![]() 管理人、遷宮(せんぐう)は中華人民共和国 湖北省武漢市に1年半留学していました 留学生活 in Wuhan第22歩 旅立ちと帰還 すったもんだの気功学校だった。暑かったり、下痢したり、朝暗いうちから気功したり 予想はしていたけど、現実は予想外なことばかりだったなあ ここでは、カメラを持ってきてなくて残念に思った たくさんの思い出と学びを経て、ついに修了の時を迎えた しかし… どうも症状が改善しないで納得のいかないしげさん、そのことを聞いた僕は じゃあいっしょに文句いいに行きましょう そう、クレームはすぐにガンガン言う。すでにこの辺から、僕の中国人化は始まっていたらしい。 翌日事務所行って、早速中国語で言う 僕たちはまだ気功を習得してない! 症状もまだよくなってないし、これじゃ納得できないよ なんとかならないの? 通訳を担当してくれた小姐の上司が言う 私だって、もう5年ここで鍛錬してるけど、気の感覚すらわからないの 全てをぶっちゃける上司 いいんだろうか? 小姐は、困った顔をしている どうやらそう簡単には習得できそうもないようだ。 ブツブツ言ってると上司がおもむろに電話をかける 上司:あなたたちだけ特別に貫頂をもう一度してくれるそうです やったぁ! 何でも言ってみるもんだねぇ 翌日、大老師がしてくれるかと期待して待っていると、来たのは弟子(汗) 大丈夫かよって不安は的中 貫頂してくれたものの、納得のいく結果は出ず… そのうえ、しげさんには小姐から1枚の紙が渡されてた。 その紙には大きくこう書かれていた。よほど面子を潰されたことが悔しかったのだろう。 現実主義の○○さんへ 更にいろいろ書いてあったみたいで、内容は知ることはできない。 とりあえず がっかりしたしげさんは別の国へ行くようで、武漢に着いたらお別れ 友達ノートに住所やメールアドレスを書いてから、見送った。 また、いつか会うこともあるだろう、と。 そう、6年後、意外な形で再会することになるとは、このときは夢にも思わなかった… 第21歩 元極塔 パンフレットになにやら書いてある。湖、病院、公園。 一つの山をまるごとぜいたくに使って、建物を建てている。武漢大学もそうだ。このあたり、さすが大陸、スケールが日本とは違う。 その一つ、元極塔に登ってみることにした。 垂直に伸びる塔、形状はちょうど灯台のよう。内側のらせん階段を上っていく。途中に小窓があって、外の景色が少しずつ遠くまで見えてくる。 頂上にたどり着くと、少しスペースがあって、中心には太い柱があった。 柱に誰かが背中をつけてあぐらをかいていた。瞑想していたみたい。 ここは、気の力を集中する場所らしい、そのように設計された塔なのだ。 ここにきて特に感じていたのは、中国の気と日本の気は質が違う。なにか、力強さがあって、不思議な感じだ。 せっかくなので、柱に背をつけてあぐらをかくと、瞑想してみた。 大きな流れ、グワーンとした感覚 なかなか楽しい。周りを見渡すと天井に龍の絵が描かれている。 ここは、本場の雰囲気を感じる場所だった。 第20歩 眠れない夜 さて、功法も終わり眠りにつこうとすると、なにやらガサガサ、ごそごそ。 何事かと電気をつけると、誰もいない。 様子をうかがい、また電気を消して眠りにつこうとすると、ゴソゴソとリュックのほうで音がする。 すかさず電気をつけてみると、大きなネズミ発見!! どっから入ったんだ? 食べ物の匂いに惹かれてきたのか。確か昼間買ったビスケットが入ってたな。聞いた話では、かばんを食いちぎって中の食べ物を食べるらしい… これはまずい、どうしようとしばらく考える。 ネズミと格闘するのは無理だし、相手はどうやら複数。壁か天井に穴があるらしく、電気をつけて、マグライトで照らしても部屋の中には見当たらない。 それなら、とビスケットを袋ごと取り出して、台の上に置いてみた。 電気を消してしばらくすると、ガサガサ、チュチュ、ガリガリ。 ちゃんと食べてくれてるようだ。かばんを破られるよりはずっといい。しばらくすると、静かになった。 その日はねずみちゃんたちと一緒に眠りについた。 今考えると、よくねずみが騒ぐ中眠れたもんだと思う。 その部屋はねずみだったから、まだよかった。 この部屋は、蚊だらけ。数十匹の蚊が襲ってくる。 叩いても叩いても、血を吸いにくる。あきらめた僕は、自分の両腕を布団から出して寝ることに。 腕中に蚊が止まるのがわかる。かゆみと気色悪さと羽音でほとんど眠れない。 そうしてようやく朝を迎えた。 翌日、早速売店で蚊取り線香とライターを買い、万全の体制で備える。 ドアをあけると、大群が待ち受ける。すかさず蚊取り線香を台にのせて着火。窓際にもうひとつ置いて着火。 部屋中に煙がこもって真っ白。そしてすぐに蚊が落ち始める。1匹、2匹、ベッドの上や床に広がる蚊の死体。 その日は安眠できた。 第19歩 一というもの 講義の中で、大極図は陰と陽が交じり合い、陰が極まればその中に陽が生まれる。陽が極まれば、陰が生まれる。 大極図とは、気功関係のシンボルによく見られる丸い勾玉が2つ合わさった形のアレだ。 元極気功では、これを一歩推し進めて、勾玉が合わさる中心にさらに勾玉が2つ交わる図が入る。 これの意味するもの、すなわち陰陽極まり、陽陰が生じ、その結果新たに陰陽が生まれる、という解釈である。 なるほど、元極とはそういうことかと、奥義の深遠に触れた気がした。 さらに、人の中で大切なものは和である、和合こそ元極の求めるものである、と倫理感を暑い中熱く話していたのは、元極気功創始者の張ジーシアン氏だ。 この当時、中国政府に邪教と定められた法輪功のおかげで、気功団体そのものが政府に睨まれていた。そんな中で、これだけのことを言うのは少々勇気がいることだったに違いない。もちろん政府に対する配慮はあちこちにあった。 気功を行う道場、本を売る売店、シャオチー(食堂)など壁にはしっかりと毛沢東の肖像画が架けられている。 この国には表現の自由がない、というのはどうやら本当らしい。 さて、授業が終わった後、しげさんがおもしろいものを見せてくれた。IBMのパームトップPC、手のひらサイズのノートパソコンだ。 日本を離れて数ヶ月、最新の電化機器を見かけることはほとんどなかった僕には、とても新鮮な驚きと感動を与えてくれた。 500円玉サイズのHDDまで見せてくれて、久しぶりに色めきたった。 しげさん、これをインターネットに繋ぎたいけど、中国ではプロバイダのことはわからず仕方なく国際電話で日本のプロバイダに繋いでいたそうで。 それなら中国で誰でも契約なしで使えるプロバイダ、使えばいいじゃないですか! そのころ既にxiaoyeが中国で買ったPCをデュアルブートで日本語、中文Windowsのセットアップをした経験がある僕には朝飯前。 早速宿泊所の電話線を引っこ抜いて、まずはモデムチェッカーを通す。海外では電話線の電圧が日本と違うため、うかつに繋ぐと大切なPCやモデムを壊してしまうおそれがある。 チェックOK。早速PCと接続したいが、モジュラージャックがないタイプの電話だ。 どうしましょうか、これ、分解してもいいですよね、後で元に戻しとけば。 そうそう、ちょっと繋ぐだけだし。 そんな会話を交わして早速電話機を分解。電話配線にクリップを繋いでPCと接続。 モデムの接続設定を中国電信のプロバイダに設定して、ログイン開始! さあ、どうだろう?うまく繋がってくれ。 心の中で祈りながら、PCの小さな画面を見つめる。IEを起動すると、、、 ゆっくりとHPが表示されていく!! 二人で歓声をあげていると、誰かがドアをノックする! 誰だろう?やばい、ばらばらに分解された電話機、どうしよう。 トントン! ノックは止まない。 あせる!どうしよう!! とりあえず、電話機をかくして!と、しげさんに目で合図した僕はドアへ向かって話す。 僕:何のよう? ガチャリ 小姐:ここに、今日から別の人が泊まるから 僕:わかった。 部屋を覗き込む小姐 僕:わかった、用事はそれだけでしょ、わかったから。 小姐の視線をさえぎるようにオーバーに動いて話す僕。 ふぅ〜、助かった 電話見られなくて。 第19歩 五千年の愉悦 翌日からしげさんと一緒に元極学を学ぶことになった僕。予定を聞くと、朝6時から功法を打つというではないか。すっかり夜が遅い生活になっていた僕には少々キツいが。 朝早くから、ラジオ体操のように音楽に合わせて気功をする。これは確かに健康にはいいなと感じた。音楽の中の言葉を聴いていると、全身リラックスしてー、気を下丹田に下ろしてー、とぽつりぽつり聞き取れる。 これが終わると授業が始まる。講義では、やはり湖北なまりの強い老師達。これを聞き取るのは大変。教科書があるので、なんとかなった。陰陽学や道教、そして仏教の教えといいものは見境なく取り入れる、そんな内容だ。講義の終わりに、老師が全員に気を送る。腕を左右に8の字に振るとわずかながら気がながれてくるのがわかった。そうたいしたことはなかったが。生徒は大きい教室では、150人くらいいるだろうか。 夏の暑さはピークを迎えており、教室の中は大変なことになっていた。冷房なんて、ない。 大型の扇風機が何台か置かれているものの、誰かが自分のほうへ向ければ、また別の誰かが自分のほうへ向ける。みんな暑いのは同じだ。 そんなある日の講義の終わり、老師が全員に発功していると、無性にお腹が痛くなってきた。どうしたものか、お腹の痛みはキリキリと増すばかり。 しげさんの通訳をしてた小姐にきくと、すぐ外にトイレありますよと言われ、途中であったけど席を立った。 後で小姐に、あの老師とは波動が合わないと言うと、よく知ってますね!詳しいです。と言われた。そうでもないけど、と心の中で思ったが。 そんなこんなであっという間に数日が過ぎ、講義は終わった。とりあえずは学んだことを続けて、自らを高めていくことが大事だ。 第18歩 旅人との出逢い 海を渡り、大陸へ来た目的、それは元極気功を学ぶため。 ここ武漢市の隣にある顎州、そこに行かなければならない。最初の講義は1週間。まだ漢語を学んで4ヶ月、バスに乗ったり、買い物や食堂での注文はできるようになっていたが、はたして講義を聞き取ることはできるだろうか? それでも行ってみることにした。1週間授業を休むことを老師に告げて、長距離バスに一人で乗る。ガタガタの高速道路を通り、武漢の街が見えなくなる。不安はあるが、それでも前へ進む気持ちのほうが強い。やっときた、ここまできたんだ! 夕方になると、大雨になっていた。バスが止まると、それらしい建物が見える。カサを持っていない僕は、ずぶ濡れになりながら、なんとか受付らしいとこに着くと小姐に尋ねた。なんと高い厚底サンダルだろう。 僕:要学元極気功、在這儿ba. どこで報名するの? 小姐:*%$*#_*{ 僕:ゆっくりしゃべってください。 小姐:*<&%)$% 僕:…… ちょっと書いてください(泣) ひどい湖北なまりだ。こんなの初心者の僕には聞き取れない。本人は普通話を話しているつもりなんだろう。 シェンフェンジャン、なんだ、身分証のことか。パスポートを見せると、困った顔をした小姐は、どこかへ内線をかけた。 ほどなくして突然日本語で話しかけられる。日本人ですか?と。 驚いて顔を見ると、中国人だった。そうです!と日本語で答えてしまう僕。 手続きをしましょうと言われ、とりあえずはその日の宿舎費を払い、部屋を取ることができた。彼女が言うには、今ほかの日本人が来ています、彼は病院に入院しています、合いますか?と。 入院とはただ事ではないな、どうしたんだろう?少し心配しながら、敷地内の病院へ向かう。病室に入るとベッドに寝ている若者がいた。心配そうにあいさつすると、以外に元気。 元極気功を学びに来たんですか?と聞くと、そうだと。どこが悪いんですか?大丈夫ですか?と聞くと、どこも悪くないんですよ〜、ただここ(病室)が一番安かったんで。 そ、そうですか。 ここで会ったのが、バックパックしょって世界を旅していたツアラーshantian、現在のマイミクであるしげさんだった。 第17歩 新たなる邂逅 その日、湖北大学外班バンゴンシーへお昼に行くと、たまたま老師がいた。 まだ若い女性の老師が、そのときは砂漠の中の天使のように見え、すかさず話しかける。 僕は、武漢大学の留学生ですっ!来期からここに転校したいんですっ!お願いします!! 老師:あなたの中国語の聴力(リスニング能力)はとてもいいわね。 僕:いえ、まだまだです。すぐにでも手続きしたいんです。 老師:じゃあこの紙に書いて。パスポートとビザは持ってるの? 僕:はい、これです。転校できそうですか?定員は超えてませんか? どうにか、転校の手続きを終えた。意気揚々と武大へ戻る。これで、冷房もない武大とはお別れだ。その頃すでに真夏を迎えていた武漢、気温は毎日36度を超えていた。 寮へ戻ると早速荷物をまとめる。カメラさえ持ってきていない僕の荷物は少ない。蚊取り線香をいくらか残して、洗剤や使えなかった電気式蚊取を同屋のカールにもういらないからとあげた。 思えば、ここが中国生活最初の地。今でも、第二の故郷はどこかと問われれば迷わず武漢大学と答える。今にも落ちそうな飛行機で(ちょっと失礼かも)降り立った天河機場(飛行場)、厳しく教えてくれた周老師のおかげで、発音や文法はしっかり学べた。日本人もたくさんいて、苦楽を共にした。戦争中、日本軍が植えた桜の下で、みんなで花見をしたなあ。部屋に幽霊はでるわ、写真にはおっかない何かが写るわ、韓国人と夜中遅くまで飲んで騒ぐわ。 自由すぎるほど自由だった。 そうして、8月の終わりになり、湖北大学から引越し用のワゴン車がわざわざ来てくれた。 同学の何人か出迎えてくれる。アメリカ人、アフガニスタン人…国や肌の色なんて、ここでは全く関係ない。みんなが、繋がっている。みんなが、大切な仲間。スーツケースとダンボール箱を抱えて積み込み、さよならをいう。 再見!盟友!、再見!武漢大学! 熱い思いがこみ上げてくる車中で、涙がこぼれそうになるのを必死でこらえた。 第16歩 湖北大学 バスに乗って湖北大へ行く。校内の売店で聞くと、夏休みということもあって日本人は帰国か旅行で誰もいなかった。とりあえずバンゴンシーに向かう。 転校したいというと、どうぞどうぞという感じで、すぐにでも手続きをしようという。話は早く無駄がないのは中国らしい。とりあえず授業料や宿舎費を聞いて、また来ることにした。内容を見ると授業料は安く、宿舎費は高いけど2人部屋でちゃんとトイレ兼用シャワー、キッチン付、エアコンもあるという。三大火炉でエアコンなしの生活は、鹿児島で5年間生活してきた僕にとっても、かなりきつく気力で乗り越えてる部分が相当にあった。 早速週明けに湖北大に行くと、バンゴンシーに鍵がかかっていて誰もいない。隣の部屋の中国人に聞くと、待ってれば来るよといい加減な返事。 中国で待つということは、2時間3時間は当たり前。真夏の廊下は窓を開けても暑い。こんなことなら何か飲み物買って来ればよかったと後悔しつつ壁にもたれる。結局4時間待っても誰も来ないんで、もういいや、また来ようと帰る。先生たちも夏休みだし。 翌日、さらに翌日とバスで行くものの、誰もいない。 事務所の人まで夏休みで一人もいないという大陸の常識は、そのときの僕にはなかった。 第15歩 新しい生活をめざすものの xiaoyeは、あっさり帰国してしまった。なんだか急に、心の準備もできていないうちに、最後の別れの日が来てしまった。 帰国する数日前、これまでxiaoyeと廻った武漢の街へ行き、市内に数件しかない、豆から挽いたコーヒーのある喫茶店でおごってくれたり、最後にこれ以上食べれないほどMacで注文した。2人なのにトレーは3つ。これほど食べれば日本なら、軽く2000円は越えるであろう。 お腹一杯になって、食べきれないのを持ち帰るほど、食べた。最後の晩餐だった。 xiaoyeは荷物をまとめて、タクシーで飛行場へ向かっていった。仲のよかった韓国人の友人を連れて。 この時、僕は転校を決意していた。このままここに留まっていても、ぬるま湯だ。もっともっと勉強して、気功だってしっかり修行しないといけない。 日本から持ってきた留学の資料を引っ張りだしてみた。武漢市内には、留学生を受け入れる大学が、いくつかある。ここから近いとこはと… 湖北大学が条件にあっていた。 授業料も国立大学である武漢大学より安い、よっしゃ!ここに決めた。 明日、早速バスに乗って行ってみるか。 次のステージに待ち受けるのは、鬼か蛇か。 第14歩 転校 随分相手のしゃべる言葉も理解できるようになった。つい3ヶ月前に、何もわからず、体一つでやってきた中国。勉強は確かに夜遅くまでやったこともある、それにしてもわずか3ヶ月で、聞き取れるようになるなんて、思いもしなかった。 日本の英語教育は根本から間違っているんだろう、あれは語学を学ぶ上で大きなトラウマだ。 そうこうして、早くも夏休みに入ろうとしていた。これからまだまだ中国生活を楽しむぞ、でも、まだ中国人の友達がいなかった。そしてそんなころ、xiaoyeは、帰国しようとしていた。 もう留学やめるん?まだHSK6級とってないじゃん。 …… でも日本に彼女いるし。 そっかぁ。 仲良しだったxiaoyeは、武漢大学を去り、帰国する。闇両替、デパート、マック、コーヒーのある喫茶店… 随分世話になったな。 夏休みに入る前、xiaoyeは帰国するため、片付けを始めた。 最後は宿舎の前、タクシーに乗るとこで見送った。飛行場までいけば、きっと泣きそうだったから。日本で頑張るんだよ、彼女と仲良く、仕事もみつかるといいね。さらば、同屋。 4人部屋は、3人しかいなくなった。1人いないだけで、随分寂しいもんだな。もう一人の日本人、藤原さんはせっせと1人で活動中。なんか、香港あたりで仕事を探すんだって、その割には観光ビザで入ってきた、素性のよくわからない人。この人も、しばらくしたら武大を出るそうだ。 そうしたら、僕はどうしよう? 第13歩 麦当労
武漢市内を自由に行き来できるようになった僕には、どうしても行きたいところがあった。麦当労(mai dang lao) マクドナルドである。マイダンラオと発音する、マクドナルドというより英語の発音により近い気がする。当て字と発音をうまく組み合わせて企業名にするのはうまい。他には百事可楽(ペプシコーラ)、芬達(ファンタ)など一度覚えれば商品をイメージできる上、意味も悪くないようにできている。 さて、早速xiaoyeをさそってマクドナルドに出かけることにした。日本と同様デパート、大型スーパーの中にマックはあるので、目的地は大学から比較的近い中南百貨商店。バスに揺られること20分、百貨店の前でバスから飛び降りる。ここにも陸橋があり、たくさんの浮浪者たちを避けるように早足で歩いていく。 百貨店の一階はガラス張りになっていて中が見える、窓際をみると懐かしいあの原色の赤、黄色のプラスチックテーブルと椅子が!そこは間違いなくマクドナルドだった。 日本ではジャンクフードのわりに値段が高く、満腹感が得られないのでたまにフライドポテトが食べたくなったときに行くだけのお店だったマクドナルド。しかしここ武漢では、慣れない油っぽい中華料理で消化不良気味の胃腸を救う唯一の食べなれた加工食品である。内陸には吉野家や味千ラーメンのチェーンは展開される気配すらないのだから。 店内に入るとここもすごい満席だ、とにかく人が多い。中国人にとっては結構高いはずだが。xiaoyeとカウンターに並ぶ、ここで驚いたのは手にお札を持った人が我先にと店員に注文を叫んでいたこと。カウンター最前列の客がメニューをみて注文している最中にすぐ後ろで叫んでいるのだ。ここで初めて中国での並び方を知る僕。 「横に並ぶ」 こうしないといつまでたっても順番が回って来ない、しかもわずかでも前の人と隙間があればあっという間に割り込んでくる。半ば周りの人を押しのけるようにしないと前に進めない。まるで戦争だ。 ようやくxiaoyeと僕がカウンターの前に来た、注文していると案の定後ろからお金を握った手が伸びてくる。xiaoyeは「ちょっと待てよ!」と半ギレで後ろのヤツに叫びながらなんとか注文した。「ほしいものをメニューで指差せばいいですよ」こう言われ、メニューのビッグマックセットといくつか他の物を注文した。
レジに表示されたお金を払う、この辺も日本と同じだ。最後にマクドナルドを訪れてから2ヶ月くらいしか経っていないが妙に懐かしさが込み上げてくる。ほどなく注文したビッグマックセット他がトレーにのせられてきた。xiaoyeと空いている席を探す。店員に空席がある?と聞いてみると誰かが食べ終えた直後の席が空いていたのでそこに案内された。席についてひといきつく、トレーをよくみると日本と同じ、いや、よく見ると微妙に違う。ビッグマックが紙に包まれている。あの発泡スチロールの容器はないようだ。中国で食べるマクドナルド、はたしてこれまで食べているあの味と同じなのだろうか?一抹の不安とともにハンバーガーを口に運ぶ。 「うまーい、日本と同じだあ」 食感は全く変わりないビッグマック、ポテトは若干塩味が薄め。これはケチャップがついているからだろう。シェイクやアップルパイも日本で食べるのと同じだ。安心したせいかあっという間にたいらげてしまった。レシートをみて見るとその安さに驚く、ビッグマックセットといえば500円以上するはずだが、わずか16.8元、日本円で約210円。その他のメニューも単品では10元以下、物価の差を計算しても安い、というより日本のマクドナルドが高すぎるのだろう。 第12歩 宿舎
第2歩で書いたが寮の階段はいかにも手作りで1段ごとに高さが異なる。作られたのがかなり前であるらしく、留学前の学校紹介には新しい留学生用宿舎が工事中で今期には完成する予定と確かに書かれていた。2月の終わりに留学を始めた僕はあわよくば新しい寮に入れるかもと、ひそかに期待をしていた。しかし残念ながら見事に期待は裏切られ、新しい寮は土台となる柱の工事が始まったばかり。 このことを日本の留学斡旋業者に知らせると「中国ではよくあることですよ、工事の予定が遅れることは」 時間にルーズなことは渡航前になんとなくわかっていたが、ここまでとは… 予定は未定とよく言うが、ここまでくると開いた口が塞がらない。改めてスケールの大きさを実感し、工事の進行が早まることを願う僕だった。 毎日寮の窓から工事の進み具合を見ているが、なんというか非常に遅い気がする。コンクリートをスコップで混ぜ、レンガを一つ一つ手で積み上げていく。足場は全て木と竹でできた見た目にも怖いきゃしゃなもの、そこに工人(建設作業者)が何人も乗っていて、皆命綱は着けていないのだ。
1999年当事、中国ではまだ重機を使った建設作業は上海、北京のような都市部以外ではほとんど行われておらず、全て手作業で行われていた。安い人件費で地方から人を集めてくるのは簡単だが、いかに多くの人数で工事を行っていてもクレーンやユンボ等の重機なしでは効率が悪すぎる。人海戦術をモットーとするのは長城を作った中国ならではということだろうか、不思議なことに作業している人の顔はいきいきとして楽しそうでもある。数ヶ月して積み上げたレンガが壁を形作ると、そこに土壁を塗っていく作業が始まった。このころになると、1階は部屋の作りがわかるようになっており2階へ上がる階段も仮の状態ではあるができていた。新しい寮が完成へ向けて少しずつ少しずつ建てられていく。ある日僕は作業をしている人に話しかけてみた。 「我要看看里辺、可以?(ちょっと中を見たいんだけど)」 「看里辺?可以、可以(中を見たい?いいよ、いいよ)」 あっさりと工事中の寮へ入れてくれた。足元に気をつけるよう言われ、ワクワクしながら中へ入っていく。足元は崩れたレンガや石がゴロゴロしていて歩きにくく、バランスをくずしそうになりながら壁づたいにゆっくりと進むとそこは廊下らしい場所だった。部屋の玄関になる入り口がいくつもある、この横には部屋があるんだろうとその一つに入ってみる。 そこは客間だった。中国の寮の作りは基本的に一部屋に2〜6人住める様に作ってある。その作りが少々日本とは変わっていて、ドアから入るとまず共通で使うリビングがあって、そこから各人の寝室へ入るようになっている。 住人のプライバシーを重視する日本と違い、住人の交流を重視する中国人らしい作り方だと思う。同じ部屋の住人が友人を客間に招いていれば、その場を通らないと自分の部屋へ入れない。当然そこでは会話も交わされ、そこからまた新たな縁が広がるであろう。 この時、日本でNHK中国語会話を見ていた頃に出てきた北京の四合院を思い出した。正門から入ると庭があり、取り囲むように3軒の家が建っている。そこでは昔の日本のような近所づきあいがある。たくさん作ったおかずを分け合ったり、子供たちの相談を他の家の大人が聞いたり、お互いに協力しあって生活していくという理想的なコミュニティがそこにはあった。 開発が急ピッチで進む現在、四合院を見つけることはかなり難しいだろう。 第11歩 蚊取り線香 ようやく自分の部屋にも液体蚊取りがきた。これまでは煙の中で眠りについていた。明け方には燃え尽きて、それをわかっていたかのように隙間から入り込んできて僕を起こしてくれる沢山の蚊たち。それも今日で終わりだ。 同居人のカールにも見せて自慢する。赤い外観の液体蚊取り、早速取り付けてコンセントに挿してみる。ほのかに殺虫剤が出てくる。臭いもほどんどなく、これで今夜からは安眠できる!夜が来るのが楽しみだった。 布団に入る前、しっかり蚊取りのランプがついているのを確認して眠りにつく。こんなことでも達成感と幸せを感じることができる、留学ってこういうことも勉強になるんだなぁ、日本にいたらわからないよ、と自分を誉めて眠った。 翌日の朝、目覚ましで目が覚めた。久しぶりに安眠できて快適な朝を向かえることができた。なんだかうれしくてうきうきしながらシャワーを浴びて授業に出る僕であった。 そうこうするうちに1週間たったある日、夕方蚊の音がプ〜ンとするではないか。蚊取りはちゃんとついている、薬剤の量はまだ十分に残っているし本体を触るとヒーターが暖かい。あれ?なんでだろう しばらくそのまま過ごすが部屋には相変わらず蚊のいる気配がする。よく見ると… … 蚊取りに蚊がとまってる!!! 蚊を追い払い、蚊取りをみてみる。よーくみると薬剤が蒸気になっていないようだ。原因を探って見ると、液体ボトルの芯がよくないような気がする。 やられたという悔しさでいっぱいの僕は泣く泣くしまってあった蚊取り線香を取り出して火をつけるのだった。 その後薬剤ボトルだけあれこれ買ってきて試してみたが、アメリカ製の物だけが有効であったように思われる。悔しかったので日本製は買わずにいた。 第10歩 デパート
入り口にはビニール製のすだれが下がっている。空調の効いた店内に外気が入らないようにするためだろう、きちんと省エネしている。一歩中へ入るとそこは別世界だった。荒んだ路上とは打って変わって明るく、そして何よりも清潔であることに感動するのだった。日本では当たり前のことだけど、照明がやけに眩しいのが印象に残る。 入り口には世界で流通する化粧品カウンター、高級タバコ売り場があり日本のデパートと比べて遜色のないつくりで迎えてくれる。更に歩いていくと生活雑貨が置かれているコーナーがあり、そこで念願の品質のよい蚊取り線香を見つけた。蚊取り線香くらいどこにでも売っているのだが、先輩から聞かされた話では安い蚊取り線香を焚くと、部屋の中が煙で真っ白になってしまい大変な事になるそうで「そりゃ蚊も死ぬわ」と。この頃中国製品には品質の差が日本で考えられないくらい大きいことを痛感していた僕は、いい物を買うことの難しさとそれを探すおもしろさを体験していた。 殺虫剤コーナーをよく見ていると、なんと日本製の電気式液体蚊取りが!金鳥の文字が書かれているお馴染みの箱が!武漢市は中国でもかなり内陸に位置しており、日本製品は北京、上海に比べそれほど流通していない。ワクワクしながら箱を手に取り、懐かしさと嬉しさで思わず買いたくなったが、そこは日本製。海外からの輸入品は中国製の倍近い値段だった。聴力(ヒヤリング)の老師(先生)が自慢していた日本製の液体蚊取り、今年初めて売り出されたのを我が家では使っている、非常好と言っていたのはこれのことだったんだろう。しかし僕はあえて中国製の蚊取りを買ってしまう。せっかくだから中国製を試してみたいという気持ちと安さに惹かれて。しかしこれが後で後悔する結果になることを知らずに… 第9歩 亜州貿易広場の前 バスを降りるとそこには日本で言う郊外型大型店舗がそびえ立っていた。看板に亜州貿易広場の文字が大きく金色で描かれているのが印象的だ。 バス停横には中国では珍しい歩行者用の陸橋がある。これなら安心して道路の向こう側に渡れると、勇み足で歩いていく。しかしそこには… 歩行者にまぎれて声をかけてくる人がいる。何かの商売をしているのだろうか?中国では知らない相手に声をかけられるときは要注意。大抵の場合自分が損をする状況に追い込まれるからだ。通常より高い値段の商品を売りつけられたり、料金が10倍以上の闇バスに乗せられたり、物乞い、泥棒だったり。 歩道橋の上にいる人たちが何をしているかというと、これは留学して1年以上たってからわかった事だが。 乞食。路上にいる人の大半はコレ。馬路(道路の意)にボロ布を敷いてホーローのマグカップを一回り大きくしたものを片手に誰彼かまわず寄って来る。年齢はやはり働けなくなった高齢者が多い。日本のように社会保障もなく、年金制度もない中国では仕方のない事かもしれない。 次に多いのが5〜6歳くらいの子供。小学校さえ通う事の出来ない子供は以外と多いのだ。その理由として学校が少なすぎることと多民族国家であることが挙げられる。広い中国では自宅から学校まで10キロ以上離れている事が珍しくない。経済的な理由で小学校に通うより、仕事をして稼ぐほうがいいという家庭もある。 路上に立って物乞いをする子供は身寄りがないケースが多く、ストリートチルドレン化しているようだ。デパート周り以外では観光地の公園などに多く出没する。 あとは怪我をして足、手などを失い仕事のできない人達、赤ん坊を抱えた母親もいた。健康保険制度がないため怪我をしても病院で手当てを受けられない人が人口の大半を占めているのだから。つまり日本で言う保険証というものが中国にはない、医療費はすべて患者が負担するわけだ。10割負担だと物価の安い中国でもさすがに高くつく、月収の数倍もの金額がかかることもざらだ。 厳しい現実を目の前に突きつけられた僕は、逃げるように乞食立ちの横を走り去るのだった。 第8歩 バスは止まらない 留学して3ヶ月目、相手の言うことは半分くらい理解できるようになってきた。このくらいになると、あちこち出かけたくなってくるもの。何しろ物価は安い、バス代は1元(13円)で始発から終点まで乗り放題というおいしいシステム。人口の多さゆえこれでも商売になるらしい。 バスはすべて3桁の番号でどこを回り、どこへ行くのかがわかるようになっているので、自分の目的地へ行く番号さえ覚えてしまえば簡単だ。小銭を用意して早速乗って見た。 大学大門前のバス停に行くと、既にバスが待っていて何人か乗っている。黄色い帽子を被ったおじさんがバスに乗り込んで新聞を売りに来る、まるで電車のようだ。適当に人が乗り込むとバスは発車する。そう、発車時間などなく人が乗り込みさえすれば出発するのだ。だから人気のない時間帯に乗ってしまうと何分も待たされる羽目になってしまうので要注意。 バスの椅子は全て木の板でできている。小学校の椅子を想像してもらえば一番わかりやすいと思う。細い鉄パイプに硬い木板、あの椅子がバスについている…大きく揺れる車内でクッションのまったくない椅子。サスペンションはほとんど機能していない古びたバス、おしりに直接衝撃が伝わってくるというのに中国人は平気な顔で座っている。 目的地が見えてきた、降りようと出口に近づく、がバスはスピードを緩めるだけで、のろのろと走りながら出口と入り口のドアを開けたのだった!しかもみんな当たり前のようにとび降りていく! およそ時速6キロくらいだろうか、人が早歩きで歩くくらいの速度のまま最後まで止まることなくバスを走らせる。僕はあわてるそぶりを見せず(実際相当あわてていた)前の人と同じようにバスから飛び降りた。幼い頃遊んだ公園の回転する遊具から飛び降りる感覚が、こんなところで役に立とうとは思いもしなかった。 乗車?もちろん乗り込む時もうまくタイミングを合わせて飛び乗るテクニックが必要だ。 第7歩 ちょっとひといき ずいぶん硬い文章できたのでちょっとこのへんで一息いれましょ 中国Q&A 回答はあくまでも管理人個人の考えです Q1.中国ってちょっと怖いんじゃないかな 共産圏、治安の悪さ、反日感情について A1.怖くありません。政治については最近では社会主義を取り入れて個体戸(個人自営業)も認められています。大陸生活の中で特に共産主義を意識することもないでしょう。 治安については日本よりはよくありませんが、拳銃等を個人で所持することは認められてないので、直接命を狙われるような危険はさほどないです。注意するのは街中、とにかくどこへ行っても人が多いのでスリの被害は結構多いです。背中に眼がある感覚が必要かも。 対日感情は…これは人それぞれで大きく違います。日本はすぐれた技術を持つ豊かな国、できればいってみたいという方もいれば、過去の戦争犯罪を許せない、日本の総理は謝罪すべきだという方もいます。40代以上の人には反日感情の強い傾向がみられますね。 このあたりの事はチャットで話してみるとよくわかります。ピンインの打てる方は中国語簡体字とグローバルIMEで一度試してみては。中国のネットカフェでは大半の学生がチャットをしてましたよ。 第6歩 授業は中国語で 初めての授業に出る。クラス分けの試験があるのだが、漢字がわかってしまう日本人は自然に上のクラスに 配属されるため、あえて試験を受けず自分で各班の授業にちょっと参加して決めた。すべて自分で決めて行動することが 当然のように許される環境、言い換えれば自分で決めなければ思いもよらない結果を招くという中国の生活様式。そう、 既に試練は始まっていた。 最終的に零から始めるのがいいと思い1班に決める。授業初日、朝9時前に教室に行くと誰もいない、先生もいない。 とりあえず席につきあたりを見回す。エアコンはなくすこし暑さを感じる、ふと昔の小学校の教室と記憶がダブる。 シミのある壁、乱雑に扱われている黒板、横長の木の机、すべてが懐かしい。予鈴のチャイムが鳴ると先生と他の留学生 が一人入ってきた。西洋人と一目でわかるが、お互いコミュニケーションの手段を持たずとりあえず挨拶を交わし授業 が始まった。予想通り簡単な自己紹介をし、中国語の発音の練習から入るのだが、その授業はすべて中国語だった。 わからない、一言二言しか聞き取れない。先生は気を使ってゆっくりはっきりしゃべってくれているのはわかるが、単語 の意味そのものがわからないのでは授業にならない。それはもう一人の留学生も同じで、チンプンカンプン、どう対応して いいかまったくわからず、緊張したままその日の授業は終わった。そう、終わったことも気づかず先生が出て行って終わった ことに気づいた。明日からもこうだろうか?授業が中国語で行われる?聞いてないよー。とぼとぼと寮に帰るとxiaoyeはまだ 寝ていた…これからどうなるのだろうか、大きな不安を抱きながらも腹は減る。xiaoyeを起こして昼食へと出かけた。今日も 新疆ラーメンだった。 第5歩 そして校外へ 授業もまだ始まっていない。入学手続きがきちんとできているはずなのに、まだ他の新留学生はその時点では誰も 到着していなかった。こんなにいいかげんでいいなのかな?と少しずつ日本とのズレを感じつつも大学の 中を出歩くことにした。鹿児島より南にあるはずだが、日本よりも幾分寒い。持ってきた上着を着ても少し寒いが ほかに着る物もなく気合いで出かける。xiaoyeも準備ができたようだ。どんよりした天気の中、寮を出発するも あまりの広さと道の複雑さに混迷せざるを得なかった。乱雑に建つアパート、教室、商店の間を抜け歩く。20分ほど 建ってようやく外界が眼に入ってきた。 「あれが大門口(正門)ですよ。以前は大学校内にたくさん小吃(軽食食堂)があったけど区画整理で 全部撤去されたんです。不便になったー。」 「へー」確かにこれだけ広いと食事をするだけでも大変だ。最低20分も歩かなければ食堂にたどり着けないなんて。 警備員の小屋を通りすぎて、校外へ出ると最初の関門が待ちうけていた。4車線の大通りはタクシー、バスでごった返している。 更に初めて見る原付き3輪バイクのリンタクも。「あれ麻木っていうんですよ帰りに乗ってみます?」そんなことより xiaoyeは横断歩道すらない大通りを横切ろうとしている。辺りを見渡すが信号機は視界の中に入ってこない。こんなに人が大勢 いる通りなのに信号すらない?! 「走ったら轢かれますよ、歩いて渡ります。」 「えっ?こんなに車が走ってるのに。無理だよ。」 「歩いているのが見えたら向こうも避けてくれます。行きましょう。」 怖い、こんなところで車に轢かれたらまず助からないだろう。しかし食べなければ、向こうにある小吃へいって。 xiaoyeの横へ並んで車道を歩いていく。まわりの中国人も何人か渡り始めた。数十cm前を車が走り過ぎる。そろそろと確実に 車を避けつつ中央線を越え、反対側から走ってくる車を避ける。中国は自動車右側通行、感覚が違うなどと言う暇もなく 更に進みどうにかたどり着いた。そこは数十件のお店が並び、学生以外の一般人も大勢いた。人が多い、いったいこの人たち はどこから来てるんだ? 「ここのラーメン美味しいんですよ。蘭州拉麺、いきましょうか。」 「おー、この香り。いきましょう!」 入り口に麺を打つ台とスープが置かれている。プラスチック製の椅子に座りxiaoyeが何やら注文してくれた。 突然バンッという大きな音がした、思わずそちらを振り向くと白い服を着た店員が両手で勢いよく麺を台に 叩きつけては伸ばしている。ほんの4回ほど伸ばしたところで見事な麺が完成、無造作にお湯の入った大鍋に 放り込んで、また麺を作る。テーブルには黒酢の入った瓶と割り箸、日本と似てるけど何か汚い印象を受ける、が 食欲に勝ることはできない。まもなく目の前にどんぶりに入ったラーメンが、こまかく切られた牛肉と見なれない カイワレに似た食材(香菜)、一見して辛そうなラー油。これが中国のラーメン、感動しつつ箸を運び一口。 これまで一度も食べたことのない食感、打ち立ての麺がこれほど美味しいことを多くの日本人は知らない。 スープは牛肉ベースでコクのあるあっさり系。「美味しいですね〜、これが本場の味かぁ」 「辛いの大丈夫ですか?結構からいでしょ」 ん?二口目くらいから強烈な辛さが。これまで食べたことのない辛さ。しかし元々辛いのに強いので、 どうにか食べれる。額に汗をにじませながら食べ終えた。そういえば奇妙なクセのある香菜を食べて しまったが…「香菜食べれました?嫌いな人多いんですよねー」 「え?そうなん、ちょっと香り強いけど食べれたよ。あれならなんとかなるかも」 四川省の隣にある武漢の料理は辛かった。だが本当の麻辛を知るのはまだ後のことだった。 第4歩 夜明け 朝が来た。中国に来て初めての朝。8時すぎだったろうか、目がさめたのにまわりは静まり返っている。 同屋(ルームメイト)のxiaoyeはまだ起きて来ない。木の枠でできた窓をこじ開けて外を見る。初めて見る 中国の景色。ここは本当に大学なのだろうか?まるで一つの小山だ。木々とアパートの間に教室らしき建物 がちらほらと見える。ベランダへでて大きく息を吸いこんでみる。中国の学生達が歩いている。 そのうちxiaoyeが起きてきた。僕が中国へ着いたのは3月の初めで、まだ授業は始まっていないらしい。 眠い眼をこすりながら言葉を交わす。最初に習ったのはお湯の汲み方。2フロアごとに開水機があり、 昨日借りたポットを持って部屋を出る。そのとき玄関のドアにレンガをしっかりと置いてドアが閉まらないように する。なぜなら一度開けたドアは鍵なしでは決して開かないからだ。防犯上仕方のないことだが、この辺りから 治安の悪さをつくづく実感する僕だった。 「このメーターを見て、お湯の温度を確認してくださいね。みんなが一度に汲んで温度が下がってることが ありますから。」 「温度が下がってもちょっとぬるいだけでしょ。」 「それが危ないんですよ。」 そうだった。水は飲めない。この事実が大きく圧し掛かってきた。熱いお湯を汲んだ僕たちは、部屋に戻り コーヒーをすすった。腹が減った…空腹感というものはどんな状況でも忘れることはない本能らしい。 「小売部に行きましょうか、パンでも食べましょう。」長崎出身のxiaoyeがタイミングよくこう告げて、 二つ返事で買い物に出かける。鍵を持ち、階段を降りていくのだが、足元に妙な違和感がある。階段が、 階段の高さが一段づつ微妙に違うのだ。非常に歩きにくい。降りてきた階段を見上げると非常に薄く、確かに 高さが違うのがはっきりわかる。 「この厚さでよく人間の体重を支えられますよね、以前建築勉強してた人が言ってたんですよ、不思議だって。」 「…」 地震が来たらまず原型を留めることなく崩れ去るのだろう、砂浜に作った泥の城のように。地震が来ることは まずないらしいが、決して100%こないわけではないのに。一番下につくとxiaoyeは昨日の管理人の部屋にずんずん 入っていく。へ?なんで?棚を見るとパン、缶ジュース、ペットボトルの水やコーラが置いてある。 「これ自由に買えるんですよ」 これが小売部、感心しながらまたもお金を借りてパンらしきものと見なれたボトルのコーラを 買った。部屋に戻る途中でコーラを開ける。やっと買えた日本と同じもの、同じ味。 炭酸が喉を潤し、今ここで生きていることを再確認する僕だった。 第3歩 武大 部屋へ1歩入る。日本人の部屋、一気に安堵感に包まれる。まだ緊張感はあるが少し気が楽になった。 ここまで来れた、ようやくここまで。xiaoyeがコーヒーをいれてくれた。ソファーに座りテレビをつけて くつろぐが、やはり一言も聞き取れない。だが中国のテレビ番組の多くは字幕が表示される。目まぐるしく 表示される字幕を一生懸命追いながら少しだけ意味がわかったような気がした。このとき漢字を使う国に 生まれたことを心から感謝した。 さっきから飲んでいるコーヒーの味が微妙に違う。気になってxiaoyeに尋ねると 「水が違うからでしょう、中国は水道水飲めないし。」 「へ?飲めないんですか?じゃあ今飲んでるのは?」 「これは沸かしてあるお湯だから大丈夫、そこにお湯沸かす機械あったでしょ。」 そう中国では水道水が飲めない。1mくらいある開水機で90℃くらいに沸かした水 をポットに汲んできて飲むのだ。 そうだ、ふとんは?今日寝るふとんがない。さきほど案内された自分の寝室には、 紐で網状になったベッドと小さな机しかない。部屋の電気さえないので寝室は真っ暗 だ。xiaoyeと一緒に1階の管理人の所へ行きふとんと電気スタンドを借りる。そのときに 100元の押金(保証金)がいる。一文無しの私はxiaoyeに借りて、どうにか明かりと 寝床を確保しベッドに入った。このとき気づいたのだが、靴を脱ぐのは寝る前だけ、 完全に西洋式な生活に驚きと戸惑いを隠せなかった。中国には畳すらないのだ。 その日はなかなか寝つけなかった。たった一時間しか時差はないのに想像とあまりに違う 生活習慣、大気汚染で少し喉が痛いせいもあったのだろう。それに晩飯も食べていない。 しかしここに来た、やっと念願の地に来たんだ。ようやく生涯で最も長い一日が終わろうとしていた…。 第2歩 学生寮 タクシーは大学の正門をくぐる。ヘッドライトの中に僅かに照らし出される風景、これが中国の大学、 第一印象は「暗い」。そう、一つの丘をまるまる学校にした武漢大学は、中国でも有数の広大な敷地をもつ大学だ。しかも街灯がほとんどない。 舗装されてはいるが、やたら凸凹している道路をもう5分は走っただろうか、立ち並ぶアパートのような建物の前で車が止まった。 着いたらしい。そのまま管理人のいる入り口の部屋へ招かれ、パスポート番号を聞かれた。しかも英語で。 確かに英語のほうがわかりやすい、このとき改めて世界共通言語の威力を認識した。 何人か外出していた外国人留学生が前を通っていく。「nihao」[nihao」気軽に挨拶を交わす。西洋人、アジア人と世界各国から中国へ来ている 学生たち。そう、内陸部に位置するマイナーな武漢に留学する日本人は少ない。ここへ来るのは留学費を浮かせたい 苦学生か三国志、中国好きくらいだ。確認が終わると、カギを渡された。管理人は「silingsi」(404)と言っていたらしいが、 もはやそれすら聞き取れない、これも後でわかったのだが、武漢人は「武漢なまりの普通話」で話す。特に 普通話の教育をまともに受けていない30代以上の人たちはヒドイ。もちろん当の本人は標準的普通話を話して いるつもりだ。とりあえず4階であることはわかったので、階段を上がっていく。ここも暗い、小さな懐中電灯で 足元を照らしながら上るのだが、何か違和感がある。 階段の高さが一段ずつ微妙に違う... 暗さとあいまって不安がつのる。集中しながら用心深く一段一段踏み出す。こんなに緊張して階段を上るのは 初めてだ。どうにか4階にたどり着き部屋番号を探す。ドアを照らすが番号らしきものの痕跡があるだけで、 番号はわからない。とりあえず端からノックするが、返事がない。困りはててウロウロしていると、1人の 日本人留学生が声をかけてきた。「今日来た方ですか?」 武漢大学で苦楽を共にする同学(クラスメート)、xiaoyeだった。 中国の生活 第1歩 大陸に立つご存知の通り、中国大陸で使用される紙幣「人民元」は日本では換銭(両替)できない。 仕方なく1元も持たないまま、日本円とUSドルだけで福岡を出発した。 飛行機は1時間半遅れ、目的地である武漢に 着いたのは夜6時過ぎ。予定では大学から迎えに来ているはず、だが既に帰ってしまったかもしれない。 そんな不安が胸をよぎる中、空港の出口へ向かうと自分の名前が書かれた紙を持った中国人が! ”これでなんとかなる”、早速NHK中国語会話で勉強した僅かなスレッドを使ってみる。 「我要換銭。(両替したい)」 通じたようだ。だが相手の言うことがまったく聞き取れない。早過ぎる。後でわかったのだが、 このときは気を使ってゆっくりしゃべってくれていたようだ。それでも一言も聞き取れなかった... 僅かな中国語の自信はこのとき打ち砕かれ、自分の選択が間違っていたかもしれない、そう、中国語を もう少し勉強してから来るべきだったと後悔しそうになった。だがここまできたら引き返すことは できない。そのつもりで飛行機のチケットは片道で来たのだから。不思議なもので不安と緊張 があまりにも大きくなると、逆にプレッシャーをあまり感じなくなってしまうようだ。 もうどうにでもなれ、と思ううちにタクシーは武漢大学へ到着した。
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