編集日記
2002年2月

各月一覧表示

さみしくなった商店街  2.27

名瀬市の商店街アーケード通りにあった寿屋のシャッターが下ろされて一ヶ月くらいになるのでしょうか。周りの商店にもかなりのダメージを与えているようです。やはり、核であった寿屋が閉鎖されると、そこをなかなか通らなくなるのでしょうね。流れもなくなってくると、いよいよ寂れていく商店街になってしまいますよね。鳩浜にあった暮らし館はいつも大盛況だったので従業員のかたは大ショックでしょう。あのマイクの声が今でも思い出されます。
 佐大熊のタイヨーも老朽化で3月いっぱいで閉店というし、ダイエーだっていつどうなるかわからないし、ニシムタも最近はめっきり人が減りましたね。う〜ん、一体どうなっていくんだろう。ますます、島の経済は大変です。ところが、儲かっているところもあって、ビッグ2や、ツタヤはいつもすごいとか。みんな内地の企業に持っていってしまわれるのにねえ。都会派の魅力なのでしょう。あ、グリーンストア入船店はいつもすごいです。

イベントが目白押し  2.26

 最近イベントやら、各種委員会が目白押しですね。みんな島をなんとかしようと頑張っているようです。でも、ちょっと息切れをしているのは私だけ?最近目を使うのからなのか。目から肩や頭、が疲れているようです。夜の残業が辛い。夕飯たべて、お風呂入ったらもう眠くてしかたありません。こんな時無理してやってもダメだから早めに寝ちゃいます。更年期にもかかっているのでしょうかねえ。不安!そうそう、パソコンはプラスイオンをいっぱい出していて体に悪いみたいですね。これからのIT化時代には、マイナスイオンを出す健康器具?やら何やらがいろいろでてくるのではないでしょうか。奄美のものでこれが考えられれば面白いのですが。実は、マイナスイオンを出すスカーフを買ったのですが、どこかにしまいこんでしまった!!あ〜あ、もったいない。
 そうそう、4月20日に「島のブルース」で有名な三沢あけみの40周年謝恩コンサートが大々的にあるそうですね。作曲家の渡久地政信の顕彰碑と「島のブルース」の歌碑が建立されるようで、彼女の歌手生活40周年ともろもろのその謝恩コンサートのようです。ツアーも考えられているみたい。島では「島育ち」と「島のブルース」はなくてはならない歌ですよね。よく、宴会の最後あたりに輪になって、これらを歌って踊ります。

林業フェアー 2.24

 今日はきっと文化センターは朝から晩まで人出がいっぱいあったでしょうね。林業フェアーに昼頃出掛けましたが、かなりの人で賑わっていました。今回ホライゾンで、炭焼体験をするのでちょっと森林組合の方などにお会いしておこうかなと思ったのです。奄美のリュウキュウマツでつくったテーブルとイスがセットで20万で売られていましたが、うん、家や庭が広い人にはいい感じですよねえ。どっしりしていてなかなか素晴らしかったです。先日、炭焼きの川畑さんに大きな炭を頂いたのでこれを入れておく籠を2500円で購入。それから、木酢(もくさく)液も売っていました。たまたま知り合いのお姉さまだったので、その効能や素晴らしさを伺いました。そうなんです。これはとてもいいようなのです。ただ、薬事法で効能がうたえないところが、寂しいところ。ホライゾンではやりまっせ〜!!
 奄美木工クラフト「クロウサギ工房」なるものができていて、思わず買ってしまいました。籠付きで1000円。ここは奄美の森に育った木材を生かして木工クラフトに取り組んでいるとのこと。領収書を下さいといったら、なんと大島支庁のかたではありませんか。わたしもはいろうかなあ。あらためてお話をお聞きしたいです。「暮らしのスミズミに活かそう、炭の恵み」。いいタイトルではありませんか。トイレなどにも匂い消しに置いておるところがありますよね。私も
この1000円の籠付きの炭はトイレに飾りました。たのみまっせ〜!。
このクラフト工房の連絡先は、(0997-52-4367)会員募集中だそうですよ。売上の一部は「緑の募金」に寄付といいます。
 夜は、琉球舞踊の舞台。山元孝子舞踊道場のリサイタルだったのですが、残念。息子の伊津部スイミングで「6年生を送る会」だったため、行けませんでした。会場には花がずらっと並んで壮観でしたね。山元先生にはホライゾンでも度々お世話になっていたのですが、すみません。でも、やはり息子が大事。一つ山越えて、又次の山に挑戦していってほしい母でした。

炭焼での発見  2.21

ホライゾン15号の予備取材で炭焼き名人にあってきました。奄美手熟師会に入っている川畑さんという方です。平田町のループ橋を上ってクリーンセンターのずっと奥のほうです。今日は炭を出す日だそうで、いろいろ拝見できたのはラッキーでした。奄美の炭は白炭というそうです。備長炭とは備長なんとかという人の名前だそうですね。初めて知りました。で、炭は5〜6日も燃やしつづけるそうですね。最後に青い火になったら窯をレンガで塞いで燃やすのだそうです。台風や梅雨の時は窯が水を呼ぶので、なるべくしないそうですが、ふう、大変面白かったです。炭は最近、湿気取りや浄水にもいいと人気ですよね。建築資材としてあるいは河川敷にも使われているようです。また、蒸留してできる木酢液は、化粧水やアトピーにいいようでシャンプーに使っている人もいるとか。すごい用途ですよね。
で、一番の発見はモクマオウの木が堅くていい炭ができるとか。いろいろ伐採したものが川畑さんのところにもってこられるようですが、これ、最近の発見。奄美の植物のやっかいものであるモクマオウを炭にしてうれば一石二鳥では?ふんふん、これいいアイディアですよね。森林組合に言おうかなあ。ま、こんなにしてホライゾンに取り掛かろうとしております。乞うご期待!

湾岸道路 2.20

今日も笠利へ行ってきました。このところ、なんか通い詰めです。で、帰りは龍郷へ寄って帰ってきたのですが、うん、お天気がよくてちょっとドライブ気分でとばしてしまいました!龍郷役場前から自然観察の森方面へ右折し、安脚場トンネルを通っていく湾岸道路はとてもいい気分。海を見ながら走れるのは最高ですよね。ふんふんふん、ちょと鼻歌でも出てしまいますよね。こんな間近に海、それも白波たつ海を見れるのは先日沖縄へ行ってきましたけど、多分みられないでしょうね。あっちはバスでしたが、ふわーっといい感じになれるのは奄美でしょうね。得がたい自然です。タンカンがいっぱいとれたというので、浜田の実家からダンボール箱いっぱいにもらってきました。それから、フル、ほうれん草など、おばあちゃんが畑でつくっているものたちです。土をいじっている人はホントに元気ですね。ほんの小さな畑ですが、一人食べるには十分過ぎるほど獲れるらしいです。ただ、油かすをいれているだけといっていましたが、土地があって時間があったらいつかはやりたいなあ。きっと子育てが終ってからになるのでしょうが、野菜はかわいいでしょうね。明日は、炭焼きの予備取材に行ってきます。

笠利の海  2.19

またまた笠利へ行ってきました。笠利湾は急に晴れた陽にうっすら輝いていて、思わず写真をとってしまいましたが、赤木名へつく頃には雨が降り出し、あたふたあたふた。天気が変わりやすいのですねえ。笠利と名瀬では天気がかなりちがうのをしっていました?ざあざあ雨が降ってすごいと思っても笠利では上天気ということが時々有るのですよ。不思議です。小さな島でも山があるところとない所では雲の出来方が違うのですね。
 今日は赤木名の街づくり委員会でした。でも赤木名という地名は本当はないのです。役場前の通りあたりをいうようですが、外金久と中金久、そして里と言う集落をあわせて赤木名といっているそうですが、幻の町名ですね。で、ここの道は狭くて商店街に活気がないということで道路拡幅を含めて街づくりを考えていると言うのです。どこも同じですね。でも住民がどれだけ本気でいかに夢を実現させる気があるかということにかかっています。誰かがやってくれる、あるいは行政がやってくれるでは道ばかり広くても人はただ通り過ぎて行くだけです。どんなテーマをもった町にするかということは、自分の故郷をどうするかに繋がることでしょう。
 今日は第一回めということもあるのでしょうが、はあ、疲れた!!でもなんでこの会議に鹿児島の大学の先生が参加しているのかわからない。名瀬でも同じ様な会議があるけど、ほとんど住民ですよ。それも議長までやって。わかるようでわかないなあ。

女性の風をおこそう ウナリフェスティバル 2.17

今日は第3日曜日。市民清掃の日です。幸町の子供会の会長をしているため、朝早くから近所の清掃作業を子供たちとしたのですが、腹立つのは煙草の吸殻が多いこと。大人の勝手な行動にどうして子供がそれを拾って歩くのか、拾いながら腹が立ってきましたねえ。
 ま、腹は立てずに横にしろとかいいますのでこのくらいにして、今日はその後、雨。夜8時から市役所であった会議では。3月3日に女性フェスティバルを開くための準備委員会でした。わたしは、結いネット(元女性ネットワーク)に参加していて、この会と紬共同組合女性部会と合同で、議会に女性を送り出すことのフォーラムを企画しています。ウナリとは、沖縄のウナイ(女性)を奄美風にいいかえたもので、奄美では特にウナリ神といって女性の姉妹が男性兄弟を守ると言う昔からの考えからきています。島唄にも歌われていて、この女性信仰はかなり浸透していたようです。
紬があったために女性は経済的な面でかなり男性をサポートしてきた歴史があるのに、やはり男尊女卑なのか、女性の消極性なのか、女性議員が少ないため、これをおおいに増やそうと言う趣旨です。中央公民館で午後から開催予定ですので、みなさん、ふるってご参加くださいまし!らメールの合唱や子ども劇場の劇などもあります。
 

水平線へ釣り糸を垂れる 2.15

昨日、笠利へ行ってきました。久々にお天気がよくていいドライブでしたねえ。役場へ用事だったのですが、実はなぜだか、私、来週からこの町、赤木名のまちづくり委員になってまして、この町の調査がてらノロノロ車を走らせていました。花屋さんにはスターチスがきれいでしたねえ。おかみさんにきいたら、これは節田地域で採れたとのこと。紫の花は咲きやすいらしいのですが、ピンクや黄色、薄紫など全部で7種もあるんですって。スターチスは生花だけでなくドライフラワーがいいんです。生花と同じ様に色がほとんどかわらずにいつまでも咲いているんですよね。最後はカサカサ花びらが落ちてきてしまうけど、結構以前部屋にいっぱい飾っていました。都会じゃ結構高いのでは?
 それから例の如く、スーパー里で島味噌やら魚などを買い込み、サトウキビが山積みになっている富国製糖の横を通って海沿いを走ります。途中、海の釣り糸を垂れる人を見かけました。うんうん、いいよねえ。水平線に釣り糸ですよ。悠然としていて、あ〜、なんで私はあくせくしているんだろうと思ってしまいましたよ。いいなあ、どんな感じなんだろう。見えますか?中央に人がポツンといるのが。やはりデジカメではちょっと限度がありますね。右がスターチス。

 元ちとせ「ワダツミの木」 2.13

2月6日にメジャーデビューしたCD「ワダツミの木」がすごい評判らしいです。これは、島唄ではないのですが島唄の歌い方が随所にでてきて、とても神秘的で不思議な歌になっているのです。一度きいたらとても気になって又聞きたいという感じ。彼女は、「嘉徳なべ加那」で有名な瀬戸内町嘉徳出身の23歳。唄好きの両親と民謡日本一のRIKKIを育てた中野さんという指導者のもと、高校一年で奄美民謡大賞新人賞、高校三年生で大賞受賞。それでも遅すぎたと言う人もいたほどとか。唄者の将来を嘱望されたのですが高校卒業後美容師を目指し上京。でも美容液が体に合わなくて断念。やはり歌でいくて行く決心をしたのでしょうね。
 昔、瀬戸内町で行われたシーカヤック大会の打ち上げ舞台で歌った姿は忘れられません。細身の体に短い髪、ジーパンと赤いシャツ、それにタイをしてさっそうと三味線を弾きながら歌ったのですね。すっごくカッコよかったですよ。セントラル楽器ででているテープの写真はその時に撮ったものですs。それから、ミネハハとかいうCMの歌手が鳴り物入りで奄美に来て歌ったとき、ゲスト出演したのが彼女だったのですが、それまで何曲もうたっていたミネハハよりたった一曲歌った彼女のほうがとても印象深かったのを憶えています。
 昨日、夜中のテレビでヒットチャート初登場で18位?だったかな。それから、ラジオ番組でも流れていたし、うん、いい感じですよねえ。彼女の歌唱力と表現力に期待してます!奄美がまたまた光ってきましたね。後でCDの写真が少しボケました。失礼!


唄のなかに情景が見えた  2.10

今夜、アシビに行ってきました。島唄ライブです。出演者がすごい。貴島康雄、中村瑞希、吉原まりか、山下聖子のかわりに西和美、中孝介、RIKKI、築地俊造、朝崎郁恵(アンド永田茂、奈良大介)他、高橋全(あきら)さんが出演。
朝崎さんの、島唄アレンジCD第二作「詩島(うたじま)」発売記念ライブだったのですね。それですごいメンバーになったわけだ。それにしても、観光ネットワークが主催とは頑張りましたね。いっぱいの人でした。観光客の人も見受けられましたが地元の年配の人、若い男女がそれこそ前が見えないくらいいっぱいでした。蔵満先生もお見かけしたのですが、赤いシャツ着てましたよね。でも、身動きできませんでしたので失礼しました。貴島君の司会で若手唄者中心の第一部も盛り上がりましたけど、なんか一人酔っ払いの野次がうるさくて、はらはらしてしまいましたね。RIKKIなんか、少しうるうるしていませんでしたか。野次っていたあいつ知っているのだけど、酒癖が悪くてね、誰だあんなに飲ませたの。まったく!!
 さすが第二部の朝崎さんのときには野次は出ませんでした。う〜ん、不思議な静寂でしたね。唄のなかに情景がうかんでくるのですよね。唄が詩であるのです。高橋あきらさんに伺ったら、関わったスタッフがみんなそういうそうです。66歳?の朝崎さんの枯れ切った声には子守唄やら祈りやら寂しさ、悲しさ、感謝などのこころがふ〜っと歌いこまれていて感動的でした。みんな、シ〜ンとして聞いているのでした。
 ここで意外な方に出会いました。セントラル楽器の会長、指宿良彦さんです。「今までの自分の島唄感がひっくりかえったよ。感動した。これからは、こういうものをでしていかなくてはいかん。社長やら、邦彦を洗脳せんばならん」とおっしゃっていましたよ。これは、面白いことになりそうです。会長、よろしくお願いしますね。
 写真は朝崎さんのCD「うたじま 詩島」(2500円税込)。会場が撮影禁止のため、戻ってきて撮りました。なんか、島唄の新しい時代が来ているようでこれは本当に面白くなりそうです。朝崎さんという大御所のかたが先鞭を開いてくれたお陰で、次に続く若手もやりやすいでしょう。でも、築地さんがいっていたように、しッかりした島唄があってこそアレンジがあるのですね。そうなんですね。

ヒカン桜も葉桜  2.8.

 沖縄名護も南の桜、ヒカン桜がいっぱい咲いていて(名護はこれの名所として有名)、この奄美島でも道のあちこちに咲いています。濃いピンクの一重の桜です。八重みたいに密集して咲きません。先月下旬からいまごろまでが見ごろ。そしてだんだん、葉桜になっていきますね。都会のひとには不思議でしょうが、この桜は早ければ12月下旬ころからつぼみが膨らみ、それも山の方から咲き、だんだん里に降りてくるのです。思うに寒が入ってやっと花が咲くのですね。ただ、暖かいだけではだめなのです。アオサもそうですね。寒が入っていいものができるようです。
 今日、笠利に行く途中、龍郷役場の前で桜の写真をとりました。奄美自然観察の森では、この桜にが鳥が蜜を吸いにきてとてものどかです。島の人々はこの下で花見をするのですが、今年は不景気だから、みなさん、どうなんでしょうね。寿屋が一斉にシャッターを下ろし、ダイエーだっていつどうなるのかわかりませんよね。世の中、ある日突然かわってしまうこともあるのですね。
 そういえば、今週の土日、屋仁川アシビで、島唄ライブがあるそうです。貴島君やら孝介、rikkiも築地俊造さんもでるとか、よーし、なんとかいくぞ〜。今の奄美で希望がもてるのは焼酎とこの若い歌い手だけかもしれませんね。

沖縄の山羊汁はすごい!  2.5

 日曜日から沖縄に行って今日帰ってきました。奄美と沖縄北部との交流推進事業の一環でした。すごく駆け足でしたが行政の視察でしか見られない所へも行けてとても面白かったです。名護市で宿泊したのですが、着いた日は名護市長選挙日でした。キャンプシュワーブへの基地移転問題で全国でも注目をされていたので、地元のみなさんにとっては熱い一日だったことでしょう。結局現職の圧勝に終りましたが、同じ日、伊仙町の議員選挙があり、例のように自衛隊やマスコミが待機していたようですが、とりあえず、何事もなく終ったようです。でも、新人が全員受かり、まさかと言う人が落ちたとか。さあ、後がどうなるのか、うう、嫌な予感。
 ま、そんな話とは関係なく、私たちは勉強してきたのですが、名護のメディア館に圧倒されましたね。設備がすごい。NTTのコールセンターも見学しましたが、奄美でもあの位だったら持ってこれるのではとおもいます。実は参加者のなかに元NTTの名瀬市店長がいてそんなにいっていたんです。あれ以上を持ってこなくてはダメとも。メディア館ではパソコンはもちろん、映像やアニメ作成の最新設備が整っていてそれも格安あるいは無料で使用できるようになっているのです。技術があれば、ここで格安にいろいろできるのですが、教えてはくれないとのこと。ここがミソですね。
地元の人が使いこなせるようになるには、ちょっと難しいようです。
 で、夜の懇親会。一晩めは、日本ハムのキャンプの選手といっしょでした。次の日はさざなみ通りというところで飲んだ後、山羊汁の店「ふみ」へ。旦那はもと漁師。奥さんがつくる山羊汁は、フーチーバー(ヨモギ)の生葉を丼半分くらい入れ、その上に肉ばっかりの山盛り汁をのっけるのです。奄美では肉と大根が入っているのですが、全然違うのです。生姜たっぷり、塩は好みで入れます。あまりのボリュームに初めはこわごわでしたが、へ〜。全然臭くないし、柔らかくてうん、おいしい!ヨモギと生姜が匂い消しなのでしょうね。沖縄のエナジーを感じた晩でした!。
 娘が沖縄でしばらく暮らすため、ふふふ、もっと沖縄へ通うぞ〜。


満天の星のごとく…  2.1

いやあ、すみません。もう、忙しくてHPに向かう精神的な余裕がありませんでした。今ひとつ、仕事が区切りがついたので、ほっとしてます。あとは印刷所を急がせるだけ。ふう!で、また明日からは違う印刷物に突入!これがもう、気持ち悪くなるくらいめんどくさい。でも、もう納期が迫っているからはじめから飛ばさなくてはなりません。ひえ、来週はまたクマか!
 そういえば、来年奄美が日本復帰して50年になります。半世紀ですね。40周年のとき、結構燃えたのでなんか、みなさん火がついていませんね。だからなんなの?というかんじです。で、40周年のとき、大島支庁総務課といっしょになって、復帰記念写真集「満天の星のごとく…」を出しました。もう、絶版なのですが、奄美の島々の様々な顔を満天の星にたとえて私がタイトルとか編集などを考えたのですが、今でも我ながらいいのを作らせてもらったとおもっています。パラパラめくるとじ〜んとしてきますよ。巻頭でポエム的なものも書いたのですが、楠田豊春さんはえらく気に入って下さっているようで、よく挨拶のときこの文をよんでくれます。わたしが好きなのは表紙の写真。これを撮った方はガンでこれができてからしばらくして亡くなったそうですが、表紙になったことをとてもとてもよろこんで下さったそうです。「妖樹 」という同人誌にどなたかが書かれていたのを読みました。田島 操さん。本当にいい写真をありがとうございました。ちょっと、昔の写真を今取り扱っているので、満天〜はよく活用するものですから、今日はちょっとしんみりしてしまいました。