モダン・ジャズの玉手箱

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−ジャズ入門・初級の初級編−40歳からの挑戦−


はじめに
その1.モダン・ジャズとは
その2.モダン・ジャズの流れ−ジャズの歴史−


◎珠玉のCDアルバム◎ その1 ポートレイト・イン・ジャズ(Riverside) ビル・エバンス
     パーソネル:ビル・エバンス(P)、スコット・ラファロ(B)、ポール・モチアン(DS) <録音’59年>
◎珠玉のCDアルバム◎ その2 サキソフォン・コロッサス(Prestige)ソニー・ロリンズ
     パーソネル:ソニー・ロリンズ(ts)、トミー・フラナガン(p)、ダグ・ワトキンス(b)、マックス・ローチ(ds) <録音’56年>


☆ジャズ・ジャイアント☆ その1 ビル・エバンス −白人ジャズの道を開拓したクリエイティブなピアニスト−

☆ジャズ・ジャイアント☆ その2 ソニー・ロリンズ −奔放な音色とユーモア感覚あふれるハード・バップの巨人−


はじめに [先頭へ]

「ジャズ」こそは今世紀最大の音楽の成果であり、クラシック音楽から続いてきた現代音楽を遙かに凌駕しています。しかしながらジャズはクラシック音楽と同じで、最初のとっかかりが難しい音楽です。身近にジャズの好きな人等がいればまだしも、これから1人でジャズを聴いてみようなどと考えても、何から聴くのがよいのかよくわからないものです。わずかな経験ですが、私とジャズとの関わりの中から感じた初級の初級ジャズ入門を書いてみることにしました。1950年代から1970年代までのモダンジャズが中心となります。第一にCDを聴いてみることはもちろん大切ですが、それとともにぜひジャズの歴史を軽く一読し頭に入れておいてください。ジャズの歴史の中での各プレイヤーの位置を考えることにより、しだいにジャズの全体像が見えるようになってきます。
構成としては次のようなものを考えています。
1. モダン・ジャズとは
2. モダン・ジャズの歴史
3. モダン・ジャズの人(ジャズ・ジャイアント)とその世界
4. モダン・ジャズを楽しむCD
5. ジャズ用語集
6. モダン・ジャス年表
7. モダン・ジャズ関係リンク集
8. MIDIサンプルリンク集
9. その他



その1.モダン・ジャズとは[先頭へ]

「モダン・ジャズ」とは何だろう?
だいたい1950年頃から使われはじめた言葉であり、一般的には40年代のはじめに起こった「バップ」(またはビー・バップ)以降、今日までのジャズを「モダン・ジャズ」と呼んでいます。人によってはオーネット・コールマンにはじまる「ニュー・ジャズ」はモダン・ジャズに含めず、あくまで「ニュー・ジャズ」と呼んで区別するが、一般的にはニュー・ジャズもモダン・ジャズに加えている。
では、なぜバップ以降をモダン・ジャズと呼ぶのだろうか。いうまでもなく、モダンとは「現代の」とか「近代的」といった意味である。ではなぜバップは近代的なのかという点を少し考えてみたい。
バップはよく「バップ革命」などとも呼ばれる。スイング以前のジャズと比較したとき、革命的な変化が起こったからだ。そのひとつにパーカーやガレスビーたちによって、明確な即興演奏の方法がうち立てられたことが挙げられる。曲を構成する和音(コード)からスケールを導き出し、それによって即興演奏を行う方法は、バップ以後のジャズにおけるひとつの基本となったもので、特殊なニュー・ジャズの場合をのぞいては、このバリエーションによって演奏されていると見て、間違いない。
また、リズムの点では、ケニー・クラークやマックス・ローチが規則的な四ビートをドラムのトップ・シンバルで奏し、ベース・ドラムは特殊なアクセントをつけるために用いるようにしたところから、オフ・ビートの感覚が生まれ、これが様々な変化を生み、変拍子などを経て、今日の複合リズムやフリー・リズムへと発展してきたのである。
バップはまさに今日の新しい時代の夜明けを告げる時代であり、バップ時代に今日のジャズの基礎作りが行われたのだった。
もうひとつ大切な点は、バップ時代に起こった音楽家自身の意識の変革である。バッブの時代になって、ジャズメンが近代的な精神に目覚めたということである。それまでのジャズメンは、ダンス音楽に従属したり、エンターティナーの域にとどまっていたりすることが多かったが、バップの時代を迎え、ジャズメンは、自立の精神を持ち、芸術家として目覚めたのである。ダンス音楽としてのジャズとははっきりと訣別したのである。従って、バップは音楽的な革命であったと同時に、精神的な革命でもあったといえると思う。
しかし、それはけっしてスイング以前のジャズが非芸術で、バップ以降が芸術というわけではない。バップ以後ジャズメンが芸術家として意識しはじめたということである。
だが、ジャズを鑑賞する場合、ひとつ気をつけなければならないのは、ジャズメンの歩いた道を音楽的に分析し、そこから音楽理論を抽出して、その新しい、進歩的な理論によってジャズが前進してきたと考える方法である。しかし、それはすでにジャズが歩いた後の道にすぎない。それをいくら分析しても新しいジャズは生まれない。西洋音楽の場合は、たしかに新しい理論が新しい音楽を生んだかもしれない。しかし、そのように進んできた現代音楽が、いま袋小路に迷い込んでいないと断言できるであろうか。
ジャズを西欧的発想法でとらえることにはひとつの危険がひそんでいる。アフリカからアメリカに渡って花を開いたジャズは西欧文化とは異質の文化と考えてもよいわけだ。もうひとつ東洋の文化を考えてもいいが、ジャズ−それをかりに黒人の文化と呼ぶならば黒人の文化は、一口でいえばエモーション(情緒)優先の文化と考えられる。ジャズメンが行き詰まりに遭遇したときは、彼らはエモーションの力で変革する。もし、理論的な正しさと、情緒の要求とを前にしたら、彼ら黒人ジャズメンはためらわずに情緒の要求に従うだろう。白人ジャズメンかしばしば陥る失敗は、西欧的発想法により、理論の正しさや進歩をジャズの進歩と考えるところから生まれるのだ。フィーリングとエモーションの求める力によってのみ、ジャズは発展してきたのであり、それが結果として新しい手法を生んだにすぎないのである。モダン・ジャズもまたこのような形で生まれ、発展してきたのである。



◎珠玉のCDアルバム◎ その1 ポートレイト・イン・ジャズ(Riverside) ビル・エバンス[先頭へ]
     パーソネル:ビル・エバンス(P)、スコット・ラファロ(B)、ポール・モチアン(DS) <録音’59年12月28日>

1. 降っても晴れても COME RAIN OR COME SHINE
2. 枯葉 AUTUMN LEAVES TAKE 1
3. 枯葉 AUTUMN LEAVES TAKE 2
4. ウィッチクラフト WITCHCRAFT
5. ホエン・アイ・フォール・イン・ラブ WHEN I FALL IN LOVE
6. ペリズ・スコープ PERI'S SCOPE
7. 恋とは何でしょう WHAT IS THIS THING CALLED LOVE?
8. スプリング・イズ・ヒア SPRING IS HERE
9. いつか王子様が SOME DAY MY PRINCE WILL COME
10. ブルー・イン・グリーン BLUE IN GREEN

知性と抒情が巧まず融合するビル・エバンスのピアノは日本でも多くのファンを持っている。このアルバムは、天才的ベーシストのスコット・ラファロを迎えての最初のトリオ・アルバム。なじみ深いスタンダード・ナンバーを素材に、三位一体となった極上の演奏は、ピアノトリオの醍醐味を満喫できます。

枯葉 AUTUMN LEAVES 英詩:ジョニー・マーサー 曲:ジョセフ・コスマ
この原曲は、第2次世界大戦後の最高傑作シャンソンといわれる「枯葉」だ。世界各国それぞれの国の言葉で歌われているが、特にジョニー・マーサーが書いた英語詩はすぐれており、世界の人々に親しまれている。
この「枯葉」は、最初シャンソンではなかった。45年6月にパリのサラ・ベルナール座で上演されたローラン・プチのバレー「ランデ・ブー」の2人踊りのために、コスマが作曲した小品だった。翌46年、マルセル・カルネ監督の映画「夜の門」が作られたとき、台本担当の詩人ジャック・プレヴェールが歌詞を書いて「レ・フィユ・モルト(枯葉)」というシャンソンになり、主演した当時の新人イヴ・モンタンが映画の中で少し歌った。その後様々な人々が歌い続け大ヒットした。


The falling leaves drift by the window
The autumn leaves of red and gold
I see your lips,the summer kisses
The sunburnt hands I used to hold

Since you went away,the days grow long
And soon I'll hear old winter's songs
But I miss ypu most of all, my darling
When the autumn leaves start to fall


 いつか王寺様が ウオルト・ディズニーの映画「白雪姫」の中で白雪姫が7人の小人に歌って聴かせるナンバー


☆ジャズ・ジャイアント☆ その1 ビル・エバンス −白人ジャズの道を開拓したクリエイティブなピアニスト−[先頭へ]

ビル・エバンスは、1954年軍隊をでたあとトニー・スコット・コンボなどを通じて、次第に頭角を現してきた白人ピアニストである。最初はバド・パウエルの影響を感じさせる新人であったが、徐々にスタイルは白人的な知性を秘めたものに変わっていった。時あたかもウエスト・コーストの白人クール・ジャズが衰えをみせ、かわってイーストの黒人ジャズが、黒人らしさをもろに打ち出した「ファンキー」を演じはじめた頃であり、ビル・エバンスの非ファンキー型は白人スタイルは、時勢に逆らったものであったが、それだけに一層際立った存在となった。1958年以降エバンスは、レッド・ガーランドの跡釜としてウイントン・ケリーの正式入団が決まるまで、マイルス・デイヴィス・セクステットに在団した。1959年春の傑作「カインド・オブ・ブルー」は、ジャズ界にフリー路線とは別のモード路線を決定づけた史上の名盤であり、エバンスのピアノも印象的である。
 ジョン・メーガンがエバンスとの対話で、「ピーターソンやシルヴァーの演奏に見るタイム感覚は、いわば”写実タイム”だ。君のタイム感覚は、絵画にたとえるなら、近代派・・・その違いはコローとセザンヌに匹敵するね」といったのは至言である。
 ビル・エバンスはこういっている。
「我々は自分自身に忠実でありたい。ゴスペル音楽がどんなに受けても、僕が演奏する気になれないのは、僕のものでないからだ。聴くのは好きだし、影響を受けていないとはいわない。だが進んでやる気にならないのは、それが僕の人生経験にないものだからだ。」
 1959年、本の数年ではあったが、エバンスはすばらしい共演者を得た。ベースのスコット・ラファロ(1936〜61)である。ビル・エバンスのリーダー・アルバムの最高傑作というと、ほとんどすべての人がこの2人の共演作を上げている。
 彼の実力が全面的に発揮されるのはピアノ・トリオにおいてである。それまでのピアノ・トリオが、どちらかというと主人公のピアニストに、サイドメンとしてのベース、ドラムスが従っていく趣きがあったのに比べ、エバンスのトリオは三者が対等な立場で音楽を形作っていった。特に天才ベーシストといわれたスコット・ラファロが加わったトリオでは、ミュージシャン同士が互いの演奏によって刺激を受け、優れた即興演奏を展開する。”インタープレイ”というアイディアが強く打ち出される。59年から61年にかけて、リバーサイドに吹き込まれたわずか4枚のエバンス=ラファエロ共演作は、ファンに支持されるとともに、以後のピアノ・トリオのあり方に決定的な影響を及ぼした。
 今日話題を呼んでいるキース・ジャレットのスタンダード・トリオも、このエバンス・トリオのスタイルに源流を求めることができる。激動の60年代、そしてフュージョン全盛の70年代をほぼ一貫して自己のスタイルを守り通したエバンスは、80年代に惜しくもなくなったが、彼が残したアイディアは今日でも生きている。

主なCD
ワルツ・フォー・デビー 1961年
6月
B.エバンス(P),S.ラファロ(B),P.モチアン(DS)
マイ・フーリッシュ・ハート/ワルツ・フォー・デビー/
デトゥアー・アヘッド/マイ・ロマンス/サム・アザー・タイム/マイルストーンズ
Riverside
アンダーカレント 1962年 B.エバンス(P),J.ホール(G)
マイ・ファニー・バレンタイン/アイ・ヒア・ア・ラプソディ/
ドリーム・ジプシー/ローメイン/スケーティン・イン・セントラルパーク/ダーン・ザット・ドリーム/
United Artist
モントルー・ジャズフェスティバルのビル・エバンス 1968年
6月
B.エバンス(P),E.ゴメス(B),J.ディジョネット(DS)
イントロダクション/ア・スリーピング・ビー/伯爵の母/
ナーディス/愛するポーギー/あなたの口づけ/エンブレイサブル・ユー/いつか王子様が/ウオーキン・アップ/クワイエット・ナウ/
Verve


参考文献
モダン・ジャズの世界 岩波 洋三
ジャズ ベストレコードコレクション 油井 正一
ジャズCD ベストセレクション 油井 正一
ジャズ・スタンダード100 青木 啓他
ジャズ・ピアノ ベストレコードコレクション 油井 正一