2003年10月の編集日記

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イベント週間始まる  10.30

覚悟はしていたものの、やはりイベントが目白押しですね。明日から、県民体育大会です。「しおのと県体」というタイトルは、あの「日本復帰の歌」の歌詞、「♪太平洋の潮音(しおのと)は、我が同胞の血の叫び 平和と自由を慕いつつ 起てる民族二十万 烈々祈る大悲願〜♪」からとったのでしょう。これってわかる人はわかるけど知らない人には、よくわからないことだったかも。
 これにあわせてか、三儀山の交差点にある農産物販売所「ゆてぃもれ」では販売強化、また、飲み屋街の屋仁川街でも「ヤンゴ祭」で様々なゲストを呼んでます。今日、いってみようかと思っています。ぐふふ。
 で、11月4日は、名瀬臨港大橋の渡り初め、S先生は、「紬、来ておいでね」とのたまわれるので、どうしようかと思案中。7〜9日は、瀬戸内町でオニヒトデ駆除ボランティアがありますし、8日は奄美文化センターにて、女性合唱団ラ・メールのコンサートがあります。奄美パークでは「20世紀から21世紀へ」というタイトルで、越間誠さんの写真展が開催されます。24日まで。
 9日は選挙でもありますが、瀬戸内町加計呂麻ジョギング大会がありますし、大和村でムチモレがあるとのこと。ムチモレはいきたいなあ。男の人が風呂敷かぶって踊ったりします。無礼講。東京では東京奄美会の50周年大会があるようです。ホライゾン18号がこれに間に合えばいいのですが、今、最後のチェックに追われています。今回は、結構ぎっしり記事が入っていて、メガネかけてみなければ、ちょっと大変かも。だんだん、文字が小さくなってしまって、反省はするのですが、欲がですぎて情報がいっぱいになりすぎるのです。ふ〜。

復帰展   10.26

今日もいい天気。でも、ちょっと疲れ気味。
 さて、復帰50周年記念展が奄美博物館で10月23日から12月28日まで開催中。ここには、写真資料などのほか、実物資料がいろいろ展示されています。復帰協議会の立て看板や当時配給されたユニセフのミルク缶(結構大きいのですね。勘違いしていました)、やはり配給されたHBT(エイチビーティー)といわれる米軍の中古衣料などが展示されていました。中古衣料はオーバーなどはかなりゴワゴワなのですね。あれから作り直して何をつくったのでしょうか。上着の方は薄かったです。
 それから、音声がないのですが、当時のビデオ映像がかなり面白かったですね。コンクリートの校舎をたててくれたオグデン氏がつくったオグデン校舎が写っていましたね。名瀬小学校らしいです。また山の上の方まで段々畑になっていて、食糧対策だったのがわかりますね。太君はビデオにクギ付けでした!当時を知っている人が解説してくれるともっとわかったかも…




 復帰展「日々の証言」 10.25

 22日から市内アイアイ広場で、県立図書館フェア「復帰運動のあゆみ展」が開催されています。間弘志さんが、膨大な時間をかけてまとめた復帰資料や展示のほか、毎日日替わりで「日々の証言」が開催され、合計17名の方たちが米軍政下での状況、復帰運動などに関して話してくれています。実は、わたくし、この証言集が面白くて毎日通っております。11時と3時にあるので、遠出の仕事へはいけませんし、合間をぬって仕事をこなさなければならないので、(21日から24日までは、おまけに6時から9時まで、鹿児島大学公開講座までいっていました)とても忙しいのですが、それ以上にとても充実しております。
 21日は、軍政下、琉球大学大島分校に通っていた大津幸夫さんの講話、恵義哉さんは青春をかけた地下活動の思い出、藤井令一さんは、琉米文化会館に勤めていた時代のこと、崎田実芳さんは、青年団と共産党の活動、松 夫佐江さんは、夫を亡くしたなかでの激動の子育てと保育所の必要性、名瀬の天文館通りについては指宿良彦さん、与路島での復帰運動は、当時の青年団長だった屋崎一さん、で、今日は一世風靡した熱風座の役者、大島実さんと、復帰前の高校生生活と題して前田勝章さん、復帰の語り部、楠田豊春さんらの大変貴重なお話でした。
 明日は、軍政府下の奄美博物館、労働組合運動、27日28日は、小学生から高校生や青年団などの思い出などです。29日には沖永良部島の復帰直後の映像が流される予定とか。いやあ、これではどこへもいけませんね。毎日通います。(の写真は大島実さん、88歳。下は楠田豊春さん、80歳。楠田さんは歯も24本そろっているとか。足腰も丈夫、声の大きさは若者より大きい。ずっとたってお話されたのもすごい。すわるよりたつ方がいいとのこと。司会者は間弘志さんです))


奄美の方言  10.21

 やはり奄美の島口はとても難しいですね。「ん」ではじまったり、なまった濁音があったり、破裂音があったり、鼻にぬけたりと、これはもうフランス語って感じですよね。奄美にやってきて20年すぎましたが、ホント、島口はできません。耳もなかなか追いつかなくて。いつまでたってもシマッチュにはなれませんね。
 だから、「奄美・沖縄の方言」という演題で、鹿児島大学大学院公開講座に応募したのです。いやあ、奄美の方言が古語がのこっているとても貴重な言語であることを改めて指摘され、なあるほど!わからないはずだわ!!とおもった次第です。
 しかし、琉球弧の北限と本土の南限のどちらの境界線にもなっているのですね。だから入り混じっていて余計難しい。生物ラインの渡瀬ラインは、言葉の上にもあるのですねえ。これはすごい発見ですよ。昨日と今日と夕方6時から9時までいってきました。今週金曜日まで続きますが、若い女性の先生で、一番人気があるようですが、面白いけどわたしには難しい。なんたって、しゃべれませんもんね。
 ホライゾンがやっと全貌がみえてきました。なんせ、4ページ増ページだったので、いやはやタ〜イヘン。図書館の本をずっと延滞して借りっぱなししてます。そうそう、図書館といえば、明日からアイアイ広場で、図書館フェアがあります。資料は、間弘志さんが頑張って素晴らしい資料が展示されますが、毎日、日替わりで登壇する当時の証言者の方たちが面白い。毎日、出かけようと思っています。いやあ、忙しい忙しい。
 23日からは、博物館で復帰記念企画展があります。復帰関係のいろいろな実物資料も展示され、映像コーナーもあるようです。復帰関係の資料を随時募集していて、今後、復帰資料室をつくりたいと、学芸員の久さん(いつもお世話になっています!)がいっていました。家で眠っている復帰関係や当時の生活が見えてくるものがあったら、是非、ご提供を!!お問い合わせは(名瀬市立奄美博物館0997-54-1210)まで。

浜オレと浜下(クダ)リ    10.17

いやあ、今日はまたひとつ勉強になりました。みなさんは、浜オレと浜くだりをいっしょと思っていませんか。もちろん、わたしがそうでした。ところが、先日、88歳の方とお話をしていて、浜オレといったら、浜クダリと訂正されたのですね。その時は、あまり気にしなかったのですが、今日、その違いを教えてもらい、なあるほど、わかりました。
 浜オレとは、節句などで、みんなして浜におりて貝拾いなどすることをいうのですが、浜下(くだ)りとは、神社から神様がお神輿にのって、町の人に幸福を与えながら浜に下ることをいうのだそうです。昔は、錦の御旗を何本たてて旗行列が練り歩いたそうです。特にヤンゴ通りはイヤハ−という掛け声の行列があって、台車にのって三味線(これが、なんと本土の長さおなのです)ならしてにぎやかに行くのだそうです。高千穂神社からうどん浜まで、ヤンゴ通りは必ず通ったそうですよ。一年に一回のとても大きな行事だったようです。いつのまにか、奄美祭りとごっちゃになってしまった、浜クダリは、影が薄れたと高千穂神社の宮司さんが教えてくれました。奄美祭りの神輿には神様はのっていないとも。うどん浜では、昔は一泊したのだそうです。これって、スゴイ発見ですよ。わたしには!!

高梨さんが沖縄文化協会賞受賞  10.14

名瀬市立奄美博物館の高梨修学芸員が、この度、沖縄文化協会の賞で、比嘉春潮賞を受賞されました。ホライゾンでも何回か、ヤコウガイのことや奄美の考古学などの面白さを教えていただきました。この前も、お会いしたばかりでしたが、なあんにもおっしゃていませんでしたよ。名瀬市小湊にあるフワガネク遺跡で出土した土器(兼久式土器)、ヤコウガイ、鉄器から同遺跡の年代を6〜7世紀ごろと推定したことなどが評価されたとのこと。考古学の世界はよく知りませんが、もしかして、沖縄で奄美の考古学が評価されたことは、大変なことなのでは?睡眠時間3〜4時間で、論文を書いていたという高梨さんは今年、具合をこわしたようで心配しておりましたが、これで評価されて、少しは休んでほしいと思います。奄美の大事な人材ですからね。で、この賞をどこかでみたことがありますが、え〜、小川学夫さんもとっていましたっけ?間違っていたらごめんなさい。それにしても本当にうれしいです。おめでとうございます。

黒砂糖のお菓子  10.12

先日、篠田節子さんという直木賞作家の方が奄美に再来島して、雨の中、スタジオにもお見えになりました。前回は、アルカスの機内誌の取材で奄美の森にいかれたのですが、雨にたたられたにも拘わらず、大の奄美ファンになられたのです。前回はわたしはお目にかかれなかったのですが、ちょっと話しづらい人かなあとおもっていたら、なんとこれが大違い。まったくの化粧けなしで、背はかなり高い方だと思いますが、よくおしゃべりをされるし、可愛らしかったのでびっくり。7時から取材というのに、10分前に見えて、3人で楽しいひとときを過ごさせていただきました。そうそう、そこで、喜界島のゴマ菓子をお出ししたら、「まあ、おいしい。でも、これ、ギリシャでいただいたお菓子の味とそっくり!」といわれ、またまたびっくり。ギリシャで黒砂糖のお菓子?まさか、奄美の人がつくっているわけではないよねえ。などと頭のなかはぐたぐちゃこんがらがってしまいましたが、そういうことってあるのですね。ギリシャでもサトウキビ栽培とゴマ栽培をしているのでしょうか。ちなみにその界隈は、奥まったところにあり、駄菓子屋さんのようなお店だったようです。世界は不思議ですね。篠田さんの「女たちのジハード」読んでみたくなりました。えへへ、まだ読んでいなかったのです!


大島紬  10.10

最近、奄美が復帰50周年だというので、様々なメディアが取材にやってきますね。島の産業である大島紬、焼酎、島唄や八月踊り、海と森の大自然。だいたい、同じようなテーマが設定されるので、さっきはどこどこ新聞がきたよとか、なになにテレビ局がきたとか聞かされます。そうそう、作家の方たちも、某誌の取材で奄美を書いてくれているようです。そういうわたしたちも地元でしかわからない奄美の魅力をということで、今ホライゾンでは、18号に向け、あわただしく進めております。
 そんななか某通信社の取材に同行、あまりに若い子だったので心配になり、というより、彼、アメリカにいたとかで日本文化もよくわかっていないというのです。ま、仕方ない。同行いたしましょう。ところが市役所ですれ違った某印刷所の社っ長!「あれ、息子さん?」うそ!そんな風にみられるわけ?ショック!!
ま、本人が思う以上に他者は厳しい目が光るのですね。泥染め公園では、野崎松夫さんにお願いして記者みずから泥染めに挑戦。だって、泥染めのあのなめらかな泥の感触を実体験していただかなくては、わかりませんものね。某地元紙がたまたま来たのですが、やはり取材はしても泥田に入ったことはないのですって。これはいけません。いま、泥染め公園では息子さんのほかにアイターン者と笠利の男性とがいて同い年3人組とか。いい後継者に恵まれ、よかったです。
 そして、すすめられるままに、今度は紬工場へ。ここは、全盛期のときには100名もの織り姫たちでにぎやかだったとか。現在は16名とか。しかし、それでも多いほうだと思います。10分くらいしかいませんでしたが、なかなかいい空間でしたね。夕暮れのひととき、ラジオがながれる音楽とおしゃべりと筬の音。紬が全盛のときには、子供がかえってきてもおかあさんが機織をしていれば子供はほっとしたでしょうね。紬が下降線をたどった時にあわせ、非行が増えたというのも、なんだかうなずけてしまうのが寂しいですね。
 

ビアブレイクが奄美特集  10.6

オリオンビールのPR誌であるビアブレイクが奄美特集をしていました。題して奄美群島日本復帰50周年。巻頭がなんと、高良倉吉さんです。この方、沖縄の琉球史を研究する有名な学者でありながら、沖縄文化の仕掛け人。はたまたロックコンサートを主催したり、沖縄芸能人の都会進出の立役者であったりするのですって。こんな方が、沖縄を全国に知らしめる原動力になっているのです。
 で、奄美ではどなたが取材されているかというと、岩井茂彦、前川鮮魚の会長前川朝男、越間誠、花井恒三(!)、ばしゃ山、麓憲吾さんのほか、浜田太などなど。なかなか幅広く取材していて、缶のデザインを模した表紙など、読み物になっていますね。前川さんの話は面白い。沖縄と奄美の漁師の関係はとても深いのですね・現在でも魚やさんは、沖縄の血筋というひとが多いです。前川さん家族は、みなさん、とってもしっかりしていて、おかあさんは涙もろい優しい方。旦那さんは、よく知りませんでしたが、沖縄の伊是名から糸満売りをして奄美に渡り、奄美ではじめて漁業権を獲得した方だそうです。壮絶な苦労をしてとかいてありました。もっとお話を聞きたいなあ。

杜氏の隠し酒   10.3

今日,焼酎をいただいちゃいました。名前は「杜氏の隠し酒」。なんとも美味そうな名前をつけましたね。黒麹仕立てだそうです。徳之島の奄美酒類がつくったのですが、奄美でも唯一、黒麹でつくっているのが、富田酒造さんで、彼の場合はこれまた甕仕込み。「さしさわりのある焼酎を目指したい」となんともユニークな持論のもと、クセを大事にして通好みの酒としてその筋のかたに好まれているようです。こだわりがいいですね。そういえば、昔は徳之島では黒瀬村という杜氏だけが住んでいる鹿児島の村から杜氏を呼んでつくっていたと聞きました。何か、忍者のような名前ですし、忍者のような隠密的な感じがしますよね。秘伝か〜。美味そうですね。

土曜日は諸鈍シバヤですね   10.2

さて、また書き込みをさぼっておりましたら、すでに10月に突入ですね。いやはや早いものです。今年の一月に娘が成人したとおもったら、来年はつぎの娘が成人。早いですねえ。困った困った!
 さて、4日の土曜日は加計呂麻島で諸鈍シバヤがありますね。午後1時からでしたか。ま、今年はいけるかわかりませんけど、区長さんたち、頑張っているでしょうね。皆さん、いっぱい見に行ってくださいね。でも、宴が終るとさ〜っと帰ってしまうのはなんとも寂しいものです。祭のあとの寂しさって感じかな。
 さああて、明日は久々島唄教室にいかなくちゃ。そういえばちょっと思い出しましたが、この前の徳之島井之川夏目踊りでの話。私がお邪魔したの前田さんのオタクで、奄美の民俗研究者たちが(あ、歴史になるのかなあ)いらしたのですが、なんか座がしらけて。私、途中で呼ばれていったのですがなんかしら〜としていて、前田さんが一生懸命三味線弾くのにそこにいた誰も歌わないのです。誘っても誰もしり込み。そこで極めつけが「私は歌も下手だし、女を口説くのも下手だし」なんて?そんなこと聞いていないのに〜。ただただおしだまる学生もいましたね。その風景が今、ちょっと頭に過ぎりましたね。研究者の方、特に民俗畑の方はやはり島唄の1つでも歌えないとですよね。もちろん、島唄研究者の小川 学夫さんは、それはそれはうまいのだそうです。それからセントラルの会長がいっていましたが、「何百人も従業員をみてきたけど、小川さんはその後ろ姿に最敬礼したいと思う人だったね」。彼のおかげで世にでた唄や唄者がいっぱいあると思います。彼は既に伝説の人のようです。


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