2003年3月の編集日記

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島尾文学研究会  3.31

 29日の土曜日は、朝からホテルビッグマリンで、島尾文学研究会が開催され、延々5時近くまで、講演とシンポジュームを聞いておりました。作品から、ヤポネシア論を考えるといった内容で、ローカルな地域性や文化を認め合うヤポネシアの発想こそ、今日性があるというもの。
 刺激された沖縄がウルマネシアとか、オキネシアというのなら、奄美のアマミネシアなどと、自ら発信するべきではないかと言うことだったと思います。
 さて、アマミネシアと言う言葉にニンマリ。だって、ホライゾンの前身は、実は「奄美ネシア」という名の情報誌だったのです。奄美群島観光連盟が発行しておりましたが、当時、誰だったか、やはりヤポネシア論に刺激された感じで、この名称をつけたのだったと思います。
 ま、趣旨は、このホライゾンが受け継いでおりまして、高阪 薫先生(甲南大学教授)は、ご存知ないのでしょうね。内容はやさしいようで、とても難しい問題も孕んでいて、ま、受取り方ですね。
 ミホさんにもご挨拶いたしましたが、マヤさんが亡くなって12キロもやせられたとか。現在は回復したようで、最後のお礼の言葉は、とってもうれしそうで、何よりでした。そうかあ、島尾さんがなくなってから、もう、17年がたつのですね。
 この会が奄美で開催されるのは、はじめてだそうですが、北海道、関西、東京、沖縄などから続々、研究者が来島。同じフロアにいることがとっても不思議な感覚でした。久々、記者の仕事をしました。


それぞれの復帰  3.28

 いやあ、一週間もたってしまいましたね。実は娘の引越しを手伝いに沖縄へいってきたので、またまた時間がたってしまいました。申し訳ありません。それになぜだか、急に首に湿疹みたいなのができてしまい、大変な一週間でした。湿疹は、ストレスと疲れが主な原因とか。そうでしょう、いやあ、最近、またクマが現れだしたのです。ぎょ!! 沖縄では、ホテルの人が帰りのチケットをゴミ箱へ捨ててしまったようで紛失。でも、部長というかたがすかさず、空港まで送ってチケットを購入してくれました。二重購入ですが、もしでてきたら、お金は戻ってくるようです。イライラしましたが、ま、これで一件落着でした。
 沖縄へ行く前に、郷土研究会で実島さんの講演会と、7人の出版記念をかねた復帰を語る場に行ってきました。復帰前の青年団長で、その後NHKの記者になった実島さんの話は、年表を確認するようで淡々としているような,それでいて内なる情熱を秘めているような語りという気もしましたが、復帰25周年のときのテレビ放送が面白かったです。若い実島さん、楠田豊春さん、亀井フミさんの話が面白い。アマシンの期限切れという状態は同じで、今のこれからと同じようなことをいっているのです。成長がなかったということかなあ。観光産業が100億円以上だったのは、いまより凄いし、紬も300億円をこえていた(本当かなあ?)のですから凄いです。今は10分の一に近い。物価が日本一たかいといっていましたが、でもすごい好景気でしたねえ。焼酎の話はでていませんでしたけど。
 それぞれの復帰しゃべり場では、ま、つかれもあったのですが、研究的な人々が集まっていたので、なぜだか急に気持ちが悪くなって、こらえきれなくなって途中で帰ってきてしまいました。間さん、佐竹さん、すみませんでした。
 そういう疲れが残る頭で沖縄出張だったので、毎日、ハブドリンクとか栄養ドリンクを飲んでいましたよ。やはり、この年になると食事だけでは、栄養分やビタミンが足りないかも。一週間ぶりなのに、取り留めなくてすみません。これから、ホライゾンも復帰関係の取材を行っていきますが、分かりやすくを心がけます。

吟亭  3.21

昨日、鹿児島から仕事関係で来島した人のため、やはり島唄を聞いてもらおうと、吟亭へ案内いたしました。いつも調子にのって酔っ払ってしまい、翌日真っ青になってしまうことが多い私は、極力お酒をセーブ。ま、無理にすすめる人もいなかったので、よかったけど!!で、ですね、吟亭のミニ舞台では、もちろん、唄者の松山美枝子さんが歌ってくれたのですが、森沢さんという年配の声と三味線がなかなかしぶく、もっときちんと聞きたいなあとおもいましたね。見た目もとてもしぶいイイ感じのかたですが、きいた話では中孝介くんや、森田純一さんまで泣けてきたとか。う〜ん、わたしの感性は、そこまでピュアではないので、だめですが。松山さんのお孫さんのまりなちゃんたちが、かわいらしい歌声をきかせてくれて、それはそれでバラエティーに富んでいました。マリナちゃんは、最近、三味線に興味をもってきたとか。まだ、幼稚園生ですよ。すごい好奇心。やはり、環境がそうさせるのでしょうね。

 なんの工事?  3.18

さてさて、名瀬市役所の真ん前の角の家がいつの間にか跡形もなく消え、(いったい何があったけと以前の姿も思い出せないのですが)今工事の真っ最中。一体なにができるのかなあと思って今日、工事中のお兄さんに聞いてみました。
藤原荘という今まで民宿をされていたところが3階たての建物を作るのだそうです。むむ、そうかあ、規模を大きくして民宿から脱皮(失礼)するのですね。場所はいいし、いいお客もつくでしょう。

特産品  3.17

実は牧岡奈美ちゃんから喜界島のお菓子をいただきました。なんと、花良治みかんの羊羹とじょうひもち。花良治ワインは聞いたことがありますが、これは初めて!最近、ゴマ菓子がとても人気ですが、(というよりわたしが買い込んでいるのですが)、これもなかなか!かもしれません。実はまだ食べていないので、すみません!でもいい感じではありますよね。先日は、田イモの餅がゴマでまぶされているのを食べておいしかったのです。今日、瀬戸内へいったので、Aコープでまた買ってこようとしたら、今日はありませんでした。残念。奄美でしかできない特産品のお菓子をどんどんつくってください。包装はデザインも考えてお願いします。ふふふ、私は試食役!

ピンポンズ  3.13

昨日、某講演会とその余興へ行ってきたのですが、本当はピンポンズをみたかったからなのです。ピンポンズって、ピンポンをする人たちじゃあ、ありませんよ。あのね、貴島康男クンと歌好きなメンバーが集まって、つくったバンドなのです。ま、康男くんがいなければ、だめなんですが、おもったよりまとも!あ、失礼!だって、以前、康男くんに聞いた話では、ガシャガシャやっているだけといっていたものだから。うん、よいすらのアレンジは聞いたことあるけど、いいよね。ま、客層が年配者が多かったせいもあって、ノリはイマイチだったけど、完成度はかなり高いと思います。でもやはり、師匠の坪山さんがでてときは、あ、やはり奥の深さに引き込まれてしまいました。これは歌の上手さだけではなく、人生を乗り切ってきた人の滋味ある歌だからなのでしょう。


嘉徳なべ加那  3.11

 先日、久しぶりに瀬戸内町嘉徳へ行って来ました。古仁屋へ続く道を左に曲がり、ずっとクネクネ道を行くと嘉徳集落の入口へ。ここにはよしかわ藍染め工房がありますが、同時に嘉徳遺跡の看板があります。嘉徳遺跡は縄文後期の市来式土器がみつかったところで、鹿児島黎明館には、笠利の宇宿貝塚とともに、名前が出ていました。地主さんが許可を出さなかったためその後の発掘はできなかったようですが、縄文後期からすでに人がキャンプのような生活をしていたところのようです。ここの海岸は、ほんとうに天然そのままの海岸で山から下りてきた水が海に流れ出す河口もなだらかに存在し、太平洋に面した海岸は護岸もなく、素晴らしい絶景が見渡せ、またサーファーの南のメッカとしても知られています。だから、ほんとに陸の孤島のようなへき地なのですが、時折サーフボードをのせた若い男女がやってくるのです。
 また、島唄で歌われる「嘉徳なべ加那」の発祥の地でも知られ、写真のようにに嘉徳なべ加那のお墓が海岸沿いにあるのです。いまでもこの歌をうたう唄者たちや集落の人に花を手向けられるなべ加那さんです。そうそう、当然、はじめちとせの故郷としても有名になりました。でも、ふだんはほんとにひっそりとしたちいさな集落なのです。なぜか、猫と犬が二匹ずつ、バス停のところに仲良くいて、これもなぜだか猫があまり好きではない太くんの足に猫ちゃんが、やけにニャーゴニャ〜ゴと親しげにからみついていたのが不思議でした。なんでだろう?嘉徳には不思議な魔力が潜んでいるのかしらん?

金作原原生林
  

ヒカゲヘゴで有名になった金作原にいってきました。奄美もそろそろ新緑の季節ですから、ここも春の色がそこかしこに出ていました。新緑の野山は本当に美しいですよね。木々は教えられないのに、毎年世代交代をしているのですね。でも、太くんの話によると、ヒカゲヘゴも随分成長したようです。ここで、「風になれ」の観光ポスターを撮影したときは、へごももう少し、背が低かったのですが、成長して、今や、下に人間が入ると、写真画面のなかに、ヘゴの背が高すぎるようです。ま、ヒカゲヘゴにとっては関係ないことですが、この下で写真を撮られる方、かなり手前になってバックのヘゴを入れてくださいね。でも、新緑になりつつあるヘゴはきれいでした。これから、雨季の雨をぐんぐんすって、もっともっと大きく葉を広げることでしょう。しかし、小雨ふる森はいいですねえ。雨で、葉が濡れてとても美しいです。みなさんも、いちど是非、雨の森へ行って見て下さい。

奄美のデザイン 3.7
                              


 今日、鹿児島から帰ってきました。奄美を出るときから天候が悪く、着陸が危ぶまれましたがなんとかセーフ。いやあ、ちょっと寒くなってきましたねえ。ちょっと仕事の打ち合わせだったのですが、今日は黎明感へいってきました。一階で特産品のデザイン展をやっていて、恵原義盛さんの息子さんの照明デザイナーの裕光さんが薩摩焼を使った照明で準大賞を受賞されたほか、知名からは長谷川千代子さんの芭蕉布織りのバッグ、ヨロンからは、ゆんぬあーどる焼の急須がそれぞれ特賞などを受賞されていましたよ。
 長谷川さんは以前、紬の取材でお邪魔したことがあり、その経験をいかして芭蕉布織りを作っていきたいとその時情熱的に語っていらっしゃいましたが、やりましたねえ。ゆんぬ〜の方は、釉薬を島の素材であるさとうきび、がじゅまる、などいろいろなものでためしていて、何年か前に皿をかってきましたが、きれいな色と形で私はすきです。焼物は、好みがいろいろあるので一概にいえませんが、やはり生活のなかでたのしく実用に長けているのが好きですね。
 奄美では、こうして女性のデザイナーが増えていかないとと思っています。作家がいっぱい出て欲しいです。紬も作家の時代。織り工という卑下したような呼び名はやめませんか。みんな、自分の名前を堂々とだしていって、価値をつけてもいいのではないかと思います。

春のささやき 3.5  

沖永良部島のメークイン、「春のささやき」が今、旬です。赤土バレイショで県ブランドにもなっているオイモなのです。これが、ほんとおいしいのよ〜!!。昨日は、肉じゃが、今日はミンチ入りコロッケでいただきました。あまりおいしいと言ってくれないわが息子でもなかなか!などと,のたもうております。県の特産品ブランドになるというのは、大変なことです。県ブランドになっているのは農産品ではこれとあとひとつぐらいしかなかったと記憶しております。ま、じゃがいもそうか病というやつがなければもっと収穫が上がるのでしょうが、みなさんも是非一度お試しくださいませ。そうそう、瀬戸内町Aコープでは、さといものごま団子を売っていて、沖永良部島で食べた田芋の餅もおいしかったけど、このゴマ団子餅もおいしかった!!ゴマがいっぱいで、うふふふ、美容にもいいかも!!

まだまだ島唄です。   3.4

 瀬戸内町出身の唄者が2人、CDを出しましたね。一人は渡 哲一さん。ひぎゃ唄の大御所です。昔録音したテープをCD化したそうです。渡さんは、郵便局に勤務されていたとき、徳之島出身の中島清彦さんを教えたそうです。(清彦さんもいいですよねえ。)で、渡さんですが、瀬戸内の保育所でも、唄やチヂンを教えているのです。去年、みなと祭りで。保育所の園児を率いてパレードする渡さんにお会いしましたが、いつもニコニコ笑顔の渡さん、「いっぱい撮ってよ。」といわれて、いっぱい撮りました。来年のみなと祭りのポスターに是非使いたいですよね。
 それから、里 朋樹君。彼は小学校6年生で、奄美史上最年少でCDデビューです。相方は、妹の歩寿(ありす)ちゃん。これも最年少です。彼はとても小柄なサッカー大好き少年なのですが、島唄にかけては、根性が違うような雰囲気です。小学6年生にして、風格が漂うとは中島さんの評でした。
 実は彼を去年の夏あたりから、録音までずっと追いかけて?いまして、彼と家族の連帯感と、師匠である中野さんの姿をみてきました。もうすぐ変声期がくるから、その前に記録しておきたいというのがセントラル楽器さんですね。貴島君がテープを録音したのは、中学2年生でその後変声期で5年間唄から遠ざかっていたと聞きます。朋樹君は、変声期になったら三味線を練習すろことに決めているそうです。島唄青年部界では、やはり、男性が少ないですから、朋樹くんは貴重な人材。たくましく育ってほしいですね。

サザエさん状態 3.3

 髪の毛にボリュームがなくなったのでパーマをかけましたが、かけなれないため、かかりすぎてほとんどサザンさん状態になってしまいました。仕方ないなあ。伸びるまで待つしかないかなあ。なぜかかっこよくなれない昭和20年代後半生まれのわたくしです。
 さて、今日は瀬戸内へ行ってきました。ひさしぶり!なんていわれて、いやあ、なんたって今年はじめてだったのです。恥ずかしいなあ、もう!かえりに新造船の「せとなみ」をみてきました。そうそう、去年、与路や請行きで結構苦労しましたから、でもあれもいい思い出です。この新造船にも乗ってみなくてはね。もしかして、島唄か新民謡なんか流れたりして。ふふふ。お楽しみ!
 名瀬をでるときには結構穏やかな日よりだったのに、帆船の日本丸が浮かぶ大島海峡は、とっても荒れていました。聞く所によると、日本丸のなかで、生徒たちが期末試験をやっているとか。本当かなあ。でも帆船て、かっこいいですねえ。大島海峡には、こんな帆船がとてもよく似合いますね。

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