2002年12月の編集日記

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三京オレンジ   12.29

これがおいしいのですよ。徳之島にはほぼ中央に小高い山がありますが、そのなかに三京という地区があります。ここでしかとれないというオレンジを最近送っていただきました。この地域には、アマミノクロウサギもすんでいるという原生林があるわけですが、つまり、このあたりは海に沈まなかったのでしょうね。古生層だとおもいますが、この土がものをいうのかもしれませんね。大きさも同じくらいなので八朔のようなものかなあと思いましたが、どっこい。すっぱくないのです。あまい、それもくどさがない甘さ。うん、これはいけるかも。もっと宣伝してもいいですよ。風邪には、ビタミンシーです。いっぱい食べて早く直さなくっちゃ!!ちなみにこれを送ってくださったのは徳之島の唄者の中島清彦さん。ホライゾン取材でお世話になったばかりなのに、ほんともうしわけありません。味わっていただきました。ありがとうございました。



声が出な〜い!!  12.28

年の瀬も押し迫り、大掃除などをされている人も多いでしょう。ところが、私はあのおがみ山に上った24日以来風邪を引いてしまい、ダウン。きっと仕事のしすぎだわ!きっとそうよ!!などと勝手に思い、グズグズしておりました。いやあ、それも声がでない!あの、電話だけでは美しいと評判の声がでません。(いやほんと!)いまじゃあ、おんとしうん十歳のおばばさまのような声がやっとでるだけ。今日になってやっと病院にいってきました。でも、娘が2人帰省しているので、こんなときやはりたよりになりますよ。うん、若い肌はいいものですね。我が子ながら見ているだけでさわりたくなります。よしよし。
さて、それはさておき、写真を添付しましょうね。泉芳朗の像に手をあわせる金久中学校の生徒たちです。

明日は復帰記念日  12.24

 明日はいよいよ奄美復帰記念日です。奄美群島がアメリカ軍統制下から解放され、晴れて日本という国の国民になったのは、今から49年前、来年で50年めということで、大きなセレモニーが用意されるはずです。この復帰運動を盛り上げたのは、もちろん住民一人一人。ただ復帰の父といわれる泉芳朗という徳之島出身のひとが先頭にたっていたのでよく知れ渡っているようです。「断食悲願」という詩をかいて民衆のこころを一つにしていったひとですね。おがみ山にその碑文がのこされています。この詩は結構好きです。去年は息子が名瀬小学校六年生で、この詩を朗読していましたが、今年は風邪でダウンのため、金久中学生としては参加できません。
 ところでうわ!明日、おがみ山に取材にいくのに、体力があるか心配。けっこうきつい坂なのですよ。毎日飲んでばかりいる人にはきつい。いや私はのんではいませんけどね。そうそう、日本復帰の歌でしたっけ?あれは、いっちゃあ悪いけど軍歌かとおもいましたよ。メロディがね。私にはなじめませんけど、懐かしい人はいっぱいいるはず。
 そうそう、最近佐竹京子さんやら、間さんやらが、復帰50周年で南方新社から復帰に関する本を出しています。佐竹さんは密航船。間さんは赤土文化かな?どちらも労作ですよね。来年は出版が目白押しですよね。
 え〜それからなんと明日、龍郷町の自然観察の森でヒカンサクラの開花宣言ですよ!ま、行ってみて下さい。びっくりしますから。500本のうちすでに80本が五分咲きになっているのです。

福永幸平クン   12.22

ってご存知ですか。「しゃべり場」というNHK教育テレビ番組に出演して、そのしゃべりに興味をもった映画監督に見初められ、今度映画にでるというのは聞いていました。女性の映画監督でしたよね。その彼を先日,かずみでお会いしました。一生懸命三味線となれない島唄を汗出しながら唄っているのです。なんか、若い子の一生懸命っていいですね。ものになるかどうかはわからないけど、いい顔してますよ。路上ミュージシャンもやっているようです。で、ですね。来年1月6日にアシビで福永幸平ライブをやるとか。8時開演です。興味のある方は、是非、来年、彼のライブにいってみましょう。沖縄民謡のゲストを迎え、奄美民謡とのジョイント、オリジナル曲やトーク&セッションなどなど。ワンドリンクでお菓子付き1500円です。(映画は「沙羅双樹」2003年初夏公開予定。河野直美監督)

ご無沙汰!!  12.20

 いやあ、なんかサボってしまいましたネエ。お久しぶり!!ちょっとですね、集中して仕事をしたかったので、さぼってしまいました。最近は雨ですよね。今日もパソコンとにらめっこしていたら、なんとKリゾートのYさんが、にこにこ笑いながら、事務所の入口にたっているではありませんか。まあ、今日は何でしょう?なにか仕事あり?なんて期待したら、なんと!雨やどりですって。まあ、どうぞどうぞということで、何やらお話しました。実はYさんは、お子さんが4人も年子なのです?すごすぎでしょ?うちは2人年子でもヒーコラいっているのに、4人ですよ、4人。まだ学生さんがほとんどで学費だけでもハンパじゃない。それもぜんぶ別々に住んでいるのですから、考えただけでもぞっとします。ま、Yさんだからできることでしょうけど、銀行からお金借りまくっていると笑っていました。
 最近の情報、やっちゃばという高級果物やさんが移転、大きくなって明るくなって新登場。保健所の近く、朝野書店の隣りです。写真を撮ろうと思いながら雨なので、車になり勝ちで、とっていません。
そうそう朝野書店といえば、看板おじちゃんはとっても元気です。とってもおしゃべり好きで、私でもお嬢ちゃん扱い。飴とか御菓子をくれようとするんです。この前なんか、コロッケ食べるか?だって。あんた、浜田さんのところにいつ入ったの?っていうから、ずっと前ですよ、いつも中にいるからねえなんていって誤魔化しました。すみません。だって人がしゃべっても自分の世界でおしゃべりしていたのですもの。でも看板おじちゃん、頑張って!!えっと80歳を越えていったけ?

UA ライブ  2002.12.17

遅くなりましたが、16日にUAのライブが奄美文化センターでありましたので、ご報告いたします。チラシ等で見る彼女は、ハスキーで、けっこう太い声のように思いましたが、実際は予想を上回る程の、声でしたね。以下、ライブの状況と彼女の発言を再現します。(写真は検閲?でデジカメを撮られてしまった!!のでありませんです)うん、食わず嫌いはよくないことがわかりましたよ。でも、5250円はちょっとねえ。次々有名人が来られても、お金はおいつきませんが。

 さて、オープニングでその幕に無数の鳩のシルエット映像が羽ばたきはじめると、すごい歓声と拍手。ほとんど若いカップルとか、女の子のグループでした。あとから聞くと、北海道や沖縄など全国から追っかけも来ていたみたい。薄ぐらい照明のなか、光と影絵風の映像を駆使して、ノスタルジックと機械音がいっしょになった不思議な世界、ミステリアスな世界が出ていました。都会の魔法の森かな?白い毛と布を組み合わせたような衣装にカウボウーイハットみたいなのを被って全体はほとんどモノトーンです。時折、童話チックのもなるのですね。歌詞はよく聞き取れなかったので、あとからCDを買いました。「泥棒」ですが、今回のライブで歌ったものほとんどが入っています。
 彼女たちは、早めに入って来て、カケロマのマリンブルーという宿にいたのですが、そこのマスター(武さん)たちが作っているナーナーズと演奏して楽しんでいたみたい。そこの娘、ちあきちゃんに捧げるつもりで、「加計呂麻の天使、ちあき姫へ」と紹介していました。
 「奄美の皆様、はじめまして。ありがとうございます。う〜ん、え〜と御存知の方もいるかと思いますが、母が加計呂麻なので、昨日まで加計呂麻にいました。言葉が、ちょうどイイ言葉がみつからないけど、とてもうれしい。たくさんの海と空をみたので、こっちに来て歌がよくなっているといいですけど…。よろしく。」と話してくれて、地元ファンを喜ばせていました。ずっとずっと歌い続けても声は変わらず、なにか飲むわけでもなくすごいなと思いましたね。歌うた歌ですね。加計呂麻や奄美と出会い、変わっていきたい自分を話してくれたと思います。
 アンコールでは黒いドレスで、自分のおもうままに踊る姿にユタ的なイメージをオーバーラップさせてしまいました。薄ぐらい穴から、出口を求めて彷徨っているのが今のウーアなのかなあと思いました。彼女の歌はメロディラインは鮮明にはおもいだせないのですけど、歌詞は、現代詩を読んでいるようで面白いですね。

2002.12.15

 昨日は、第3回ティダネシア塾でした。う〜ん、昨日2時に寝たので、もしかして居眠りしてしまうかもと思いましたが、面白い話がいろいろでてきて、居眠りはクリア。新崎さんという沖縄の方で、色々アイデア商品をつくったり地域づくりに積極的にかかわっているかたです。沖縄では現在シティFMが5局開局されているのですが、その先駆けをした人で、今は沖縄市のFMの社長でもあります。奄美でもこの話はでてきているようですが、全国で採算があう局は2〜3局しかないとか。民間と行政がいっしょになった形でやらなければ、とてもじゃないけど無理な話です。ごたぶんにもれず、新崎さんのFM局の累積赤字は膨大らしい。CMなどで、お金をとっているらしいのですが、厳しいでしょうねえ。
 で、この赤字をなにで補填しているかというところが、面白いのです。彼、商品開発などもてがけていて、試供品をいただいたのですが、クチャという土に杜仲茶やハイビスカスなどをいれた液状石鹸が特許申請中とのことですが、アトピーやら美肌にとってもいいとか。女性メンバー5人だけがサンプルを頂きました。わ〜い、やったるぞ!他にももずくをつかったもの(もずくのぬめりはとっても美肌にいいらしい)とか、あるらしいのですねえ。う〜ん、奄美でもまったく同じ素材はあるのに、結局、商品開発するアイディアと根気とお金と研究施設が足りないのですねえ。アイディアと根気は我々地元の責任ですが、お金と研究施設は、行政サイドでなんとか、ならないものでしょうか。

貴島康男クン  12.14

昨日は、某ガイドブックの取材班といっしょに、かずみ、吟亭、アシビをまわりました。ま、わたしは、アシビにでる貴島クンを追いかけていたのです。どうしても取材したいのですが、なかなかつかまらない。アシビの麓さんに聞いても、かずみねえさんに聞いても、なかなか連絡がとれなかったのですが、なんと、昨日、アシビにてレゲエライブのゲストとして、出演するというので、急きょ、出かけましたよ。いやあ、中に入ったら、びっくりのでかい音と声。でも、なんか、慣れてしまうものですねえ。暗闇でもぞもぞ、デジカメとりだしていたら、何人かに声かけられました。そうそう、サモガリの彼女?、広域のTさん、龍郷の「海」の福原さんなどなど。けっこう、みんな来ているのねえ。
 で、ようやく貴島クンが登場したのが、夜半11時30分。レゲエの舞台に三味線もって、朝花、よいすら、ワイド節、六調などうたって20分。う〜ん、やっぱり、ひきつけるよねえ。ピンポンズとも、いろいろやっているようで、仕事も家庭も遊びも唄も、好奇心と挑戦と責任感がミックスされて、磨きがかかっているようです。よかった〜!!

サロン「かずみ」?  12.12

さあて、昨日の盛り上がり写真公開!旅行者、取材陣、唄シャ、地元、入り混じってのドサクサ写真です。このなかで、3人の名前が言い当てられるのは、かずみ常連。4人以上分かる人、いるかな??
出色なのは、あたりこうすけのかあちゃん。写真右隅です。彼女、最近、息子と舞台にたつのを夢みて?島唄を独学で習い始めているとか。ちょっと練習させてといって、朝花をうたったのですが、透き通るような声がすてきでしたよ。当原さん風のかさん唄を唄いました。うん、似ている唄い方。なぜって、家で彼女のCDを聞いてうたっているらしいのです。

  ホライゾン16号発行   12.11

やっと16号が到着しました。笠利町用海岸の朝日です。タイトルを照らし出しているみたいで、なかなかでしょ。表紙の写真選びにも、結構大変。ちょっと前まで、青と緑色がおおかったため、なんだか号が違っても、変わり映えしないのではと思い、赤の色味を考えたりしたのです。あと、風景ばかりでなく、人間や物も出していきたいのですが、人間の入れ方は難しいですね。
今回の目玉は、藤井令一さの、奄美文学特集と、島唄特集、三味線コーナーが初めての情報だとおもわれるのが、多々あります。残念だったのが、「食」コーナーで、久留さんが急きょ、悔みに2度も重なり、心労を察して今回はお休みにさせていただきました。
 次回は、復帰50周年特集の前半編。他誌では絶対できないやつやるぞ!!最近、ガイドブックやら都会の雑誌やらが奄美を取材してくれますので、いろいろ情報が重なりますが、ホライゾンではこれをリード?していく,あるいは違う料理の仕方をしないと、地元の意味がありません。拙くても、やっぱり奄美発信にこだわらないと。むむむ、やはりフィールドワークですね。

君は雪をみたことがあるか?  12.9

 なあんてね。別にいきがったわけではありませんが、都会では今日は雪ですよ。東京から取材陣が入ってきたのですが、一時間も出発が遅くなったようです。都会から比べれば、そりゃ暖かいでしょうが、かわいそうに奄美も雨で風も強いし、取材にはてんでだめですね。

 奄美では雪は降りません。都会だってそうめったやたら、見られる光景ではありませんが、私が一番印象に残っている都会の雪の日は、高校入試の発表日でした。雪ときくとすぐこの日の光景が思い出されますねえ。家で、落ちた人には連絡があるのは今も同じですが、わ〜い、受かったぞと確認しにいくのが大変。結構積もったのです。思い出すなあ。都電は止まるし、バスもなかなか来ないし、長靴はいてせっせせっせ、びしゃびしゃになりながら、でもうれしくてなにやらニヤニヤしながら、発表があった高校まで歩いていったのです。40〜50分くらい、いやそれ以上かかったかなあ。

 でもね、当時東京都立の高校は学校群という入試制度だったので、受かっても好きな高校には入れなかった。噂によると、番号順に123と割り振るんだったらしい。私の高校は元府立第二高女だったところで、床上20センチ!!というスカート丈でセーラー服でした!!入学してしばらくして生徒総会ですったもんだして制服が自由化、ミニスカートで学校に行った時代もありました。(ま、そのうち、なつかしくて制服をきたりしてましたけどね。)

 それで、女子が男子より圧倒的に多くて1対2の割りでしたね。だから男子はなんか小さくまとまっていて、女子の方が幅利かせていたような気がします。同じ群のもう一つの高校は、元男子校で、反対に女子が少なくてカッコイイ男子に女子はいっぱいもてたのではと、隣りの柿は赤い風な感じでとっても羨ましかったのを思い出します。別にもてたくてではないのですが…。ホント…。

奄美パークと青果市場 12.8.

 ちょっと仕事の打ち合わせで奄美パークへ行ってきました。海を守ろうとのスローガンで、海上保安庁主催で子供の絵画コンテストが開催されていて、みんななかなかイイ絵を描いていましたね、子供の絵って好きです。色彩がいっぱいあってね。線がかわいくてね。
 そうそう、一村の来年度のカレンダーができていて、「クワズイモとソテツ」が表紙になっていましたが、なかなか印象的です。この絵は記念館にないのがとても残念ですが、いろいろあるので今のところ仕方ありませんね。あとで、カレンダーをデジカメでと撮ってみます。
 さて、それから名瀬市青果市場へいって、「野菜の日」8月31日制定の記念講演をきいてきました。もう、急に天候が悪くなってきて、出足もにぶったでしょうが、ちょっと疲れがでて居眠りこいてしまいました!!すみません。食生活改善のお母さんがたが、地元野菜を使っていろいろアイディア料理を出されていましたが、ちょっと冷えているし、色も変わってしまっていておいしそうでなかったのが残念。西村先生というコンテストでよく賞をとられるという講師の方の料理教室なんかがあれば、いいなあ。地元野菜の変身料理に期待したいです。

瀬戸内町の観光パンフレット 12.6

 今日は土曜日、仕事に入るには、まだ頭がぼ〜っとしているので、パソコンであそんでいます。さて、瀬戸内町のパンフを過日つくりました。広域ジムクミアイから、とても評判がいいというので、ご紹介させていただきます。うふ。
 今、奄美各島々は、体験型観光なのですよね。それも、大型ツアーではなく、小単位のそれもけっこうターゲットを絞った観光です。ま、これは奄美に限らないとは思いますが、バスで観光地を見てまわる観光はすでに時代遅れなのです。この、体験型観光には、奄美は今の自然や島唄などを味わってもらえればとてもあっているのではないでしょうか。
 森があって海がある。唄や踊りが、集落ごとにある。自然の恵みを利用した食材。それも長寿やガン抑制作用のあるものなど、種々ありますよね。瀬戸内町のパンフでは、この体験型の旅に利用してもらえるように、考えました。それも、タイトルは、「島と遊ぼう」。表紙の場所は、江仁屋離れという無人島で、しぶきをあげてあそぶ子供たち。
 そうなのです。最近、水着の女の子がこれ見よがしのポーズをとることは無くなりました。モデル業界は上がったりでしょうが、奄美はこれが一番ですよね。なにも、若い女の子ばかりが、お客ではなく、かえって家族連れの旅行には安全でのんびりしていて、自然体験にはうってつけです。ガイドも、接客業ですから、お話上手(立て板に水は敬遠されますが)、奄美を愛していっぱい勉強している人がいい。。ガイドが、観光客にとっては、奄美の入口なのですから、これは必要です。やりようはいっぱいあるのよねえ。人材をそだてることは急務です。
 

新穂花にて  12.5

今日、16号がまだ到着していないのに、ホライゾン17号の打ち合わせをしに、久留ひろみさんのお店、「新穂花」に行ってきました。来年が、奄美復帰50周年なので、ホライゾンではなにをどう掲載しようかと考えております。久留さんにはもちろん「食」。ま、出るのは来年6月ですが、打ち合わせというか企画はこうやって早くから考えるのでした。でも、あっという間に予定変更ということもありますが。その辺、ま、いい加減といえばいい加減かもね。
 「新穂花」の店の前に、市場が出現。いやあ、もう一ヶ月前から出店しているようでしたが、全然知らなかった!すんません。彼は実は瀬戸内町の西古見から毎日通っているとか、西古見っていえば、すごい遠いですよ。奄美の最西端に近いかな。いつも帰るのは、夜中10時すぎとか。久慈あたりはいつも眠りながら運転しているだなんて、まあ、気をつけて下さいね。
でも、この市場、無農薬で地場産ものが多く、いいですよ。間引き大根と、フルとポンカンを買いましたが、こうして地元野菜が頑張ってくれるといいですね。皆さん、安いだけの外国産ではなく、やはり島産の野菜を応援しようではありませんか。島興しの土台は第一次産業ですよね。きれいより安全で新鮮なものが一番です。地場産を売っているところは、人がやってくる。わたしは、そう思います。
さて、大島支庁のOさんから、ファックスいただきました。リュウキュウアユの禁漁期間は、11月@日〜5月31日と規制されているようです。これは、特に奄美のアユだけとのこと。本土のアユは一月からなので、奄美のリュウキュウアユの禁漁のほうが厳しい。う〜ん、知らなかったなあ。知っていました?

ホライゾン16号は来週には発行します。  12.4.

 すみません。またまた遅くなってしまっているホライゾンですが、表紙は今日完了、本文もほぼ完了で明日あたりから印刷に入ります。乾燥と製本を終えるのは今週いっぱいかかるでしょう。来週頭には到着する予定です。すんませんが、今しばらくご容赦を!!
 そんななか、私は、瀬戸内へと急がねばなりませんでした。ひょえ、なんでって聞かないで。ト突然、車の中に枝のようなカマキリ出現。ギョ!!。なんだ?無気味でしょ。
 これカマキリなのですよね。木の多いところを通ったからでしょうか。仕方なく、手づかみでまた外へホッポリ出してしまいましたよ。
そういえば、16日ウーアという人のコンサートですね。ちょっと無気味?(失礼!)という感じなのですが、全然予備知識がありませんのに、取材に行くハメになってしまった。自信ないなあ。ちょっとおばさんには、しんどいかもとセントラル楽器さんにいったら、「いやあ、結構ハマルかもしれませんよ」だって。そうかなあ?!

リュウキュウアユを食べる?  12.2

 今日は、奄美リュウキュウアユ保全研究会の地元報告会でした。自然関係の人が行くのだろうなあと思っていたら、なんと建築関係や市町村役場関係の人たちだったようです。いわゆる作業服のお兄さんたちばっか。大島新聞と私だけが女性。ま、そんなことはいいとして、沖縄・奄美のリュウキュウアユは、一般のアユとは100万年も交流がなく、別々に棲んでいたため、同じアユでも学問的には随分違うようで、奄美のものはとても貴重なのです。奄美では住用村の役勝、川内、河内川や宇検村に生息しています。
 沖縄では開発がめったやたら行われたため、絶滅しましたが、最近奄美の稚魚?を一般の人が入れない米軍基地があるヤンバルの川に移したら、繁殖が確認されましたよね。でも奄美でも結構少なくなっているのが現状。大きな台風の直後にはかなり流されてなくなるのですが、徐々に回復してはいても工事でも赤土流出やら秩序ない工事の進め方などの人為的なもので、だんだん少なくなっているとのことでした。特に河内、役勝川あたりのアユが危機的状況。今全体で7000匹だそうです。アユがいなくなるというのは、生態系の上ではその前後も危ないということです。アユだけ守ればいいという問題ではなくて、アユは海と川を回遊する魚ですから、海の海の問題も大きくあるというのです。宇検と住用のアユもそれぞれ違うことから、単純に放流すればいいと言う問題でもありません。
 と進んでいた最後に、住用のどなたかドスのきいたお兄さんがこういったのが印象的でした。「アユで生計を立てている人たちがいます。一日200匹とる人が10数人はいる。それが30日続けたら何匹か。みなさん、先生たちはこの人たちがいっぱい取ったあとに調査するものだから、数なんてあてにならないのでは。この人たちがせめて産卵期の一ヶ月捕獲規制をするだけで、数万匹なんて数はすぐ回復するんです。」そうかあ、そうなんだ。食べているんだ、人間が。そりゃ、昔は貴重なタンパク源だったかもしれないけど、いまじゃ、食べるものはいっぱいあるのにねえ。でも、捕獲規制がなく、貴重な固有種といっても、地元の人には分かりづらいのでしょう。さて、これはどうすればいいのか。(規制の関しては後日談あり。12・5を見てください)

ヤッコソウin奄美自然観察の森  12.1

ややや、もう師走になってしまいました。毎年なんでこんなに早いのと思うのですよねえ。
今日はですね、森の真珠といわれるヤッコソウが群生している北限といわれる奄美自然観察の森へいってきました。何年か前に、指導員の作田先生に場所を教えてもらっていたので、一人でも探せましたよ。シイの大木の下やコケが生えたような木にいっぱい生えていました。今ごろの季節なのでしたねえ。ヤッコさんの姿に似ているところからつけられた名前だそうです。かわいいでしょ。

それから、ちょっと足をのばして、安木屋場まで行ってきました。龍郷の湾岸道路は、海とソテツの街路樹がマッチしていて、好きです。天気がよかったから、サングラスをして反射をとってみると、素晴らしく美しいサンゴ礁の海景色が見られるのですよ。デスクワークばかりしている方には、一度サングラスでのドライブをお薦めします。
 さて、海沿いにあったのは、阿世知牧直という即興歌人と伝えられた人の碑です。風光明媚なところにつくられていて、彼が読んだ唄がかかれていました。建立の由来をもっとかけばいいのになあ。子孫に阿世知三味線の阿世知幸雄さんがたが、建立したそうですが、実は阿世知さんは自分が子孫だとも知らなかったらしい。血なのでしょうねえ。彼の代で作らねば、忘れられるといわれ建立したとのこと。牧直のお墓も近くにありました。皆さん是非いってみてください。海が美しかったですよ。

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