2004年1月の編集日記

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森 チエねえさんの85歳のお祝い  1.30

 ひぎゃ唄の名手として知られる森ちえさんの85歳の歳の祝が昨日ありました。いつものことながら20分ほど遅刻していくと、勧められた席がなんと舞台のすぐ下。とんでもないと佐竹さんたちがいる席へ移して貰いました。そこは石原久子、安田宝英、渡哲一さんといったチエ姉さんと親しい唄者の方たちとが座られていました。石原さんは、宇検村湯湾のご出身でものすごく独特の歌い方をされる唄者で、65歳?位かな。三味線をもって歌われる女性唄者の走りですよね。一度聞いたら忘れられない歌い方です。私、隠れファン。で、安田さんは喜界島で民謡教室を奥さんの末子さんといっしょに開き、牧岡奈美さんやら川畑さおりさんを育て、島唄人口を増やしている方。もう、80歳近いけど物腰がやわらかでお酒を全くのまないので、しきりにみんなに勧めていました。私も何杯いただいたことか。渡さんは、加計呂麻出身。やはりお父さんがシマ一番の唄者で小さい時から、唄に親しんでいたとか。安田さんも石原さんも同じようなことをおっしゃっていましたね。やはり昔はそういった環境だったでしょうね。渡さんは今、春日保育所などの子供たちにシマ唄を教えているのです。2月8日には町文化祭で総勢40余名のチビッコと舞台発表ですって。楽しそう!その他、松山美枝子さんやら森沢さん、生元さんなど唄者がたがいっぱい。盛大な会でした。
 しかし、なんといってもチエ姉さんの声の艶っぽさにはびっくり。いつもはスナック千枝でビール飲みながら歌ったりしていたけど、今日は違います。快い緊張感と大きな喜びに包まれて、チエさんの声は本当によかった。是非、音源として残しておいてほしいですね。それと昔の写真よりきれい。若ければ、若いなりの歌い方というのがチエさんの言葉。若いというのはそれだけの歌い方なのかも。年輪を重ねた唄には、人生が投影されているのでしょうね。素晴らしかったです。


リュウキュウアサギマダラの越冬  1.28

実は最近何回もこのリュウキュウアサギマダラの越冬風景を観察しに行っていました。場所は内緒ですが、3ヶ所くらいに足を運んで、わかったことは、海岸沿い(食草が海岸植生だからだそうです。)のあまり風が吹き抜けない所で寒いときには枯れ枝やツルにじっとして枯れ葉のようにしているのですが、暖かくなってくると眠りから覚めるように羽を開いたり閉じたり、まるでのびをしているようなのです。
 陽気におだてられた眠りの浅い子たちが、まだ眠っている子たちを起こすようにやってくると、バタバタと反応するのですが、またまた眠りに落ちていくのでした。いやあ、みているとホント時間を忘れますね。あるところでは、モクマオウの林のなかにいるのですが、ちょっと写真にはきれいにならない。後がきれいにボケないと思っていい場所さがしをしていたのです。羽を広げたのも撮ったのですがあとでまたご紹介しましょう。こうしていると、カメラマンが「亀のように待つから、カメラマン」などという駄洒落がよくわかってくるから面白いです。この蝶は奄美が北限らしいです。なぜ群れるのかはよくわかっていないようですが、鳥から守る防御という意味もあるかもしれないと、蝶の研究家の方はいっているようです。ふ〜む。

  
サトウキビ栽培で島起こし  1.26

昨日、笠利方面を走ってきました。久しぶりの暇な日曜日だったので、リュウキュウアサギマダラの越冬を見に行きがてら、海岸付近で昼寝をしてしまいました。途中、キビ刈り風景に出会ったのでパチリ。ここは耕地面積が広く、平らな土地なのでこんな大型機械も使えるのでしょうね。名瀬市内にいるとなかなかお目にかかれない風景ではあります。
 さて、奄美大島にサトウキビが伝わったのは、17世紀初頭。1609年に奄美は薩摩藩の直轄地となり、このキビ栽培を強制されました。奄美の人々は「黒糖地獄」といわれるほど、辛い悲しい時代を余儀なくされたと聞いています。キビは黒糖に加工され、当時財政難だった薩摩藩は借金を返したのみならず、一躍金持ちになったといわれていますよね。これは藩政末期のことらしいのですが、奄美の人々はなめることも許されず、違反したものは厳罰に処されたとか。こんな時代に生まれていたら、ホント、わたしなんか、生きていられなかったでしょう。このキビさえなければと思った時代もあったでしょうが、今、300年近くたって、おおきな意識転換が始まっているような気がします。?ま、私だけかもしれませんが。
 というのは、このキビから作られる黒糖原料のキビ酢、黒糖焼酎が日本中に知れわたり、大ヒットというではありませんか。滋味豊かな黒糖がもつミネラルやカルシュウムが体にとってもいい。今や長寿の秘訣だとか、もてはやされていますよね。にもかかわらず、生産者が高齢化して後継者がなく、キビが足らなくても増産体制がなかなかとることができないでいるのです。昨日、たまたまお会いした北九州の酒の小売店舗のかたがいうには、「奄美産の黒糖で作った焼酎を造って欲しい」と。そう、奄美の黒糖は原料はほとんどが沖縄産、あるいは外国産に頼っています。この写真のキビは黒糖原料になるのではなく、おそらくザラメになってしまうのですよね。黒糖焼酎は、奄美が日本復帰したときに、原料にサトウキビを使っていたことから、恩典として一時仕込みに米麹を使うことを条件にして、酒税を安くしてもらったという経緯があります。しかし、その原料が奄美産でないということが、この社長、とてもがっかりしたというのです。そりゃ、わたしもガッカリしますよ。てっきり、奄美産と思われていますよね〜。
 キビ酢はサトウキビの絞り汁を煮つめたものに天然水を加えて自然発酵させたもの。これは昔からの農家の知恵だったのでしょう。しかし、キビから酢が出来るのも不思議ですね。キビ酢は健康飲料として爆発的な人気ですし、黒糖焼酎も島産キビということで誇れるようにしていきたいですね。少々高くても都会の人はおいしいモノは買ってくれるのですね。放牧で畜産をやり、バガスを餌にして、ウシの糞はまた土に返してあげる循環型農業。ウシにも環境にもいいですよ。そうそう、今、焼酎粕を再利用できるように研究開発が進められてもいますが、これは是非、成功させたい。焼酎粕からクエン酸飲料ができるようになれば厄介物が、島起こしで新しい産業を模索している奄美の起死回生の切り札になるやもしれません。キビをめぐり、耕地面積やら後継者やらいろいろ課題はあるでしょうが、高くても上手い本当の奄美産焼酎を買うお客さんは必ずや、いっぱいいると信じています。

寒い日はシシ汁!  1.22

 いやあ、奄美でも寒いですねえ。湯湾岳では、もしかしたら雪がふっているのではないのと思えるような寒さです。で、こんな寒い日なので太クンの発案で、急に冷凍庫で眠っていたいただきもののシシ肉を食べようということになり、圧力鍋で柔らかくして、ダイコンやら白菜やら入れて、塩味のシシ汁をつくりました。こういうことになると俄然はりきる太君。野菜を買いに走りました。結構、買い物好き。特に食べ物のときは御願いしないうちに自分で走りに行きます。これには感謝!
 そういえば昨日、男女共同参画社会のアンケートがきていて、23日までの催促が来ていたので、ようやく書いて送りました。男女が同じ権利のもとに同じ責任を負うというもの。アタリマエといえばアタリマエなのですが、女性は守られてきた部分と制限されてきた部分といろいろですよね。守られて良かった部分、でもやりたいことがやれなかった女性も多いかもしれません。女性の問題でもあるのですが、パートナーである男性の意識問題にも関係してきますね。さて、我が家は太くんが強いのか、はたまたわたくしが?なのか??

ひとつひとつクリアしていきます!1.20

ふう、今ひとつ仕事を終えました。航空機のトラブルでエア便が飛びませんが、インターネットというべんりなものがあって、私の分は、ま、一区切り。で、これから、また継続の校正を終え、明日からは教会の仕事。その次は、新規の大仕事がまっています。ふふふ。
 24日には奄美沖縄文化経済交流シンポが奄美観光ホテルで1時半からありますね。琉球大学の高良倉吉さんの基調講演が楽しみ。ご存知でしょうか。「琉球の風」の時代考証などもされたかたですが、史学などの教授でありながら、ロックや沖縄系歌手や音楽の都会への仕掛け人でもあるとか。奄美には結構、こられているようですが、テレビでは拝見してはいるもののお目にかかるのは初めて。沖縄の仕掛け人の方が奄美に関してどうお話されるのかなあ。やはり沖縄文化圏のなかの一部としての奄美だというのかなあ。夜には出水沢藍子さんたちとお会いすること予定。この日だけは撮影や昼食会もあって超多忙。
 来月にはそろそろホライゾンの御願いを考えようとしています。昨日、田中一村の長期的な企画をという有る方のお話もあるし、郷土料理も考えたいし、島の自然にももう一度、はじめからスポットを当てたいし。島々の祭りもやりたいし。やらねばならないことがいっぱいです。だから、今年からあまりいろいろ委員は引き受けない事に決めました。去年はいろいろ受けすぎて、おまけにイベント続きで息つぐ暇もなかった感じ。今年から少し、長期に構えていかなくてはと思った次第です。でも2月は公民館講座の閉校式。島唄発表にでられるか。一度、けじめでみんなといっしょに歌おうかな。まさか、見に来ないでね!来るわけないか!


やっぱり!!    1.18

 信じられないとは思いますが、私、今年もまた、しもやけが出来てしまいました!!信じられない!!こんなに暖かい奄美なのに〜!!。頭のなかもきっと霜焼けなのだわ!!ぼ〜っとしているのは!!しもやけの原因は、筋力が衰えているからかもしれないと、先日、トレーニングジムの方にいわれました。そ、そうかもしれない。でも、しもやけは小学生からだったからなあ〜。結構、運動していたのですけどねえ。子供産んでからは、そりゃ、特に腹筋が全くなくなったような気がしますが、それでもなあ〜。というわけで、今年は体力をつけることにちょっと頑張るつもり。でないと、明日がない!!
 今月は娘二人が相次いで成人式だったり、いろいろ出費が重なり、もやは金欠。だからというわけではありませんが、これから、お豆腐などの大豆食品と、ゴマ製品を使い、野菜と海草、そうそう、酢の物の献立を作ろうと思います。で、日曜日にはなるべく新しい料理に挑戦したいなあ。毎日、時間に追われて食べるのに精一杯。特に最近はジムに通ったりしているので、夕飯が10時近くになってしまうのです。これって、反対に体によくないような気がしますが、運動の前にたべられないしね。
 今日は太くんに、大熊で買ったカツオの塩辛を使った塩辛スパゲッティを作ってもらいました。スパゲッティは、なんか、男性が作るほうがおいしいような気がして。今日のはちょっと塩辛が強すぎたけど、サラダ用の地場産のクレソンといっしょに食べたらおいしかったです。豆腐ステーキがいつのまにか中華になってしまいましたが、正月の残りのヨモギ入りの餅で駄目押し。う、ちょっとデンプンが多かったかしら。油断すると、やはり、デンプンばかり取ってしまいますね。でも、今月は結構規則正しい生活が送れそうでうれしいです。イベントが多かった去年は、ゆとりがなかったです。自分をもっとみつめながら、なんとか、歩いていきたいですね。

ヒカンザクラ開花   1.16

毎年、この時期になるとヒカンザクラの開花宣言がありますね。ヒカンザクラは、中国南部や台湾が原産とのことですが、龍郷町にある奄美自然観察の森が一番早く開花を宣言するのではないでしょうか。久米島や沖縄の名護でも一分咲きとなっているようですが、やはり宣言したほうが勝ちですよね。
 不思議なことにこのサクラは、ソメイヨシノと反対で気温の低いところから咲き始めるようです。なぜなのかはわかっていないようですが、山など標高が高い所から咲いて、里に降りてくるのです。自然観察の森は、奄美北部にあり、植樹されたヒカンザクラが500本、うち、10本ほどが三分咲きになっていて、観察指導員の作田先生によれば、この開花状況は12月に咲き始めた去年に比べても、また例年に比べても遅いようです。ショッキングピンクのヒカンザクラばかりかと思ったら、なんと白いものもあるようで、3種類があるとお聞きしました。
 開花宣言がある日が雨がふりそうだというので前日の15日に撮影したのですが、今日の方が青空がでてかえってよかったじゃない!!ああ、残念。で、写真を撮っていたら、小さなハチが飛んでいました。蜜を吸いに野鳥のメジロもくるようですが、わたしが陣取っていてはきてくれませんよねえ。役場の女性に御願いしてモデルになってもらいました。いやあ、やはりドキドキして手がふるえちゃいましたよ。
 

黒砂糖の美味  1.13

 またまたご無沙汰してしまい、申し訳ありません。最近、正月ボケでしょうか。仕事になかなか集中できません。なのに、仕事はありがたいことにいっぱい。たまに外に出て取材にいくと、ずっと外で仕事をしていたいなあと思ってしまうのです。外で仕事するというのは、人間、やはり光合成ではないけれど必要なことなのかもしれません。リュウキュウアサギマダラの群れて越冬する蝶たちをみたり、そろそろヒカンザクラの開花宣言があるということになると、事務所でウダウダやっているのがほんと、いやになりますよね!
 で、取材の途中、龍郷町の水間黒糖で黒砂糖を久しぶりに買いました。10袋も買うと、いつもおかみさんが、熱々のできたての黒砂糖を分けてくれるのです。ああ、久しぶりのとろけるおいしさです。隣りで製造中の火もみてきました。ここは県道に沿った道ナリにあるので、観光客や地元の人たちも買出しができるのです。なんで、こんなにおいしいのでしょうか。

出初式  1.7

昨日、6日は奄美全市町村で出初式でした。生憎、雨混じりの空模様でしたが、太君は瀬戸内へ、わたしは名瀬市の式を撮影に行きました。駐車場探しでウロウロしているうちに、ややや、一斉放水。ネガでとるほうで精一杯でデジカメは御覧のように放水後しか取れませんでした。でも、その後、はしご車にのって市長がおもちをばら撒くと、待っていた一般市民が大勢集まり、楽しそう。名瀬はこんなに狭いのに、火事は信じられないほど多いと思います。密集しているのは、都会でも同じ。でもついうっかりが多いのでしょうか。火事による事故から生命をおとすかたもいます。自戒を込めて、本当に火事にはくれぐれも注意しましょうね。

 紬の日  1.6  

 5日は名瀬市では成人式。大島紬や振袖に身を包んだ成人者があちらこちらで、華やかに歩いていましたね。若さというものは素晴らしいもの。お肌はピチピチだし、時間はたっぷりあるしで、これからも身をいれてやってくださいね。今年は、紬着用は男子が過去最高とか。女性は紬でも振袖が多かったですね。
 商店街のアイアイ広場では、紬の日ということもあって紬に関するイベントがいろいろありました。中でも紬ショ-にはいっぱいの人だかり。ちょっと写真は暗くなってしまいましたが、それぞれも抱負もマイクで流され、それぞれの夢に向って頑張っているようです。頼もしい限り。


2004.1.4 新年明けまして
              おめでとうございます。

 2004年になりましたね。いろいろあった2003年でしたが、2004年はどんなことがまっているのでしょうか。とてもいい天気のお正月です。
 でも、徳之島空港で鹿児島からの到着機の主翼が折れた事故がありましたね。正月明けの全国紙やテレビでも、大々的に載っていたようです。こんなことで有名にはなりたくないけれど、まずは大惨事にならなくてよかったです。事故直後に空港が閉鎖されたため、帰省客の方たちは飛べもせず、帰ってくることもできず、港も満杯状態。まったく徳之島の正月は災難でした。
 わたしはというと、実は正月元旦から撮影の手伝いをしております。明日5日は、奄美での成人式がある市町村が多く、私たちも多少、忙しくなります。ま、でも以前は200人もの成人者の撮影をしていたことを思えば、まったく気が楽。ブキさんの年賀状ではないけれど、楽しみながら仕事ができればと思っています。いつもイライラアセアセしているので、。そう、今年の目標は、人を妬まず、楽しみながら、いい年を重ねること。結構、難しいことですが、思えばいつかは叶うといいますからね。
 ライフワークをそろそろ見つけたいとも思いますが、みなさんは、どんな目標をたてられましたか。


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