奄美点描 今週の奄美
■2001_3_5 「おがみ山・おがみ山から眺めた名瀬市」 名瀬市」 [ホームへ戻る]
糸芭蕉の花 | ヒカゲヘゴ |
クワズイモ | おがみ山から名瀬港を眺める |
泉 芳朗の碑 | おがみ山から名瀬港を眺める |
泉 芳朗の銅像 | ハイビスカス |
おがみ山から名瀬港を眺める | タチツボスミレ |
おがみ山から名瀬港を眺める | |
ガジュマルの木 | 糸芭蕉の花 |
●豆知識 ■奄美の日本復帰 終戦後、奄美群島は日本から切り離され、アメリカの軍政下におかれることになった。この時、祖国日本復帰運動の中心人物になったのが、泉芳朗である。泉らは、断食運動で抗議、悲願達成のため全力を尽くし、8年後の1953年12月25日、奄美群島全体の悲願であった日本復帰はようやくかなった。おがみ山には泉芳朗の胸像と「断食悲願」という詩が碑文となって残っている。 ■おがみ山公園 名瀬市民のシンボルであり、市街地を一望にできる。公園内には史跡などの他、復帰記念広場、遊技広場、展望広場、薬草園、親水広場などがある。 ■泉芳朗詩 碑文 わたしはただ一介痩身の無名詩人 樹間に湧く無量の感に涙しぼり 地に満つる落葉や雑草にも 無情の声を呑み 天かける白雲に うたた民族流離の歌をきく よしや骨肉ここに枯れ果つるとも 八月の太陽は 燐として今天上にある されば膝を曲げ頭を垂れて 奮然五体の祈りをこめよう 祖国帰心 五臓六腑の矢を放とう 昭和26年8月(断食悲願の詩より) ※おがみ山に登った日は風がとても強い日でした。、泉芳朗の碑文を見ていると、強く吹き付ける風の音の中から、三味線の音がかすかに聞こえてきました。たぶん、ふもとで誰かが島唄の練習でもしていたのでしょうが。 |
■2001年度バックナンバー
■2001_2_11 「緋寒桜とヒカゲヘゴの亜熱帯的風景 名瀬市小湊」
■2000年度 バックナンバー
■2000_1_20 「緋寒桜がもう咲きました」
■2000_2_ 4 「緋寒桜と桜ツツジ」
■2000_3_5 「宇検湯湾のサクラと笠利須野海岸」
■2000_3_18 「金作原原生林のイボイモリと植物」
■2000_4_5 「さとうきび畑(ウギ)の刈り入れ風景」
■2000_4_25 「住用村、市から嘉徳、湯湾岳のソメイヨシノ」
■2000_6_9 「大和村、マテリアの滝から徳浜の断崖その他」
■2000_6_19 「名瀬港を望む、野原の草花他」
■2000_7_13 「龍郷町倉崎海岸他」
■2000_7_24 「龍郷町秋名の刈り干し稲とバショウの群生」
■2000_9_5 「今が盛りのサルスベリの花と西郷松−龍郷町」
■2000_9_18 「名瀬市を一望できるおがみ山公園 名瀬市」
■2000_11_18 「別世界 江仁屋離(えにやばなれ)加計呂麻島瀬戸内町」
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