2003年2月の編集日記

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オリオンビールの奄美復帰記念缶 2.28

オリオンビールでは、奄美群島日本復帰50周年の記念として、パッケージラベルデザインを一般公募しています。20歳以上のオリオンビール大好きあなた!応募されてはいかがですか。応募締め切りは3月1〇日と、もうすぐなのですが、報償は、30万円とか。詳しくは、098-877-1133の宣伝企画課までどうぞ。
 さて、本日、GT9800Fというエプソンのスキャンとプリンタを買いました。すごくいい色がでるのですねえ。すごい!!で、太君は、今、これに夢中。ま、お酒を飲んで、くだまかれるよりはましですけど、しっかし、経費はかかるなあ。
 

会議が目白押し  2.27

最近、会議や講演が目白押しですね。奄美の復帰50年ということもあり、またアマシンの期限切れやら、市町村合併問題、地域興しやまちづくりなどなど連日、新聞等でも拝見します。ま、わたくしもけっこう参加して、ない時間をやりくりしているのですが、思うにどうもいまだに具体的な行動に移せず、提言が多いように思います。今日も元気の出るまちづくりという商工会議所主催?の講演があったようですが、奄美の認識においては既にだいたい同じようです。そこで、なにを活用して、今どう行動に起こすかという実行部隊が起動できないのですね。ま、そう簡単にはいかないとは思いますが、いつまでも同じようなことを聞いていても仕方ありません。で、さて、どうする?
最近、このウィンドウズである関係のホームページを作成中で、娘にお願いしているため、なかなかウィンドウズに触れません。でも時間はかかるけど、女性らしいやさしいホームページができるでしょう。開設した暁には、絶対ご連絡いたしますね。
今日は、奄美群島観光連盟の総会でした。今日は14市町村の各トップが朝からずっと奄美で缶詰状態で会議をこなしていたことでしょう。島が離れていると、こうして14市町村がいっしょに話し合うのは、かなり大変です。さて、14年度の観光入りこみ数は微減なのですってね。あんなに、ちとせ効果があったのにと思いましたが、原因は台風とか。台風でキャンセルが多かったようです。今年はマスコミやら民間やら、復帰50周年でかなり入り込み始めていると思うのですが、私も重いお尻をあげなくっちゃ!!うう、来週からまた取材をはじめます。今回ホライゾンは、復帰だけでなく、奄美の魅力も述べないとね。みんながみんな復帰に関心あるわけではありませんものね。

 

 


う、う、気持ち悪い!  2.25

2月になっていろいろあったのでなかなか運動できませんでしたので、先週からまたストレッチのようなエアロビクスのようなものをしだしました。会費を払っているので、もったいないですからね。最近、沖縄から帰ってきている娘といっしょです。きのうも、8時半の夜の教室にいったのですが、夕飯にアオサの天ぷらをつくって、ちょっとつまんだのがいけなかった。すきっ腹に、油をとり、それから運動をしたので、途中で顔が青ざめてきたのです。気持ち悪い!
 でもなんとか続け、気持ち悪いのを抑え、かえってきたら、おさいふを忘れたと電話が。でも、もうダウン。
早めに寝たのに、今朝になっても気持ち悪い。皆様、運動の前には、食事をとらずに、それも油モノは絶対取らずにいましょうね。二日酔いのような、ほんとシンドイ感じです。

高校の同級生  2.21

 奇遇というのは、あるのですね。先日、出版社の方々が奄美にみえ、執筆者や写真の打ち合わせをしたのですが、奄美博物館にお迎えにいったら、あれ、O君じゃない?と直感でわかるロマンスグレーの紳士が、知り合いの編集者といっしょにいるではありませんか。でもまちがっては失礼なので、まず、「どこかでお会いしましたよね」「いえ、はじめてですが」「何年生まれですか」「昭和28年です。」「高校はどこですか?」「竹早です。」「わ〜O君でしょ。私、FですFです!!」「え〜!!剣道だったよねえ。同じ部だったよねえ!」「え!そうだっけ?」など等、博物館は突然同窓会場になってしまい、騒いでしまいました。失礼いたしました。
 彼とは東京の高校の同窓生、同じ剣道部でした。なぜか、私は、「鬼のF沢」と呼ばれていたとか。なんとあのときから鬼だったか!高校は元府立高女だったので女子が多く男子が少ない。だから女子が幅を利かせていて、男子は固まっていたような感じでした。O君はいつもにこにこしていて、大きなクロぶちのメガネをかけていましたよね。まさか奄美で会うとはね。びっくり!!
 実は考古学の本をだすそうで、はじめの企画には奄美は入っていなかったのを彼が北海道と沖縄・奄美を入れ込んだそうです。よしよし。でも、年輪を積むってやはりいいものですね。彼は、ほんとジミで、血色がいい男子というだけの感じで、特段気になるタイプでもなんでもなかったのですが、年輪を積んで温厚な紳士になったのですね。

水の女  2.19

ウーアの「水の女」を見ました。去年、奄美でのコンサートでしか彼女を知りませんでしたが、この映画を観て彼女のイメージがまた変わりました。素という言葉があうような女性なのだなあと。う〜ん、結構好きですね。
 彼女の声は、とてもハスキーでセクシーなのですが、昔、浅川マキという歌手がいましたが、ご存知ですか。はじめ、顔といい声といい進化した浅川マキかなあと思っていました。でも素なのですね。シンプルで、雲の流れのようなウタをつくってほしいなあと思います。

なかなかです。  2.17

この男性の着ているのはもちろん大島紬。上から下まで誰のコーディネートか知りません?が、なかなかですよ。
 ちょっと分かりにくいかもしれませんが,
白紬の上に羽織っているのは、女物の小柄の紬。頭が白い(失礼!)のでなかなか粋に着こなしていますよね。羽織の長さもなかなか。足袋もしっかり細かい水玉でいい感じでした。
 こうやって男性がお洒落していると、女のわたしは頑張れるかなあと自信がなくなりますが、少しは自分流に着こなしてみたいものですよね。ちょっとお金がかかるので、簡単にはできませんが、娘に買った紬で少し遊んでみようかしらん。写真が誰か分かる人は地元の人か、賑やか大好きな人。この方、かつらかぶって踊るのが特技です。へへへ。

奄美ノウタ   2.15

 なぜか、太ってきました。ストレス?食べ過ぎ?どちらもかもしれません。う、飲みすぎ?ではないと思うのですが。さて、今日は午前中仕事をしてから、奄美パークへ「奄美ノウタ」というNHK公開録音番組をみてきました。昨日会ったばかりの坪山さんやアルカスでお世話になった貴島康男、牧岡奈美さんのほか、中孝介、山下聖子などの若手唄者による島唄番組でした。小川学夫さんの解説は、ま、それほど新鮮なことをおっしゃってはいませんでしたが、島唄がグンとわかりやすくなることでしょう。
 それにしても康男くんの衣装はやはり紬がよかったのでは?孝介は全然笑顔がなく、ちょっと緊張していたのかなあ。あのベッカムヘアで余裕がなければちょっとね。などなど、まったく母親的な発想になって、いろいろいうといけませんねえ。でも全体はよかったのですよ。最後のアヤハブラはよかったですね。貴島君のあまぐるみ節も好きです。孝介のピアノ伴奏のよいすら節も。山下聖子さんもいい声していたです。将来が楽しみ。今は若いからいろいろ悩みがあるでしょうけど。奈美さんも、かわいかった。声が落ち着いてきたかな。坪山さんは、なんてったってしぶい!それにしても、何故ノウタという風にしたのかな。〜のウタならわかるけど。
 帰りに、一村記念美術館で奄美を描く美術展をみてきました。油絵だけでなく日本画やコラージュ、や色鉛筆などもあって、とても楽しかったです。3月9日まで。


伝える  2.14

 島唄者の坪山豊さんは時間をつくっては、保育園に通い、園児に島唄やチヂンの楽しさを教えています。73歳になる坪山さんですが、自分が父親の膝の上できいた島唄がある日突然甦り40才をすぎてからの衝撃的なデビューだったそうです。そんな自分の経験から、小さい時に聞いたり唄ったりしたものは、いつか甦ると信じていて、中年に教えるより、この小さな子たちに教えているのです。三つ子の100までといいわれますよね。
 「ゆたかうじ」は子供たちの人気の的、ゆたかうじ〜、ゆたかうじ〜となんども声援が飛んでいましたよ。1歳から6歳までホントに実に楽しそうに、いきゅんにゃ加那、ワイド節などを次々にゆたかうじと歌っていました。今日は晴れていたので外に出ての唄遊び。この子たちは幸せ者ですね。ほんまもんに教えてもらって。いつかきっとこの幸せが分かる時がくるでしょう。


やさしかったじいちゃん  2.13

2月8日の夜、浜田のじいちゃんが88歳で亡くなりました。9日に通夜、10日に告別式で、あたふたあたふたしているうち、今日になってしまいました。南海日日新聞が月曜日休刊だったため、残念ながら大島新聞でしか告知ができず、失礼いたしました。
 じいちゃんは、40年近く前に倒れ、以来半身不随、5年前に入れ歯を喉に詰まらせ入院、喉を切開したため声もでない状態でほぼ寝たきりになっていましたが、驚異的な生命力で床ずれもせず、看護婦さんの人気の的のようなじいちゃんでした。
 私が会ったのは20年前でしたが、そのかわいらしい笑顔にビックリ。まつげが長くてとっってもかわいい天使のようなおじいちゃんでした。その時は畑仕事をやっていましたが、昔は東京の書店でも働いていたこともあって、東京も好きだったようです。いなり寿司も好きだったみたい。私が作ったのをおいしそうに食べてくれました。奄美をまったく知らないわたしにも、本当にやさしかった。その笑顔にいつも励まされました。ありがとう、じいちゃん。
 通夜も葬式も龍郷町の円という集落の実家でやりましたが、2月だというのに、とても穏やかな日々でした。兄弟や親戚もいっていましたが、おじいちゃんはあの体で本当によく頑張った。天寿を全うしたのではないでしょうか。みんなにやさしさのお手本を残して。
 告別式の朝、別れの膳を食べました。焼酎に吸い物とおにぎり、酢の物、その次ぎに豆腐の味噌汁をいただきました。これらをおじいちゃんといっしょに食べ、あの世へ送るのだそうです。5年間もの間、点滴でしか、栄養を取れずに食べもの飲み物を口にできなかったじいちゃんでしたから、きっと、おいしいおいしいといって食べていたことでしょう。斎場へいたる本茶峠の旧道には、ヒカンザクラがなごり咲きしていて、花見もできたし、よかったね。

奄美「寓話」  2.8

 昨日、奄美サンプラザホテル向かいの寓話というライブハウスを見学してきました。オウルラウンドの音楽、グループサウンズやビートルズや新民謡などなどなんでもOKというところです。実はこのスペースは以前私達がスタジオにしていたところで、広いんです、かなり。トイレはほぼ以前の原型そのままなのですが、中はもちろん随分きれいになっていますねえ。お客がもっといればもっといいのに、ちょっとさみしかったなあ。昔なつかしブルーシャトーなどを聞いてきました。食べ物が充実しているといいのに。

フヤフヤの旨み  2.6

 島唄で「ガンよガンヨよ、住用のガンよ」とうたわれるガンとは、蟹のこと。マングローブや川などが多い住用では、昔から蟹が多かったから島唄にも歌われたようですが、昨日、このガンの料理「フヤフヤ」を食べてきました。とっても珍しい料理で冬だけの限定ですが、地元では結構今でも食べているようです。きれいに洗ったオスとメスの蟹を甲羅のみはずして、ミキサーで粉々にして漉します。これを弱火で、温めていくと、あれあれ、卵とじみたいにふわふわ状のものが、鍋にうかんできるのです。これが「フヤフヤ」料理。塩だけで味付けして、いただきます。まったく自然の蟹だけの旨み。昔は、ミキサーがなかったので、すりこ木が漉したわけで、手間隙かける料理だったのですね。オスとメスを入れないとできないというのが、なんともなんとも。こんな料理は日本中でもきっとないのでは?甲羅は油があって出汁もでるので、べつにとって違う料理に使うそうです。島味自慢をいつか特集しないといけませんね。

天才は突然に!  2.5

 眠っていた才能がある日、突然に開花することは多々あることらしいですね。自分でも知らなかった才能。そんなもの、ひとかけらでもあればいいなあと思いながら私の場合は半世紀が過ぎようとしています。ただね、今日ひさびさワクワクした方がいらっしゃいました。ジミ―大西さん。知っています?ちょと前まで、お笑い系で結構たけしとかにバカ呼ばわりされていた方ですが、今やその絵画は海外にまで知られています。立派な芸術家なのです。
 彼の絵はとっても夢があって、楽しくて色彩が華やかで、一度テレビで子供達といっしょに絵をつくるのを見たことがあります。子供の絵を使ってかれの作品を立ち上げるというもの。子供の個性や一生懸命さを受け止めて、それをさらに飛躍させていったジミ―さんの温かさは感動的でした。たまたま次女と見ていたのですが、2人してファンになってしまいました。
 ホント、才能ってどこに隠れているのでしょう。ジミ―さんも自分でもあまりわからないほどで、たまたま見出されたようなのですが、素晴らしいです。テレビの取材で奄美にやってきたようですが、わたし、娘がファンですっていった、握手してもらいました。あのいっぱいの笑顔。ちょっとお菓子を食べていたところをお邪魔したのですが、ふふふ、てれちゃいました。うれしい!自分から握手してといったのはここ最近なかったことです。やはりキラキラしている人は素敵ですよねえ〜。右の写真は笠利でみたビヨウタコノキ。同じタコノキ科でも足が長いので、ビヨウとついたのでしょうか。いやはや、スマートです。

しもやけ!!   2.4

南の方には関係ないから、あまりご存知ないでしょうが、しもやけって知っています?。足や指、耳にできたりしますよね。真っ赤に膨れて暖かいとかゆく、寒くなるといたいというやつ。小学生のときにはこれに泣かされました。勉強中でもかゆくてかゆくて、鉛筆ももてないくらい。大人になるにつれて少しずつ治ってきていたのですが、でも、ナント、この暖かい奄美にきて20年になるのに、毎年できてしまうのです!!今年は大丈夫と思っていたのですが、ううう、残念!信じられないですよ。こんな暖かいのに!冷え症ってほどでもなく、寒くて寝られないというわけでもなく、1分もしないでぐぐぐうぉ〜と寝てしまうのですが。今年は足だけです。ううううう!年とったら頭の中までしもやけになるような気がします。末端に血液が行き届いていないわけです。毛細血管が、途中で固まってしまっているのかなあ。やばい!


2003.2.1

アルカスで奄美特集

節田マンカイ

トップページにも張り出しましたが、今日から全国の日本エアシステム機内誌「アルカス」で、奄美大特集です。今までよりも結構ボリュウムあると評判です。総合テーマは「ネリヤカナヤからの彼方から」。表紙イラストは司修さんですが、嘉徳なべ加那と元ちとせをもじって描いているようです。
 執筆陣は、「精霊の森」篠田節子さん(「女たちのジハード」で直木賞受賞)、「奄美の海の生命のドラマ」は、なんと荒俣宏さん(歩く百科事典の異名をとる作家、翻訳家)、「田中一村の足跡を訪ねて」は、エッセイストの岸本葉子さん、そして「奄美の島唄」がなんと、わ、た、し!浜田百合子なのです。牧岡奈美さんと、貴島康男クンを通して島唄の深さを書いてみました。初めての体験でしたが、う〜ん、こんな風にエッセイを書いていけるといいなあ。ドキュメンタリーがいいかもね。もっと頑張らなくっちゃネ。
 写真は岸本さん以外は全部、浜田太。なかなかいい色に出ています。でもアルカス奄美特集はこれで最後です。残念ながら、JALと合併してしまい、この機内誌自体も消滅。みなさん、飛行機に乗ったら、絶対もらってきましょうね。もう、奄美特集はこんなにはないでしょうから。

今日は一日、民間版奄振統括シンポで時間をかけ、夜8時からは、笠利の節田で、唄遊びの原点といわれる節田マンカイを取材してきました。男女が座って手踊りをするのです。去年は、子供も参加したようですが、今年は男性が少なかったよう。先日、「うんにゃだる」「ほこらしゃ」大笠利わらべ三味線クラブの子供たちとおじいちゃんおばあちゃんが手踊りしていて、ビックリしましたが、ここは旧正月行事で、大人たちが楽しむものとか。男性の人数が少なかったようですが、女性はやはり元気いっぱいでした。しかし、うんにゃだると節田マンカイではどちらが古いのでしょう?なんか、笠利の人が節田に嫁いで、節田マンカイをつくったという説もあるようですが、でもやはり節田の方が古いのでは?唄は全然別物ですよね。うんにゃだるは、こどもが唄うにしてはちょっとというような、乳飲み子がいるのに代官にくっついた女性の話。節田マンカイは正月唄が中心で賑やかでした。迫力があって、うん、面白かったです。

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