心にしみる言葉

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日 付 表題 内 容 等
島育ち

「赤い蘇鉄の実も熟れる頃・・・」と南国情緒豊かなメロディーで全国に流行した「島育ち」の作詞・作曲者の記念碑が名瀬市の赤崎公園に昭和39年6月建てられました。
1.赤い蘇鉄の実も熟れる頃 加那も年頃 加那も年頃 大島育ち
2.朝は北風(ニシカゼ) 夜は南風 沖の立神や 沖の立神や また片瀬波
3.黒潮(クルシュ)黒髪 女子身(ウナグミ)の哀しや 思い真胸に 思い真胸に 織る島つむぎ
4.夜業(ヨナベ)ヲサヲサ 織るヲサの音 せめて通わそ せめて通わそ この胸そえて
6/18 (『世界人権宣言』前文より)   人間社会のすべての構成員がもつ固有の尊厳と、平等で奪うことのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義および平和の基礎である。
 人権の無視と軽侮とは、人類の良心をふみにじる野蛮行為を生じさせる。そして、人類が言論および信仰の自由と恐怖およぴ欠乏からの自由とを享有すぺき世界の出現は、一般の人びとの最高の願望として宣言されている。

(『世界人権宣言』前文より) 国際連合
4/27 古今和歌集より 人はいさ 心も知らず ふる里は 花ぞむかしの 香ににほひける
(紀 貫 之)
さつきまつ はなたち花の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする
(読人しらず)
秋来ぬと 眼にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる
(藤原敏行)
うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき
(小野小町〕
4/24 ウェーバーの言葉  一世紀にわたる政治教育のおくれは、十年でとりかえせるものではない。偉人の支配はかならずしも、政治教育の手段ではないのである。(国民国家と国民経済政策)
 政治的に成熟した国民のみが、自主的な国民である。……自主的な国民のみが、世界発展という車の輻に手をかける使命をもつ。この資質をもたない国民がこれをこころみても、他の国民の確実な本能がこれにたいして反抗するだけてなくて、国内的にもこの国民はこの試みにおいて挫折する。(新体制ドイツの議会と政府)
ウェーバー(ドイツの経済学者、社会学者。ブルジョワ社会科学の完成者)
4/21 (非攻篇)   墨子  一人を殺せば、不義の行為として、かならず死罪にされる。この論法でゆくと、十人を殺すものは、十不義を重ねたのであり、十倍の死罪にしなければならず、百人を殺すものは、百不義を重ねたのであり、百倍の死罪にしなければならない。ここまでは天下の君子の誰もがわきまえている。
しかし、大きく不義を犯してひとの国を攻めると、非難しないで、名誉とし、正義とする。それが不義であることを全然ご存じない。それ故に私はこの書物を書いて後の者に残す。天下の君子は、義と不義の乱れを見わけなければならないものである。
(非攻篇)   墨 子(先秦の孟子より少し前の思想家)
4/20 三十四歳ごろの言葉  僕には、死んでゆくことは少しもこわくない。いや、いま自然に死んでゆけるのだったら、どんなにうれしいか、とまで思っている。だが、僕もこうして人間に生まれて来たんだから、やはり、何か生きがいが感じられるまで生きている義務はあると思う。
自分の生きてゆく目あては、自分の名前を、われわれの時代の出来事に結びつけることである。この世の中にいっしょに生きている人びとにとって、なにか有益なことに、自分の名前をつなぎつけることである。(三十四歳ごろの言葉)
リンカーン(アメリカ第十六代大統頒)
4/17 エスペラント(希望するもの)語 一人の人間の作品というものは、たとえその人が私などよりよほど学問のある天才的な人であっても、誤りがないというわけにはいかないことを私はよく知っています。だから、私はまだ私の言語に最後的形体を与えてはいないのです。私は「さあ、ここに言語が作られ、でき上っている。私はこうしたい、こうでなければならぬ、いつまでもこうでなければならぬ」などとは申しません。すべての良くすべきところは世の助言にしたがい良くしていきましょう。私はこの言語の作り主ではなく、たんなる提案者でありたいと思うのです。
 ザメンホフ(ポーランドの言語学者。国際語エスペラントを考案し、普及させた。エスペラントとは「希望するもの」の意である。)
4/16 石川啄木 4月13日は石川啄木の命日です
 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる 
 頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず 
 いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ 
 たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
 いと暗き 穴に心を吸はれゆくごとく思いて つかれて眠る 
 はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
4/13 私たちは、人間の四つの基本的由由にもとづく世界をまちのぞむ 第一は、世界の至るところでの言論・表現の自由だ。
第二は、世界の至るところで、各人が彼自身のやり方で神を崇拝する自由だ。
第三は、欠乏からの自由だ。これを国際的関係に反訳すれば、世界の至るところで、各国民にその住民の健康で平和の生活を確保してやる経済的了解を意味する。
第四は、恐怖からの自由だ。これを国際的関係に反訳すれば、いかなる国民もその隣人に対する物理的侵略をおかしえないような程度と徹底さとをもって、世界的軍縮をおこなうことである−−世界の至るところで。 
 ルーズヴェルト(アメリカ第32代大統領)
4/12 まさに酒を進めん 君見ずや 黄河の水 天上より来り奔流し海に到つて また廻らざるを君見ずや 高堂の明鏡 白髪を悲しむを朝には青糸の如きも 暮には雪を成す人生意を得なばすぺからく歓を尽すべし金樽をして空しく月に対せしむるなかれ天の我が材を生ずる 必ず用有ればなり千金散じ尽せば還た復た来らん羊を煮 牛を宰りて 且く楽しみをなせ会ず須らく一飲三百杯なるぺし 李 白(杜甫とともに唐代を代表する詩人)
4/11 インドの発見 一切の国々に赴け。そしてこの福音を説け。貧しきもの卑しきものも、富めるもの位高きものも、すぺて一なることを、すぺての種姓(カースト)はこの教えのなかに統合せらるることを、人に告げよ。
 勝利は憎悪をはぐくむ。被征服者は不幸であるから。 戦いにおいて、一人が千人に打勝つこともある。しかし自己に打勝つ者こそ、最も偉大なる勝利者である。
 (ネルー『インドの発見』)
4/10 大菩薩峠 何かわれわれに窮屈を感ぜしめるものは、偉大なものじゃありません。……感激というものは、その偉大なものが、ある隙間からほとばしった時に、はじめてわれわれに伝わるので、偉大そのものの方からいえば、むしろ破綻に過ぎないと思います。たとえばです、この平々凡々たる大海のある部分に波が立つとか、巌に砕けるとかした時に、人は壮快を感じたり、恐怖を感じたりして、はじめて威力に感激するのですが、こうして無事に相接している時は、いま君のいったように、海が全く他人ではないのです。……平々淡々たる親しみを感ずるところに、海の本色と、その偉大さがあるといってもいい。(大菩薩峠)
中里介山(4/4農家に生まれた文学者。電話交換手、教員、記者をしながら、長篇小説『大菩薩峠』を自ら印刷して出版、広く国民に愛読された。) 
4/4 アメリカ独立宣言  すべての人間は平等に創造されている。彼らはその創造主によって固有のうばうぺからざる権利を与えられている。これらの権利のうちに生命、自由、幸福の追求がふくまれている。これらの権利を確保するために政府が人間のあいだに設立され、その正当な権限は被治者の合意に由来するものである。いかなる形式の政府にせよ、これらの目的を破壊するに至ると、その政府を変更または廃止し、人民の幸福をもっとも実現しそうな原則に基礎をおき、またそのような形式に権力を組繊する新政府を設立するのは、人民の権利である。
 ジェファソン(4/1アメリカ独立宣言の主な起草者。第三代大統領。)
4/3 最後の日記より 余はこの旅行にいささかもくゆるところなし。われらはイギリス人が困難を克服し、相協力して、いまだかつてなき不抜の精神をもちて死に臨みたることを実証したるなり。われらは危険を敢てせり。われらはその危険なることを承知しいたり。ただ事情がわれらに組せざりしなり。さればわれらは何ら不満の意を表すぺきいわれなし。ただ神の御心に頭を垂るるのみ。しかしなお最後まで最善をつくさんと決意しおれり。われらは進んで探検のことに命をささぐるものなりとはいえ、そはわれらの祖国の名誉のためにして、余は祖国の人々に、われらに頼りいたる家族の身の上を援護したまわんことを懇請す。   (最後の日記より)
スコット(3/29南施大陸の氷原上で死んだ。イギリス探検隊をひきいて南極点に到達したが、アムンゼンにおくれ、帰路荒天に会い遣難した。)
3/30 私の大学 私は月を好まない。月のなかには、なにか不吉なものがあり、そしてそれは犬においてと同じように、私にも悲哀を痛々しくほえてみたい、という欲望をよびおこす。月は自分の光でかがやいているのではなく、死んでいて、そこには生活はないし、またありえない、ということを知ったとき、私は大へんうれしかった。  (私の大学)
 私は書物のなかで、私がかつて生活のなかで開いたことのないような、思想に出会 うことは稀れであった。  ( 同  )
ゴーリキー(3/28ロシアのニジニ・ノヴゴロドに生まれる。小学校中退、あ
らゆる職業をへて、社会主義リアリズムの創始者となる。)
3/28 芭蕉の俳句  芭  蕉(元禄2年3月27日、奥の細道の旅へ出立した)
五月雨をあつめて早し最上川
一つ家に遊女も寝たり萩と月
草臥(くたび)れて宿かる比(ころ)や藤の花
菊の香や奈良には古き仏達
何でこの師走の街にゆく烏
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
3/27 ベートーヴェンの言葉   もしも美しいまつ毛の下に、涙がふくらみたまるならば、それがあふれ出ないように、つよい勇気をもってこらえよ。通る小道が、あるいは高くなり、あるいは低くなり、正しい道の見きわめがたいこの世のお前の旅路において、お前の歩みはたしかに坦坦たるものではなかろうが、しかし徳の力は、つねに正しい方向へお前を前進せしめるだろう。(手 記)
 つねに行為の動機のみを重んじて、帰着する結果を思うな。報酬への期待を行為のバネとする人々の一人となるな。(手 記)
べ−トーヴェン( 3/26ウィーンで死ぬ。苦しい境遇、さらには失聴という困難にも屈せず、数多くの不朽の名曲を残した。)
3/26 モリスの言葉  適当な秩序のある社会では、労働する意志のあるすぺての人々には、次のことが確保されねばならぬ。第一、恥しくない適切な仕事。第二、健康にして美しい住宅。第三、心身の休息のための十分な余暇。
……みなさんに考えていただきたいのだが、一方においてこの要求をみたすことが可能であると同じく、他方、現在の金権制度の下ではこれをみたすことは不可能なのだ。この金権制度はわれわれがこの要求を満足させようとするあらゆるまじめな努力を禁止する。
それで社会革命の開始ということが、民衆の芸術すなわち人生の快楽の再建の基礎とならざるをえなくなる。(芸術と社会主義)
モリス(3/24に生まれたイギリスの文学者、工芸美術家。美をまもるための民衆教育を目標にした。主著 『ユートピア便り』)
3/24 スタンダールの言葉 女性の思想は、本にもとづくものではなく(幸いなことに彼女らはほとんど読書しないからだ)、事物の自然から学びとったものだから、この両性の平等ということが、イタリア人の頭脳に良識のおどろくべき分量を導入することとなった。
よそではまだ一々論証せねばならぬような行動原理で、ローマでは定理として採用されるものを、私は百も知っている。
女性に完全な平等を許すことは、文明を見わける一ばん確かな目じるしであろう。そのことは人類の知力と、その幸福の可能性を二倍にすることであろう。  (ローマ、ナポリ、フィレンツェ)
スタンダール(3/23パリに死んだフランスの文学者。強烈な個我とするどい眼をもって、リアリズムの最高作品『赤と黒』『パルムの僧院』を生んだ。)
3/23 ゲーテの言葉 神は、思案なんぞ一切やめにして、一緒に世間へまっしぐらに飛び出しましょう。敢えていいますがね、冥想なんかする奴は、枯れた草原のうえを悪魔にとりつかれてぐるぐる引廻される動物みたいなものです。その周りには美しい緑の牧揚があるのに。(ファウスト)
支配したり服従したりしないで、それでいて、何ものかであり得る人間だけが、ほんとに幸福であり、偉大なのだ。(ゲッツ)
ゲーテ(3/22に死んだドイツ最大の文学者、また自然科学者。古典主義の代表的作家。主著『若きヴェルテルの悩み』、『ファウスト』)
3/22 「職業の自由と働く権利の確立を最初に要請した言葉」 神は、人間に欲望を与えることによって、また人間に労働の手段を必要とさせることによって、労働する権利をすべての人間のもちものとした。
このもちものこそは、あらゆる財産のうち第一番の、最も神聖な、不滅のものである
われわれは、人類のこの譲り渡しえない権利に加えられるあらゆる攻撃から臣民を解放することが、われわれの正義の第一次的な義務であり、またわれわれの善意にもっともかなう行為であると考える。(同業組合禁止の勅令・前文)
チュルゴー(3/20死んだフランスの政治家。大革命前の大蔵大臣として自由主義的改革を行なった。重農主義に立つ当時最高の理論家で、経済学の創始者の一人)
3/21 「人為で・・・」  人為で天下を治めようとするのは、海や河を歩いて渡ろうとし、蚊に山を負わせようとするものである。聖人は自然を尊ぶ。あの空を飛ぶ鳥、地を走るネズミを見るがよい。教えられなくとも、鳥は高く飛んで矢の危害から身をまもるし、ネズミは床下に深くもぐつてかり出されないょうにする。鳥やけものでさえも、このように生まれながらの知恵を持っている。まして人間の知恵が鳥やけものに及ばないはずはない。民は自然のままに放任するのが一番よいのである。聖人はこの放任と自由をしっかりとつかんでゆく。(応帝王篇荘子(名は周。西暦前四世紀のころ、孟子と同時代の思想家。対立を超えた渾沌無為の世界に生きるべきことを、すぐれた寓話をもって説いた。)
3/19 「まずやってみる」  人は極端に何かをやれば、必ず好きになるという性質を持っています。好きにならぬのがむしろ不思議です。  岡 潔(数学者)
3/16 「小さくてささやかなもの」  私は年をとるにつれて、幸福の反対を不孝だとは思わなくなった。幸福の反対は怠惰というものではなかろうか。自分を不孝だと感じるとき、自分は怠惰なのではあるまいかと考えるようになった。そして幸福があるとすれば、夢のごときものでなく、現実にひそむごとく小さな、ささやかな、自分でも気づかないほど目だたぬものではあるまいかと考えるようになった。ことによると我々が不幸と思っていることのうちにさえ幸福があるのではなかろうか。真の幸福はそれを自覚しないのではなかろうか。 亀井勝一郎「恋愛・自然・人生」
3/15 「晩年に思う」   われわれをして現在あらしめているものは、伝統の強い影響力です。・・・伝統を軽べつすることはバカげているでしょう。しかし、人間的諸関係がつねに改善されるべきものでありとすれば、われわれの自意織や知性が成長するにつれて、われわれは伝統を制御し、それにたいして批判的な態度をとりはじめねばなりません。受けいれられている伝統の中で、なにがわれわれの運命と尊厳にとって有益であるか、われわれはこれを知ることにつとめるべきで、それにしたがって、お互いの生活を形成してゆかねばなりません。
 アインシュタイン(3/14 ドイツのウルムに生まれた。相対性理論論によって世界の物理学を変革した最高の理論物理学者。1921年ノーペル賞を受賞。熱心な平和主義者)
3/14 「自由への代償」  自由を得るためなら何でもやるぞと敵に知らせるのだ。そうすればそれが手に入るだろう。これこそ、自由を得るただ一つの方法である。
 諸君の権利を奪おうとする人間と友だちになろうと走りまわることはない。奴らは友だちではない。それどころか敵なのだ。敵なら敵らしく対決しよう。奴らと闘うのだ。そうしてはじめて自由が得られる。諸君が自由を手にすれば、敵は諸君を尊敬するだろう。そして、われわれもまた諸君を尊敬しよう。      大杉 栄
3/13 「孤独からの逃走」  もしご自分の日常が貧しいものに見えるならば、その日常を非難しないで、ご自分を非難しなさい。自分は十分な詩人ではないから、日常の豊かさを呼びだすことができないのだ、と自白しなさい。創造する人にとっては、貧しさというものも、貧しくてどうでもいいというような場所もないものだからです。よしんばあなたが牢獄につながれていて、牢獄の壁が世の中のざわめきをすこしもあなたの五官に伝えないとしても−それでもあなたにはやはりあなたの幼年時代という、この貴重な、王者のような富、この思い出の宝庫があるではありませんか。そこへあなたの注意をお向けなさい。このはるかな過去の沈んだ感動を浮きあがらせるようにお努めなさい。そうすれば、あなたの個性は強くなるでしょう。あなたの孤独は広くなり、次第にあかるくなる住まいになって、他の人々のたてる騒音はその住まいの遠くを通りすぎることになるでしょう。  リルケ「若き詩人への手紙」
3/10 「体験が真実を生む」  「世の中に自分でためして見ないで判る事なんかないぜ。音楽は一つの体験だ。予想じゃない。頭の中で新しいコードを考えてるだけで、良い演奏家といえるかね? 君はためしてみるべきだよ。その上で無意味だと思えば、それが真実だ。仮定ばかりの上に自分の思想や、音楽を組みたてようたって無駄だと思うな」
3/9 「辛抱こそ仕事」 私は後輩たちによく「楽な仕事というものは仕事ではない」と言っている。若く、馴れないときに辛いと思うのは、むだな働きをしているからで、それは馴れるに従ってむだなことはしなくてもいいように分かってくるものなのである。私は若い人たちに次のようなことを言う。「十代、二十代は走るように、三十代になったら歩いていて役目が果たせるように、四十代になったらすわっていて、五十代になったら横になっていて自分が楽に仕事ができるように、これが人生の幸せじゃないだろうか」と。だから家の倅たちにも、「しんどい」と口にすれば「まだ一人前になっていない証拠だ」と言ってやる。
 「辛い」と口にすれば「辛いのが仕事だ」と言う。「給料が安い」といえば、「一生のうちに、もらっている給料に対して申しわけないようなことだけはするな」とおしえている。
 ともかく、他に頼り自ら努力する意志のないことほど、頼りなく、情けないことはない。草木でさえ美しい花を咲かせるではないか。    稲垣 浩
3/8 「明日がある・・・」  忍苦とは、晴れ晴れとした日の予感を抱き、現在をその日のための、どうしても歩まねばならぬ当然の道として、黙って進むことである。  串田孫一
3/6 「よろこぴを発見する知恵」  秋田県へ来て二度目の冬を見送った。わが家は商店から二キロ近くはなれているので、秋は今年も冬中、土曜日ごとに仕事が終わるとせっせと買い出しにかよったものだ。
 家一軒見当たらない道を、目もあけられないような吹雪に向かって、歩いたこともある。一週間分の食糧とか雑貨は、女ひとりの手で運ぶには随分重い。吹雪にふきつけられて歩きながら「なんで私は、こんなことをしなければならないのか」と、のんきだった娘時代がなつかしくなった。しかし、くたびれて、ほっと一息ついて、自分の雪を踏む足音がとだえたとき、風音がとだえ、静まりかえった雪原に、かすかな水の音が聞えたことがあった。
 雪の下を流れ出した、川の音なのだ。ほんのわずかだが、春の訪れが感じられ、うれしくなり、また先を急いだことだった。「どんなときでも、自分の心次第で楽しいこと、美しいことが発見できる」 といって、たきぎを拾いながら、短歌を作ったりした母のように、自分もいつか吹雪の中に、春の音を聞き、美しい山々に見とれて、ひとり楽しむようになったのは、自分にとって大へん幸せなことだと、その吹雪の日の思い出を暖めている。   新聞投書欄より
3/5 「限りなき闘い」  「ふだんは、ただうねったり、波が立ったりしてる海を見ただけじゃあ、別に海ん中の魚の闘いは感じられねえっぺ。だっけんが、今日みてえに海から飛びだす飛魚を見ると、この海ん中じゃあ、魚が追いつ追われつしてるって、実感できるだっぺさ。おらがたち人間社会も一見平凡に見えるっけんが、実はいろんな争いが渦巻いてて、今のおらがと同じように苦しんでる人も、多勢いるに違いねえ−」        近藤啓太郎「海」
3/2 「三・一朝鮮独立運動」(1919)  われわれは、ここにわが朝鮮の独立と、朝鮮人民の自由民たることを宣言する。これをもって世界万邦につげ、人類平等の大義を明らかにし、かつこれを子孫におしえ、民族独立を天賦の権利として永遠に保持させるものである。われわれの背後にある五千年の歴史の権威によってこれを宣言し、二千万民衆の忠誠を合してこれを宜明し、恒久にかわることなき民族の自由な発展のためにこれを主張し、人類良心の発露にもとづく、世界改造の一大機運に順応し、これとともにすすまんがためにこれをなすのである。(設立宣言書の冒頭の一節)
3/1京城で独立宣言が発表された。五〇万人の大示威行進が行われ、これより朝鮮全土に独立運動が拡がり、解放運動史上の画期的な日となった。
今日、日本では中学校の歴史・公民教科書の検定において、看過できない一つの方向が見られています。情報を精査しよく考えてみる必要があるようです。
関係サイト 朝日新聞歴史教科書問題
3/1 「怒りのブドウより」  辛抱しなきゃいけないょ。だって、トム−あたしたち〔貧しいもの〕は、みんながいなくなっても生きつづける人間なんだもの。だって、トムや、あたしたちは生きつづけるんだもの。奴ら〔金持たち〕が、あたしたちを根だやしできるもんかね。だって、あたしたちは人間だもの−生きつづけるんだもの。・・・金持は出世して死んじまうと、その子供たちがダメなもんだから、それで死に絶えるのさ。だけど、あたちたちはね、トム、あとからあとから生まれてくるんだよ。ちっともこわがることはないょ。トム、世の中は変りかけているんだからね。     (怒りのブドウ)
 スタインベック 2月27日に生まれたアメリカの小説家。大学中退後、別荘番や記者などの職を転々としつつ、社会的視野のひろい小説を多くかいた。『月は沈みぬ』
2/27 「米国独立宣言・・・」 アメリカ人民が自由人となるか、それとも奴隷となるかを、そしてまたアメリカ人民が、自分自身のものと呼びうる財産をもちうるかを、おそらく決定すべき時がいま目前にせまっている。・・・これから生まれてくる幾百万の人びとの運命が、神の加護のもと、いまこの一軍の勇気と行動とにかかっている。残酷かつ無慈悲な敵軍に直面して、われわれの選ぶべき道は、勇敢な抵抗のみであり、しからずんばもっとも卑しい屈従しかない。ゆえにわれわれは、勝利かそれとも死か、と決意せねばならない。
(独立宣言直後ロング・アイランドの戦闘を前にしての軍への布告)
 ワシントン 1732〜1799 2月22日アメリカのヴァージニアに生まる。軍総司令官として独立戦争を指導して勝利を得、のち合衆国成立にあたり初代大統領となった。
2/26 「人間という称号」  このころの官吏は、外交官とか大臣とかいう称号と交換に人間という称号を失っている。われわれは官僚的雰囲気のなかに呼吸しているのです。・・・人間が偉大だからというのではなく、そのボタン穴につけている勲章の数によって評判が高まるという有様です。
 イギリス国民が世界で最もすぐれた作家を生みだした大きな理由の一つは、イギリスの社会が生前に作家を虐待し、死後に作家を育成したからです。これら作家は、一般にふみにじられて人生の脇道に追いやられ、社会の苦難をなめてき たのです。  (書簡集)
 2/23イタリヤで客死 したイギリス・ロマン 派の代表的詩人キーツ。生前 は不遇であったが、死 後その評価は高まった。 『エンディミオン』
2/23 「闇があるから光がある。」   「闇があるから光がある。」そして闇から出てきた人こそ、一番本当に光の有難さが分るんだ。世の中は幸福ばかりで満ちているものではないんだ。不幸というのが片方にあるから、幸福ってものがある。そこを忘れないでくれ。だから俺たちが本当にいい生活をしようと思うなら、うんと苦しいことを味ってみなければならない。
 滝ちゃん〔恋人・娼婦〕たちはイヤな生活をしている。しかし、それでも決して将釆の明るい生活を目当てにすることを忘れないようにねえ。そして苦しいこともそのためだ、と我慢をしてくれ  小林 多喜ニ  2/20は作家 小林多喜二 の命日
2/20 「失敗の効用」   諸君は必ず失敗する。ずいぶん失敗する。成功があるかも知れませぬけれ ども、成功より失敗が多い。
 失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たなければならぬ。
 たびたび失敗すると、そこで大切な経験を得る。この経験によって、もって成功を期さなければならぬのである。         大隈重信
2/19 「平凡からの脱出」  「オレは富士山のテッペンからまっすぐすべるんだぞ」と大見得を切ってしまったりした。しかし、これはスキーに生きようとする男にとっては、この上もない花道だ。日本一の富士のお山のテッペンから、ある晴れた日一人のスキーヤーがまっすぐすべる、そしてポッカリ開いた真紅のパラシュート、これはいささか少年雑誌じみた発想だが、やる方にとってはなんとも命がけの大事業である。
 といっても誰から頼まれたわけでもない。自分で買って出た仕事だ。おれは日本のスキーのガキ大将だ、そう思ってスカツと一本、きれいなシュプールを富士山に描いて世界のスキーヤーをあっといわせよう。
  三浦雄一郎「富士山を直滑降で」
2/16 「自信を与えてくれた人」  あれは今から二十年も前、私が二十二歳のときです。私は数寄屋橋で風景画を描いていました。ええ、まだ数寄屋橋の下にはチャンと川が流れていたころです。私の描いた油絵を、大勢の人が見て通るんですが一人だけ、三十分も一時間もそばで見ている人がありました。そして最後に私の住所と氏名をきいたんです。そのときはそれっきりでしたが、五年前にその人から手紙をもらいました。
 「あなたは忘れているかもしれないが、私はあのとき住所をたずねたものです。あのときとてもあなたの絵がほしかったのだが買えなかった。こんどようやく家を新築したので、ぜひあのときの絵を売っていただきたい」そういう内容でした。その頃のぼくの絵なんか売れっこありません。その絵はチャンとぼくの手もとにあったんです。しかも、何度もぼくは住所を変わったんで、その人は苦労して見つけてくれたに違いない。ぼくは感激しましたね。さっそくその人といっしょに〃ガクプチ〃を買いにいったりしました。                                          鈴木義司
2/15 「人生は繰り返しではない」  草は種からはえて大きくなって、花が咲いて実ができたら枯れてしまう。
またその実から芽を出して、繰り返し繰り返しやっておりますが、これはまったく同じことを繰り返しているのではなくて、こうしているうちに少しずつ、なぜか知りませんが、進化している。この草の一年に相当するのが人の二十億年で、これを繰り返してやっておれば、しまいにはこの線が越えられるかも知れない。木馬にたとえますと、飛びそこなってはまた助走をつけて走りなおし、また失敗してはやりなおしているうちに、だんだん上手になって、とうとう木馬が飛び越えられるというふうになる。
               岡 潔 小林秀雄氏との対話「人間の建設」 
2/14 「砂漠がきらきら光るのは」  「砂漠は美しいな・・・」と王子さまはつづいていいました。
 まったくそのとおりでした。ぼくは、いつも砂漠がすきでした。砂山の上に腰をおろす。なんにも見えません。なんにもきこえません。だけど、なにかがひっそりと光っているのです・・・。
 「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ・・・」と、王子さまがいいました。とつぜん、ぼくは、砂がそんなふうに、ふしぎに光るわけがわかっておどろきました。  サン・テグジュペリ「星の王子さま」
2/13 「人生の均術」 幸福はきわめて高い、とても得難い徳です。しかし排他的であっては駄目です。誤謬はいつも排他から生ずる、とパスカルは言っています。単に幸福だけを求めると結局安易になる。単に不幸だけを耕すと自己満足に陥る。どちらの場合にも切下げがあります。ギリシャ人は闇の部分と光の部分とがあることを知っていました。今日私たちはもはや闇しか見ません。、だから絶望することを望まない人々のなすべきことは、光を、生の真昼を呼び返すことです。しかしこれは最終の到着点ではなく、ともかく目指さなければならないのは、完成ではなく、均衡と熟練です。
 アルベール・カミユ
2/12 「幸福への階段」  人間はこの世で何の目標もなく、無為に日を送っているのではありません。もし自分の仕事によって、まわりのすべてがよりよくなるならば、人間にとってこれ以上の成功はありません。ですから、幸福というものは、ひとりきりでは決して味わえないものです アルプーゾフ「イルクーツク物語」
2/10 「自分自身を発見するとき」 人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し救わなければならぬ。(坂口安吾)堕落論より
2/9 「上手に堪えていく」 人生とは忍耐だといって良いかもしれない。ただ上手に堪える人が少ない。のである。上手に堪えるということは、この苦しさのうちに人間をみる眼、自分を凝視する眼を養うということである。(亀井勝一郎)
2/7 自由について 自由、特に社会的孤独によってあがなわねばならぬ自由、つまり各人が別々になって、現金勘定以外には「互いに関係を持たぬ」自由、こうした自由は古来地球上にめったに見られなかったものであり−諸君がいかに推奨しても地球がながく我慢できないところのものである。この自由はすべての人に謳歌されながらも、ながく存在せぬうちに、幾百万の労働者にとっては食物の欠乏のために死ぬ自由であることが分かり、怠惰な幾千人ないし幾人の人にとっては、気の毒にも、仕事なして生存する、つまりこの神の世界で為すべき真面目な務めをもはやもたぬという、さらにいっそう不吉な自由であることが分かる。(カーライル)過去と現在より
2/5 「まず隣の豆腐屋から・・・」  政府から、君が国家に尽くした功労をほめるようにしなければならぬというから、私は自分の説を主張して、「ほめるのほめられぬのと全体ソリャ何のことだ、人間が人間当たり前の仕事をしているに何も不思議はない。車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐をこしらえて、書生は書を読む。というのは人間当たり前の仕事をしているのだ。その仕事をしているのを政府がほめるというなら、まず隣の豆腐屋からほめてもらわねばならぬ。ソンナ事は一切よしなさい。」といって断ったことがある。
(福沢諭吉−福翁自伝より)
2/3 「生き甲斐を感じる」 僕には死んでいくことは少しも怖くはない。いや、いま自然に死んでゆけるのだったら、どんなにうれしいか、とまで思っている。だが、僕もこうして人間に生まれてきたんだから、やはり、何か生き甲斐が感じられるまで生きている義務はあると思う。(リンカーン)
1/19 「長生きの薬・・・」 何もせずにじっとしておれば、一日が二日みたいな気になるものだ。もし一生涯を全部こんな気分に切りかえることができれば、七十まで生きたとしても、それは百四十才の寿を得たことになる。こんな素晴らしい長生きの薬は、滅多にあるものではない。副作用もなければ、金もかからぬ。人間誰でも、この処方を供えておるのに、困ったことには、よい白湯(さゆ)がないために、せっかくの薬が飲めぬという始末だ。  蘇東坡(中国の宋代の文豪)ふざけたような言葉ながら、深い感慨が込められている。
2000年バックナンバー
9/14 「フー・アー・ユー?」  この夏、日本中に広まった笑い話がある。沖縄でのことだ。森首相がクリントン大統領と会談する際。挨拶は「ハウ・アー・ユー?」と「ミー・トゥー」とだけいえばいいとレクチャーされていたが、首相は間違って「フー・アー・ユー?」といってしまった。ユーモアを解する大統領は、「アイム・ヒラリーズ・ハズバンド」と返したが、首相は教えられたまま。「ミー・トゥー」と答えた。真偽は不明だが・・・
(プレジデント2000_9_18より)
9/15 「本について」  「本を読んでいて、むつかしいところにぶつかっても、私はやきもきしたりはしない。一突き二突き、あとはほっておく。
 いつまでも立ち止まっていると、頭がぼんやりする、時間がきえる。私は速戦即決の精神なのだ。一突きで解らぬ事は、執着すればいよいよ解らなくなる。私は快活な気分でなければ何一つやらない。根をつめたり、あまり緊張すると、私の判断はくもり、悲しくなり、疲れる。視力がみだれ、とまどう。・・・この本かいやになれば、あの本を取り、何をするのもじゃまくさいときしか本に熱中したりしない。」 モンテーニュ 「エッセー」2−10 より
9/16 「勇気」 映画「ライムライト」で、膝をくじいて自殺を図った踊り子のクレヤ・ブルームを励まして、道化師のチャップリンがいう。
「人生は生きるに値する。どんなことがあってもだ。それには3つのことが必要だ。」
一.勇気 一.希望 1.そして、サムマネー(いささかの蓄え) 
9/18 「時間の使い方」 「神は万人にひとしく24時間という時間を与え給うた。富める者にも、貧しき者にもである。過ぎ去ったきのうの24時間は、もはや手にすることはできない。あすの24時間はまだ手にしていない。いま、手にしているきょうの24時間を、どう有効に使うか。人生の勝負はここにある。」
 きょうの24時間をどう使うか?それをきょう決めたのでは遅い。前の晩。寝る前に、あすの予定をノーとなり、手帳なりに書き付けておく。それを公私とも、何もかもである。そしてその日一日終わったところで検討してみる。10の内7つまでやっていたら大成功である。残りの3つは、あすへ繰り延べる。
9/19 「あいさつとは」 「あいさつとは、心を開いて相手にせまるということである。すると、相手も心を開いて、こちらにせまってくる。そこから心と心の交流がはじまる。」
オアシス運動の効用(オ−お早う ア−ありがとう シ−おしあわせに(さようならの代わり) ス−すみません)
NHKでいつか「美しい日本語」ということで、文化人にアンケートを求めたら、トップは「ありがとうございます。」だった。理由は@このことばをめぐる人間の状況が好ましい。渋面で「ありがとう」という人もいない。A「あ」と「が」という母音の間にはさまれた「り」という子音が耳に澄んで聞こえる、ということだった。
9/20 正岡子規「病状六尺より」 「明治維新の改革を成就したものは、20歳前後の田舎の青年であって、幕府の老人ではなかった。・・・俳句界の改良せられたのも、同じく後進の青年の力であって、昔風の宗匠はむしろその進歩を妨げようとしたことはあったけれど、少しもこれに力を与えたことはない。何事によらず、革命または改良ということは、必ず新たに世の中に出てきた青年の力であって、従来世の中に立っておったところの老人が説をひるがえしたために革命または改良が行われたということは、ほとんどその例がない。」正岡子規「病状六尺より」今日は子規忌
9/21 「四十初惑」 子いわく、学びて時に習う、またよころばしからずや。とも遠方より来る、また楽しからずや。おのれを知らざるもうらみず、また君子ならずや。子いわく、われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳に従う、七十にして、心の欲するところに従って矩をこえず。子いわく、如何せん如何せんといわざる者は、われ如何ともするなきなり。−孔子−
「四十初惑、五十立志、六十精励、七十成就、八十にして熄(や)む」 これは国民作家の吉川英治の造語である。戦前「四十不惑」といったのは、「人生わずか五十年」といった頃の定言である。いまや平均寿命も伸びてきていて、八十才を超えるようになってきた。すると、日本人のライフ・サイクルも考え直さなければならない。忠臣蔵の大石内蔵助が死んだのは四十五才、そして三島由紀夫が割腹自殺をしたのは、四十五才なのに、大石は老人くさく、三島はまだ青年という印象を与えるのは、背景にある平均寿命の違いから来ている。特に日本の女性は、国際的に、Look so young といわれている。そこから日本の女性のことを、四十にしてマドモアゼル(令嬢)ともいう。日本の女性はほんとうは花の盛り長いのである。日本女性は大和撫子(なでしこ)といわれるが、なでしこの和名は「とこなつ(常夏)」である。なでしこは7月から咲きはじめ、9月いっぱいまで咲きつづける。 −扇谷正造−
9/23 「コカコーラのビン」 1923年、アメリカのある町にケップマン・J・ルートという青年がいた。ガラスビンを作っていた。かっこよく、しかも中身が多く入っているように見えるビンはないものかと考えていた。ある日、恋人がふらり、仕事場へ入ってきた。いつもより色気がある。ポップルスカートをはいていた。このスカートは膝のところが細くなって歩きにくいのが欠点だが、ヒップの線が美しく出る。彼は、それを元にしてコカコーラ用のビンを作って、社長のところに出かけていった。「スタイルがよく、握り心地も良い。すべらないビンのプランができました。」社長は気に入ったが、素知らぬ顔をしていた。3日目、ルートはビンとコップをもってまた出かけていった。「社長さん、このコップとこのビンでは、どっちが容量が多いと思いますか」「そりゃ、ビンに決まっているさ」青年はコップの水をビンに注ぎはじめた。コップの水が入りきらないうちに、ビンは、いっぱいになった。(うむ)契約は即座に成立した。ケップマン青年の得た金は300万ドルから600万ドルだといわれている。
9/26 「逆転の発想」 夏の甲子園の高校野球への参加校は、48校だという、優勝が決まるまで、何試合行わなければならないか。解答は、「47試合」である。通常こういう場合、我々は、トーナメント方式の図を書いて、一つ一つ数え上げていく。これは、「勝ち残り」方式である。しかし、待てよと逆転の発想をしてみる。「負け落とし」の方式である。すると参加校が48校であれは、47校落とさなければならない。優勝校は1校だけだからである。1校落とすには1試合が必要である。すると47校落とすには47試合という答えが出てくる。
9/27 「幸福の効用」 愛するもののために死んだ故に彼らは幸福であったのではなく、反対に、彼らは幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。日常の小さな仕事から喜んで自分を犠牲にするというに至るまであらゆる事柄において、幸福は力である。徳が力であるということは、幸福の何よりもよく示すところである。」
三木清「人生論ノート 幸福について」より
9/28 「夢中問答」 世間の食べ物、その味一種にあらず。その中にいずれをか本と定むべきや。人の天性まちまちなる故に、甘きものを好む人もあり、辛きものを愛する人もあり。もし我が好む味を本として、余味は皆いたずらなりと言わば愚人なるべし。法門もまたかくのごとし。衆生の性欲(性質と欲望)同じからざる故に、わが心にはこの法門を貴しと思うといわば、さも有りぬべし。もしわが思いを本として、この法門は正理なり、余の法門は皆真実にあらずと(固)執せば、これ邪説なり。
27日、京都嵯峨の天竜寺で死んだ臨済宗の高層「夢窓」の夢中問答より
9/30 「フランクリンの罫線表」 話が込み入ってくると、フランクリンは白い紙を出して、真ん中に線を一本引く。右にプラスを左にマイナスの印を付ける。そして、相手の言い分を聞きながら、「その点につていは、あなたの得で、それはコレコレ」とプラスの方へ書き込み、そしてまた「この点につていは、あなたの方が損でそれはコレコレ」とマイナスの方へ書き込む。こじれた話が、それで一目瞭然、利害得失が、表の上にはっきり出されてくるので、みんな重宝した。
10/2 「青年の特権」 「かってのバイオニアたちも、この大西洋を渡って出発したんだ。あの水平線のかなたに何があるのか、彼らは全く知らなかった。そこは世界の果てだ。無限の奈落が待ち受けているかもしれない。それに挑んだ当時の連中は大した男たちだっだ−」プロデューサーが独り言のように呟いた。「男たちは常に終わりなき出発を夢見る。安全な暖かい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢や、そんなものの一切に、ある日突然、背を向けて荒野をめざす。だから彼らは青年なのだ。それが青年の特権なのだ。」五木寛之「青年は荒野をめざす」より
10/3 ガンジー聖書より 「博愛を実践するには、もっとも大きな勇気が必要である。」
「われわれは、真理の道は狭く、かつ真直なことを知った。博愛の道もまた同じである。この細道を歩むには、剣の刃渡りのように釣り合いをとらねばならぬ。軽業師は強く張った綱の上で全能力を集中して踊る。真理と博愛の細道を進むには、さらに大きな注意が必要で、ごくわずかの不注意があっても、ころぷ。ただ不断の精進によってのみ、これらを自らのうちに実現しうるのである。」
10/4 「毛沢東の実践論より」 「世の中で一番滑稽なのは、「知ったかぶりの物知り屋」が、ききかじりの生半可な知識を持っているだけで、自分こそ「天下第一」だとうぬぼれることである。こんな連中こそ自分の力を知らない者のよい例である。知識の問題は科学の問題であり、いささかの虚偽や傲慢さもあってはならず、その反対のもの−誠実さと謙虚な態度−が決定的に必要とされるのである。知識を得たいならば、現実を変革する実践に参加しなければならない。梨のうまい味を知りたいならば、自分でそれを食べて梨を変革しなければならない。」
世の中で一番滑稽なのはどこかの国の首相みたいですね・・・
10/5 「感動」 「他人を感動させようとするなら、まず自分が感動せねばならない。そうでなければ、いかに巧みな作品でも、決して生命はない。芸術はなぐさみの遊びではない。それは戦いであり、ものをかみつぶす歯車の機械である。美は表現だ。もし自分が母というものを描く場合なら、母が子供をじっと見ているところをとらえて、どうかして美しく、単純に描こうとするだろう。」
カートライト著「ミレー芸術史」より
10/6 「樹下の二人」
「あどけない話」
「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。ここはあなたの生まれたふるさと。あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒蔵。それでは足をのびのびと投げ出して、このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸おう。ここはあなたの生まれたふるさと、この不思議な別個の肉身を生んだ大地。まだ松風が吹いています、もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教えてください。」
「智恵子は遠くを見ながら言う。阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が、智恵子のほんとうの空だという。あどけない空の話である。」高村光太郎「智恵子抄」より
10/7 「男と女」 「男よりも女の方が人間の理想タイプをあらわしている、ということを考えれば、女の保守性ということもうなずける。・・・文明の全過程をとおして、男は女のあとを追い、女のはじめた仕事を引き続きやってきたのである。未開時代、野蛮時代は普通好戦的であり、つまりそれは性格としては男性的なのである。いっぽう、近代文明はしだいに産業を主とするようになっており、そして産業的とは、性格からいえば女性的なのだ。もろもろの産業は、もともと、女のものであり、だから産業の力は、しだいに男を女に似たものにしているのである。」
エリス(イギリスの心理学者)の「男と女」より
10/9 「人間に不可欠なもの」 「ここでは、私に使えるだけの量のものしか価値がなかった。私が食べてゆくのに十分なだけの食料と、その他の需要を満たすための材料以外は、私にとって意味を持たなかった。私にも食べきれる量以上の肉を手に入れれば、犬が野獣に食わせるほかなかった。同様に・・・私が切り倒した木は地面に朽ちかけていて、薪にしか使えず、薪がいるのは料理をするときだけだった。一口に言えば、私の経験によって、この世にあるどんないいものでも、我々がそれを使える範囲でしか、我々にとって価値がないことを知った。」デフォー「ロビンソン漂流記」より
10/12 「裕福になろうと思えば・・・」
「さて・・・戦闘の日が到来したとしよう。すると、とたんに彼「戦士」の頭には、たぶんそのコメカミを打ち抜いたか、さもなければ腕か脚を不虞にした弾きずの治療のために麻布制の患者帽がかぶせられることになろう。よしんば・・・慈悲深い天が彼を守り、無事に一命を保たせたもうたとしても、貧乏は旧態依然というわけだ。少しでも裕福になろう思えば、戦につぐ戦い・・・しかもそのたびに勝利者にならねばならないが、そんな奇跡はごくめずらしい。・・・あなた方は一体、戦争によって賞をえたものの数が、戦争に倒れたものの数よりどんなに少ないかを、お考えになったことがありますか?」セルバンテス(ドン・キホーテ)より
10/14 「政治学より」 「役人を選び出したり、また役人の責任を追及する最終の権利が、大衆にあるとするのは不得策だ、という理論がある。そういう論法には、なにか誤りがありそうだ。・・・その理由の一つは、専門家が唯一または最良の批評かでないような若干の問題、つまり生み出された結果に対して、すぐれた専門家ではない人々正当な批評が許される問題が存在するからである。たとえば、家の長短を批評する役割をはたすのは、建築家だけではない。家を使う人々、つまり居住者が実はずっと良い批評家なのだ。」アリストレテス「政治学」より
10/16 「生活のための戦い」 「血は、決して人類の一般の事業をまえに押し進めるために流されるのではない。反対に、人類の一般の事業は、流血にも関わらず前進するのであって、決して流血の結果として前進するのではない。流血の責任者はどこでも常に、理性と真理との代表者ではなく、無知と停滞と無権利との擁護者であった。ある歴史的人物が恐るべき殺戮者であったと立証すること・・・は、この人物が人類の敵であったこと、この人物の示した手本が何人にとっても、また何ものにとっても、弁明の材料とはなりえなかったと立証することを意味する。」今日生まれたロシアの革命的民主主義者。ピーサレフの「生活のための戦い」より
10/17 「悲しみの中で見つけたもの」 「どんなに悲しい涙でも、いつかは、かわくときがくる。」いつ頃からか、またどこにあったのかもよく覚えていませんが、たぶん雄二さんと別れた頃だと思います。悲しみと、苦しみのどん底の中で、あす踏み出す道を求めていた。−そんなときにこのことばが私の胸を強く打ったと思います。
それから大阪弁で困ったときに「どだい、しゃあないなぁ−」といいますが、このことばも好きです。これはグチではなく、追いつめられながら何とかやってやろうというニュアンスがあるからです。私は静かな人生より、激しい人生が好きです。苦しかった過去を振り返ってみて、将来もう一度その失敗を繰り返しても、そんなにつらくないと思います。−涙はいつか乾くからです。」ミヤコ蝶々 
10/18 「宿命を生き抜く」
「私は生かされている。野の草と同じである。路傍の小石とも同じである。生かされているという宿命の中で、せいいつぱい生きたいと思っている。せいいっはい生きるなどということは難しいことだが、生かされているという認識によって、いくらか救われる。」
東山魁夷「風景との対話」より
10/20 「天才とは・・・」 「天才とは,天が与える1パーセントの「霊感(インスピレーション)」と、彼が流す「流汗(パースピレーションょ」の99パーセントとから成るものである。」「人が70才になって日を過ごすのを困難と感ずるようになれば、それはその人が、頭脳の活動的な青少年時代に、興味を感ずべきはずの無数の事物を閉脚していた証拠である。・・・70才になって隠居する人は、まあ、3年もたたないうちに死ぬ覚悟でおらねばならない。」エジソン 70才誕生日の新聞記者とのインタビューより
10/23 「大事を成さんと欲せば・・・」
「大事を成さんと欲せば、小さなる事をおこたらず勤むべし。小積もりて大となればなり。およそ小人の常、小なる事をおこたり、出来がたき事を憂いて出来易き事を勤めず。それ故ついに大なる事をなすこと能わず。たとえば、百万石の米といえども、粒の大なるにあらず、万町の田を耕すも、その業は、一クセずつの功にあり。千里の道も一歩ずつ歩みて至る。山をなすも一簀(き)の土より成る事を明らかにわきまえて、励精、小さなる事を勤めば大なる事必ず成るべし。小さなる事をゆるがせにする者。大なる事は必ず出来ぬものなり。」(二宮翁夜話より)
10/24 「破壊の後に生まれるもの」 絵を描きはじめると、しばしば何か美しいものを発見する。そういうものに対しては警戒しなければならない。ものごとを破壊し、なんどもやりなおすのだ。しまいに現れるのは放棄したいくつもの発見の結果である。そうしなかったら、きみは自分の鑑定家になってしまう。」ピカソ
11/17 余暇とは われわれがルンペンと違って、余暇をほしがるのは、それによって自分の好きなことを、よりたくさんしたいからです。それはドレイが獣的な強制のもとに仕事をしなければならないのとは、全く違います。ルンペンは余暇を無駄に使ってしまいますから、惨めなのですが、我々は、その余暇を用いて幸福になろうと思っているのです。忘れないでいただきたいのは、余暇は休息ではない、ということです。休息は睡眠のように、しなければならいものであります。本当の余暇とはわれわれの好きなことをする自由であって、何もしないということではないのです。 ショウ(自由の自然的限界)より
11/18 われら何をなすべきか 私が、「何をなすべきか」という問題に対して、自分自身のために発見した答えは、こうである。第一、自分自身に対してウソをつかないこと。たとえ私の今の生活の道が、理性の啓示する真の道から、いかほど遠くかけ離れていようとも、真理を恐れないこと。第二、他人に対する自己の正義・優越・特権を拒否し、自分を有罪と認めること。第三、自己の全存在を働かすことによって、うたがう余地なき永遠不滅の人間のおきてを実行すること。いかなる労働をも恥じないで、自己ならびに他人の生命を維持するために、自然界と戦うこと。 トルストイ(われら何をなすべきか)より
11/21 インドの発見 人間精神なるものは、何という眼ざましいものなのであろうか。欠点は数えきれぬけれども、人間は幾時代を通じて、理想のため、真理のため、信仰のため、国や名誉のために、彼の命を、そして彼に大切だったものことごとくを犠牲にしてきたのだ。・・・自然の強大な力にとってはオモチャのごときものであり、この広大な宇宙の中で塵の一片にも劣る人間が、自然力に対して戦いをいどみかけ、変革の揺籃たるその心を持って、自然力を支配しようと努力してきた。・・・人間の中には、何かしら悪魔的なものもあると同様、神ににた何ものかが存在する。ネルー元インド首相 インドの発見より
11/22 憲政の危機 元来議会なるものは、言論を戦わし、事実と道理の有無を対照し、正邪曲直の区別を明らかにし、もって国家民衆の福利を計るがために開くのである。しかして投票の結果が、いかに多数でも、邪を転じて正となし、曲を変じて直となす事はできない。故に事実と道理の前には、いかなる多数党といえども屈従せざるを得ないのが、議会本来の面目であって、議院政治が国家人民の利福を増進する大根本は、実にこの一事にあるのだ。しかるに・・・表決において多数さえ得れば、それて満足する傾きがある。すなわち議事堂は名ばかりで実は表決堂である。
尾崎行雄(憲政の危機)より
昨日来よりの国会における内閣不信任決議案に対するどたばた騒ぎの状況を尾崎翁は草場の陰からどう見ているのでしょうか・・・
11/27 諸君の国が諸君のために何をなしてくれるかを問い給うな・・ ・・・それゆえ、我が同胞であるアメリカ国民諸君。諸君の国が諸君のために何をなしてくれるかを問い給うな。諸君が諸君の国のために、何をなしうるのかを問うて欲しい。わが友である世界の市民諸君
アメリカが諸君のためになにをなすかを問い給うな。われわれが共になにをなしうるのかを問い給え!最後に、諸君がアメリカ市民であろうと、世界の市民であろうと、われわれが諸君に求めるのと同じ高い水準の力と犠牲をわれわれに求めたまえ。安らかな良心をわれわれの唯一のたしかな報酬とし、歴史をもってわれわれの行いの究極の審判となし、神の恵みと助けを求めるが、この地上では神のみわざが真にわれわれ自身の所業でなければならないということをわきまえつつ、我が愛する国土を導いて前進しようではないか。
ケネディ大統領就任演説より 1961年1月20日
12/5 袈裟ごろも・・・ いにしえは道心をおこす人は寺にはいりしが、今はみな寺をいずるなり。見れば坊主に知識もなく、座禅をものうく思い、工夫をなさずして道具をたしなみ、ころもは着たるとも、ただとりかえたる在家なるべし。けさ衣を着たりとも、衣は縄となりて身を縛り。袈裟は鉄のしもくとなりて、身をうちさいなむと見えたり。
袈裟ごろも ありがたそうに 見ゆれども これも俗家の 他力本願
室町末期の臨済宗の僧(とんちの) 一休
12/8 あきらめ・・・ 私にとって最も不快なものは、あきらめである。あきらめ切れぬ、という言葉は、あきらめを肯定してそれに到達しえぬ場合にのみ用うべきものである。が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は、実にこのあきらめと戦うことである。あきらめるくらいなら自殺した方がよほどましである。というよりも、あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。死んで勝ということは絶対にないが、しかし死んで敗北から逃れるということはあるのである。 北条民雄(頃日雑記より)19才でライ病発生以来深刻な体験をもとに強烈な小説「いのちの初夜」などを書いた。
12/20 君死にたまふことなかれ・・・ 旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ 君は知らじな商人の 家のおきてになかりけり
君死にたまふことなかれ すめらみことは 戦ひに おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し 獣の道に死ねよとは 死ぬるを人のほまれとは 大みこころの深ければ もとよりいかで思されむ(君死にたまふことなかれ)
少女と申す者たれも戦争ぎらいに候(ひらきぶみ)
反戦詩を書いた歌人与謝野晶子の誕生日12月7日の次の日が太平洋戦争開戦記念日とは・・・