第二十話 「幕開く」

***1***



 道化が嗤う。
 踊れ踊れと、高らかに。
 闇に向けて槍を一閃。銀の軌跡が、刹那ではあれど確実に深淵を抉る。
 虚空に築かれたその裂け目へと飛び込む。
 黒の装束が舞う。
 其は埋葬の衣。
 天使が下界で戦鬼と化すための儀礼着。
 リボンが弧を描く。袖が波打つ。スカートが膨らみ、浮揚する。
 死の舞踏。
 戦慄、畏怖、恐怖、恐慌、絶望。
 振り下ろすは神罰。
 圧倒的な断罪。
 一方的な暴力。
 絶対的な殲滅。
 贖えど、償えど、決して赦されはしない。
 槍を振る、突くなどといった行程に何ら意味はない。
 天使がその姿を現した瞬間、穂先は既に罪人を貫いているも同然。
 逃げられない。
 逃げられるはずがない。
 天使は戦場の支配者。
 同時に、散っていった勇敢な戦士たちをヴァルハラに運ぶ選定者。
 死しても尚、戦士を戦場へと送り出す為に。
 そう、天使の名はワルキューレ。
 舞台において、騎士であり、道化。
 一層、激しくステップを踏みながら、道化が嗤う。
 踊れ踊れと、高らかに。
 狂え狂えと、穏やかに。
 そして舞踏は極限へと――

「あ」

 ――間の抜けた声が漏れる。
 黒の天使――私は自分でスカートの裾を踏みつけてしまい、豪快にバランスを崩した。
 回転の弱まった独楽のように、遠心力に振り乱されながら倒れ、どすん、とみっともなく尻餅をつく。
 痛ったぁー……。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
 白い衣装――私の着ているのと同じデザインの色違いだ――に身を包んだ小春が、慌てて舞台袖から駆け寄ってくる。
 が。
「へぶっ!」
 妹もまた、自らスカートを踏んで顔から勢いよく転んでいた。
 ドジっ娘属性であるのは結構なことだが、そのプリティフェイスに傷のひとつでも付いてしまったら大変だ。
 そうなってしまったら、私は一体、誰にその責任を言及すれば良いのか。
「日向! 小春が怪我したのと同じところをカッターで刻んであげるからこっちに来なさい!」
「なんでよっ!?」
 小春が出てきたのとは反対側の舞台袖から、お姫様――というよりは女王様的なケバケバしいドレス姿の日向が、肩をいからせながら現れた。
「大体さ、秋葉と小春ちゃんの衣装ってばスカート長すぎるのよっ。そんなんで馬鹿みたいに踊ったらそりゃコケるってもんじゃないさっ」
 確かにそれはそうだった。足首より長い丈のスカートで、一体どうやって踊れというのか。
 機能性をまったく考えず、デザインを重視したせいだというのが丸分かりだった。
 そもそも、このゴスロリ風味な衣装は……ワルキューレのイメージ像をどこをどう勘違いすればこんなデザインが思いつくのだろうか。
 とりあえず制作者に直接、クレームをつけることにしよう。
「千歳ちゃーん、いくらなんでもこの服で激しい動きは無理よ」
 どうやら擦り剥いただけで済んだらしい小春の鼻のてっぺんに、手際よく綿に染み込ませた消毒薬で手当してやっている千歳ちゃんにそう告げる。
 彼女は治療の手を止めずに、横目でこちらを見やって小首を傾げた。
「先輩ならこのくらいは軽くこなせると思ったんですが」
「超人じゃないんだから。無理だってば。せめてもう少しだけ短くならない、これ?」
「善処してみます」
 素直に頷いてくれる。
 ふむ……まぁ、こんな千歳ちゃんも悪くはない、が……。
 やっぱり、まだ慣れないというかなんというか。
「話は聞かせてもらった!」
 と。
 監督気取りで舞台下で台本を片手に一部始終を見ていた胡桃木が、唐突に声を張り上げた。
 そりゃそんなとこにいればひそひそ話でもない限りは聞こえるでしょうよ。
「佐倉嬢がスカートの長さにこだわる理由はよく分かる――少女としての貞淑さをアピールしつつ、それでいて舞い踊ることさながら情熱的な熟女のよう。その二律背反性が、戦場を駆け抜ける戦士の姿を見事に演出している。確かに素晴らしい」
 自分の胸に手を当て、感極まったように語り述べてくる胡桃木。
 どうにもこいつが言うと何から何まで胡散臭い。
 ここは本人に確認してみるのが一番、すっきりする手段だろう。千歳ちゃんに尋ねる。
「そうなの?」
「いえ、そのような意図はまったく」
 即答。
 それは胡桃木の耳にも届いていたはずなのに、彼は顔色ひとつ変えずに無視して続けてきた。
「しかし、だ。当日、観客は舞台の下で、しかも椅子に座って劇を見ることになる。身長にもよるだろうが……少なくとも、俺には丘野の全身を捉えることはできなかった」
 お、なんか珍しくまともなことを言ってるっぽいような気がするかも。
「丘野のダンスも、足の動きが分かりづらい。観客からしてみれば、ただ槍を振り回して、くるくると独楽人形のように踊っているだけにしか見えなかろう」
「なるほどね」
「そしてこの劇は、内容はともかく、所詮は小学生の舞台。そのようなアダルティーな魅力に拘る必要はないのではないかな? それならばいっそのこと素足を晒して、小学生らしく健康的な肌を見せつけた方が効果的だろう」
「とか言っちゃって、ほんとは秋葉のパンチラが見たいだけじゃないのぉ?」
 と、揶揄すようにけらけらと笑いながら、日向が言う。
「無粋なことを……もしそのようなことが起こっても、神聖な舞台で邪念が生まれることなどあって良いはずがない! 麻生よ、今の言葉は俺だけでなく、舞台に立つ全ての者たちへの侮辱だぞ! 恥を知れ!」
 びしっ、と日向を指さして、胡桃木が吠える。
 何故か怒られて、日向はきょとんとしていた。そんな彼女の横からひょっこりと現れた崇が、片手でメガホンを作って声を張り上げる。
「おーい、胡桃木! 今、撮影班と打ち合わせしてたんだけどさ! お前から預かった撮影機材の中にやたら小さいカメラがあったんだけど、これどこに設置するんだ!?」
「…………」
 胡桃木が、ぴたりと硬直する。
 はぁ。
「ねぇ、崇君。そのカメラちょっとこっち持ってきてくれない?」
 私はちょいちょいと崇を手招きで呼び寄せた。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
 崇は一旦、舞台裏に引っ込み、しばらくしてから駆け足で出て来た。
「これだ」
「ありがとう」
 私は、崇からそれを受け取る。
 盗撮用の小型CCDカメラだった。
 確か、胡桃木の役は……。
「恵理ちゃーん。台本の直しで提案があるんだけど、お願いできる?」
「え、どこどこ?」
 舞台下にいた恵理ちゃんが台本を抱えて、ぱたぱたと小走りで胡桃木の隣に並ぶ。
「前半のジークムントとブリュンヒルデのダンス、全カットの方向で」
「待ってくれ丘野!?」
 私の発言に、胡桃木がえらく取り乱す。
「流石にスカートの中に仕込むのは無理だと思って、俺の靴の仕込んで踊っている隙に丘野の足下につま先を滑り込ませるという俺の計画が!?」
「丁寧親切に説明ありがとね」
 と、私が無造作に投げつけたカメラは胡桃木の額にヒットし、粉々に砕けたレンズが宙に舞った。
「グッバイマイソウルっ!?」
 舞台――体育館に響く胡桃木の絶叫に顔を顰めながら。
 私は事の発端を思い出し、痛烈に後悔したのだった。

 それは、一週間前に遡る。



***2***



 先日行われた体育祭に、私は参加しなかった。
 理由は足の怪我。とても組体操はおろか、他の種目にすら参加できる状態ではなかった。
 ――というのは表向きな言い訳で。
 本当はそのときには私の足はほとんど完治していた。
 体育祭なんていうかったるいイベントを回避するには、絶好の言い訳だった。
 次の日に普通に松葉杖なしで平然と歩いている私を見て、クラスの大半の者はそれが仮病だったことに気づいたようだったが。
 肝心の当日に見抜けなければ何の意味もない。
 嘘を見抜けなかった者に、咎め立てる権利は発生しない。
 そんな自分勝手な理論の元、堂々とその日は過ごした。

 今にして思えば。
 もう少しだけ足が痛むフリをしているべきだったのだ。
 そうしていれば、こんなことに巻き込まれずに済んだのだから。



「星になるわよっ!」
 と、昼休みのこと。
 日向が拳を掲げて”死”を宣言した。
 ……星になるって、つまりそういうことよね?
「そう……長いようで短い付き合いだったわね。せめて死ぬときくらいは誰にも迷惑がかからないところでひっそりと逝きなさい」
「その星じゃないっ!」
 なんだ、違うのか。
 残念。
「スターよ、スター! 六年二組――いやさ、公塚小学校の一番星になるのよっ!」
「というと」
 私は首を傾げて腕を組みながら、日向が言うところの”スター”の意味を熟考した。
 やがて至った、ひとつの結論。
「つまり学校を燃やして、明日の朝刊の一面をかっさらおうっていういわゆる犯行予告なわけね? でも日向、小学生じゃどんな犯罪を犯しても顔と名前は伏せられてしまうわ。そんな中途半端な輝き方、あなたには似合わないと思うの」
「犯人と書いてホシと読むなんて関係ないし燃やさないしそんな物騒な予告はしないし似合う似合わないの問題でもなぁーいっ!」
 ちゃぶ台返しよろしく、私の机をひっくり返して日向が叫ぶ。
 …………。
「……日向」
 ぜぇはぁと息を荒らげている日向に向かって、私は極上の微笑みで告げた。
「直せ」
「あ、うぃっす」
 一気に興奮状態から醒めたらしく、彼女は床に倒れた私の机をそそくさと元に戻した。
 それから何事もなかったかのように話を続けてくる。
「で! もっと具体的に言うと、文化祭のスターになるってことよっ!」
 とはいえ、これは切り替え早すぎだろ。
 見てて面白いからいいけど。
「そういえばそんなイベントあったわねー」
 と、私は溜息をついた。

 ウチでは毎年、十二月最初の土日に文化祭が行われる。
 小学校の学校行事は大抵、教師主導の元、半ば強制的に履行されるものだが、文化祭だけは違って、いわば全校レクリエーションを大規模化したようなものである。
 従って、何をやっても良い。
 もちろん在る程度の制約はある。教師と保護者の監督下で行うという条件さえ満たしていれば、飲食関係の出店を出すのだって構わない。
 早い話が、高校とかの文化祭とほとんど同じということだ。
 そしてそれらの出し物は、クラス単位で行う必要がない。
 隣のクラスの特定の誰かと組んでもいいし、上級生や下級生を誘っても良い。要は、催しを行うための規定人数さえ満たしていれば誰と組んでも良いのだ。
 だがそうすると絶対にあぶれる者が出てくるので、そういう人たちは何組かのグループに分けて準備・進行委員会に回されることになる。それは”何もやらない”という選択をした者も同様である。
 期間も二日と長い。やれること――やらなければならないことは山ほどある。
 そんな小学校らしくない自由度の高さを誇るイベントが、二週間後に控えているわけで。

「休む」
 私は机の上で頬杖をついて、気だるさ全開でそう吐き捨てた。
「足痛いし」
「なぁぁぁぁに言ってるの。もう足の怪我は治ってるんでしょー? だったら参加できるよねぇ?」
「傷口が開いたのよ」
「見せてごらんなさいよ。あたしが縫ってあげるわ、裁縫針で」
「生理が来たのよ」
「それはマジなのか、丘――!」

 ぐしゃぁっ!

 視界の端から迫ってくる暑苦しい何かに向けて、私は無造作に前の席の椅子を投げつけた。
 びちびちっ、と何やら水っぽい音を立てながら、その怪異は沈黙する。
 ……続ける。
「というのは嘘で、妊娠したから無理」
「生理も来てないのに妊娠するわけないっしょ」
「聖母マリア様のように処女のまま出産するのが私の夢よ」
「そんなでたらめ言ってごまかそうったってそうはいかないんだからっ!」
 ばんっ! と、これは日向が私の机――の隣の机を叩いた音。
「そう、そうなのね。秋葉がそのつもりなら、こっちだって考えがあるんだから」
 そしてにやりと唇の端を歪める。何やら邪悪な笑みだった。
 腕を振りながら身を翻し、彼女は叫ぶ。
「カモーン! 小春ちゃーん!」
「なっ――!?」
 私は驚愕に目を剥いて、教室の入り口に視線を向けた。
 すると、扉の陰からひょこっとマイシスターが顔を覗かせていた。その上に、同じようにして千歳ちゃんの顔もあった。
「えと……もう入っていいのかなぁ?」
「麻生先輩からサイン出たから……いいんじゃないかな」
 小春が真上の千歳ちゃんに確認を求め、千歳ちゃんが真下の小春に答える。
 ややあって二人は頷き合い、教室に入ってきた。
「お姉ちゃん、一緒に文化祭に参加しましょうっ」
「参加しましょう」
 胸元で両拳を握りしめて、やや前方に身体を傾ける感じで――二人はまったく同じポーズを取りながら、私にそう告げてきた。
 てか。
「あなたたち、あらかじめ打ち合わせてたわけ? これって」
「麻生先輩が、こうした方がお姉ちゃんには効果覿面だから、って」
「いや……あんまり意味があったとは思えないなぁ……」
 それなら最初っから小春付きで交渉してきた方が、よっぽど効果がありそうだったが。話の展開も早くて済むし。
「ふっ、分かってないわね」
 後ろ髪を払う仕草――お団子にしてるので払える後ろ髪などないのだが――をして、日向は何故か勝ち誇ったように言ってきた。
「最初はあたしと秋葉の二人だけ。何かビッグなことをやろうにもこれじゃ何もできない。そこに次々と現れる同志たち――二人三脚が三人四脚へ、五人六脚へと。いつしかみんなの熱い想いはやがてひとつの大きな輪を、結束を生むのよ! そして夕日に向かってダッシュ! もちろん舞台は浜辺で! そんな青春サクセスストーリーを演出して初めて、スターはビッグウェーブの荒波に乗って誕生するわけよ!」
「ウェーブと波って一緒だし……ていうか、そんなの自作自演でやったって虚しいだけでしょうに」
「いいのよ、人生なんて何かしら脚色してやんないとつまらないだけなんだから!」
 それはなんとも……日向らしからぬ暗い考え方だわね。
 だが確かに小春にお願いされてしまっては、私も無下に断ることはできない。悲しいかな。
「でも四人だけじゃ何もできないことに変わりはないでしょう?」
 出し物にもよるが、規定では最低でも十人以上集まらないと何もやらせてもらえない決まりになっている。劇をやるなら、一クラス分の人数は必要だろう。
「丘野よ、それは違うぞ」
 と、そこにあまり聞きたくない声が割り込んできた。
「現状でまずは五人、だ。俺を忘れてもらっては困る」
 例によって顔面血まみれの胡桃木が、いつの間にか私と日向の間に立っていた。
 私は小さく嘆息して、ひとつ提案してみることにした。
「女子だけでやるっていうのは駄目?」
「ちょっと待ってくれ、丘野!?」
 頬に汗など垂らしつつ、胡桃木が憤慨してくる。
「それは俺にマイジュニアを切り落とせということか!?」
「……性転換してまで仲間に入りたいか、あんたは……」
「丘野に受精させることはできなくなるが、まぁそれも致し方あるまい……丘野がそれを望むのならば、俺は男としての生涯をここで終えることも辞すまいよ」
「いっそそうしてくれると私も肩の荷が下りて楽になれるんだけれどね」
 こいつならやるだろう。いや、絶対にやる。そんな気がする。
 ただ、ナニを去勢してもこいつは私に付きまとって来そうな気もするが。
 カマっぽくくねくねと身体をすり寄せてくる胡桃木を想像すると、なんだか吐き気がこみ上げてきた。
「……参加してもいいから、それだけはやめて……」
「おお……丘野もやはり、俺からジュニアが失われることは不本意であったか……俺は嬉しいぞ」
 何か思いっきり勘違いされているようだったが、もういちいち突っ込む気にもなれない。
「これで五人……まだまだ全然足りないわね」
 私たちの顔を見回して、指折り数える日向。
「あ」
 そこで唐突に、千歳ちゃんが声を上げた。
「委員会への参加の申し込みの締め切りは今日の放課後までなんです」
「マジ!?」
 日向が素っ頓狂に反応する。それに対して、頷いて返す千歳ちゃん。
 そういえば千歳ちゃんって文化祭の委員だったっけ。
「そっかー。今からじゃ人数集めなんて到底無理ねー。ほら、昼休みもあと十分くらいで終わっちゃうし。残念ねぇ、残念だわ」
 私は、嬉々とそう言ってやった。
 日向は歯噛みしながらこちらを見返して、
「秋葉、この期に及んでまだそういうこと言う!?」
「だってしょうがないじゃない。現実問題、人が足りないわけだし」
「くーっ! 小春ちゃんからも何か言ってやってよっ!」
「わ、わたしですかっ?」
 いきなり自分に振られて、小春があたふたと戸惑う。
「えっと……それじゃ、お姉ちゃん」
 小春は意を決したように私の前に立つと、上目遣いで告げてきた。
「文化祭、一緒に回りましょうねっ」
「ええ、もちろんよ、小春」
「あ、先輩、小春……私も一緒に……」
「どいつもこいつも諦めモードかよっ!?」
 頭の二個のお団子を両手で掴んで、日向が身をのけぞらせる。
 これで完膚無きまでに日向の野望は費えた。
 七面倒くさい文化祭も、参加しないとなれば小春との絶好のデート日和だ。
 千歳ちゃんっていうおまけがついてくるけど、それは仕方がない。
 あとは準備委員会をうまくかわしていけばいいだけだ。
「ふむ」
 と、私が勝利を確信しているところに、胡桃木の声。
 見やれば、何やら我に策ありとでも言いたげに唇を歪ませていた。
「要は人数が集まればいいのだな?」
「ええ。まぁ無理だろうけどね」
「そうか。二葉崇! すまないがこっちに来てくれないか!」
 しまった――
 先にそこに気づいて、潰しておくべきだった。
 崇を私たちの仲間に入れるということは、つまり――
「なんだよ、胡桃木。ていうかいつものメンツで集まって、どうしたんだ?」
「文化祭の予定はもう決まっているかね?」
「一応、頭数は揃えたんだけどさ。何をやるかがまだ決まってなくてな」
「良かったら俺たちも加わらせてもらえないか?」
「別にいいぜ。来る者は拒まずって感じだし」
「よろしく頼む」
 クラスの人気者、二葉崇。
 彼の元に、人が集まっていないはずがなかったのだ。
「……どうしたんだよ、丘野? そんな渋い顔して」
 そう気にかけてくる崇。
「別に」
 私は素っ気なく、そっぽを向いた。
 その仕草のどこが変だったのだろうか、そんな私を見て、崇は必死で笑いを堪えているようだった。
「……何よ」
「いや、丘野ってさ、拗ねると案外、可愛いんだなって思ってさ」
「小春と同じ顔なんだもの。可愛くないはずがないわ」
「謙遜してるのか自信過剰なんだかいまいち分かりづらいなぁ、それ」
 と、今度こそ崇は笑い出した。
 何なのよ、ったく……。
「…………」
 ふと、日向が私のことを睨んでいることに気づいた。
 そういえば……この女は、崇にご執心だったわね。
 気にかけてもらおうと、わざとらしく頬を膨らませているのが健気と言えば、健気に見えなくもない。
「安心しなさい。別にあんたの意中の人をかっさらおうって気はないから」
 敢えて崇にも聞こえるように言ってやった。
 日向の顔がみるみる赤くなっていく。そして手をばたばたさせながら、
「な、何言ってんのよ秋葉っ! ち、違うのよ? あ、あたしは、崇くんのことは、そういうんじゃ……えと……好きだけど……ああああ、何言ってるんだあたしはっ!?」
 見事な暴走っぷりを披露してみせた。
 そんな彼女を見ても、崇は苦笑しただけだった。
 ……ふーん。
 あんまり脈はなさそうよ、日向?
「ともあれ、これで人員の方はなんとかなりそうだな。あとは出し物だが……」
 胡桃木が話を続ける。
「俺にひとつ提案がある。聞いてくれないか」
「絶対まともな意見じゃなさそうだけど、聞くだけ聞いてあげるわ。あ、言い終わったらちゃんと歯を食いしばるのよ」
「うむ。コスプレ喫茶を希望したい」

 べこぉっ!

 身体を九十度回転させてのエルボーを胡桃木の顎に見舞い、床に倒れゆく彼の姿を見送りながら私は唾棄するようにつぶやいた。
「一人で脳内で開催してなさい。他はないの?」
「うーん……」
 崇は腕組みなどしつつ、気絶した胡桃木をまるで地面に「の」の字を書くようにつま先で軽く蹴りながら唸っていた。
「コス喫茶か……インパクトありそうだしそれでもいいんじゃねー?」
 ややあって顔を上げた彼は、なんかとんでもないことをのたまってきた。
「あなたね……後先考えて喋りなさいよ」
 私は溜息を交えながら言い返した。
「コスプレ喫茶なんて、”喫茶”の部分はあくまでもおまけで、メインはコスプレなのよ。要はそういうの目当ての客ばっかり集まってくるわけ。そんな連中に奉仕のし甲斐なんてかけらもあるものですか」
 文化祭には、生徒からの招待を受けた者に限るが、一般の人も多く訪れるのだ。良識的な父兄ばかりなら問題はないだろうが、毎年必ずといっていいほど”その手”の胡散臭い男性客を見かける。
 招待はチケット制になっていて、一人の生徒につき五枚ずつ与えられる。これが少ないか多いかは意見が分かれるところだろうが――私は後者だと思っている。
 チケットを渡せるのは別に親兄弟じゃなくても良い。兄の友達に配ったりしても構わないのだ。
 たまたまそいつらがロリコンだったりオタクだったりしたら、文化祭は連中にとっての絶好の狩猟場となる。
 とは言っても、直接的に誰かが手を出されたことは過去に一度もないのだけど。せいぜい物陰から写真を撮るのが関の山だ。
 そんな社会の屑共に見られるなんて――あまつさえコスプレ姿を観察されるなんて、想像するだに身の毛がよだつ。
「コスプレって……漫画のキャラクターの服を着たりすることですよね?」
 私の服の袖をくいくいと引っ張りながら、小春が尋ねてきた。
 頷いて見せると、妹は破顔して、
「かわいいのすき♪」
 コスプレ喫茶を大肯定してみせた。
「駄目っ! 駄目lったら駄目っ! 絶対駄目っ!」
 全身を振り乱して、私も負けじと大否定。
 小春のコスプレ姿は見たいけど! でもそれは私だけのものだから、ましてやどこの下水道から発生した汚物とも知れぬオタク共の視線に晒されるなんて絶対有り得ない!
「でもでも、ひらひらしたお洋服を着て、飲み物とか運んだりしてみたいじゃないですか。なんだか妖精さんみたいで可愛いと思います」
 これだけ私が反対しているのに、小春はなおも食い下がってくる。
 やっぱり小春みたいなタイプの女の子だと、ウェイトレスとかそういうのに憧れるものなのだろうか……正直、私にはさっぱり分からんが。
「大体、そんな服どうやって用意するっていうのよ」
「千歳ちゃん、お裁縫得意だから、ちゃっちゃっと作ってくれますよ」
「……そうなんだ?」
 裁縫上手というのは初耳だった。てっきりただのパソコンオタクだと思っていたのだけど――彼女には悪いが。
「ええ……作ろうと思えば作れますけど……」
 そう頷く千歳ちゃんは、なんだか少し困り顔だった。
「さすがにそこまで凝ったのは一ヶ月に二着作れればいい方だと思います。全員分はとてもじゃないですけど用意できません」
「そかー……」
 しょぼん、と肩を落とした小春を慰めるように頭を撫でてやりながら、千歳ちゃんが続けてくる。
「小春と同じサイズの衣装であれば、既に何着かありますけど」
「……なんでそんなの作ってるかなぁ、君は」
「近々、小春撮影会を開く予定でしたので……私と小春の二人だけで」
 どこぞの少女漫画の主人公の友達か、あんたは。
 とりあえずその撮影会とやらには何が何でも私も参加するとして、衣装はあっても着られるのが私と小春だけでは意味がない。
 それに、コスプレ喫茶には大きな穴がある。
「仮にコスプレ喫茶をやるにしても、男子はどうするのよ? 厨房の仕事に回るっていってもコップにジュースを注ぐくらいのものだし、女子と比較したら忙しさも楽しさも不公平の極みだとは思わない?」
 私の発言に、全員が押し黙った。
 よし、いける。何もやらないということにはできそうにはないが、コスプレ喫茶の案を潰すだけならあと一歩だった。
「崇。そっちが集めたのって全部で何人くらい?」
「えっと……そうだな。クラスの半分くらいだから、ざっと二十人ちょいってとこだな」
「私たちを含めれば三十人くらいにはなるわね。あと小春たちも自分のクラスから何人か連れて来たいだろうし、最終的には四十人近い大所帯で参加することになるわ」
「……改めてそういうの聞くと、大変なことになってきたなぁって気がしてきたよ」
 崇が、そんな無責任なことをつぶやいてくれる。
 そんな大人数、あなた以外に誰がまとめられるっていうのよ。他人事じゃないんだからね。分かってるのかしら。
「あー、じゃあさじゃあさ、いっぱいいても出来ることをやればいいんでしょ?」
 ぱん、と両手を打ち合わせて、日向が表情を輝かせる。
「オーソドックスに劇なんてどう? これなら出演者と裏方を分けられるし、衣装も出演する人のぶんだけ用意すれば事足りるわよ」
「劇ねぇ……確かにこの際、それしかないと思うけど」
「それにスターは舞台の上で輝いてなんぼっ! 溢れる感動の涙、沸き起こる拍手喝采――やるからには、あたしたちの舞台を文化祭の事実上のフィナーレとして飾るわよっ!」
 日向はすっかりエンジン全開だった。そのあまりのテンションの高さに、私たちは彼女の吐き出す排気ガスで煙に包まれたように呆気に取られていた。その中でただ一人、小春だけが「わー」と笑顔でぱちぱちと手を叩いている。
 一人で勝手に盛り上がられてもこっちはただ迷惑なだけなので、私は彼女の暴走にストップをかけることにした。
「待ちなさい、日向。あなたの脳内だけで話を進めても仕方がないんだから。ひとつひとつ決めていきましょう。もう休み時間も残り少ないんだし」
「そ、そうね……あたしもちょうど今、準備が間に合わなくて劇を中止することになる未来を妄想して、慌てて我に返ったところよ」
 のっけから縁起でもないことを考えていたようだった。
「でも任せて。あたしの脳内プランは、既に銀幕デビューまでの道のりを克明に描き出しているわ」
 その脳内で失敗したんじゃなかったのか。
「……すっごいアテになんないしデビューもしないけど……一応、聞いてあげる」
「オーケー! 出番よ、恵理ちゃん!」
 輪っか状にした人差し指と親指をくわえて、日向は甲高く口笛を鳴らした。
 すると、今までずっと机に向かって勉強していた恵理ちゃんが立ち上がり、一冊のノートを抱えてとてとてと小走りでこちらに向かって駆けてきた。
 そして暗い顔で、ぽつりと一言。
「遅いよ、麻生さん……」
「ごめんごめん、なんかみんなしてコスプレ喫茶がどうのとかわけのわかんないこと言い出してたもんだから、ついつい呼ぶタイミング逃しちゃってさー」
 けたけたと笑いながら、恵理ちゃんの背中を叩く日向。
 こいつ、もしかして――いや、もしかしなくても絶対そうだ。
「というわけで! 劇の脚本は恵理ちゃんが書いてくれまーす。わー、ぱふぱふー」
「あんたね……最初からそのつもりで仕組んでたんだったら、そう言いなさいよ。余計なことに時間を割いちゃったじゃない」
「秋葉、あなたこそまだ分かってないみたいねー。みんなが困って困って困り果てたところに飛びきり冴えたアイデアと救世主が出てくるからこういうのは盛り上がるんじゃない」
 腰に手を当てて斜に構え、こちらを見下ろすようにして日向が告げてくる。
 なんでそんなくだらないことに一生懸命になれるかなぁ、こいつは。
 私が内心、呆れ返っていることも気づかず、日向は不躾に恵理ちゃんを指さしながら、
「恵理ちゃんはねー、将来、物書きになりたいんだって」
「あ……うん。お芝居の台本とか興味あったから、麻生さんに誘われてやってみようかなって思って」
「白雪姫とかシンデレラとかでも良かったんだけどさー。そんなんじゃつまんなくない? どうせだったらオリジナルのお話を作って、あたしたちだけの劇をやりたいじゃないさ」
 言い返したいことは山ほどあったが、その考えには共感できた。
 確かに今更、白雪姫だのシンデレラだのやりたくないし、見たいとも思わない。
 公塚小学校文化祭の醍醐味にして最大の目的は、制約はあれど基本的に”何をやってもいい”という点に尽きる。例えあちこち破綻していたとしても、オリジナルの劇をやり遂げることができればそれは充分に目的を果たしているのではないか。
「厳密には全部が全部、オリジナルっていうわけじゃないんだけどね。四年生のときにお父さんと一緒に見に行った演劇がどうしても忘れられなくて……それをわたしなりにちょっとアレンジしてみた――っていうとなんだか偉そうだね」
 ぺろっと舌を出して、恵理ちゃんが笑う。
 百パーセントオリジナルじゃないというのは少し面白味に欠けるが、まぁそんなものだろう。アレンジ具合に期待しましょう。
「それで、そのノートが脚本?」
「ううん。わたしもさっき麻生さんに声をかけられたところだから。登場人物とか、物語のイメージとか、ざっと思いついた端から書いてただけなの」
「ふぅん。それで元になった劇っていうのは?」
 何の気はなしに訊いてみた。

 ぱらぱらとノートをめくりながら答えてきた恵理ちゃんの言葉は――
 ――まったくの、不意打ちだった。

「ニーベルンゲンの指輪」

 目の前が。
 白い靄に包まれて――ほんの一瞬、確かに私は視力を失っていた。
 徐々に視界に世界が形成されて行く。
 輪郭がはっきりと見えるようになる。
 だが――私の頭の中は依然、真っ白なままだった。

 白い宇宙に黒い影が踊る。
 其は道化。
 道化が嗤う。
 踊れ踊れと、高らかに。
 狂え狂えと、穏やかに。
 道化の名はブリュンヒルデ。
 九人の戦乙女、ワルキューレの長女。
 神が知ってはならぬ、愛の形に触れてしまった女。
 それ故に――愛に殺された女。

「配役はまた日を改めて決めるとして――」

 遠いところで、誰かが喋っている。
 耳障りなノイズ。
 テレビのノイズだって、ここまで鬱陶しくはない。

「千歳ちゃんは衣装係ね。あ、もちろん一人でやらせるつもりはないから安心して――」

 道化が嗤う。
 道化が、道化を嗤う。
 いつの間にか道化が一人増えていた。
 新しい道化は左手を高く頭上に掲げている。
 まるで天に見せびらかすかのように。

「あとは担当の先生をつけなきゃね。それは別に月代先生でいいでしょ――」

 盟約の印。
 呪われし御魂。
 冥界への鍵。
 ああ、麗しのニブルヘイム!

「分かりました。参加の申し出は私の方からしておきます。……先輩? どうしたんですか、先――」

 まだ行けない。
 そこには行けない。
 盟約は私を赦さない。
 指輪は私を捕らえて離さない。
 足枷は重く、重く――炎の海の一番深いところで根付いてしまった。

「お姉ちゃん? ねぇ、お姉ちゃんってば――」

 さっきからなんなんだ。
 五月蠅い。
 鬱陶しい。
 耳障りだ。
 此処はヴァルハラ。
 ヴォータンが死した英雄を集めて築き上げた、最凶の決戦城塞ぞ。

「お姉ちゃんっ――」

 五月蠅い。
 黙れ。
 これ以上喚けば、殺して死人共の慰みモノにしてやる。
 殺して。
 こ、ころ、して。
 あ、ああ。
 ノイズが加速する。
 左から右、右から左、いや、上から下、下から――斜め? 多分、左前後ろ北東南東の風所により雨強く暴風注意警報床上浸水信号が赤くなったら渡りましょうトラックがきた喰われるぞ狼だ奮迅のごとく獣が押し寄せてくるぞああ天使様翼がもげて痛う大層痛うございます天使様ウザい斜め右後ろ下前方向四十五度から落ちて死ね!

「お姉ちゃんっ!」
「死ね!」
 思考が、視界が、全てが。
 混雑したまま、一気にクリアになった。
 理性が戻る――いや、”回復”したのも一瞬だった。
 だが、どうやら手遅れだったらしい――私は何かとんでもないことを口走っていて、小春の顔を両手で押さえていて、周りにいる者は揃って異様なものを見るような目で驚いていた。
 あー。
「死ねっ、私の熱い口づけでっ!」
 強引に続きの言葉をでっち上げて、私は小春にキスを迫った。
「ひきゃあああああああああああああんっ!?」
 だが、小春に咄嗟に口を押さえられてしまった。しかももの凄い力で押し返してくる。
 ……そんなに私とキスするのは嫌なのか、小春……ぐすっ。
 しかしこうなったら私も意地だ。ここまでやって引き下がれるか!
「相手が嫌がれば嫌がるほど情熱はより過激に膨らんでいくのよ――覚悟なさい、小春!」
「やーってばぁーっ!」
「ちょっ……先輩! いきなり固まってわけのわからないことをぶつぶつ言い出したと思ったら、突然何をするんですか!」
「離して千歳ちゃん! 私も何が何だかよく分からないっていうか原因は多分あれだろーなーって見当はついてるけどここまでやっておめおめと引き下がれるほど私は弱い女じゃないのよ!」
「またそんな荒唐無稽なことをっ!」
 そうやって私と小春と千歳ちゃんが取っ組み合っているのを周りが呆然と見守る中。
「あきはせんぱーい!」
 聞き慣れない声が、教室を響かせた。
 時間が制止したようにぴたりとみんなの動きが止まって、一斉にそちらを振り返る。
 見知らぬ女生徒が教室の入り口に立っていた。
 先輩と呼ばれるということは、彼女は下級生なのだろう。まるで地球の引力に嫌われているかのような跳ねっ返り具合の後ろ髪が印象的だった。そのくりくりとしたつぶらな二つの眼差しが、的確に私の方を見据えている。
「みや、ずっとせんぱいのことが好きでした!」
 …………。
 はぁ?
「みやと付き合ってください、あきはせんぱーい!」
 一直線に私に向かって駆け出してくる。
 そして、タックル。
 私は、小春と千歳ちゃんを巻き添えに、見ず知らずの女生徒に押し倒された。
「すきすきすきすきすきぃーん♪」
 小春に千歳ちゃんという壁をかいくぐって、すりすりと私に頬ずりしてくる。
「な、何なのよ、あなたはっ!?」
「らぶです、せんぱーい♪」
「ひとの質問に答えろぉぉぉっ!」
 唐突な展開に、唐突なやりとり。
 一部始終を見下ろしながら、けらけらと笑う日向の声が聞こえた。
「なんだかよくわかんないけど、大変ねー秋葉」
「笑ってないで助けなさいよ、あんたも!」
「む、なんだ、目覚めてみれば何やら丘野が百合の園で大変なことになる一歩手前ではないか! 百合の園、それは男子禁制の甘く危険な楽園――だが敢えて俺は禁忌を犯そう! 俺も混ぜてくれ!」
「起きてくるなお前はぁぁぁぁぁぁっ!」
 組み敷かれた状態でなんとか飛びかかってきた胡桃木を殴り倒しながら私は――

 何かが私の知らないところで始まって、私の知らないところで理不尽に加速しまくっていくのを知覚していた。
 それは運命の歯車が回り出したのか、それとも――

 ていうか、誰か助けて。



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