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  … 「思うこと」 南日本新聞夕刊に2007年2月1日〜4月5日まで毎週木曜日に掲載 

《私がアナウンサーになったわけ》 2007年2月1日分

 木に登った豚を見たことはないが、おだてられれば木登りぐらいするんじゃないかと思う。DNAが同じいのししは物まね上手で芸もする。伊豆にはいのししのパフォーマンスを見せてくれる「いのしし村」なるものがあるそうだ。
私は木に登る代わりにアナウンサーになった。
 幼稚園、小学校、私の人生暗かった。いつも一人だった。幼稚園には市バスで通っていたが、週3回は途中下車してUターン。「幼稚園お休みだった」と大真面目に報告しては、どやされた。小学校でも孤独。ランドセルは隠される、展示物は破られるの毎日が苦痛だった。通知表には決まって「もっと積極的に。大きな声で」とあったが、それができればいじめられない。
 転機は3年生の2学期の国語の時間に訪れた。「明日の授業は詩の朗読です。録音するから一生懸命練習してきなさい」タイトルは「心に太陽をもて」今も教科書に載っているらしい。担任の言葉は、「これは君が変われるチャンスになる」というメッセージのように聞こえた。その夜、夕飯もそこそこに練習。自分でもびっくりするほど大きな声で何度も何度も読んだ。
 翌日、私の番。「ココロニタイヨーヲモテ!」最初の一行で声が出せた。後は勢いだ。無事読み終えた。と同時に先生は私の元へ駆け寄り、抱きしめてくれたのである。大きなおなかと「できるやないかあ」の声のなんと心地よかったことか。
 あの時、私はアナウンサーになりたいと思った。もっと褒めてもらえるかもしれないという単純な理由だが、その後の私の大きな力になり続けた。
 褒められることは、認められること。うれしいのは子どもだけではない。頑張る力の源だ。あれから40年。相変わらず褒められたくて頑張っている。

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  • 《北のガリバーたち》 2007年2月6日分

     友人の留守中、犬の散歩を頼まれた。犬と散歩したことはないけど、おもしろそうだから引き受けた。大型だがおとなしく聞き分けがいい。
     肌を刺す朝の風を受けながら、私は11年前の春に訪れたスゥエーデンを思い出した。桜満開の日本から十数時間、そこはまだモノトーンの世界。湖も凍っていた。最初のカルチャーショックはトイレ。便座が大きい、高い。行きかう人も大きい、高い。まるでガリバーの国だ。便座の高さに納得だ。ついでに言うと、湯船も深い。つまり、縁が高いから、気をつけないとガツンと痛い。
     白夜の国の人々は日光を大事にする。日の射さない極夜の季節に備えて、光を体にしみこませるのだ。だから極寒の中で、大人も子どもも外にでる。犬連れで散歩をする人も多い。その犬がまた大きい。そしてどんなところにも堂々と入ってくる。ワンともニャンとも言わない無口な犬たちだから、怖くはないが、はじめは驚いた。図書館には犬の銅像まである。この国の犬たちは税金を払っていて、図書館はその税金で造られたから、敬意を表して犬の銅像なんだと聞いてまた驚いた。
     バス停にも犬が並んでる。、税金払ってるんだから乗るだろう。もう驚かない。しかし、ベビーカーを押すママ達も並んでる。『どうするつもりだろう?』日本では考えられない光景だ。心配している間にバスが来た。と、中から乗客のガリバー達数人が降りるが早いかベビーカーをひょいと持ち上げ車内へ。驚いた。しかし、「だって、一人じゃ大変でしょ?」彼らは穏やかに答えた。私が本当に小さいのは体ではなく心なのかもしれないと思った。
     静かなガリバー達は、きっと遅い春を静かに待っていることだろう。
    そろそろ帰ろうか。私はリードを引いた。

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  • 《はじめてのプレゼント》 2007年2月15日分

     「プレゼント、何がいい?」進学のため、昨年家を出た娘からの電話。私の誕生日はひと月も先だ。
    レポートで忙しくなるから、気になることは早めに済ませたいらしい。
    「なんにもいらないよ。」
    その気持ちだけで、母は充分。
    「それは困るよ。癒しグッズとピアス、どっちがいい?」
    困るんだったら、気の毒だ。
    「じゃあピアス。クールだけど女らしいの。あとは適当で。」と、わかりやすく説明してあげた。
    数日後、イメージ通りのピアスが届いた。誰かのために何かを選ぶのが好きだと、彼女は言う。遠慮しなくてよかった。
     娘からの初めてプレゼントは、彼女が4歳のときだ。ポケットに手を突っ込み、この上なく幸せそうな顔で、そろりそろりと私に近づいてきた。あの日の光景をはっきり憶えている。その幸せそうな顔には、複数の黒い斑点が付いていた。満面の笑み、そろり歩き、黒い点、この関係が私には理解できなかった。娘が私の前にたどりつくまでは・・・。
    「かわいかったから、連れてきたよ。コレ全部お母さんにあげる!」
    コレは、庭で見つけただんご虫だった。まずポケットに入れたが、それでは足りず、顔にも這わせて連れてくることにしたらしい。コレ達がポケットから逃げないように手でふたをし、顔から滑り落ちないようにそろり歩きだったわけだ。私は、軽いめまいを感じながらも、その屈託のない表情がうれしかった。
     ピアスと一緒に、弟への贈り物もあった。リスのぬいぐるみだ。
    「俺をいくつだと思ってるんだよお。」
    苦笑しながら、15の息子はすぐに机に飾った。
     だんご虫、ピアス、リス、「誰かのために、何かを」
    娘の気持ちはあの時と同じ。母にはそれが何よりの贈り物であった。

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    《ラジオが好き》 2007年2月22日分

     「ズンナカってなに?」 
    ズンドコならキヨシだが、ズンナカは初めてお目にかかる言葉だ。鹿児島在住
    25年でも未知の鹿児島弁は多い。ズンナカは、先週番組にいただいたメールの中の単語で、学芸会を前にはしゃぐ娘たちが大声で歌の練習をするのが、とってもズンナカァ!らしい。
     MBCラジオで「たんぽぽ倶楽部」を担当して5年になる。月曜日から金曜日までお昼をはさんで3時間近くの生放送の情報番組だ。ふわりふわりと風に乗り、着いたところで芽を出し、花を咲かせるたんぽぽの綿毛のように、電波に乗って遠くの町まで元気の出る情報を届けられればと、この名前にした。
     私はメールを紹介し終えてまず聞いた。「ズンナカってなに?」
    県内各地から続々と解説が寄せられる。ズンナカとは、子どもが暴れたり、言うことをきかなかったりした時などに使い、やかましいとか、騒がしいという意味。例文もあった。「俺げぇの豆畑はずんなかヒヨドリのおかげでチンガラっじゃ!」ホー!なるほど。
     この日、ラジオネーム「ダメ課長」さんへの励ましメッセージも多かった。「ダメ課長」さんは前日初めてアクセスくださった単身赴任中の男性。慣れない土地で入院なさって一句。「入院し 人望のなさ 思い知る」と。これに対する励ましである。ご本人からはお礼のメールが届き、やりとりは退院の日まで続いた。
    様々な情報を伝える一方で、仕事から子育て、夫婦喧嘩の仲直り法まで、寄せられる悩み事に名前も顔も知らない「友人」や「人生の先輩」達から次々届くアドバイス。そこにはたちまちあたたかいコミュニティーが生まれる。これこそがラジオの醍醐味だと思う。
    ラジオには耳で見える世界がある。

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  • 予習ノススメ》 2007年3月1日分

     MBCラジオ「たんぽぽ倶楽部」には、思い出の一曲と、その曲にまつわるお話をうかがうコーナーがある。もう千人を越える皆さまにご出演いただいた。「この方がOKしてくださったの?」と、こちらから頼んでおいてビックリするようなこともある。10分という限られた時間の中、前半でお話しし、後半思い出の曲をかける。面識のない方ばかりだ。まさにぶっつけ本番。生来人見知りの私は毎回ナーバスに・・・ならない。ならない秘密があるからだ。予習である。出演予定の方にはあらかじめ曲とその思い出、簡単なプロフィールを書いていただく。それを基に、スタッフが出演日の前日に電話でお話をうかがい、補足のメモを付けてくれる。私は、その一枚の紙で、「その人」が好きになってくる。どんな人かもっと知りたくなる。白紙の状態で本番を迎えていたら、とっくに張り裂けていたに違いない小鳩のような私の心臓は、ワクワクときめいてくるのだ。
     この方法は、私のように小鳩の心臓をお持ちの方にお勧めである。
     先日ある企業から、営業の社員研修での講演を依頼された。会場に入ると、目の前の席には、たいそう端正なお顔立ちの相談役と、身に丈3m?という格闘系の会長が並んでおいでだった。『うゎ!聞いてないよ。』何度も言うが、生来人見知りの私は小鳩にな・・・りそうだったけど、ならなかった。社内報にプロフィールがあったからだ。相談役の若き日の失敗談。会長のマイブーム。それだけで、にっこり笑ってこんにちは!である。
     知らない人、知らない場所は、知らないからどぎまぎするのだ。少しの予習で、どぎまぎはワクワクに変えられる。
    出会いの季節を、きっと笑顔で迎えられる。

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  • 《夢見るおとな達》 2007年3月8日分

     私は歌も歌ってる。
    夫が、友人らとカントリーミュージックのバンドを組んでいて、年2回、同じ趣味を持つグループが集まりライブを開いている。練習会場への送り迎えをしているうちに、「君も歌ってみれば?」と言われてその気になった。私以外のメンバーはほとんどが団塊世代の男性達。プレスリーやビートルズを初めとする洋楽やローハイドなどの西部劇で育った彼らは、私などよりよっぽどシャレてて遊びがうまい。5年後、10年後の夢をウキウキ語る。
    彼らには、カントリーネームなるものがある。地味だからジミー、体格・顔の大きさが日本人離れしているロドリゲス。憧れのシンガーの名前を拝借して、ハンクにクリスにランディ。テンガロンハットを被り、涼しい顔してカタカナで呼び合う。シャレてなくて遊び下手の私には信じられない。断固拒否したのだが、私はカレンと名づけられた。「ハーイ!カレンよ。」とは、当然言えない。
     クリスという名の夫は団塊予備軍。先輩たちの動向が気になるようす。休日に、私をやたらとドライブに誘うようになった。そして、決まって海辺や山奥の、廃屋に近い空き家を巡る。「団塊世代がリタイヤしたら、きっと田舎に家を借りて家庭菜園とかしたいんだぞ。その前に・・・この家なんかいいねー。ここで野菜作りたいと思わんか?なあ、おまえ。」私はにっこりほほ笑み、「いい考えね。」と返事をし、心の中でこうつぶやく。『あと15年、家のローン残ってます。』
    「窓を開けてみろ。もう風は春だ。歌おう!ユーアーマイサーンシャイーン!」
    ほんとだ。風も景色もあたたかい。今日のところはカレンになって、クリスの夢につきあおう。

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  • あこがれのブロードウェイ》 2007年3月15日分

  • ブロードウェイミュージカル「ヘアスプレー」が日本に上陸する。きょうのスケジュールもこなせないくせに、七月の東京公演のチケットを買っちゃった。
     「ヘアスプレー」は、1960年代、アメリカはボルチモアのダンス大好きちょい太め女子高生の物語。様々な困難に立ち向かいながらも、前向きに生きる姿が、ポップなファッション、ダンスで明るく描かれる。2003年のトニー賞8部門獲得。今もチケット入手困難なロングラン作品である。
     自他共にあきれるスーパー方向音痴の私の、初めてのひとり旅が、2003年ニューヨーク3泊5日だった。目的は、ブロードウェイミュージカルを見る!実は、前年に見た映画「ニューヨークの恋人」で、私は、19世紀の公爵役、ヒュー・ジャックマンに恋をしていた。その、ヒュー様が、ブロードウェイデビュー。「ボーイ・フロム・オズ」という作品で主役に挑戦するのだ。市内で何度迷っても、心に迷いはなかった。応援に行こう!
     かくして私は情熱に身を任せ、単身ニューヨークへ!たどり着いた劇場は思いの外こじんまりしていた。席の数は千程度だ。緊張している私に、隣の女性が話しかけてきた。「ヒューは素敵な男性ね」彼女の隣には少年。「今夜は孫とデートなの」。と微笑んだ。見渡すと、買い物帰りに立ち寄った感じの人も多い。いよいよ開演。そこに観客・俳優の隔たりはなく、共有できるこの時間を平等に楽しもうという空気に包まれていく。決死の覚悟で行ったブロードウェイは、ニューヨーカーたちの日常の一部になっているようだった。
    普段着で開く夢の世界への扉。幕が下り、拍手が鳴り止んでも、その扉が閉じることはない。

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  • 背中で子育て》 2007年3月22日分

     いい式だった。
    息子の中学校の卒業式は、在校生による「タンホイザー行進曲」、卒業生による「大地讃碩」「ハレルヤ」の大合唱が圧巻だ。いい学校だったと、この日に実感できるのは、親にとっても幸せなことである。
     母らしいことなど何もしてやれなかった。授業参観、文化祭、体育祭も雨で順延になると、もう行けない。娘のときは、卒業式にも出席してやれなかった。小学校入学式の日から鍵っ子だった。こんな母親が、なんとかここまでこれたのは、子育ての道標があったから。娘の小学校一年生のときの担任の先生にいただいた言葉を信じてきた。「教育は面と向かってする方法だけじゃないですよ。お母さんは、楽しそうに働く後姿で教育していきませんか?大人になるっていいものだよ!って背中で教えるんです。それで子どもが曲がればそひこんこっよ。自信を持って!」そして、渡された、金子みすずの詩「わたしと小鳥とすずと」。「・・・みんなちがって、みんないい」最後の一行が心にしみ込む。それが、子どもに寂しい思いをさせてしまうことによって、どんな悪影響があるのか相談したときの、先生の答えだった。
     息子の卒業式、校長先生は、「人間万事塞翁が馬」の話をしてくださった。自分の馬が逃げてしまうが、その馬が良い馬を連れて帰り、その馬に乗った息子が落馬し、戦に行かなくてすむ。つらいことが、つらいままで終わるとは限らないし、うれしいことがうれしいままで続くとも限らないのだと。翌日の公立高校合格発表を意識してのことだろう。
     子どもたちよ、喜び、哀しみ、替わりばんこの人生を楽しんで生きなさい。
    母もまだまだ背中で輝き続けますから。

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  • 《歳月》 2007年3月29日分

     テレビのコマーシャルは15秒、ラジオは20秒のものが多い。原稿は、15秒なら13.5秒、20秒なら18.5秒で読み終えるのが(業界では「アナ尻」という)よい。CM録音中は「0.5秒巻いてください(0.5秒速く読んでください)」。などという声が飛ぶ。生放送では、アナ尻まで(時間がくると、強制的に声が切れてしまうから)頭でカウントダウンしながら口を動かす。少々大げさに言えば、右目で原稿、左目で秒針を見ながら話を進める。一分一秒、時には0.5秒を追いつ追われつの毎日だ。それが日常になり、私はいつのまにか、自分自身のことさえ、目先のことしか見なくなっていたかもしれない。
    それに気づかせてくれる便りが届いた。「お元気ですか?」で始まるそのメールの主は、二十数年前、体育祭の取材で行った学校の、当時の高校3年生。少年は41歳になっていた。昨年、家族を連れてUターンしたという。フォークダンスで一緒に踊ったこと、深夜番組で自分の葉書が読まれたこと。それがうれしくて、録音したテープを何度も聞いたことなどが書かれていた。進学、就職、結婚、そして父親となり、久しぶりのふるさとで聞くラジオの声が変わらないでいてくれたことがありがたいと。懐かしい思い出の一部に、私の声も入っていたのだろうか。だとすれば、この仕事を長く続けられていることに感謝である。
    仕事では秒針に追いかけられ、家に帰れば家事に追いつけない日々。しかし、必死で走った歳月は大きな川となり、私の後ろをとうとうと流れていたのだ。
     川はおだやかである。若い私には作れなかったはずだ。きょうは時計をはずし、流れに身をゆだねてみようか。

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  • 《千の風を感じて》 2007年4月5日分

     春野菜が好きだ。
    ソラマメ、たらの芽、たけのこを、普段より水を多くした、ゆるめの衣でからりと揚げる。キッチンで揚げたてをつまみ食い。これぞ主婦の特権!旬のグリーンアスパラも顔を見せた。一年中食べられるが、やはり今が一番おいしい。 
    私にはグリーンアスパラを料理するたびに思い出す人がいる。「グリーンアスパラは根元の堅いところを手でポキっと折ってから料理するといいのよ」。結婚当時、キャベツの千切りをすれば人差し指血だらけ。洗わず出した高菜の漬物を食べた夫の口は緑色・・・そんな私にいくつものコツを教えてくれた、嫁ぎ先の義姉である。数年前、五十歳という若さで天国へ旅立った。料理の上手な優しい人だった。教えてくれたのは料理だけではない。愚痴をこぼしたくなると「幸せを両手で抱えていると、新しい幸せが舞い込んできてもつかめないわよ。いつも片方の手は空けとかなきゃ」。という声が、今も聞こえる。
    独身時代、私と同じ職業だった彼女は、子育てをしながら英語の勉強をしなおし、ついには英会話の教室や塾をスタートさせた。
    穏やかな人が、一度だけ声を荒げたことがある。教室の生徒を迎えに来た保護者が、その子の頭を激しくたたいた時だった。「この子は私のかわいい生徒です。ここで私の生徒に手を出すのは止めてください」。そんな人だった。義姉の生徒でもあった娘は、英語が大好きになった。ほめてもらえそうなことができると、一人でもお墓に行く。
    お姉さん、お元気ですか?今年は今頃になって桜が満開です。幼い頃、あなたを慕ってくっついていた息子は、この春あなたが薦めてくれた高校に入学します。そこから見えますか?

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