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〜劇団いぶきと青年団〜

「劇団いぶき」は、昭和52年に知覧町連合青年団内に発足した。当時の青年団が新制作座の「泥かぶら」公演を誘致しその事業を成功させたことをきっかけに創作演劇への意欲が高まり劇団創設となった。当時の青年団は40年代の後半に校区青年団が解消され、町内を北部、中部、南部の3つの地域に分けて再編されていた。さらにその上部団体として町連合青年団があった。「泥かぶら」公演もこの連合青年団の主催事業であり、「劇団いぶき」も北部、中部、南部の垣根を越えた、連合青年団の演劇部であった。
 連合青年団では、「青年文化祭」を毎年催していた。それは、青年たちが弁論や寸劇、音楽など幅広いジャンルの文化活動に挑戦し、その文化活動を媒体として、自らの存在と主張を町民に訴えるためのイベントであった。「劇団いぶき」は「青年文化祭」を主な発表の場としていた。そして、「劇団いぶき」の創設とほぼ同時期に創作された舞踊「知覧節」の継承活動とともに、「劇団いぶき」は知覧町連合青年団のアイデンティティーを確立するになくてはならない要因となった。
 各町の青年団の上部団体として県青年団協議会があり、さらに日本青年団協議会がある。青年団とは全国的な連携のある組織であり、上部団体の主催する「青年大会」では、体育、文化の各ジャンルで全国の青年団がしのぎをけずっていた。この青年大会の演劇部門への出場も、「劇団いぶき」の主要な取り組みのひとつであった。
 青年団活動である以上、活動の主体者は先輩から後輩へと引き継がれなければならない。事業を継承するとき、形よりもその意義や熱意をきちんと継承できるかが重要であると思う。昭和六十年前後が「劇団いぶき」の創設当時のいきさつや創設者たちの思いを知らない世代への移行期であった。
 昭和60年にも「劇団いぶき」は鹿児島県青年大会演劇部門に出場している。結果は努力賞で3団体出場したなかの事実上の最下位であった。筆者はこの頃から「劇団いぶき」とかかわるようになり、努力賞とは言うものの審査委員の講評の話題にものぼらなかったこの作品の脚本と演出を担当していた。
 昭和60年代、バブルと呼ばれた好景気に差しかかろうかとする時代だった。東京などの都市部では数百人収容規模の小劇場が次々と造られていた。それまで「アングラ」とも呼ばれていた小規模の劇団が徐々にエンターテイメント性を帯び始め、若者の間に新しい演劇文化を興していた。
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