屋久島町資料館
ヤクタネゴヨウ
ヤクタネゴヨウとは屋久島と種子島にのみ自生する五葉松で、漢字で書くと「屋久種子五葉」です。中国中央に分布するカザンマツ、台湾の山岳地帯に分布するタカネゴヨウの近緑種とされています。ヤクタネゴヨウの生存木は種子島で約100本、屋久島では、1000本〜2000本本と推測されています。ヤクタネゴヨウはその生存木の少なさからレッドデーターブック(「日本の絶滅のおそれのある野生生物・植物!」2001年・環境省編)に絶滅危惧種として記載され、今や両鳥において最も保護・保全が必要な種の一つでです。
若 木
巨木の立木
上-幼樹・下-実生
上-雌花・下-雄花
最後丸木舟(中種子町立→
歴史民俗資料館
枯死木(白骨化樹々が痛々しい)
(屋久島西部域、国割岳の尾根)

上屋久町資料館
本館は、これまでの実績、本館の収蔵資料調査の完了、最近の調査・研究の進展、情勢の変化に応じて、平成2年に展示替えをしたところです。開館時間・午前9時から午後5時まで・・・休館日・月曜日・12月28日から1月4日まで。
〒891-4205・Tel (0997)-(代)42-0100番入館料・大人100円(団体20人以上70円)・小・中・高校生50円(団体20人以上30円)所在地・鹿児島県熊毛郡上屋久町宮之浦1.593番地
本館は、これまでの実績、本館の収蔵資料調査の完了、最近の調査・研究の進展、情勢の変化に応じて、平成2年に展示替えをしたところです。
開館時間・午前9時から午後5時まで・・・休館日・月曜日・12月28日から1月4日まで。〒891-4205・Tel (0997)-(代)42-0100番入館料・大人100円(団体20人以上70円)・小・中・高校生50円(団体20人以上30円)所在地・鹿児島県熊毛郡上屋久町宮之浦1.593番地
屋久島の歴史「衣」近代になっても大正時代までは、女性は綿を栽培し、その綿から糸を紡ぎ、着物を織り上げた。
当時は、自分の着物はもちろん、夫や子どもの着物を作れないと一人前とはいえなかった。糸を紡ぐにはイトマキという糸車を、布を織るにはナガバタという高機(たかはた)を用いた。それ以前は地バタという低い機だった。織布に模様を入れるにも、アイ等を栽培し自分で染色した。着物のの材料には、木綿のほか絹、麻があり、古い時代には自生のフジカズラやクズも利用した。
屋久島の歴史「食」近代になっても、昭和初期までは、大抵の家ではカライモが主食で、裕福な家でも米とカライモの混炊を主食とし、米の飯は、盆正月や祝い事があるときだけだった。水田に作られるイモ(田芋)やサトイモそれにソマやアワもしばしば用いられた。カライモは丸のまま煮たニアゲや、皮をむいて細かく切って煮るツクジイメシにして食べたりしました。またコッパ切りで切って干して乾燥し、必要に応じて食べたりした。焼酎を作るには、釜でゆでたカライモを一旦冷まして麦こうじを入れて臼でこずき、たるにいれて発酵させた。副食には、魚や豚肉が使われ、大根の漬物、クサギの若葉、ツワブキの芽、タケノコ、キノコ類の山菜も多かった。
屋久島の歴史「住」近世以来カヤブキ(芋茸)、ササブキ(笹茸)屋根の家が多かったが大正時代から肥前瓦が入り、昭和初年には瓦屋根が普及した。馬小屋や納屋は、さらに後までカヤブキ、スギカワ(杉皮)ブキがあった。屋久島では、板壁だったが、竹の多い口永良部島では、割った竹を編んだアジロカベ(綱代壁)もみられた。畳の下の床は、夏涼しいようにと、竹をワラ縄、シュロ縄で編み並べた竹床の家がほとんどであったが、近年板床になりつつある。・・・
屋久島の歴史「海の仕事」良好な魚場に恵まれた屋久島では、多くの人が漁撈に従事していた。中でも盛んだったのが、トビ魚漁、カツオ漁、サバ漁であった。トビ魚漁は、すでに近世初めには行われている程古い漁法で、敷網で追い込んで産卵に来るときをねらって捕らえた。カツオ漁は、生きたキビナゴや、イワシを餌に撒き、集めておいて釣り上げるもので、上手な者は、下手の10倍釣ったという。大漁ときは千匹も釣れ、船は満杯になり、大漁旗をたてて帰港した。カツオは加工してカツオ節にした。・・・
屋久島の歴史「山の仕事」屋久杉を初めとする屋久島の杉は、中世以来高い評価を得ており近世には材木用の伐採は許可制とされ、伐採跡には杉を植える業務があった。杉の家の建築材料、船の帆柱、穂桁などにも使われたが、最も多く作られたのは平木であった。・・・
屋久島の歴史「農耕」平坦な土地の少ない屋久島では、水田は宮之浦や永田にみられるばかりで、主に海岸段丘や台地で、畑作をしていた。畑の中には、原野を伐採火入し、2・3年した後、放棄するという切替え畑があった。主な作物はカライモ、米、麦、粟甘蔗などで、カライモと甘蔗で作る黒糖以外は、島内自給分にも足りず、米麦・豆類は移入されていた。・・・
屋久島の歴史「運搬」木材を山だしするには、近代になっても山の傾斜を利用して滑り落すことがあった。牛馬の背に鞍を置いて引かせたり、負わせたりしたことも多く、さらに人が背負ったり、持ったり、引いたりもした。・・・
屋久島の誕生・屋久島は、中生代白亜紀のころまでは、海底であったが、中生代の終わりごろ、地殻変動にともない、海底に亀裂が生じ、その裂けめに花崗岩質マグマの貫入活動が始まった。さらに新生代になって造山運動が活発となり、海面に岩塊の一部が現われ島の原形がつくられた。今から約1.400万年前のことである。
屋久島の位置・屋久島は、九州の南端佐多岬の南方60キロメートル、北緯30度28分、東経130度30分(北端一湊矢筈崎)に位置する円形の島である。
屋久島の山岳・屋久島は、中心部に九州一の高峰宮之浦岳(1.935メートル)をはじめ、永田岳、黒味岳など1.000メートルをこえる山々が連なり、洋上アルプスの観を呈している。これらの高山地帯は、霧島屋久国立公園、原生自然環境保全地域の指定を受けた地域もある。 屋久島の面積・屋久島の面積は、約501キロメートル、周囲は、約132キロメートル、島の東西約28キロメートル、南北約24キロメートルである。
屋久島の気候・屋久島の海岸線は、黒潮に洗われているところから、年中温暖であり、冬季も降霜、凍結をみない。しかし、山が高いところから、年間降雨量は、平地で4.000ミリメートル、山岳地で10.000ミリメートルにも達するほか、台風常襲地として、7月から10月かけ年間数回の襲来がある。また、高山では、冬季積雪を見る。 屋久島の動物・屋久島は渡瀬線の北側に隣接し、動物相は九州本土との共通種が多い。大型の動物としては、シカとサルが生息し、鳥類や昆虫類などの中にも固有亜種がしられ、なかには天然記念物の指定を受けているものもある。