2003年1月の編集日記

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  アマシン会議イン東京  1.30

 大変お待たせいたしました。東京国土交通省でのアマシン会議は今年はちょっと変わったかなと思いました。まず、須賀県知事が出席されましたし、国土交通省側の事務方の人たちとも、去年11月の奄美視察のときに結構お話ができて、緊張しなくなっていたというのもあるでしょう。雰囲気がいい緊張だした。去年は、肩透かしもいいとこで県の誰かさんは、全くの無視をするしでホント感じ悪かったのですが、今年は国土交通省の局長が、積極的にお話してくれてですね、私の意見にお応えしてくれたのですよ。
自立が奄美のキーワードというのは、年頭の支庁長や市長の挨拶でも述べていたことですが、この自立というのは、島でいえば精神的自立といえるj教育(人材育成)と経済的自立の産業振興だとおもうのです。これは、沖縄振興開発では、今重要なテーマでこれに対する予算も大幅にとってあるのです。金額面では基地問題をかかえているのですから、同じようにというつもりはありませんけど、質の問題だと思うわけです。この二つを緊急にやっていかなくては、奄美の将来はありません。まったく、アマシンの教育文化予算って何だと思います?校舎改築費なのですよ、あるいは教師の宿舎の改装費。勉強部屋だけよくしてもいい人材が育つとは思いません。ですよね?
 奄美の資源を研究し、商品になるようなブランド開発し、本土へ宣伝販売してお金をかせぐ。高度教育機関が島の人材輩出になってはダメです。島で考え、島に潤いをもたらすような人材を島で育てたい。そのための機関や拠点がほしいです。といったらですね、国交省の局長が以下のようにいってくれました。離島振興法が今年7月に改正になるそうですが、今まで県が束ねていたものを、各市町村が考え県や国がお手伝いする法になるそうですね、奄美も例外ではないといっていました。ソフトがあって、それからハードがあるという考えが時代の流れともいっていました。ふ〜ん、当たり前だけどなんだかすごいじゃない。「やることはキチンとやる」ともいっていましたし。大きくなにかが変わろうとしているきがします。
 一年に一時間のフリートーキングはあっという間に終ってしまったけど、いろいろ面白かったですね。昨日、国土交通省の課長から電話、もっと話をききたいと局長がいっていたのですって。

東京出張覚え書き(その一)  1.28

いやはや、一週間のご無沙汰でした。誠に申し訳ありません。凝りもせず(失礼!)日記を見にきてくださった方々、ありがとうございました。(写真は大江戸線の地下通路)
 さて、実は22日の朝から鹿児島乗り換えで東京に行ったのですが、(そ、既に帰るのではなく、行くという感じです)結構、知っている方がいっぱい乗っていて、なんか修学旅行的な感じ!何故って、23日に鹿児島の夕べというイベントが東京であるため、その関係者が準備のために早めに乗り込んでいたのですね。濱田さんは、なんの為?と聞かれて、あ、アマシンでというのも、ちょっと恥ずかしかった(恥ずかしいことでは決してありませんですが)ですけどね、ま、24日のアマシン会議になんで22日からといわれると、ま、ちょっと仕事を兼ねた遊びかな、自分へご褒美なんちゃって!
 だって、結構仕事していたものね、(でもあまり稼げないのはなぜ?)、久々、東京の友達とあって、ワイワイやろう、久々母親にあっておしゃべりしよう、ま、ちょっと今都会の雰囲気を見てこようと思って少し早めに出かけたのでした。アマシンの翌日は朝一で帰らなくてはならなかったため、前で遊ぼうと思った訳です。
 いやあ、東京はやはり、水が冷たいですね、こんな水で顔を洗っていたっけと思いました。着いた日、両国の韓国アカスリへ。なんと24時間営業で、お相撲さんもお客さんとかいっていました。両国だから、いかがわしいところではなく、ホントちょっと銭湯か温泉みたい。アカスリに足裏マッサージ、薬草湯やオイルマッサージなどがありましたが、たべたり、飲んだり、しゃべったりで、夜の7時からなんと朝の3時!まで女3人ワイワイやっていましたよ。いやあ、20年分の垢がでました。もしかしてちょっとその分白くなっていないかなあ。しかし、どちらもすごい重労働だろうなあ。わたしらは女王様気分ですが、やってくれた女性たちは、みなさん、清潔感あふれるきれいな方達でした。
 それにしてもアカスリは韓国、足裏マッサージは中国の伝統らしいですが、こういったエステが今都会では大流行らしい。15分マッサージとか30分なんてのも、サラリーマン向けにオフィス街でもお昼休みに流行っているそうです。そうよねえ、都会はやはりストレス社会ですからね。母がいっていましたが、洗濯ものは、外に干すと結構排気ガスで汚れるらしい。
 翌日の23日はなんと雪。朝方寝たのに、8時には奄美からのрナおこされた。ふう。午前中資料などを読んで、昼から池袋から虎の門へ。、仕事関係のビルをさがしていると、今ごろの東京のビルは名前が大きくかいていないのですねえ。何がなんだかすっかりお上りさんの私には分かりづらかったです。風がピュウピュウ吹きぬけるビル街は、夜はホント、恐ろしく空虚な空間なのですね。ビル街のおすし屋さんで、やはり奄美のシマ唄の話で盛り上がってしまいました。
 24日のアマシン会議のことはまた明日!(今年はあまり上がらなかったのが収穫でした!)



 

かさん唄  1.21

 最近は、島唄のイベントが増えましたネエ。これも元ちとせ効果なのでしょうが、ま、時代が奄美にあってきたのかもしれませんね。19日には、奄美パークで西和美さんと、森田照ふみさんのジョイント。また、夕方には、笠利と龍郷の唄者が多数出演するかさん唄の夕べが名瀬の中央公民館でありました。里国隆の相方をしていた萩原きみえさんもうたうし、他にもいろいろ発見があるかと思い、食事の支度をフットシ君に頼んで、急いで出かけました。むう、君ちゃん、なかなかだったけど、ちょっとあがったかも。笠利の大判の高校生2人がなかなかよかったよね。ほとんど素人の方らしいのですが、中田和子さん、森山百合子さん、当原ミツヨさんなど熟女が花を添えて面白かったです。継ぎ接ぎだらけの垂れ幕だったけど、ま、これもありだなあと感心しつつ前列から2列目に陣取っていました。山田フデさんの85歳のお声は発見でした。直田さんもCDがでたからでしょう。よかったし、平田さんの娘さん6歳のいきゅんにゃ加那、らんかん橋もよかった。最後には例の3美女が出演して。豪華でしたね。
 25日にはおなじく公民館で、島唄者の語りも交え、ライブがあるようです。でも釈然としないのは、入場したら7時には入口のカギをしまるという話。信じられませんよネエ〜。誰の考えなのでしょう。
 さて、話は変わりますが明日から東京へ出張です。暫くお休みです。すみません。

 

復帰イベント準備  1.20

 今日、奄美群島広域事務組合へ行ってきました。今、英語版奄美群島観光パンフレットをつくっているのですが、今年は奄美復帰50周年事業で、「世界の奄美んちゅ大会」というイベントもあるからでしょう。広域事務組合は、この復帰イベントの事務局になるため、さまざまな資料でごったがえしていました。写っているパネルは、復帰前後の各島々の写真だったり、当時刊行されていた雑誌の表紙だったり、はたまたホライゾンの各特集を表紙とともに掲出していました。例えば右のパネルでは、15号のデイゴの表紙と元ちとせ、本郷かまと、三沢あけみの3人に、喜界島出身のゴルファー、久保樹乃をいれて奄美に関係する4人美女?特集にしていました。これ、面白いアイディアですよね。このほかにも特集ごとにパネルを作成して、各島々でのイベントに貸し出しするようで、同じ物を何セットもつくるとききました。なあるほど。よろしくお願いしますね。ホライゾン復帰特集でも、参考にさせていただきます!

奄美の冬を彩るハゼの木  1.17

 奄美には四季がないとよくいわれますが、それでもやはり冬の色というものは探せばあるものです。その一つにハゼの木があります。こうやって紅葉するのですね。一年中、緑が絶えない奄美の野山ですが、こうして紅葉するものが出てきて、そのうち新緑の季節を迎えるのです。今年は少しはこうした奄美の色や季節に敏感になりたいとおもいますね。
 でも、やはり座っていることが多いからでしょうか。昨日、自転車乗りを30分ほどしましたが、ううう、お尻が痛い!です。もうホントにいつも使わない筋肉だからなのでしょうか。聞いた話ですが、紬を織っていた女性はホントお尻が黒いらしい。そうでしょうねえ。分かるような気がします。


ダイコンそーめん   1.16

 昨日は、中央公民館で名瀬市主催の市町村合併シンポジュームがありました。6時半開始から少し遅刻していったのですが、うわ!すごい人です。でもこういうときって、たいてい前の席がひとつは空いているのですよね。映画でもそうですけど。一人身は身軽でいいよね。で、例の如く前にあいている席にすわって、基調講演からシンポジュームを聞いていました。どういう人選だったかはわかりませんが、面白さでいえばシンポジュームの方が面白いですね。大島新聞の社長が出ているのにはびっくりしましたけど、昨日はなかなか説得力があってよかった。いつもは、ヒンシュクを買うことが多いのですが、昨日の彼のいいところは数字を調べて出してきたこととしゃべりかけがよかった。ちょっと話が長かったけど、勉強になりました。私も勉強しなくては。
 市町村合併論議もまちづくりも難しいのは、立体的時空的な想像が難しいからなのでしょうね。賛成派慎重派の意見はそれはそれで面白いのですが、感じたのは、やはり奄美のひとたちは論議をするのがあまり慣れていないのだなあということ。特に会場からの意見の出され方にそう思いますね。意見は興奮しないで、簡潔にわかりやすく感情的にならずにいうのがルールですが、その辺、なんかもどかしいなあと思いました。選挙もそうですがいろいろ意見を誰に気兼ねする事無くどうどうといえる社会がいいですよ。後ろ指指さずに、陰口利かずに、他の意見も尊重しながら自分の意見を述べる。私もこの辺、もっと勉強しないといけませんね。興奮すると声が震えてきてしまう私です。あぶないあぶない。奄美はこれからいろいろ論議をしていかなくてないけませんからね。
 それから、ナント帰りにOさんに誘われ保健所裏の亜子へ。縄ノレンなんか懐かしいネエ。サバと豆腐の味噌煮を魚に、ちょいと一杯。生姜が効いていておいしかった〜。ふっとし君もこれ好きなのよねえ。なぜか男性達ははこの手の煮込みが好きですね。おふくろの味ってやつかな。
 今日は、奄美パークへちょっといってきましたが、沿道にダイコンがほしてありました。有良(アッタ)ダイコンが甘くて名物ですが、この季節、乾燥しているので、干しものにはいいのでしょうね。乾物は、生よりも栄養分は何倍もよくなるのですが、これは凝縮するのでしょうか。不思議。干し方にもコツがあるそうで、今度教えてもらいます。黄色くさせない方法です。



謹告。訂正です!!すみません!!  1.15

 すみません!ホライゾン16号の「島唄ことはじめ 歌遊びの魅力」で、ミスがありました。節田マンカイは、旧の正月でした。つまり1月1日。なぜ15日にしてしまったかって?何年か前の笠利町の要覧資料編にそう書いてあったのです。大変申し訳ありません。最近、ちょっとミスが多くて恥ずかしいです。申し訳ありませんが、P9下段写真説明中、旧正月15日と、P10の一番上段13行目の旧正月15日は、すべて15日をとってください。旧歴15日ではなく、旧暦1日。今年は2月1日になるようです。区長さんに時間をお聞きして近くなったらまた、掲示いたします。

リュウキュウアサギマダラ1.15

 おととい、リュウキュウアサギマダラを撮影してきました。龍郷の海岸よりの山の沢沿いに、風や雨をしのぎ、身を寄せるようにして蔓につかまっていました。この蝶はこうして集団で越冬することで知られています。現地についたときから、小雨が降り出していたので、ま、場所の確認だけでもいいかなあと思っていたのですが、粘るうちに少し雨があがり、陽が差し込みだしたりしたのです。雨できれいに洗われた葉の、またたくように羽をはためかす蝶は、とても美しかったです。到着してときはTさんがた3人がいましたが、雨で帰り。私ひとり、至福の瞬間でした。
 実はアサギマダラの撮影はこれで3回目。場所も違うのですが、開発等で風があたるようになったり、こうした静かな場所がおびやかされるからなのでしょう、以前にくらべると、蝶自体がだんだん少なくなっているようです。
 この蝶は15度を下がるとこうして集団で蔓につかまるのですが、暖かくなると、ゆらゆらあたりを舞いだします。薄い空色と焦茶色の模様が素敵でしょ。


 ナリムチ  1.14

 今日はナリムチ。ブブギといわれるリュウキュウエノキの枝に赤、黄、緑、白などの着色された餅をつけて、毎年、1月14日に五穀豊穣、家内安全、商売繁盛などを願うのです。今年は、家用と事務所用に二つつくりました。正月で生けた生け花の花器を使い、ちょっと残りの葉っぱもいれてボロ隠し。
 でも、リュウキュウエノキにとっては、災難ですよね。この木は、アカボシゴマダラという蝶の食樹でしたっけ?あとから、名瀬の永田橋墓地へいったら、このブブギがお墓にいっぱい飾ってありました。


大笠利わらべ島唄クラブ  1.13

 昨日、笠利わらべ島唄クラブの定期発表会にいってきました。中村瑞希さんやら、吉原マリカさんなどが育ったところですが、この島唄クラブは、集落の人々の島唄保存の熱意が支えているようです。それと、対知広夫さんら指導者が、しっかりしているのがいいのでしょうね。全員出演ので朝花節から始まり、1時30分から、5時まで、ほとんど休みなしで小学校一年生から高校生までの発表でした。40人くらいいたかな。うん、なかなか素晴らしい子もいましたよ。
 でもね以前取材したときの対知さんのお話にはもっと感動しました。「島唄を上手い子を育てるのではなく、好きな子を育てたい」。まさに名言ですよね。声変わりする男の子は、六調太鼓をしたり八月踊りなどの太鼓打ちをしているのです。八月踊りは、一人うまいひとがいてもダメで、唄と踊りと太鼓がみんなで揃わないとだめです。だから一人上手い子をそだてるのではなく、唄好き踊り好きの子たちを育てたいというのです。
 瑞希さんも三味線の伴奏をずっとやっていました。彼女は、こうして集落のなかでそだってきたのでしょうね。そうそう、彼女のおかあさんは、百合子さんといって私と同じ名前なのですが、この方がまたすごい。ふだんは紬を織っているのですが、料理や着付け、ヘアメイクもいろいろ出来る方で、年配者のお婆ちゃんもあの人はすごいよとききました。そんなおかあさんが大好きな瑞希ちゃんですから、いい子なのでしょう。昨日は、最後のトリを飾った瑞希ちゃんの相方までつとめていました。中村さんちの百合子さん、島唄も唄うのです。(娘はうちの子より、4〜5歳も上なのに、おかあさんの百合子さんはわたしより、4〜5歳若い。20歳そこそこで産んだと言うことかなあ?)
 そうそう、去年あった「中村組」の解散ライブのCD(限定版)を購入しました。このメンバーもいつか、また再編成するでしょう。もしかしたら、メンバーもいろいろ変えるかも。それもいいですよ。面白い。若いことはとてもいいなあと思いましたね。タイトルは「島ぬ音が響く「。
 それからこの地方の手踊りの「うんにゃだる」「ほこらしゃ」が見れたのは、おおきな収穫でした。会場の大笠利文化センターは、昔、映画も上映していたようで、木造の広いとても感じいいところです。ここで発表会ができるのはいいなあ。じいちゃん婆ちゃんもいっぱい来ていて、孫の姿に喜んでいるのがまたよかった!です。

一月の仕事へ! 1.10

本日で正月の仕事は終わり。はあ、やっと終った!これでようやく、本来の仕事へ突入できます。ホライゾンでは、やはり復帰特集。いろいろ素材やら、前取材やら始めないと漠然として見えてこないですものね。それにこれだけの薄い情報誌なので、どうすれば濃い内容で、他誌ではやっていなかった情報が入れられるかなのですよね。ま、腹案はあるのですが、うむむむ、なかなか形にするのは難しいです。でも、今度のは資料にもなるもので、復帰への情熱と反対に検証もいれたいと思うのです。ふふふ、こんなふうに考えているうちが楽しいのですよ。市町村合併や、奄振の論議もいろいろ過熱してくるでしょうし、今年は激動の年になりそうですね。ちょっと体力が心配ですが、少しは遊びながら、いろいろ勉強します。うふふふ。さて、今日は雨。ずっと事務所で頑張っていました。従って今日も写真なし!です。すみません。最近、コレステロールが気になるので、イラストのような卵はやめました。しかたないよねえ。明日は、どこかへいきたいなあ。

 


別れの季節  1.9

昨日、長女が旅立っていきました。今度会えるのは来年の正月かと思うと、やはり寂しいものです。空港はそんな別れの人々でごったがえし。最後の晩餐ではないけれど、2階のレストランで、うどんをすすりながら、感慨にふけったものです。ずるずる。目の前のワイド画面にかさん唄のビデオが流れ、これは森山百合子さんと泊忠重さん?だったっけ?しみじみとした味わいでよかったものだから、すすりながら、うんうん、うなりながら、娘と話をしていたのでした。奄美だけでなく、故郷に帰ってくると人口は一時的にふえるものの、帰ってゆくと、また再びさみしい日常が待受けているのでしょうね。こうやって年をとってゆくのか。いやはや、切ないという気持ちがやっと分かりだしましたよ。
 さて、しかし、そうもいってはいられません。熟年のよさを出していかねば、年を取って行くよさがありませんからね。まだまだ、せつなさに涙してはいられません。そうそう、リュウキュウアサギマダラという蝶が集団越冬しているようですね。週末にでも行ってこようっと。以前いたところは、前に道路ができて、風通しがよくなったものだから、蝶の楽園には不向きになったようです。風を避けて、山間の枯れ木に葉っぱのようにくっついていたところへいってみよう。一人でいくと、不思議な世界ですよ。写真とってきましょうね。

ヤアヤアヤア!復活の兆し?  1.7

 はあい!正月早々またまたダウンしていたのですが、本日、ほぼ復活。まだお酒は飲みたくありませんが、うん、なかなかいい感じになってきました。大島支庁のOさん、お見舞い?ありがとうございました。いやあ、やはり体力が一番ですね。気力も体力がないと、も、どうでもいいやと思ってしまうのですから。精神力なんて、吹けば吹っ飛んでしまう私でありました。
 さて、今年は自立がキーワードとか。ちょっと前までは共生が盛んに叫ばれたこともありましたよね。この言葉。長女が成人を迎えたこともあって、奄美にとってもわが家庭においても、キーワードではあります。でもこれは憧れではありますが、やはり結構難しいですよね。私自身、今だにいろいろ頼ってしまうし。口ではかっこいいこといっても、やはりどこかで援助してもらっていたりで。ま、昔からいつも思ってきたんですけどね、私自身、経済的にも精神的にも本当に大人になっているのかなあとね。…、いつも反省の日々です。いやいやこれではいけないということで、今年の目標。
 少しは本を読もう。少しは残る仕事をしよう。少しはいい奥さんになろう。少しはやさしくなろう。ま、こんなところです。皆さん、よろしく!

正月のスーパー 1.4

昨日は、年の祝いで、娘(長女)の祝いをうちうちでやりました。家族と親戚を少し加えただけの簡単な祝いでした。来年は次女が成人です。次々と大人になってくれるのが親としてはうれしいような、まぶしいような、さみしいような。そんな感じでしょうか。今朝、船で次女が沖縄へ帰っていきました。やはり、寂しいなあ。あうとうるさくいってしまうのですが、一人送り出すのは、なんともいえませんね。こうやって一人減り、2人減りしていくのでしょう。
 ところで、名瀬のスーパーでも24時間営業が増えてくるのでしょうね。グリーンストアが24時間営業で、かなり浸透していますが、最近では寿屋の後釜の大和が24時間を打ち出しています。ダイエーも時間延長が考えられているようで、新たな商戦が繰り広げられていくのでしょう。正月のスーパーでは、乳製品とパンが品切れ。いつものことですが、正月初めて外に出たので、写真を撮ってしまいました。



今ごろ年賀状書き? 1.3

そうなんです。年末、風邪引いたり、それでも大掃除したりしなくてはならなかったため、いつものごとく、年賀状は正月に入ってから書いています。ま、かいているというより、パソコンが書いてくれるのですが、実に便利な道具ですよね。でも、ソフトが古いため(筆まめ)、みなさんみたいには、かっこよくないです。昔、そう中学生ころまでは、せっせ、せっせと凝った年賀状を作成していたのを思い出しますね。そういえば、もらった年賀状で、記憶に残るのが三部作。毎日、一枚ずつ届いたのです。それから、(^o^)は知らない先輩から毎年届いた凝ったイラスト画。いつのまにか、来なくなりましたけど、年賀状の思い出です。なぜか、結婚すると急に個人名での年賀状が少なくなりました。さみしいですよ。最近、すこしは復活してきたものの、人にたいする思い入れは、薄れてきたのでしょうね。喧嘩したり、あの子が好きだとか、いっているうちが楽しいですね。

2003年になりました! 2003.1.2.

やや、年末からドタバタしているうちに2003年になってしまいましたね。あけましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願い申しあげます。実は、もう、仕事を開始しておりまして、ゆっくりの寝正月は元旦だけ。でも、のほほんとしていい正月になりましたね。龍郷町のヒカンザクラは既に花見でいっぱいかもしれませんね。テレビでみていたら、元旦の朝日もいい感じで出ていましたね。



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