2003年9月の編集日記

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田辺聖子&平とみ トークショー  9.29

昨日、奄美パークで上記のイベントがありました。田辺聖子さんのなくなられたご主人は奄美名瀬の出身で、聖子さんはご主人を通じて奄美文化にふれ、そのすばらしさを小説の糧にしてきたようです。できればご主人ともお会いしたかったですね。とても面白いかたのように思います。お声がちょっと聞きづらかったので、充分把握できたとはいえませんが、とても若々しい感じがいたしましたね。
 さて、平とみさんは、「きょらさん」のおばあ役でとても人気でしたが、実際はかなりパワーのある方ですね。トークショウではご主人の進さん(背が高いかた)といっしょに子育てのこと、夫婦の口論が絶えなかったことなど笑いにまじえて語ってくれました。4人の子育ては劇団のなか、集団生活のなかの子育てはかなり大変だったことでしょう。田辺さんも後妻に入った家庭が4人の子供たち。みなさん、懸命の努力をしながら自分の表現もされてきたことに、本当に頭がさがります。とみさんの1人芝居「太陽(てぃだ)の童(ふあ)」では、初孫によせるおばあの気持ちを1人で演じられ、感動して目頭があつくなりました。中孝介クンが場面にあった島唄を弾き語り、沖縄芝居のミュウジカルのような面白さを感じました。奄美からかつて大島劇団として伊集田実さんがたの「熱風座」や「演伎座」などの面々が沖縄を一時席巻したとのこと。多少は誇張していってくれたものと思いますが、奄美の足跡が見えたようで、なんかウキウキしてしまいました。間さん、御覧になってました?

与論の百寿者  9.27

 実は今、奄美の長寿の記事をかいておりまして、各島々を回ったのですが、与論の方のお話がとても素晴らしかったのです。長寿の秘訣はいろいろ取りざたされていますが、例えば食、地域の連帯。気丈さ、暖かさ、適度な運動などですが、ひとつに感謝するこころをあげた方たちがいます。特に与論では「とうとがなし」というとても素晴らしい言葉があって、人も迎えるときも送るときも神へ祈りと感謝を捧げてくれるのです。初めて与論に行った時、民俗村の菊 千代さんという方が手をあわせ、「とうとがなし」とおっしゃったときにはちょっと鳥肌がたってしまいましたよ。で、この前、与論にいったとき、101歳の女性にお会いしたのですが、帰り際、「とうとがなし」とまた手をあわされてしまいました。このときの感動、胸に込み上げてくるものというのはなかなか表現できません。50才の私に、101歳の方が手を合わせてにこやかに見送ってくれる。これは本当にすごい経験でした。その方は「人の悪口は絶対いわない」そして噂話もしないというのです。私は生き神様をみたような気がしました。



電話の応対    9.25

またまたご無沙汰しております。さて、今日は、なぜか鹿児島県の保健福祉課から電話があり、ホライゾン15号がほしいというので、へえ〜、なぜなのかなあと単純に思い、なぜ15号なのですかってきいたのです。と、その女の子、電話をふさぐこともわざとしないで、「ねえ、なぜだってきいているのよ。そんなこといわなくてもねえ。」なんていうのが聞こえるのですよ。で、代わった次の女性も迷惑そうなむっつりした声で、「15号には長寿野菜が載っているからです」だって。そうかあ、単純に納得した私ですが、これら女性たちの電話の応対にはちょっと考えさせられました。だから、だめなのよねえ。名前をきいておけばよかった!今日はずっとたまってしまった仕事(毎日仕事をしているのに、なんでこんなにたまるのだろう!)をしておりました。ホライゾンがなかなかしっくりいかないで、あせっております。なんせ、11月初旬には発行しなくてはいけないのですからね。あと一ヶ月なのですよ。
そうそう、土曜日は奄美郷土研究会で、もと熱風座の大島実さんのお話会があります。どんな話をしてくれるのだろう。まさか、着流しスタイルだったりして!ふふふ、みなさん、聞きにいきませんか。一度、スタジオでお話をきいたことがあるのですが、かなりハチャメチャ人生で、面白かったです。


今日は台風15号   9.20

 今日は台風15号が奄美を直撃しましたね。ちょっと長めレポートをまとめていたので、結構集中できるかなあと思っていましたら、なんと弓削政己さんがコーヒーを飲みにニコニコしながらやってきました。電話でしゃべったら、すぐやってきたということは、どうも下から電話したらしい。で、弓削さんの好きなアラジンのコーヒーを飲みながら、お話をパソコンうちながら聞いたのです。実は弓削さんたち、今日は西表島へジュゴンの化石調査に行く予定だったらしい。今日の日のためにいろいろ仕事をこなしてしまったのに、台風到来で昨日のうちに断念した弓削さんはお金を払い戻し、お酒を飲んでしまったのですって!台風がくるとなぜか心ウキウキになるって子供みたいな弓削さんでした。で、対応した太君、「お酒にかえてしまうなんて、研究者らしくないんじゃないの?」ははは、それもそうですよねえ。そんな弓削さんが今昭和初期の奄美の禁酒広告の研究をしているから、またまた面白い。

夜ネヤ島ンチュ リスペクチュ!  9.15

13日〜14日は、奄美パ〜クで、奄美群島連合青年団主催の「夜ねや島ンチュ リスペクチュ!」がありました。台風一過、実行委員の人たちはたちは大変な心労と舞台設営でほとんど徹夜状態だったことでしょう。本当にお疲れ様でした。開催されただけでも立派です。
 13日の夕方から出かけたのですが、この日の舞台は雨の心配をしたためでしょうが、透明なテントがなんと3ケも4ケも陣取っていて、。おかげで、唄者のみなさんの顔が、鉄骨で区切られてしまい、ちょっと残念。それからやはり奄美パークでは帰りが気になるのであまりというか全然飲めませんでした。これまた残念。それにしても恵 アンナ(里 アンナ)さんの声を初めて聞きました。来年、メジャ−デビュ−するそうですが、みなさん、応援してあげてください。しゃべりももう少し、みんなにアピールできるようにね。そうそう、ネリヤカナヤのイトウが結構いい感じにアレンジしていて、よかった。
 で、14日はというと青年団がでてくるのはいいけどあんまり裸ばかりをやらないで!瀬戸内はちょっと恥ずかしかったよ〜。それから、サモガリが新元クンがちょっとヒステリックにきこえたのが心配。城くんは、そろそろゴールインなのかな。なんか穏やかよね。ハシケンのお姉さんには唖然。リッキがちょっとふくよかになったのも、心配。それから、ああ、あんまりけなしちゃあいけませんよね。え〜、ちとせちゃんは元気いっぱいでしたねえ。すっかり元のようにスリムになって、ちょっとユタっっぽい衣装でしたが、ひさびさ元気そうで何よりでした。もう少し、三味線で歌って欲しかったなあ。やはり、元ちとせは、島唄が1番うまいと思うのですがみなさん、いかがですか。とにかく感想は人それぞれでしょうが、群島の青年団が中心になって、群島全体を動かしたということがすごいです。これから、自分達が面白い島にしていくといっていた言葉が耳に残りましたね。アシビの麓さんの人徳には改めて驚いております。。
 ということで、約10日ぶりの書き込みを終ります。(ちょっとレポートで忙しかったのですよ。ごめん)

新民謡コンサート   9.11

うふふ、昨日、新民謡コンサートへ行ってきました。もしかして、雨がふるかもと思ってよせばいいのに車で行ったので、渋滞で大変。結局、オープニングに間に合わず、記録ビデオの最中でした。でも、ま、いいか!で、始まったのですが、うんうん、そうそう、頷きながら自分でも歌っている人が私だけではありませんでしたよ。わたしなんか、みなさんと時間を同じくしてきたわけではないのに、ホライゾン17号で取材したからでしょうか。うれしくて、ついニヤニヤ歌っちゃったのです。でも、「島育ち」「夜明け舟」「島かげ」「農村小唄」「本茶峠」「名瀬セレナーデ」「ソテツの実」などは、もちろん、歌えるのですが知らない歌もいっぱいあるのですねえ。せめて2年に一度はこんなコンサートをやってもいいのにねえと思った次第です。やはり、加計呂麻慕情を作曲した久永美智子さんが、歌手としてもあのメンバーの中では1番好き。歌に情緒がありますものねえ。新民謡もやはり声がうまいだけではなく、情緒よねえ。しみじみがやはり感動的。これは歌全体に言えるものなのかもしれません。村田実男さんの3男の実さんは、実はジャズが専門なのですって。だから、ハスキーなのですね。彼が作詞作曲したという「ゆうなの花」という歌がとってもいいらしいのですが、今回はでませんでした。次回、新しい歌ということで是非聞いてみたいです。
 他に「島育ち」の作詞、有川邦彦さんの長女の瑞江さん、作曲者の三界稔さんの三女の方たちが歌いましたね。これって、ホライゾンの縁からいろいろ発展していったのですよ。そういえば、プログラムに、実行委員長の文 秀人さんの言葉が載っていましたが、「詳しくはホライゾン17号に載っていますから、是非ご一読を」なんて書いていただいております。文さんは、こういうところがあるからねえ。この前お会いした時には、そんなこといっていなかったけど。ホント、ありがとうございました。セントラルの社長、正樹さんも司会があっているかも。あのセンスは、もっと磨けばいいのに.。思うに歌や芝居って、芸術というよりまずは楽しむこと。しかめつらしく、なんだか評論家になってはいけない。復帰前後に燃えた感動は、ホントにこころから熱唱したのだと思います。なんだか、時代を共感したような気分でした。


黙々と  9.8

イベントがひと段落し、今ホライゾン18号の編集作業に黙々と仕事をしています。あ、でも明日は新民謡コンサートだわ。それから、金曜日は自然共生プラン策定委員会。で、土曜日からは夜ネヤ島ンチュリスペクチュでしたねえ。でも台風も来そうではありませんか。そうそう、潮音県体も入っているというのに、一体どうすればいいのでしょう。やはり、黙々と仕事をこなしておくしかありません。ホライゾン18号は、今回ちょっと増ページします。復帰記念号なので、ちょっとだけおまけです。ちょっとと思ってもいろいろ経費は上がるので、みなさん、よろしくお願いしますね。実は、例年、12月初旬発行なのですが、11月に復帰記念式典がおこなわれるため、いつもより一ヶ月以上も早めに発行しなくてはなりません。それにしても、ああ、もっと時間がほしいなあ。遊べる私と取材して回れる私と、事務所でデスクワークする私と、母であるわたしと妻(刺し身のツマ?)である私。

世界の奄美人(あまみんちゅ)大会   9.5

 あれ、同じ日にと思うでしょう。当の私もそうなのですから。実は下のは今朝、書いたのです。そして、今、夜の11時すぎ。今日は、奄美文化センターで、世界の奄美人大会でした。始めは、パネルトーク。コーディネーターにホライゾンでもお馴染み、出水沢藍子さん、あと、東京奄美会、南カリフォルニア奄美会、十島村の村長、ロバート.エンドリッジさん、そしてご存知楠田豊春さんの登壇。まず、自己紹介で、エンドリッジさんが、「異民族支配側からやってきました」といって、会場をわかせました。こういうユウモアが外国の方はあるのですねえ。彼の研究は、米国公文書簡から見た奄美の復帰がテーマ。若干30台半ばですが、素晴らしいです。当然の正当な復帰という要求を続けた奄美の人々の運動をとても評価していました。研究で入手したアメリカからみた公文書簡を県立奄美分館に寄贈。これらや奄美の自然と文化を研究する大学の必要性まで述べておられましたね。とてもうれしかったです。
 名瀬小学校6年生100名ほどによる「断食悲願」の詩の朗読があったのち、客席も総立ちして、「日本復帰の歌」をうたいました。いやあ、壮観でしたね。蔵満先生、お疲れ様でした。楠田豊春さんは、これに継ぐ新しい奄美島起こしの歌をつくれないかと提案されていましたが、そう、歌がもつパワーというのはすごいですものね。みんなのこころを1つにするもの、だれかつくって。
 そういえば、「ゆうなの歌」でしたっけ・村田実男さんの3男の実さんが、作詞作曲したものをちょっときいたのですが、うごい良い詩だし、歌もいい感じでしたよ〜。


喜界島へ行ってきて  9.5

毎日あわただしく過ごしてきて、ちょっと頭が混乱気味です。復帰イベントはあるし、長寿の取材はあるし、ホライゾンの追い込みもあるし。なんかとても不安です。また取材陣も次々くるしねえ。
 喜界島へいってきました。モクマオの炭焼きをみてきましたが、珊瑚を使った炭焼き小屋が今、補修中とのこと。なぜってね、燃えてしまうのだそうですよ。サンゴが。それで、小屋にひび割れがはいってきてしまったため。でも、始めは試行錯誤ですから、仕方ないですよね。頑張って下さい。喜界島での収穫はこれ。フクラカン的ですが、蓬餅のようにヨモギの葉につつまれていて、一口サイズだし。おいしかったです。レーズンが入っていましたね。あと、喜界には、なぜだか神社がいっぱいある。奄美より、小さい島なのに神社がよく目立つのですね。これはなんなのでしょうか。沖縄系?大和系?
 そうそう、ちょっと発見。喜界島では、小野津と志戸桶には女傑が多いとか。喜界女(キャーウナグ)は働く者で有名だそうですが、この集落は特に有名とか。これも何故なんでしょうねエ。喜界島へいったら喜界図書館横にある資料館へいってみましょう。西島先生が、いろいろ教えて下さいます。
志戸桶小学校では、裏に高倉があり、周りとは違う風情が漂っていました。

 平瀬マンカイから笠利八月踊りへ  9.1

いってきました、秋名へ。でもショチョガマへは参加できず、平瀬マンカイも対岸の東側へいってました。そこは、潮が満ちると歩けなくなってしまうので、4時ころに出かけました。おばあちゃん二人だけの祈りです。サンゴ石を上下におこわご飯をサンドイッチして、決められた岩の上にのせて、「とうとがなし」といって来年の豊作を祈るのです。昔は東がわでもショチョガマをやっていたとか。秋名では以前は3ヶ所でショチョガマ、平瀬マンカイをしていたそうですね。みんな、競争してどこが1番早く、ショチョガマをユリ潰すかといったらしいです。それはそれは壮観だったでしょうねえ。やがて、公民館の前で、おぼこりの八月踊りが始まりましたが、ちょっといっしょに踊り、早々に失礼して、笠利の屋仁、佐二、用、大笠利の八月踊りを見て回りました。いやあ、疲れましたが、素朴な笠利の八月踊りはすごいいいですね。笠利はゆるやかな丘が広がるくらいで音がずっと響くのですね。あちらこちらでもチヂンの音が聞こえ、三日月の月が夜の海に映え、星がいっぱい広がっていて、とってもいい感じでした。やはり大笠利が子供も大人も年配者もいっしょで、活気があったですね。用はちょっとさみしかったなあ。森沢さんが、唄って踊っているのを、垣間見てきました。帰りは、すっ飛ばしてきましたよ。だって、眠たくて眠たくて。 でも踊ってきたかったなあ。いつか絶対八月踊りを特集したいですね。でもどうやれば紙面にのせられるか。一度、歌詞をのせたことはありますが、やはりそれ以上は難しいでしょうか?

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