坊津に古くから伝わる風俗、文化には中国との交流を示すもののほかに、京都から伝えられたと思われる行事も多い。 坊地区の八坂神社に伝わる 「ほどせん」 もそのひとつ。
起源は古く、室町時代までさかのぼります。 仏教の殺生の罪ほろぼしの行事、放生会の意味合いを持つと伝えられています。 ご神体が神社に帰られる御還幸の日には、赤面、黒面、獅子面が行列の先払いをし、十二冠女、笛、太鼓等が続いて華やかです。(10月第3土日)
その他に、「唐カラ船まつり」、「十五夜行事」などの民俗行事があります。 詳しくは、以下をご覧ください。
この行事は、泊公民館を起点に1歳から6歳までの男の子達が、手作りの木造船(からからぶね)を紐で引く一団を形成し、太鼓や踊りの行列を引き連れて、地区の氏神的存在の九玉神社まで行列を行います。
浴衣姿の男の子供達は、鮮やかな帆に風をはらませ、五月晴れの下、木製の船車の車輪の 「からから」 というのどかな音が、沿道に静けさを破るかのように鳴り響きます。
からからぶね(がらがらぶね)は、かって坊津が海外貿易で栄えていた良き時代の交易船を模したものと云われ、船体には龍頭や唐草模様などが描かれ、鮮やかな着物地で拵えた帆が五月の空に映えます。
帆綱には、サイノコ(猿の子)人形が、綱をたぐるかのように賑やかに飾られ、華やかさを一層醸し出します。
祭りの締めくくりは、漁船からの紅白の餅投げで終了します。
≪平成27年度のお祭り模様が多数寄せられましたので、厳選して掲載させて頂きます。 まちを挙げてのお祭り模様をお楽しみください。≫
かって、坊津の漁業が盛んだったころは、カツオ船の船主の家に移るのが習わしでした。 遷座先に選ばれるのは、非常に名誉なことで、親戚や近所の人に甘酒や御馳走でもてなしていた。 遷座先では、神事、神楽が行われ、夜を徹してご神体のお守りをしていました。
ハイライトは、翌十五日の本祭り。 午後の満潮時に合わせて御還幸行列が始まります。 大ほこ、みこし、笛、太鼓など地区民総出で二百メートルにも及ぶ行列が、八坂神社へ帰るご神体をお守りして地区内を練り歩きます。
なかでも人気の的は十二戴女(かんめ)。 十二歳の女の子十二人が美しく着飾り、頭にさい銭箱を載せて行列に加わり、鮮やかな彩りを添えます。
沿道には坊津町民のほか、県内外の坊津町出身者が見物にやって来て、今も昔も変わらぬ賑わいを見せています。