宮之浦川 (唐船淵)

中国の歴史書(随所)によると、推古天皇の御代、あの聖徳太子が摂政の時代、遣隋使の小野妹子は、わが島を知っていたようだし、629年には朝廷は、田部連をこの島の調査に派遣している。これが後に、遣唐使船が南島航路をとった際、水の補給基地、風待ちの港としての役割を担う島へとつながったんだろう。
遣唐使の吉備真備は、鑑真和上を伴ってこの島に上陸している。
朝廷に出使した人々が、あるいは唐に渡って新しい知識を身につけ帰国後活躍した人々が、この宮之浦川の流れを目にしたはずだ。
昭和四十年頃までは水位も深く、大魚が小魚をおって水辺を飛び跳ねる光景を良く目にするほど海の魚が上がってきていました。

遣唐使船想像図