2002年9月の編集日記

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奄美は運動会真っ盛り!! 9.30

 土曜日は瀬戸内町立図書館で第二回ティダネシア塾の会合でした。加計呂麻在住の青年の方々(加計呂麻塾)とお話する機会を得、「元気モリモリ、加計呂麻島の地域興し  心と体にミネラルを!」ということで、発表させてもらいましたが、やはり、現実は重いですよね。簡単に地域興しなんてできるものではないのは分かっているのですが、もう少し、発展的な話合いになりたかったなあ。と言うのが正直な感想。ま、私のレポート作成技術や場慣れする練習にはなりました。皆様、ありがとうございました。今期は、名瀬市上方(大熊、浦上、芦花部、有屋)地区の地域興し。八月踊りがどこよりも盛んで、しっかり子供にも受け継がれている現状と今後、伝統文化のモデル地区になれるのではとのことで、私ら一斑は選びました。今回は班長ではないため、とっても気が楽!金久分館長の大野先生、よろしく!!
 実は、加計呂麻へ翌日に視察に行く予定だったのですが、息子の運動会だったので、これはキャンセル。夜なべ談義を終らせて、ちとせちゃんのテープを聞きながらすっとばして帰ってきました。もちろん、飲酒運転はしておりませんよ!それから、午前中買って置いた材料で運動会のお弁当の仕込み。翌一時までかかってしまった!!で、朝は6時に起きて作ったのですが、できたのが10時。でも、たいしたものつくってないなあと反省。日頃からの手際のよさが大事ですね。一番受けたのは、いつものように手羽先の醤油漬けでした。ま、塩豚とたけのこ、クワリなどとの煮込みもおいしかった。でも息子は食べてくれないのよねえ。魚のみそ焼きもけっこう、おにぎりにはうけていましたね。
 ただ6年前には一学年7クラスだったときに比べると、現在は5クラス。全体で200人以上も減っているのですから、なんかさみしい運動会にみえましたねえ。もう少しすればもっと減るのでしょうねえ。こうして奄美の秋は一ヶ月も運動会が週末ごとに行われます。高校と中学は終りまして、来週からは小学校、つぎは幼稚園、そして市民運動会や、集落の運動会などなど。子だくさんのお母さんは大変です。うちも3人でしたから、一時は3回も運動会弁当をつくりました。作るほうも食べる方も飽きてしまったけど、昨日の知人は幼、小、中、高と4回ですって!!ご苦労お察しいたしやす!!
 さあ、来年はもっと腕を上げなくてはといつも反省するのですが、あっという間に次の運動会になってしまうのですよ。ああ、時はあっという間に過ぎてゆきます!

ナポレオンフィッシュ イン
           奄美パーク   9.27

 そういえば、今、奄美パークでナポレオンフィッシュが展示されていますね。提供者はたしか、前川鮮魚の前川さん。以前、ホライゾン十二号で夜光貝を生きたまま撮影させていただいた方です。これ、ただの展示なのですが、すごい迫力ですよね。でも、前川さん、今までどこに隠していたんだろ。
 これほど大きくはありませんが 先週の日曜日、太おとうさんは、息子とその仲間2人を連れて宇検村のいかだ釣りに出かけました。わたしも行きたかったのですが、息子が「お母さんは来なくていいよ」の一言で、止む無く居残り。で、釣って帰ってきたのが、方言で「ガツン」と呼ばれるアジ。刺し身と塩焼きにしましたが、残りは冷凍にいれ、唐揚げにされるのを待っています。奄美は全国の太公望には結構知られたポイントがいっぱいあるのですよね。息子も結構、いっぱい釣ってきましたが、ランの研究や写真で知られた山下 弘さんのおかげとか。偶然、いかだ釣りで出会い、釣り装備を貸していただいたら、釣れるようになったとか。ありがとうございます。
 さて、この山下さんの、ランの写真を今度の16号にてご覧に入れる予定です。昨日、原稿を頂いてきました。さて、次はどなたの原稿ができるかなあ。そろそろ、私もがんばらなくっちゃ!!

え〜!見ているの?!  9.24


 
 どうせ、身内のものが見ているだけかと思っていたこのホームページ。ところがどっこい!最近、「みてるよ〜!」という声にギョッとさせられます。なんで見てるの〜と、先日某博物館の学芸員のかたにいったら、「なんでったって、公に発表しているものですよね」と反対にびっくりされ、あまりに当たり前のことに愕然としたのですが、ちょっと前も取材に行った某市長選の立候補者の方に、「浜田さんですよね、ホームページみていますよ」なんていわれ、赤面してしまいました。それでもって今日は、瀬戸内役場でも公民館でも、大島支庁の方にもいわれ、恥ずかしいやら嬉しいやらで、お礼方々これを書いています。ははは。でも、さ、見ているそこのあなた!そう、あなたです。掲示板になんか書いてくださいまし..。ペンネームでいいから。ね!ね!。
 ということで、突然、話は変わりますが、最近気になるのが、バリ島。え!なんでと思うのですが、似ているらしいのです、奄美に。先日も、奄美の若手唄者を連れて、森田純一さんがバリで録音してきたとか、作家の大岡玲(あきら)さんも奄美との共通点をおっしゃっていました。日本人が多いらしいですね、車も日本車が多いようです。ただ、物乞いの子供たちが多いといっていて、これが奄美との大きな違いとか。神が息づき、踊りがあり、唄がある点で奄美と似ているという方は結構いるのですが、実地に確かめた事がないので、どう似ているのか違うのかが自分ではよくわかりません。でも、行ってみたいなあ、バリ島。誰か、お金と時間をくれないかなあ。

ああ、加計呂麻慕情絶唱 9.23

 昨日、奄美パークで松山美枝子さんや笠利須野の方達の島唄や八月踊り、また新民謡の七色会のメンバーの方達のコンサートがありましたね。ちょっと仕事がてら出かけてみたのです。実は、松山さんは先日、吟亭という彼女が経営している小料理屋さんで、取材させてもらったのですが、いつみても色っぽい方ですネエ。わたしなんか、入る穴もないくらい。お孫さんも唄っていましたけど、将来が楽しみですよ。そうそう、山下さんのおねえちゃんもかさん唄ののびのびしたところがとてもよかったです。
 七色会は、米倉キミエさんという方が代表。この方も一度、ホライゾンで取材しました。知ってます?5号で、新民謡ラプソディと題して、村田実男さんの話や、加計呂麻慕情誕生逸話や、バスガイド兼歌手として一世を風靡した米倉さんのお話を伺ったわけ。これがまた、うまいんだわ!
 最近、島唄ばかりだけでなく、奄美の唄がかなり頑張っていますよねえ。発表の場がいろいろできたし、聞きたがる人たちも増えてきているし、来年復帰50周年は、大盛り上がりでしょうね。楽しみ楽しみ。で、ですね。今日は新民謡の練習日。公民館です。今日の唄はなんと、「加計呂麻慕情」。山田サカエさん作詞、久永美智子さん作曲のあの唄です。私の大好きな唄。なんでも全国のカラオケに入っているとか。そうかなあ、こんど東京で探してみよう!
 で、久々もう、絶唱したのですけど、やっぱり腹筋がないからなのかなあ。声が出ませんね。ぐやじい!聞く所によると、山田サカエさんが、また最近作詞したものに曲をつけて、CDをだすようですね。昨日の奄美パークにプロデューサーがきていたとか。いいですねえ。サカエさん、頑張ってますね!
 先日行った加計呂麻行きのフェリーで、久々、この曲が流れていたのですが、よがっだ!!風情があって、波の上をこの曲聴きながら、渡るのがいいのですよ。「せとなみ」でも何か流せば、長い船旅が楽しくなりませんでしょうか。2時間は結構疲れますよ。
 歌詞の「鳥も通わぬ加計呂麻島〜」にクレームがきたようですが、彼女は絶対変えなかった、感性でかいたものだし、そうでなければ絶唱にならないものね。ま、「鳥も通う加計呂麻島」と言い換えて唄う人もいるようですが。
導入がしびれるのよね、間奏もいいし、いきゅんにゃ加那が入るのがなんとも憎い!というところで、今日はおしまい。

与路島へ 9.21

今日は、なんとサンゴの石垣で知られる与路島へ行ってきました。せとなみというフェリーに乗って約2時間。請島までは、瀬戸内の期待の唄者、里朋樹くんと、歩寿(こんな字だっけ?ありすちゃんといいます)ちゃんとお母さんといっしょでした。請島の豊年祭&敬老会に呼ばれたとのこと。小さいのに、遊びに行きたい年頃なのに、大変だなあ。やっぱり、唄に対する気持ちが違うのでしょうね。
 しっかし、徳浜あたりは潮流がぶつかるからでしょうか。すごい揺れましたよ。やはり、島の住民は大変ですよ。今日みたいな天気のいい日ばかりではないのですから。そういえば、町会議員3人さんともいっしょでしたが、せとなみが来年4月から1日2便になるとか、ヤギが請、与路島で増えすぎて大変とだとか、いろいろ聞きながら行きはよいよいでいったのです。
ここも、敬老会&豊年祭なのです。 盛り上げる婦人会や青年団の人たちは一人何役もやっていました。八月踊りが、瀬戸内では嘉鉄と並んで多いところで有名なのですって。この小さな島ですが、復帰以前は1000人もいて、山は芋などの畑になっていたそうです。今は、若い人がほんと少なく、学校の先生などにいる子供を含めても数人です。与路診療所には、福岡から来た小田さんという看護婦さんが常駐(後からご主人まで島に来てゆったり暮らしています)、学校の先生には不思議なことに新人の先生2人が、知人のお子さん達でした。知っている人たちが、僻地へいっても増えてきている事がうれしいです。
 少年や地区の青年たちが相撲をとるのは他とも同じですが、 唄好き、踊り好きのおばちゃんたちが、チヂンをたたいていっぱいの笑顔で唄っていたのが印象的ですね。突然半日だけ島にやってきた私達を暖かく迎えてくださって、福島区長さん、ほんと、ありがとうございました。

明日は旧8月15日   9.20

 最近つくづく思うのは、ただ反対では駄目だという事です。反対だけではなく、代替え案を提出しなければ話が止まってしまうと思うのです。それは、奄美振興開発にしても、商店街活性化におけるシンボルロードにしてもです。現状維持でいいというのなら仕方ない?かもしれませんが、もっとなんとかしようと思うとき、人の意見に反対なだけではなく、わたしだったらこうするという積極的で具体的な代替え案が必要です。産業の創出と一口にいっても、ではなにをどうしていくのか、もっと具体的なプログラムを提出しなくてはならないと思うのです。大島紬をどうすればいいのか。具体的に実行する力が必要です。もっともっと具体的な話し合いになれなければ、ダメです。
 さて、今日はひさびさ、島唄の公民館講座にいってきました。なんと、「かんつめ」でした。生元先生によれば、昔は名柄あたりで夜唄うと、カンツメの霊がでるといわれたそうですが、今では様変わりしてきていて、カンツメの供養をしているのだからと、あえて唄う人もいるとか。なあるほど!さぼった分のちゅっきゃり朝花節も、徳之島ちゅっきゃり節もおさらいしました。くるだんどもね。すこ〜し、リズムがとれるのもあってうれしいですが、やはり、まだまだ、カンツメは難しい。いつか、嘉徳鍋加那も唄うのかしらん。そうそう、朝花、俊良主、くるだんとという唄の流れがあるようですが、何故この3曲の順番が決まっているのでしょう。誰か教えてください。昔から、唄遊びにはこの順序で始まったようです。
 さあ、明日は旧の8月15日。お月様が一番美しい時かもしれません。そして、シバサシ。きょうはシバサシの浸かりの日ですから、秋名の田畑マス姉さんも、シバをたてて、料理の準備をしたようです。今度の、「もうひとつの郷土史 食」では、久留さんが、ミハチガツの料理をやってくれます。こうご期待!
(イラストが奄美のイメージでなく、すみません)

ごごごご無沙汰〜!しました。  9.18

じゃ〜ん!なんと一週間のご無沙汰なのですねえ。凝りもせず覗きに来てくださった皆様、本当に申し訳ありません。いやあ、忙しくて眠くてですねえ。フラフラしていました。
 12日は、体験型観光商品化研修会が奄美サンプラザで、午後一時から5時までありました。観光受け入れ協議会が主催だたようで覗きに参加させてもらったのでした。ま、ティダネシア塾の実践版という感じでしょうか。奄美はやる気次第では体験型観光地に打ってつけなのですが、誰がやるかなのですね。南信州の取り組みは住民の方達が主体となり受け入れていて、奄美はここが問題なのだとおもいました。でもねえ、会場が煙草オーケーなのが気に入りません。あんな会議は初めてですよ。休憩時間に喫煙所で吸うのがいまや常識の時代、もう、気分が悪くて仕方ありませんでした。それから、紬のリーフレットの打ち合わせ、そして、ティダネシア塾の打ち合わせ。とうとう、昼夜の食事まともにとれませんでした。あ=、しんど!
 翌日は、島唄の取材に同行、その後、瀬戸内へ行って、加計呂麻長寿食文化研究会の発足記念講演会の聴講、夜は里朋樹くんの島唄を聞いてきました。将来を期待されている唄者ですが、声変わりが心配です。帰ったのは夜の11時。眠かった〜。
 14日はたまった仕事をこなし、久々サンビームで汗を流したら、もうダウン。
 15日はアラセツ行事。夜明け前から。龍郷のショチョガマへ。今年はバス2台貸切とかで、琉球大学の学生かしりませんが、やけに若い女の子がいっぱいでしたねえ。何しらべているのでしょう。平瀬マンカイは行かずに、そのまま加計呂麻の敬老会へ。平瀬マンカイでは、リッキがテレビ局の取材で来て3曲ほど歌っていったそうです。彼女もちとせちゃんに続き、忙しそうです。ま、よかったんじゃない?
 いやあ、今年はアラセツと敬老の日が重なって各地でもう、賑やかだったでしょうネエ。加計呂麻もシマジマの賑わいがそれぞれ独特で楽しかったです。
 21日はシバサシと、旧の8月15日が重なる日。またまた忙しいです!今年はどこへ行こうかなあ。
 

一村忌  9.11

昨日は名瀬市有屋で、一村忌でした。借家が二回の移転をして、今の場所(前の泥染め公園)にきて、しばらく来ていなかったのですが、植樹がよく育ち、いい感じになっていましたね。一村記念ジュニア展で入賞した生徒たちの表彰の後、一村忌が始まりました。奄美高校の太陽ッ子(てぃだっこ)のチヂン太鼓の演奏の後、挨拶。なんと、「黒潮の画譜 アダンの画帳」の作者で元南日本新聞記者の中野敦夫さんもみえていました。そうして、ニューヨークテロ追悼一周忌のセレモニーなどの依頼を拒んで、この会にあわせて宮崎緑さんも来島。にぎやかな一村忌になりました。最後は、有屋住民がたの八月踊り。一村は、いまごろ、何を思っているかなあ。写真はあとで。

小宿豊年祭に感激!  9.8

奄美では、来週15日が敬老の日とアラセツの日に重なり、各集落で、奉納相撲が開催されます。今日は、小湊、朝仁、小宿などがありました。小宿の相撲甚句が面白いというので、お昼頃、行ったのですが、朝の10時から小中学生が相撲をとっていて、中入り、相撲甚句、子供相撲、親子相撲に感激しました。また、詳しくはあとでね。

ひぎゃ唄とかさん唄  9.6

今日は龍郷町のりゅうゆう館で、ひぎゃ節とかさん唄者の大集合でした。こんな企画、いままであったようでなかったし、これからもないだろうと司会者はいってました。なんで?素人はそう、思うのだけど、やはりそんなに簡単なものではないのでしょう。
 石原さんの舞台ははじめてみました。迫力あって、面白かったです。きれいにうたうだけではないものね。中田さんもよかった。和美ネエさんは、なんか光っていた?指輪?正月着衣の唄は結構テンポがよくて、好きです。ちとせちゃんのテープに入っています。でも、昔はそれこそ、車もなかったし、船が交通手段だったでしょうが、南部から笠利まで唄を歌いにいくということはほとんどなかったかも。だから唄の融合など考えられないのでしょうが、今は、どちらかというとひぎゃ唄の舞台映えする歌が人気のようです。私は、全く野素人ですが、いきゅんにゃ加那だっておもしろいし、よいすらだった好きだし、そういういわゆる入門唄からでも、勝負をかけてもいいのではと思っちゃいます。だめかな。素朴なところで聞くと最高ですよね。わたしでも歌えるし!はは!
 そういえば龍郷にもいろいろいい歌があるのに、後継者や若い歌い手が少ないといっていましたね。そういえばそうですね。笠利は対知さんや、前田さんなどが育成し、また、築地さんや当原さんの日本一、、中村瑞希、吉原マリカ、山下聖子さんなどの若手や里国隆などのアウトローなど様々な人材が出ていますね。なんでだろう。笠利は歌島、花島がいまだに息づいていてとても面白いですね。瀬戸内だって頑張っていますけど、寄り集まるのは大変だったでしょうね。
 太クンによれば、龍郷は教育の町で、弁護士とか医者や教育者にするのが是とされ、唄は遊び人というイメージがあったからではといっていました。なるほど!西郷さんの影響やら、丸田南里といっしょに藩へ直訴に行った人たちが、手ひどい仕打ちを受けたことで「これからは教育ど!」といったと、林蘇喜男さんの本に書いてあったように思います。

シェルパ齋藤  9.4.

って、みなさんしっています?この人日本全国を耕運機!で回って旅日記を、小学館発行の雑誌「Bパル」で連載している人です。たまたま徳之島へ行く予定が、台風でいけずにしかたなく?奄美へ上陸?スタジオへ現れました。彼は耕運機で日本中を旅しているのです。時速8キロとか・面白いですネエ。テラとか名前をつけた耕運機は、座席だけ改造していました。そして、和美へ。小学館のおごりで、飲んできました。ありがとう、副編集長の宮川勉さん。この、宮川さんという人は、奄美大好き、島唄大好きの走りだった人。ホライゾンで、里国隆の記事を書いた人といえば、分かる人もいるかな?奄美へいったら、じゃ、和美へと齋藤さんにいったとか。わたし、ちょっと久しぶりに飲んだので、酔っ払ったです。偶然、築地俊造さんが見えていて、日本一の声と三味線をきけました。ラッキー!最近、奥さんを亡くされたので、寂しげでしたけど、以前、新潟FMのラジオで奄美島唄のことをときかれ、紹介したのが築地さんでした。また、今度いろいろ教えてくださいね。

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立松さんの「島へ」  9.2

作家の立松和平さんが、河出書房新社から「島へ」という写文集を出されました。全部は読んでいないけど、文芸春秋という雑誌で町田酒造「里の曙」を取り巻く奄美の取材をしたものを、よりエッセンスだけにして、まとめたのでした。いやあ、写真が気負っていなくていいわ〜。いつ、撮っていたんだろ。実は立松さんは写真が大好きで、ずっと持ち歩いていたのですが、何気なく撮るので全然気負いを感じさせず、いい感じにとれているのですねえ。素晴らしい!表紙は、円での追い込み漁をしたときのもの。エラブチをもらって、うれしそうな立松さんでした。他にも、奄美の人がさりげなくいっぱい出演。ところが河出書房さんはすごい!この本だけでなく、なんと立松シリーズでこれを含め、30冊も出すらしい。いわく、「立松和平のふるさと紀行」写真とエッセイで奏でる21世への贈り物ですって。2500円です。


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