2004年10月の編集日記

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あなたのことは忘れません。  10.28

 めまぐるしく日々が過ぎていきました。22日は、午後から息子の文化祭にでかけました。「きらめけ!情熱を光に変えて」というタイトルでしたが、これ、息子の作品。1年のときにも「伝えたい、一人一人のオリジナル」というものが採用されたので、3年間で2回。またまた親ばかですが、結構、イイ感じ〜。
 23日は、大和村に「キトバレ踊り」という厄払いの意味もあるという八月踊りを見にいってきました。この時期、各地で種下ろしという行事があり、八月踊りが踊られます。最近、大和村によく出かけるなあと思いながら、大和村になぜもっと早く取材にこなかったのかなあと太クンといっておりました。地元新聞に載る程度で、実は宇検や大和村の行事はあまり、よく知られていなかったのですねえ。東シナ海の海や、ヒエン浜の美しさ、徳浜の断崖など久々の風景に感激しながら走っております。
 24日は奄美パークで、「方言からの再出発」と題して、日本ペンクラブなどの主催による公開シンポジュームがありました。下重暁子、西木正明。吉岡忍、宮崎緑さんというそうそうたるパネラーを迎えてのシンポ。標準語にはない味わいやにおいがあるのが方言です。下重さんは、方言で育ったアナウンサーがとても味のある標準語を話すといっていたのが印象的でしたね。ま、これは言葉だけの問題ではなく、地方が育てた個性をもっているということなのでしょう。でもわたしには4人の人々より築地俊造さんの話や最後に挨拶された笠利町長のお話のほうが面白かったです。だから全体的にもう少し、奄美の方言の歴史や状況を盛り込んでほしかったなあというのが正直な実感。多様性のある日本の文化を再確認していくという意味では面白かったですが、奄美の問題はそれだけではないのです。だから、弓削まさみさんの研究である一字姓の問題とか、方言札のこととか、方言禁止運動によってなくしてきた奄美の文化継承や、日本の古い言葉がいまだに残っている島唄の今後とか、もっと深く迫っていきたいなあと思いました。ま、これは、今後、地元がやらねばならないことなのかもしれませんね。やはり、奄美のこともいれながら、普遍的なことに迫っていくのが興味がわきますね。でも方言を喋れない私は問題です!!
 翌日の朝、新聞を見て、太クンの中学の同窓で、龍郷秋名の伊勢秀憲さんという方が亡くなったという公告をみて愕然。この方には、「村」という写真集をつくるときにも、紬組合の撮影をするときにもとてもお世話になったし、ショチョガマや平瀬マンカイのときにも、稲作りのときにもお世話になったのです。わたしにも、わけ隔てなく接してくれて、たぶん、太クンの同窓のなかで、一番、やさしかったかもしれません。まさか、こんなに早く逝ってしまうなんて。人を喜ばすことが大好きで、その日も年寄りが喜ぶからと、トビンニャという貝を海に2回もとりにいったそうです。妹さんの話では、「海に入るとき、年寄りにあげるので、神様、貝を取らせてください」とクチを唱えたところ、いっぱい出てきてくれたと嬉しそうに話していたそうです。その後、種下ろしで夜を徹して踊り、お酒を飲み、歌い踊ったのがいけなかったのでしょうか。それにしても、シマをとても愛し、誇りにしていた貴重な人でした。ひでのりさん、本当にありがとう。あなたのことは忘れません。
 


浜願  10.22

昨日は、旧暦の9月9日。クガツクンチという日でした。この日は、各地でいろいろ行事が重なっています。今井権現祭や諸鈍シバヤもありますよね。私は、今年は大和村の浜願。これは、浜辺にご馳走を並べ、航海安全や海の事故などがないように願うものだそうです。実は、去年も出かけたのですが、ちゃんと連絡をとっていなかったため、ついた時に既に終わってしまっていたというドジをしておりました!!
 それで、絶対今年は行くぞと固く決意し、日時をカレンダーに刻み込んでいたのです。ところが今年は息子の文化祭と重なったため、ナント、朝5時に起きて息子のお弁当をつくり、朝ご飯を食べてから、太くんと二人で6時半に出かけました。さて、行く先は大和村大棚。先日、豊年祭でノロ神様の神事を拝見させていただいたところです。
 7時20分には到着。ゆとりの時間があってよかったです。で、待つこと30分、浜辺では、重箱にご馳走をいっぱいつめ、ミキを抱えた人々がござに座り、ご馳走などを並べてノロ神様を待ちます。やがて、ノロを迎え、手を合わせながら海に向かってみんなで拝み、線香を立てるために盛り上げた砂にミキをかけ、みんなでミキをいただきます。これはきっと神との共食なのでしょうね。色とりどりのご馳走を私達もいただき、イモミキもいただきました。台風一過のすがすがしい秋晴れの朝、とてもおいしかった!!です。朝、食べてこなけりゃよかった。

たましいの島 ユンヌ 
 10.16

先日、南日本新聞で大きく扱っていましたが、与論島で歌われている「たましいの島」という歌が、24日から中国で始まるユニセフの国際イベント会場で歌われるようです。作詞は、タビンチュで20年近く前?に島にやってきた古川さんという離島医療を手がけるお医者さん。彼は今、与論だけでなく鹿児島でも有名。なぜかというと鹿児島県でタラソテラピーということを与論で実践してこられたからです。去年、復帰記念イベントの打ち上げでちょっとお話しましたが、思っていたよりとっても気さくで正直そうな方でした。この方ならと思ったほど。

 で、作曲はこれまた与論島では有名な田畑のてっちゃんこと哲彦さん。彼はもと役場職員なのですが、バンドを組み始め、与論や沖縄の歌を仲間である「かりゆしバンド」で歌っていくことを選んだ方。いろいろCDも出しているのですが、このグループがまたいい!茶花というところで、「かりゆし」というライブハウスをやっていますが、お店で出るものが結構ボリュームあって、これでこんなにやすくていいのという感じ。お二人とも与論ではなくてはならない方です。

 で、今日、なんとNHKの歌謡コンサートで、歌われたのですよ、この歌が!いやあ、感激でしたね。とてもゆったりとしていて、たましいの島という感じがホント、与論をよく表現しているのです。小野綾子さんという髪の長い女性歌手でしたけど、太クンは後ろに田畑のてっちゃんバンドがいると思ったみたい。たいしたもんだ!と感激していました!それでもよかったような気がしますけどやはりだめかなあ。
 この歌の歌詞は平易で沁みる詞なのがいいですねえ。以前、長寿の取材で100歳の方々を奄美の島々に取材して回りましたが、この与論でのお話がとても心に残っています。思い出しますね。ホント、魂が生きているのだなあと実感いたしました。とーとがなし。ニライカナイの神と屋敷の神と先祖に3回毎日祈りを捧げるという100歳の方が、取材の終わりにわたしに手をあわせ「とーとがなし」といって、感謝と安否を気遣ってくれたときには思わず、胸にせまるものがありました。いやあ、歌のとてもいい感じだし、絶対ヒットしますよ!



ミキづくりと丸田南里   10.17

 、今日はほとんどオフなので、先回休んでしまった郷土料理教室へ午前中から行ってきました。実は、先回休んだ人のために、先生が特別講習してくれるというのです。行ってきましたよ〜。ミキづくりだったのですもの〜。自分でつくったことがなかったので、とてもいい機会でした。
 米を製粉してもらい、これを熱した湯に溶かしいれ、白砂糖を加えながらゆっくり焦げないようにかき回します。かなり堅くなりはじめたら火を止め、鍋の蓋をして少しさましているうちに、サツマイモをすりおろし、小判状にまるめ、鍋の縁あたりから少しずついれていきます。これが不思議なのですが、サツマイモをいれるとさっきまでかきまわすのが堅かったのが、スルスルとやわらかくなります。そうしてトロトロになったのを、ミキサーでかき混ぜておしまい。簡単でした。これを牛乳パックに流しいれ、酸味がきいたのが好きな人は一昼夜か二昼夜常温で置き、冷蔵庫にいれます。そのままがすきな人はそのまま冷蔵庫へ。いっぱいできたので、お昼からの講座生の方たちにもあげてしまいましたが、けっこうおいしそうで、よかった!!。
 で、今日はなんでこのタイトルなのかというと、この料理教室の先生が丸田京子先生ということから、薩摩の大島商会による黒糖搾取から奄美を開放することに尽力した丸田南里の話となり、先生が子孫のお嫁さんだということがわかりました。永田墓地にある南里のお墓は先生がたが守っているのだとか。いやあ、これは発見。なんといっても歴史上の方ですからね。
 そうそう、丸田先生によれば、昔はミキもサツマイモでつくり、砂糖はほとんどいれなかったとか。白砂糖は高級品ですからね、当時は。で、このサツマイモですが、大和村の福元盆地のがとてもおいしいらしい。なぜかというと、昔、大和村がカツオ漁が盛んだったとき、この船を高知県の伊予で造って貰ったのだとか。奄美の人たちが伊予にいったとき、そこで出されたサツマイモがあまりにおいしく、もってかえり、福元盆地で栽培、今に至っているとのこと。なあるほど。特産品には奄美との交流がいろいろ見え、とても面白いです。



瀬戸内の嘉鉄が美しい!  10.14

今日は久々瀬戸内へ行ってきました。台風23号の接近が危ぶまれていますが、青空がすがすがしい上天気なので、ドライブもとっても楽しかったです。役場に寄った後、ホライゾンの書店集金まで済ませ、やどり浜のホテルへ。最近、このあたりを通ったのはそ、三月サンチの日でしたね。ま、やどりまでは行かなかったのですが、途中の嘉鉄の海のなんと素晴らしかったこと!いやあ、やはりドライブは一人が好き!太クンといると樂ですが、見落としも多くて、あっと思ったときには通り過ぎてしまうし、彼には見飽きているのかもしれないけど、わたしなんかあんまり、頻繁には走っていないので、もっとゆっくり味わって見たいわけ。でもせっかちの太氏は、おかまいなし。いやあ、久々、気持ちよかったですね。伊須湾から阿木名周りで帰ってきましたが、行きも帰りも、中コウスケクンの最近出るCDを聞きながら、ゆったり気分で眠くもならず、安全運転でした。
 でも、ちょっと残念だったのは、やどり浜へ行く途中の車エビ養殖場。砂が道路にはみ出してちょっとなんとかならないものでしょうか。あれではエビもおいしそうではないし、やどり浜やホノホシ海岸へ行く観光客もちょっと幻滅かも。



今日は7割を送りました。  10.11

秋晴れのとってもいい天気なのに、一日中、事務所でホライゾンの入稿準備をしておりました。ここ2〜3日はずっとこもっています。なんか損しているような気もしないではないですが仕方ありません。こうして10年たつのですねえ。一年に2回の発行ではありますが、大きな節目は2回でも結構、頭は回転しているのですよね。ま、人の3倍は遅いかもしれないけど。で、今日は、なんとか7割は送りました。送ってから一人の人からメール。ムムム。s明日に期待しましょう。

台風とともに去りぬ  10.9

 台風22号が奄美をかすめ、今、関東、東北あたりで猛威をふるっているようですね。今年はホントに度重なる台風上陸にうんざりです。まるで、あの映画「デイ アーフタ トウマロー」みたいではありませんか。
 で、この湿気にやられたのか、ワタクシ、ちょっと風邪をひきまして、ちょっと寝込みました。ま、まったく大したことはないので、今や完全復帰なのですが、昨日はさすが眠くて眠くてだるくて仕方ありませんでした。で、ま、太クンの誕生日が過ぎていたこともあり、焼肉でぱ〜っと元気になろう!ということですぐさま意見は一致。いそいそ出かけました。昨日、開店の某店へ。そこで食べたチャゲがよかったのかも。肉はお腹にもたれ、夢見が悪いほどでしたが、あの香辛料たっぷりのスープが風邪にはよかったかも。それで、ナント、今日も我が家でチャゲにしてしまいました。なんたって、今、ホライゾンの追い込みですから、寝込めない。いやあ、風邪には唐辛子ですね。お腹もグルグルびっくりしていたようですが、毒素も出してくれたかもしれません。
写真は台風22号の余波で波が高い手広海岸での家族連れ。こんなに波が高いのですが、観光客にとっては、しばし恨めしい波なのでしょうね。ちょっと危険だとは思いますが、写真をとってしまいました。場所は龍郷の手広海岸。ここはサーフィンのメッカ。台風ともなるとサーファーが波を見に何人もやってきていました。

       

  明日、県知事の「語ろ会」ですね。   10.5

 いつかはお会いできると思っているのですが、明日、新県知事と語ろ会がありますね。語ろう会ではないことに、面白さがあるのだと思いますが、司会進行をすべて知事がするというユニークなものらしい。で、どういったことをどういった手際のよさで語るのか興味シンシンなので、いってみようかと思っています。いままで、県各地でやられてきたそうですが、奄美では唯一瀬戸内町というのが面白い。群島のまんなかという感じなのでしょうか。また、翌日にはカケロマ、請、与路島までいくというのが珍しい。瀬戸内の町長がいっていましたが、何でも県知事がこの離島を回るのは、ホント何十年ぶりらしいです。それで、ホントかどうかわかりませんけど、住民に日の丸の旗をもって歓迎するようにといったそう。ま、これは飲んだ席でのことなので、ほんとか冗談かはわかりませんけど。
 しかし、明日は実は太クンの51歳の誕生日なのですねえ。妻が出かけては誕生パーティどころではないですよね。まあ、この年なので、ちっともうれしくないといっていますが、でも何食べさせてくれるのですって。もう、食べることしか頭にないのは息子と同じ。



急に秋めいてきました。   10.3

 奄美も今日あたりから急に涼しくなり、秋めいてきましたね。朝がたは、ホント、薄い夏フトンでは寒いくらい。ま、私は低体温だからかもしれませんが、お腹を出して寝ていた太クンも最近は丸まっています。
 今日は小学校の運動会だったようで、朝の早いうちに大きな花火がドド〜ンとなったのでした。中学校は少し遠いのですが、小学校はすぐ近くなので大変。また、幼稚園が目の前にある我が家では、朝からぶんちゃかぶんちゃか鼓笛隊?の練習の音がします。ちょっとうるさい気がしますが、でも子どもの声がするのはいいですね。我が家の3人の子どもはいつの間にやら横も縦も態度も大きくなってしまって、ホント小さい頃がなつかしいです。
 昨日も今日もホライゾンのデザインをしています。電話が鳴らない事務所でジャズを聞きながら、コーヒー飲みながら、黒砂糖とごま菓子をついばみながら、あれこれ考えています。
 

住用村の十五夜   10.1

9月28日は、旧暦8月15日にあたり、各地で行事が行われました。特に有名なのは県指定民俗文化財である油井の豊年踊りでしょう。始めに綱引きがあり、獅子が登場してきて、綱を切って、それを集落の人がつなぎ、またそれを獅子が切るということを繰り返します。この獅子の綱きりを撮影しに、太クンは、空模様が悪いのに、瀬戸内へ行ってしまいました。ま、天気が悪いし、どうせ、いい写真はとれないよ〜と思って私は随行しませんでした。代わりに住用村西仲間というところである十五夜行事へ夕方出かけました。
 ま、台風21号が奄美をかすめるという天気だったので心配でしたけど、区長さんに問い合わせる予定通り行うとのこと。ここの大綱引きは女性陣と男性陣に分かれ、綱はやはり、一回綱をおじいさんが切り、それをまたつなぎ、2回目に女性陣が綱を切って、それをうわ〜とばかりに川まで運び、川に投げ込むのです。女性が勝つと豊作なんだとか。ま、儀式なので、実際には形ばかりの綱引きでしたけど、川に投げ込むのが面白かったです。息せききって走ったので、ほ〜らこんなにぶれちゃった!ま、デジカメともうひとつ一眼レフをもって走ったからということもあるのですけど、雨がざ〜と降ってきて、カメラを隠すのに必死でした。遅れて男の子たちがやはり綱を川へ投げ込んでおしまい。公民館で八月踊りを踊り、さあ、いよいよ、土俵で「さお踊り」か。と思われたのですが、ナント、台風などで集まり具合があまりよくないので今年は中止になってしまった!!誰もあがらない土俵のなんと寂しかったこと。
 さお踊りはさおをみんなで横にもって左右に分かれ、上にあげたり下にしたりして歌い踊ります。これが稲穂を表しているとか聞いたことがあります。他ではみられないものだけにう〜ん、残念!
 子どもたちはこの集落の子だけでなく、近辺から集められ、八月踊りの歌い手はほとんどがおばあちゃんたちで、後継者がいないのが、今後大きな問題です。どこでも似たり寄ったりなのでしょうが、絶滅危惧種は動植物だけでなく、こうした民俗芸能なども緊急性を帯びているのでしょう。来年また来ますとご挨拶してきました。区長さん、ありがとうございました。

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