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あまり世間には知られていない(と思われる)そんな「これ知ってる?」を集めてみました。知ってる人は「なんだ、そんなの常識だよ!」とか言わないように(^^;

自衛隊道路(名瀬小湊−崎原間)

 今でこそ奄美の道路はよく整備されて、ほとんど舗装されていますが、昔は集落間を
移動するのは大変なことだったようです。
 しかし、道路整備にはお金がかかるため自衛隊に道路建設を依頼したのでしょうか。
昭和42年12月1日、当時の大津名瀬市長名で感謝の石碑が建立されていますが、
これを見てもいかに道路を作ることが大変なことであり、島民の悲願だったかが伺いしれます。 
 島内には龍郷町など他にも10ヵ所以上「自衛隊道路」があるようです。

   
国道58号鹿児島県最南端の地

もうひとつ道路の話題を!
 一般国道58号線は、鹿児島市を基点に種子島を経て、奄美市笠利町赤木名から
奄美大島本島を縦断し瀬戸内町古仁屋へ至り、さらに海上を渡り沖縄県那覇市を終点
とする総延長267.4kmの幹線道路であるが、その58号線の鹿児島県最南端の石碑
が瀬戸内町古仁屋に、起点の鹿児島県産の石と沖縄県産の石に挟まれるようにして
建立されている。自衛隊道路同様、道に感謝するというその気持ち・発想が実にユニーク
で素晴らしいことだと思います。この石碑は義永前瀬戸内町長時代に建立されているが、
瀬戸内町には他にも珍しい(?)石碑がいくつか存在しているので、探して見るとおもしろい
と思います。(ちなみに、このページを作った後「南海日日新聞」にこの石碑のことが載った
ので広く知れ渡ってしまい、もう「しちもんにゃ」には該当しないかも・・・(^^;))


献血の日(くれないの塔

  奄美市では9月3日が献血の日と定められています。何故だかご存じでしょうか?
昭和37年9月3日、輸血を必要とする急患(妊婦)が発生し、海上自衛隊鹿屋基地から
P2V哨戒機により緊急血液輸送を実施したが、血液投下地点の名瀬港岸壁に旋回途中
らんかん山に激突し大破炎上、火だるまとなった機体の一部が麓まで飛散し住宅地で
火災も発生。この事故で乗員12名と火災により住民1名の計13名の尊い命が失われる
大惨事となった。
 殉職された自衛隊員及び巻き添えとなった市民の尊い御霊を祀るとともに輸血の重要性
を忘れることなく後世に伝えるため、当時の奄美大島青年会議所が中心となり、全国から
寄付金を募り、墜落現場に「くれないの塔」が建立され、毎年9月3日が「献血の日」と定め
られたのである。
 また、この事故を風化させてはならないと、JC主催による慰霊祭が毎年9月3日に行われている。



保存樹林

 奄美には、樹齢何百年という大木がたくさんあります。名瀬の保存樹第1号は、
「朝仁の千年松」ですが、個々の樹木だけでなく、保存樹が複数本同一地域に存在
していた場合、「保存樹林」として指定されています。
 奄美市の保存樹林第1号は、永田川沿いを中心に植えられている「アカギ31本、
ソウシジュ1本、琉球松1本、ホルトノキ1本、クスノキ1本、アコウ1本、琉球エノキ1本」
の計37本です。
 夏の炎天下では、永田川沿いのアカギの木陰はとても涼しく生き返ったような気分
になります。みなさん自然を大切にしましょう!


準備中

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