2004年12月の編集日記

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天然のリュウキュウアユを食べる   12.29


26日の夜に、住用村の山小屋で「10年後に天然のリュウキュウアユを食べる会」という集まりがあり、行ってきました。小屋名は「しょうてん庵」とか。笑点か昇天かお好きなような理解をしてオーケー、川を大事にするひとなら誰でも寄って語ってくださいとのこと。持ち主は和田勝典さんです。奄美のリュウキュウアユは昔はいっぱいいて、奥さんがさばくのが大変なので、「もう獲ってこないで〜!」というほどだったとか。それが年々減りつづけ、今では絶滅危惧種で、捕獲も禁止されています。リュウキュウアユは沖縄と奄美にしかいないアユで100万年くらい前から生き続けている琉球弧をも語る生物なのですが、沖縄では既に絶滅したため、奄美のアユの稚魚を放流し、涙ぐましい努力の結果、養殖に成功、いまや、換金商品ともなっているのです。生物を保護し守るという発想から、すでに商品にしてしまうところが沖縄のすごいところ。奄美のリュウキュウアユは捕獲禁止ですから食べること

が禁止されているので、奄美のDNAが入っているこの沖縄のアユを注文して、みんなで試食し、奄美でもむかし食べていた特産であるアユを食べようというのが会の趣旨。食べるためには、昔のようにいっぱいいなくてはダメ。どうしたら昔のように生物がいっぱいの川にすることができるか、みんなで考えたいということなのです。リュウキュウアユは香魚ともいわれ、スイカのような香りがあるというので、クンクンクン。養殖だからなのか、ちょっと香りが少なかったようではありますが、それでもスイカのような冷たい甘さのような香りがありました。しかし、リュウキュウアユのおいしかったこと。無理して頭から尻尾までいただいちゃいました。産卵時期なのでしょうが、あまりの卵の多さにびっくり。塩焼きの他、昔は正月の吸い物にいぶしたり、また砂糖醤油漬けしたり、味噌をお腹にいれて炭焼きしたりしたそうです。みそ焼きはとっても美味!いやあ、車でしたから、お酒は飲めませんでしたが、一杯やりたくなる美味さでしたねえ!
 保護というコブシをあげる保護活動ではなく、こういった素朴で本質をついた動きにみんなが賛同して行動していけば、あるいはアユはふえるのではないかと思いますが、みなさん、いかがでしょう?。


ちょっと筋肉痛!   12.27

実は昨日、野口みずき選手といっしょに走りました。いや、いっしょというより、追いかけてと言った方が正しいのかな?…。龍郷町にあるロードコースが昨年、日本陸連に正式認可されたため、このコースをよく走ってアテネ女子マラソン金メダリストになった野口選手に地元中学生が熱烈ラブコールを送り、昨日のロードレースイベントに参加の実現となったようでした。150センチのホントに小柄で華奢な体のどこにあの闘志とパワーが宿っているのかとおもうほどですが、あとで聞いたら、やはり食べ過ぎで太ると故障の引き金になるので、食事にはとても気を使っているとおっしゃっていました。でも、レース前にはお餅や糖分をとってエネルギーを確保するのだそうです。走る訳ではないのに、ついつい食べ過ぎてしまい、いろいろ疲れが出てくる私なので、図星って感じ。彼女は間近でみると目がキラキラしていて、とても礼儀正しい方なのですね。やさしそうで、でも、とても意思の強い方と思いました。2キロと3キロコースで町内外の小学生から一般まで走ったのでしたが、ゴールしたあとも伴走して励ましたり、手をふって応援したりと金メダリストのおごりも感じられませんでしたねえ。で、私は写真取材もしたわけですよ。スタートでは、彼女を見失ったため(あまりに小柄で一般の人の影に隠れて見えなかった!)中間地点でとらえようと、近道を通って追いかけたわけ。いやあ、準備運動もなくいきなりカメラもって走ったので、息切れが〜!。ゼエゼエ〜!他の報道もいっしょに走る走る!なんとか狂想曲って感じ。しかし、走る姿を捉えるのは難しいですね。何とかぶれずに写っていたのはほんの数枚。「海に近いところで育ったので、奄美の土地も人も大好き。今日はいろいろ景色を見ながら走れて楽しかった。走ることに純粋な子供たちに触れあれてよかった」と感想。どんなスポーツでも、あせらずコツコツ今を積み上げて頑張ってといった閉会式での挨拶にはじーんときましたね。

バイオ茶   12.24

バイオ茶というお茶を知っていますか?今、陸上合宿にきている人たちもガブガブ飲んでいるそうです。さっぱりしていて、胃に負担をかけないだけでなく、パワーになるんでしょうか?これは私には発見でしたねえ。奄美に野口みずき選手が冬季合宿に入っています。奄美ではスポーツアイランド構想という理念のもと、自然と癒しのこころがある奄美への誘客から始まったようですが、10年たっての今や97団体、1200人以上が3〜4ヶ月の冬季に奄美でキャンプに入るそうです。経済効果は5億とも聞きました。これはすごいことですよねえ。みんなが知恵と気持ちを出し合っていけば、全国の陸上をされる方が奄美に注目することでしょう。
 バイオ茶は宮崎でできたお茶。野口さんも高橋尚子さんも飲んでいるのかなあ。隠れたヒット商品なのでしょうね。三儀山運動公園の管理人さんからはなしを聞いてきました。そうそう、、この合宿の方たちで人気があるお菓子はコニヤのカリントウだというから、これまた面白いでしょ?でも練習を熱心にやらない人は多く食べたらダメ。やっぱり太ってしまうからです。
 26日はみずき選手を招いて龍郷でロードレース大会、1月6日は、名瀬市三儀山で金メダルの記念碑除幕式とか。


ポンカンの季節  12.21

師走も押し迫ってきましたねえ。皆さん、大掃除なんかもう早々とやっていらしゃるのでしょうか?私は25〜26日が家、27〜28日が事務所の大掃除の日に当てていますが、どうなることやら。家はともかく、29日にはスタジオは正月準備を完了していなければならず、まあ、スタジオ優先でしょうね。家はいつも後回し。26日は急きょ仕事が入ってしまったし、27日の最後の大きな打合わせあるし、う〜、不安。
 で、今日はナント、宇検村へいってきました。久々の遠出なのでこころなしかウキウキ気分。須古までいって河内川を見ながら、うろうろ寄り道していました。これがちょっと冒険気分、いやあ、林道を入っていくとどこにでるのか方向音痴の私はとても不安。でも、まあ、どこかに出るだろうと思っていると、ぐるっと一回りしていたようです。しかし、オフロードというのは、木々が深々と生い茂っていて、湿気もあって、落ち着きますね。こんなところを太クンはいつも走っているんだと思うと、ちょっとうらやましい気分にもなりました。だって森林浴ですからねえ。わたしなんか、毎日、パソコンのプラスイオンを浴びすぎているのですから、目も悪くなるし肩こりもしますよ。
 ブツブツいいながら、大畑というところで、ポンカンの無人販売があったので、ポンカンを買いました。なんと、一袋300円ですよ!安いねえ!なんかいい気分になってしまうから、単純です。


ゲンのいい島   12.20

今日、アテネオリンピックのマラソンで金メダルをとった野口みずきさんが来島しました。みなさんもテレビでごらんになったかな?もう、奄美には7年も通っているそうですね。去年、名瀬市姿勢要覧に練習風景を掲載させていただきましたが、ホント、小柄な方ですよね。インタビューで奄美は縁起のいい島といっていました。トラックやロードの練習を集中的にしていくそうです。以前、ダイエーの小久保選手が奄美で自主トレーニングをしたとき、やはり、「奄美はゲンがいい島」と語っていたことを思い出しました。奄美での強化合宿をやめた途端、故障してしまいましたが、もしかしたら、やはりそんなことがあるのかもしれませんねえ。徳之島では高橋尚子さんの尚子ロードまであるのですから、冬の陸上トレーニングには寒すぎず、暑すぎず、マスコミも住民も騒ぎすぎず、とてもいいところみたいですね。そうそう、車もあまりないのがロードをしやすくしているとも聞きました。これって、すごい宣伝ですよね。うれしいなあ!




わらべ歌   12.17

昨日、坪山豊さんと子供たちが島唄やわらべ歌を歌うのをみて来ました。以前も輪内保育にいらしたとき、取材させていただいたのですが、子供たちがホントうれしそうに大きな口を開けて大きな声で歌うのが素晴らしいです。もちろん、歌詞カードなんて見ませんし、坪山さんが先導するわけでもない。子供たちが率先して「ゆたかうじ〜」と呼びかけ、いっしょに歌ってほしいとお願いするのです。にぎやかな歌は大きな声で、ゆったりしたこもり歌はやさしい感じで。みんな、シマユムタというのに、ぜんぶ頭にはいっているのですねえ!
 子供たちは歌うにつれ、次第に手足が動き出し、すわったまま踊っているコもいましたし、最後も六調太鼓も競って太鼓をたたき、みんなで踊りだしていました。恥ずかしいとか、いやがる子が一人もいないのですね。一歳の子供も手足を動かすのだそうです。これが三つ子の魂百までということでしょうか。こんな歌好き、踊り好きの子たちが将来、奄美を担っていくのでしょうね。この子たちなら大丈夫と思うほどです。でも、高学年にいくにつれ、受け皿がなくなっていくのがさみしい限り。坪山さんみたいな方がいっぱいいればいいのでしょうが、自分の仕事も忙しいのに、毎月必ず一回、それも各4箇所ほどの保育所を回るのですから大変。また、彼は養老院などにも出かけていって、お年寄りを喜ばせているのです。それも名瀬だけではないというのだからすごい。コンサートもあるし、舟つくりの納期もあるでしょうし。でも、小さい頃に聞いた島唄が頭のなかにしっかりインプットしていて、ある日、その声が蘇るという経験を持つ坪山さんは、だからこそ、小さい頃に本物の島唄を少しでも多くの子供たちに聞かせたいと言うのです。
 しかし、子供たちが歌う「さぎゃさぎゃ」などのわらべ歌や子守唄はとてもよかったです。今度は是非、ケンムンの話を聞いてみたいです。綾蝶節の作詞者である中村民郎さんの話が今回のホライゾンに載っているのを坪山さんが知っていらしたので、一冊お渡ししました。民郎さんと坪山さんが作る島唄をもっともっと聞いて見たかったですね。


忘年会シーズンですね。 12.15 

写真に写っている方たち、掲載されて怒らないでね。ふふふ。昨日、鍋を囲んで歓迎会あんど忘年会をしてきました。午前様でした。太くんが既に大きないびきをかいていたので、安心して熟睡。実は彼も友人宅で飲んできたとか。夫婦してこれですから、受験勉強真っ盛りの息子の顰蹙を買うかもしれませんねえ。ま、それにしても今年は暖かいですね。部屋の中ではありますが半そで姿の人もいます。まだまだ仕事がいろいろし残しているのに来週いっぱいが実働ですよね。後は大掃除。市町村合併がどうなっていくのか先は不透明ですが、時間は留められません。なるようになっていくのでしょうね。地道にコツコツやっていくしか、私達にはできないので、来年も地道にやっていくつもり。来年は早々にオキエラブへ出張します。ホライゾン21号の取材のためですが、いろいろ打ち合わせもしてこなければ。
 さて、某信用金庫さんが今年で70周年となり、今、その記念誌を作成しています。今までと違うのは、巻末に奄美群島の遺跡を特集することです。また今日もさるところからрェあり、小学生向けの郷土資料を作成したいとか。こうやていろいろ奄美の自然や文化が広くわかりやすく伝えられようとしているのですね。今後は、ホライゾンだけでなく、こういった広報などにも積極的に参加しようと思っています。とにかく、優しい言葉で本質をつけるように。勉強は欠かせませんが、好奇心や遊び心も大切ですよね。だって、やっぱり面白いものは読みたいし、みたくなりますからね。それから、色々な研究者の方たちにも奮起していただいて、自然と文化の一体感を表現していきたいと思っています。熟女老いやすく、ものになりがたし、ですけど〜!(奄美は自然と文化が混ざっているのではなく、一体化しているのです。これは大きな違いだと、最近ガッテンしました。がってん、ガッテン、合点!!)
 話は飛ぶけど、宝くじ買いました?当たる人はあたるのですよねえ。



             中里のソーメンガブー    12.12

いってきましたよ〜、喜界島。とても12月とは思えない暖かい小春日和のなか、飛行機が飛び立ってあっという間に降り立つ島は、本当に近いという感じですね。以前、龍郷の本茶峠から喜界島をみましたが、ホントに「♪夢の国かよ、喜界が島は〜♪」という曲のようです。午前中は朝日酒造さんへお邪魔し、午後から長距離移動するというアサギマダラという蝶々を取材に、福島誠さんに案内していただきました。今年は台風襲来がおおかったせい?かはわかりませんが、とにかく、飛来する数が少ないとのこと。実は去年もこの蝶は見ているのですが、あの時は復帰取材で忙しく蝶を追うことが出来ませんでした。あ〜、自然はいつどうなるか分かりませんね。去年、ちゃんと取材しておけばよかった!でもうららかな日差しの中、おかげさまで、ツワブキなどの蜜を吸うアサギマダラにあうことが出来ました。
 それから中里集落へ行き、八月踊りのあと、ソーメンガブーという伝統行事へ。これが愉しいんだなあ、びっくりしました。なんてたって、人間が多い。で、祭りは、袋に入ったソーメンの束を取り合い、取った人は一年間無病息災が約束されるというもの。ただし、この場で取っても、家に帰って湯がいてたべるまでは油断ができなかったとか。昔は鍋ごと取られたり、奥さんに取られたりしても、文句はいえなかったそうです。無礼講なのですね。外で夜撮影するのは、中々うまくいきませんでしたけど、写真添付してみます。六調を踊りながら、投げ込まれるソーメンをみんな飛び上がって取っていました。でも、やっぱり中高生くらいの男子生徒が張り切っていましたね。すごいジャンプ力でしょ。
 終わってから、区長さんのところで、出汁ソーメンとなったソーメンをいただき、もう一軒、役所の課長さんのお宅でご馳走になり、帰ってきました。帰り、パトカーに車を停車させられ、びっくりしていると後ろのテールランプをつけてね〜だって、びっくりさせちゃってごめんね〜。となんだか、幼稚園生にいわれるような感じで注意されてしまいました。でも、何事もなく、よかった〜。勿論、アルコールは飲んでいなかったけど、もしもと考えると恐かった〜。
 福島さん、遅くまでいろいろありがとうございました。

デジカメの復活!  12.10

ようやくデジカメが復活してきました。しっかし、故障の原因はなんとバッテリーの消耗!こんな簡単にわかりそうなことに20日以上もの日数がかかるなんて信じられませんよねえ。わたしだってそう思ったもん。それが、某有名カメラ販売店の修理部門だったので、アンケートに「非常に不満」の項目に○してしまいましたよ。ったく!おかげでネガを使ったじゃないすか!
 でも、ようやくもどったのに今日は撮るものがなく残念。明日、喜界島へ出張してきますので、撮ってきましょうね。しかし、喜界島の民俗ってなかなかわかりづらいと思いませんか。遺跡が今注目を浴びてきていますが、年間平均2ミリずついまでも上昇を続ける島ということと、オオゴマダラという大型の蝶を保護していること、源氏と平家の伝説、ムチャカナの碑、それと農業の島ということくらいかなあ。ゴマは人気ですね、そうそう、丘ヤドカリもいっぱい。島唄では安田三味線教室、阿伝のサンゴの石垣。琉球の制圧には一番抵抗してとか。イタチが多いとか。これって断片的で、ちょっと捕らえ切れない感じです(私が悪いのですが)。すごい遺跡が出現してきたからには、きっと文化や民俗にも何か反映していないかと、みていきたいですね。ま、私が考えても埒もあきませんけど。ま、とりあえず。
 そうそう、来年3月に、遺跡のフォーラムがあるとかある方からお聞きしましたけど、カムイヤキ遺跡とどう関係が出てきるのか、興味シンシン。

風邪 ひいていました!   12.7

ホライゾンが発行された昨日、実は風邪?でかなりしんどい状況でした。いやあ、ほんと。息子じゃないけど、マジ、やばい。って感じでしたねえ。背中が差す込みようにいたくて寝返りも腹筋も使えない状態なのに、喉の痛みや咳、鼻水はなかったので、ほっといたのがいけなかったのでしょうね。次第に悪化してきて、頭もぼ^っとしてきたので、ようやく病院へ。薬を大量にいただき、余計不安になりましたけど、やはり抗生剤が効くのでしょうね。今朝はかなり、治っていました。あ〜、よかった〜。やはり、なんといっても健康第一ですよね。さて、太クンも、俺のせいじゃなくてよかった、なんていったかどうだか…。
 でも昨日から、今日、明日までホライゾンの発送に追われています。定期購読者、執筆者、スポンサー、贈呈者などなど、それにしても最近、郵メールができたのをご存知ですか。郵便局と某宅配業者が提携、住所変更などがあった場合、郵便局では届けていれば、一年間、旧住所にきてもとどけてくれるので、この利点を生かしながら、なおかつ、メール便の安さ。いろいろ進化しているのですね。私達も、進化していかなくてはなりませんね。
 最近、ちょっと本を読むことができるようになりました。でも30分くらいかなあ。すぐ眠たくなってしまうので、読書とは呼べないかも。で、読みきりの短編が好きです。ふふふ。

リュウキュウアユの産卵  12.4

 今日は住用村にリュウキュウアユの産卵観察会へいってきました。リュウキュウアユはいまや絶滅が心配されている奄美や沖縄だけにいるアユです。先週、東城小学校の子供たちが産卵ができやすいようにと、川内川の砂利をひっくり返し、赤土で固くなった産卵場をやわらかくしていたのですが、残念ながら、水温がまだ高く産卵にいたっていないよう。そこで、マングローブパークで昨日、産卵したてのものをみせていただきました。
 ううぉ、なんと、昨日、生まれたてというものを顕微鏡でみると、まあるい卵のなかにひょうたん状のものがあり、これがアユの栄養分になっていくのだそうです。すごいなあ。卵は反転膜というものが、産卵後に裏返ってべたべたくっつくやすくなり、砂利にへばりつくのだそうです。へえ〜。
 リュウキュウアユは昔は奄美や沖縄に普通にみられたのですが、だんだん環境が悪化してきて、その数が減少しています。沖縄では、以前、絶滅してしまって、奄美でうまれたものを放流したそうですが、いっぱい育ちはしているようですが、川でうまれて海で育ち、また川にもどるという習性にはいたっていないようで、自然のままのこのアユのサイクルで暮らしているのは、やはり奄美のものだけなのだそうです。
 そうかあ、奄美からもっていったアユが沖縄でいっぱいになったと聞いたので、すごいなあと思っていたら、そうなんだあ。それにしてもリュウキュウアユは川と海で育ちますが、なんでそんなことできるのかなあと思って質問したら、これは淡水から海水に行くときに、塩分を調整するホルモンが出るんですって!!むむ、不思議ですねえ。自然はどうして、こんなに複雑なことをやり遂げたのでしょうか。
 ホライゾンは月曜日、6日に到着の予定です。

再び阿室へ   12.2

 ホライゾンがようやく手を離れ、印刷へ突入いたしました。何度も校正しているのに、うそ、なんでまたこんなにいっぱいというほど、校正の度にアカを入れてきました。これでおしまいというまで、いやはや印刷にいたるまではホント大変です。
 で、さっぱりしたところで、昨日は歌掛け保存会発足式へ行ってきました。島唄は元々は即興で歌を掛け合うものだったようで、今の島唄はコンクールや舞台化してしまったところから、歌詞もかなり固定化し、聞かせるために感動させるために、ゆっくり歌いこむようになったとか。昔は結構速いテンポだったといい、そういえば、武下和平さんの昔のテープを聞くといやいやホント、ころころ速い速い。歌の掛け合いは二人が基本で、それから数人に発展し、歌遊びとなっていったのでしょう。しかし、即興をまた再びとなると、これは大変、頭の回転も、リズムも、島口もできていないと難しいですよね。でも、この文化は非常に貴重なこと。中国雲南では今でも掛け合いをしているそうですが、頑張って再現していってほしいものです。
 そして今日は宇検村阿室へ。大正時代、大火があったので、再びないようにと、ノロ神がお祈りされるのでした。トネヤで祈り、それから神道を通って、神社へ。それからアシャゲでも祈ります。ミキと米を湯がいたものをいただいきました。ミキがあまり甘くないのですが、これは昔のまま。昔は白い砂糖などはないのですから、入っていないのが古いのですね。初めて頂きました。とてもおいしい訳ではありませんでしたが、それなりにおいしい。昔はナリミキで、何もなかったから、おいしかったよ〜とのことでした。だしソーメンもいただき、お腹を膨らませて戻って参りました。

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