【ホームページへ戻る】

bP.正月に門松を立てるのは
bQ●鶏になったうそつきの占い者


3 妬(ねた)まれ陥(おとしい)れられた豪族親子
笠利町・宇検村  湯湾大親(ゆわんふうや)の父子
 宇検村一帯を湯湾大親という豪族が治めていた。大親は、人格もすぐれ、住民のためによい政治を行なって人びとの信頼を得ていた。住民に人気のあることがほかの豪族たちの妬(ねた)みをかってしまい、他の豪族の一人が琉球の国王に、「王様、湯湾大親は反乱しようとしています。」と告げ口した。別の豪族も告げ口して来た。国王はいくつも来る告げ口を信じてしまい、討伐軍を派遣した。
 大勢の軍船が来ることや、自分が琉球王に反乱すると言い触らす者がいると大親も聞いていた。大親は琉球王に反乱する心など全然ないことを訴えたが、聞き入れてもらえそうもなかった。「わが心の底を知るのは天のみかー。」と自害した。
 さて、話は前に遡るが、告げ口した豪族の一人、我利爺(がりや)についての話である。彼は大親を攻めるが攻めきれないのも、大親の息子に大変武勇のすぐれた長男の糠中城(ぬかなかぐすく)がいるからだと考えた。糠中城は、十人張りの強弓もたやすく引く大力の持ち主だと言われた。我利爺は、部下の進言により、謀(はかりごと)を実行した。我利爺には幸地(こうち)という娘がいた。娘をおとりにして糠中城をだまし討ちにしようと考えた。「弓の腕比べだ。五十歩先に十四本の的を立て、十四本の持ち矢で的を射当てた者に幸地を与える。」
 しかし、だれも幸地を得ることができない。噂を聞いて、糠中城も我利爺の山城へ出かけた。歓迎会の席で幸地は糠中城が一目で好きになってしまった。
 いよいよ弓が始まり、糠中城は次々と的を射貫き最後の的を射貫いた瞬間、女の悲鳴が上がった。人々が駆け寄ると、幸地が真っ赤な血に染まって倒れていた。父の悪巧みを知り、夫と思い定めた人の矢に当って命を捨てようと決心したのだ。
 「どうか醜い争いはやめてください。」と、最後のお願いをして息を引さ取った。我利爺は娘を死なした糠中城を討ち取ろうとしたがかなわず、かえつて大親父子に攻められて降伏した
 糠中城は我利爺を諫(いさ)めてゆるしたが、このあと、我利爺は琉球王に告げ口したのである。
(原話『奄美の豪族伝説 湯湾大親』)
    
湯湾岳・湯湾岳入口(宇検村側)
宇検村のホームページ