の関節の矯正を完了して、相貌の変容を確認する。

大きかった頭が小さくなり、膨れていた頬がなくなり、鼻が変わった。膨れ上がった額と厚い瞼に囲まれて低く埋まっていた鼻が時間の経過につれて次第に顔の最前面を占めるようになり、やがて目と目の間が鼻として掴めるようになった。鼻筋の通った顔立ちが現れてきた。人間復活である。
厚い胸が薄くなって、曲がっていた足が細く、真っ直ぐなって、後ろに突き出ていた尻がない。スマートに見えるといって母親が喜ぶ。原人スタイル消滅である。

歩かせてみると、歩幅が大きくなり、足の運びが直線になった。引けていた腰も伸びている。肥満児の体型であったものが、すっきりとなって消えている。

肥満といわれているものか、実際には腫れている姿であることを実感していた。言葉の応答速度は、3秒遅れであったものが、0.2秒ほどの遅れで、殆ど正常な応答になった。

子どもが楽しそうに、自分の足の感触を確かめながら歩いていた。階段の上り下りが出来なかったものも大腿の筋肉の拘縮が解放されていた。まだ一回目の結果である。


2.若返ったスポーツマン
学校の二学期が始まって間もない日、二人の先生がやってきた。一人は初めての施療であった。施術の始めに何時ものように太股の膨らみ具合と大腿の硬さを確かめて右鎖骨から矯正を始めるべく手を取ると、手首の肌の感触が水泳をした人特有の感じであった。

「水泳をしているんですね。」と聞くと、「ええ、ですけどもう去年で止めました。今年になってからは泳いでいません。」との事。「県民体育大会の季節ですが、誰に止めたと言われたのですか。教育委員会では選手名簿に貴方の名前を書いて提出済みじゃないんですか。」
『いえ、出ろと言われても出ません。』との返事。「なーに、先生という商売の人は教育委員会から名簿を出してしまったから顔を出すだけで良いからと頭を下げられると弱いんでしょう。今年だけと言って来年も同じ事を言いながら行きますよ。」と笑った。

「それよりも、出るからには自己最高記録で泳げばいいんですよ。そして2年したら教頭になって、更に日本記録を出して教育委員会が捨てておけないようにして5年経ったら校長になって、私は水泳で校長になりました。と、挨拶して皆を笑わしてみれば。」
『いえ、私は管理職にはなりたくないです。性分にあいません。』と言い切った。
「あっはっはっは、先生たちのその言葉ほど信用出来ないものはない。辞令がきたら、辞退した人を知らない。皆嬉々として教頭になっていますよ。それが先生業の性じゃないんですか。」
『それはあるかも知れませんが、私は教頭はしません。』ときっぱり。
「教頭にならないと校長は出来ないんでしょう。だから、辞令がきたら、あそう、と言って受け取りゃ良いんですよ。」と私。

こんなやり取りの後、施術を行った。過労状態の硬かった筋肉に血液が流れるようになってしなやかな身体が現れた。
「これで、疲れを知らない体が出来てきたんですけど、今までよりも練習時間を減らしてください。1日の練習時間を30分ぐらいにする事です。全力で30分泳いで、さっさと上がって帰る。それ以上やらないんですよ。」
『そんな僅かな練習時間で良いんですか。常識と違いますね。』
「ええ、責任は取りませんけどね。皆、やり過ぎているんですよ。もう練習量の年齢ではないんですから、今までの実績は身体が知っていますから、動ける身体を作りさえすればいいのです。」
『もう泳ぐ事はありませんが、皆へのアドバイスのために覚えておきます。』
「良いんですよ。大会に行ったら、泳ぐ前に競技プールの反対側で水の滑りと水の抵抗の加減を読み取ってから始めて下さい。」と念を押した。
苦笑いしながら、送り出して、二ヶ月が経った。

件の先生がやってきて、『ありがとうございました。先生に言われた通りの経過になりまして、県体に行きました。言われたように競技プールの反対側のプールに飛び込んでみました。一年間泳いだことがないままに行ったのですが、水の切れが良く、身体に水か付かないのでどうしてかなと思いながら競技が始まったんです。』
『そして、泳ぎ終わったら、皆は未だ泳いでいるんです。おかしいと思っていましたら、20代で記録した自己最高記録で泳いでいたんですね。自分の感じは未だ泳げる余力がありました。』
『一度だけのまぐれの記録だろうと思っていましたら、もう一度大会がありまして、それにも出てくれと言われて、しぶしぶ行ったんですが、やはり同じ記録で泳げたので本物だという事を確信した所なんです。』
「話し方もすごく歯切れが良くなっていますね。私は聞き役です。」と冷やかし半分。
「こうなったら、日本記録を更新して教頭になって、世界記録を更新して校長まで行きましょう。」と言うと
『いやあ、管理職は、』言いながら、挑戦が始まった。

2年後、『教頭になってしまいました。言われた通り、辞令を見たら、頭を下げてしまいました。さもしい姿ですね。』と頭を掻いた。
「いやあ、サラリーマンの本質に素直になればいいんですよ。平の時は肩肘張って、管理職になったら、豹変して頭をぺこぺこ下げて、運営をスムーズに進めりゃいいんです。」と笑った。

3年後、校長になって、現在も世界記録に肉薄しておられる。
大会に良くと、『先生と一緒に泳がして頂いて幸せです。ありがとうございます。』と見知らぬ方に挨拶を受けるという。
練習時間は30分を守り、週に2回ぐらいだという。
出場した全ての大会で大会新記録を更新しているという。
20代で出した自己記録を更新し続けている50代。
しかも、50代の彼の記録が同じ大会の40代の記録を上回っている状態が継続中である。


3.失明していた目が見えるようになった時
患者は64歳の真言宗の坊さんでした。本人の主症状は頭痛に悩んでいるというもの。施術室に入ってきた時、右目の光が正常でなく、視点も定まっていない事から、私は視力が異常であるように見えますと言った。患者は6年前から右目がおかしくなったので、眼科医に通って治療していたが4年前には完全に失明したという。
当時はX線写真が提供される環境であったので、患者が呼ばれる前に、写真の解析から頭痛が眼底付近の血流を損なう頭蓋骨のズレにあり、失明もその結果から招来されているものと判断していた。
従って、若い時に左利きの男と喧嘩をし右こめかみ付近を強打されている経験を確認した。16歳の時、学校で配属将校に叩かれた事があるという。気絶した筈だがというと、その通りで、バケツで水を掛けられて目が覚めたのだという。
それから、右目の視力が落ちているのは気づいていたらしい。 然し、彼は毅然として言い放った。『右目の事はもう良いです。専門の病院で完全に失明していると言われたのですから、未練はありません。』「そうですか。じゃあ、貴方は頭痛を治しに来なさい。私は目が見えるようにする事を目指します。同じ事をやるのですから、原因は一つの事なんだけど、貴方には頭は頭、目は目なんですもんね。」
聞いている看護婦は『どっちも強情さは同じね。』と笑った。「いや、同じじゃないよ。最初に確認をしておかないとね。この人は、真言坊主の本性が自分の願望を表面に出す事を殺させているのよ。自分は達観しているというポーズをさせるのよ。見えるようになった時に本性が見えるさ。」
「良いですか。5回は施術を受けて下さい。3回でどうなるかが分かると思いますから。」と念を押した。
1回目の施術では自覚出来る変化はなかった。しかし、目の光は明らかに変化が起きた。
2回目は更に目の充血がひいたが、本人の感じる頭の痛みは少し和らいだ程度で喜びを表すほどの軽快度ではなかった。
3回目の施術では、腹這いになっていたのを起きさせて見ると目の光は正常になっていた。「目の光が正常な輝きに戻っている」と告げた。『いや、目はいいんです。もう諦めていますから。』と頑として受け付けない。今日は譲らないぞと思いながら、「頭の痛みはどうなっていますか。」と聞くと、
『頭の痛みはありません。すっきりしています。あれほど重苦しかったのに。』と爽やかそうな面持ちである。
「ならば、目だって見えるようになっている筈ですよ。目の光が正常になっていますから。」と剥れながら言うと、また、初めての時と同じ事を繰り返して言いはじめた。
「何も論議を言う必要などないんです。左の目を塞いで右の目だけで見れば、すぐ分かる事なんだ。それもしないでおってどうだこうだと言う。現に顕れたものを見よ。観念で論議をするな。汝の眼に何が写っているかしかと確かめたる後に論議をいたせ。」と言いたいね。
『何ね、急に調子を替えて何言ったの。」と看護婦はいふかしんだ。「いや、ちょっと呪文を掛けただけだ。」と誤魔化した。
思わず右の目を覆った真言坊主は、『あーーっ、見えている。前よりも良く見える。何という事だ。・・・・・・・・』後は自分の世界に没入してこっちが何を言っても反応しなくなった。
7.8分経った所で、肩を叩いた。「どうなっているんですか。何が見えすか。」と聞くと、『凄いです。前よりも良く見えます。どうしたんですかねえ。これは。』と言うので、その仕組みを説明した。
「貴方は1ヶ月後にインドに行かれるそうですが、釈迦の聖地参りですか。」『そうです。』「それじゃ、人数を揃えるために相当説得をされたでしょう。」『はい、大変でした。』「その努力を釈迦が認めてくれたのだと思いますよ。目が見えるようになったのは、貴方の努力に対する褒美ですよ。釈迦も努力を喜んで技術を持っている私に合わせたのでしょう。」
『そうですね。有り難い事です。』「いいですか。私は猫と一緒で悪い身体が目の前に来れば治す事しか知らない。釈迦は私を手先として使ったのです。礼は釈迦に言うのですよ。私からの伝言を伝えて下さい。」
『何と伝えればよいでしょうか。』「これで良かったでしょうかと言って下さい。いいえと言われても治してしまったものは悪い方には戻せない。貴方の財産です。大事に使って下さい。」
これで全ては終わった。看護婦は最初と目が見えるようになってからで全く違う態度をおかしく笑った。


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