第十六話 「リボンズドア(後編)」

***1***



 当時、私と小春はクラスは違ったけれど、同じ四年生だった。
 私たちは凄く仲の悪い双子の姉妹として有名だった。
 学校では普通に接してきたつもりだが、根元的なところに流れている嫌な空気は、やはり隠しきることはできないものらしい。
 だけど、別に気にするほどのことでもなかった。
 他人がどう思おうと、私にはどうでもいいことだったから。
 これは私と小春――玩具の問題だと、そのときは割り切っていた。

 そしてその日も、ごく普通の姉妹を演じるために。
 小春を帰りに誘おうと、隣の教室に赴いた。
 だが、そこに小春の姿はなく。
 仕方ないので一人で帰ろうとしたとき、西棟への渡り廊下から捜し人が歩いてくるのを見つけた。
 楽しそうに、笑顔なんか浮かべて。
 それに、珍しく一人ではない。
 隣には体操着姿の、背の高い女の子がいた。それでいてさらに大人びている。外見もそうだが、雰囲気が他の子たちと一線を画していた。
 全校レクリエーションで、何度か見たことがある。
 ずっと六年生だと思っていたが――西棟から来たということは、彼女は下級生なのだろう。
 まったく、男が喜びそうな身体つきをして、まぁ。
「……小春」
 小春が私に気づいていないようだったから、こちらから声をかけることにした。
「お、お姉ちゃん……その、えと……」
 小春はしどろもどろだった。
 言い訳を考えているのが見え見えである。
 西棟から歩いてきたことについて、ではない。
 問題は今、彼女が穿いているスカートにあった。
「そのスカート、よく似合ってるわね」
「こ、これはっ……その、だからっ……」
 慌ててスカートの前を押さえる小春。
 足首まである、長いスカート。
 今朝に穿いていたものとは色も長さも違うスカート。
 おもらしをしたままの格好で学校に行けと私は小春に命じた。
 その汚れたスカートを今、彼女は身に着けていない。
 小春の傍らに立つ、長身の体操着姿の女の子を横目で見やった。
 なるほど。
 そういうことか。
「今日、遅刻したんです」
 体操着が口を開く。
 外見から想像していたよりは高く、凛とした声だった。
「理由は、ただの寝坊です。学校に着いたのは、三時間目の半ば頃でした」
「さ、佐倉さんっ……!」
 余計なことを言わないで。
 言葉にこそしなかった――できなかった――が、小春の蒼白になった顔は、はっきりと彼女にそう訴えかけていた。
 体操着――佐倉さんに止まりそうな様子はこれっぽっちもなかったが。
「下駄箱のところで、ずっと立ち尽くしていた女の子がいたんです。スカートが……汚れていて、中に入っていきにくいのだと思いました」
 道理で今朝、校舎の中に入ってから小春の姿が見えなかったわけだ。
 あのときは、ただはぐれただけだと思っていた。
 だけど、違った。
 小春は、逃げたのだ。
「私は彼女をトイレに連れていって、自分の穿いていたスカートを貸してあげました。彼女のスカートは、今は私の鞄の中に入っています。明日、洗って持ってくるつもりです」
「そう、ありがとう」
 私は微笑んで、礼を述べた。
「……あなたですか、原因は」
 それに対して佐倉さんは、核心を突いた言葉と――明確な敵意をぶつけてきた。
 それでも私は、微笑んだまま。
 小春はもうどうしたらいいか分からないといった様子で、私と佐倉さんの顔に交互に視線を送っている。
 佐倉さんは、元々切れ長の眼差しを鋭く細め、刃物のように凶悪な眼光でこちらを睨み据えていた。
 ああ。
 これだ。
 この感覚だ。
 適度な摩擦であれば、気にもならない。
 だが、全力でこちらを焼き尽くすために立ち向かってくる相手というのは、こんなにも私に生きている実感を与えてくれる。
 本当の意味で殺し合いができそうな人間とは、彼女のような者のことを言うのだ。
「小春はね、見ての通り、おとなしい子だから」
 沸き上がってくる愉悦を胸の内に潜めながら、私は佐倉さんの右手を両手で包んだ。
「なかなか友達ができないの。良かったら、これからもこの子と仲良くしてあげて」
 出来るなら、私とも。
「……そのつもりです」
 私の手を振り払いながら、佐倉さんが頷く。


 今から、二年前のこと。
 これが、私と当時三年生だった千歳ちゃんとの出会いだった。



***2***



「――というわけで例の痴漢魔を殺したいと思います。みなさん、どうか私に協力しやがってください」
 時刻は夜の九時。
 闇の中、街路灯の皓々とした光に浮かび上がるは、我が誇りの痴漢迎撃部隊の面々。
 ここは公園――夜の公園。
 一寸先は闇。周囲に人気はない。油断したが最後、獣はいつでも私たちの喉笛――パンツのリボンだが――を狙って、眼をぎらつかせている。
 相手は史上最悪の変態。
 そんな奴を返り討ちにしようというのだ。生半可な力で成し遂げられることではない。
 だが、こいつらならそれが可能だと私は信じた。
 私は、彼ら――彼女らの顔を見回した。
 感慨に浸るような気持ちで、順番に名を呼んでいく。
「日向」
 豪快にパンツをさらけ出しながら、彼女は鉄棒でぐるぐると逆上がりに興じていた。スカートでそんなことをすれば下着が見えても仕方のないことだが、彼女の露出具合はもはやそんなレベルの話ではない。徐々にスカートが鉄棒に巻き付いていったためだろう。そうやって痴漢の目を惹きつけようとしているに違いない。頼れる奴だ。
「千歳ちゃん」
 危険だから来ない方がいいと諭したにも関わらずついて来てしまった小春の隣で、彼女は何故かその手に薙刀を携えていた。周囲一帯に彼女の殺気が張り詰めている。不本意ではあるが、万が一のことがあっても小春のことは彼女が命賭けで守ってくれるだろう。頼れる奴だ。
「胡桃木」
 彼はジャングルジムのてっぺんに立ち、時々思い出したように高笑いを上げていた。救いようのない馬鹿っぷりをアピールすることで、痴漢を油断させようという作戦なのだろう。ズボンのチャックが全開になっているあたりがますます本格的である。頼れる奴だ。
「崇」
 漕ぐわけでもなくブランコに座って、自分の膝の上で頬杖をつきながら、彼は重いため息をついていた。職を失った一家の大黒柱を演じるには彼はまだまだ役不足と言わざるを得ない。だが、そのチャレンジ精神だけは賞賛するに値する。頼れる奴だ。
「……てゆーか」
 私は拳を握りしめた。大きく息を吸って、吐き出す。
「やる気あんのかお前ら!」
 と、声を張り上げた私に、みんなの視線が一斉に集まる。
「先輩には私にやる気がないように見えるんですか?」
 薙刀を構えながら、千歳ちゃんが憤慨してくる。
「いや、あなたはいいの。殺る気満々なの、一目で分かるし」
 正確には――刃先が放つ鋭利な輝きを見れば。
 ……ホンモノだよ、これ。
「あたしは楽しそうだからついてきただけだけどー?」
 鉄棒にまたがって、器用に横方向に回転しながら日向が言ってくる。
 私は無言で鉄棒に近づき、日向の身体がちょうどぶらさがる形になるのを見計らって、タイミングよく足を振り上げた。
「はぐぁっ!?」
 自ら私の足を脇腹にめりこませ、殺虫剤をかけられた羽虫のように地面に落ちる日向。
 回転の勢いが乗っていたから、相当痛かったはずだ。
 脇を押さえてぴくぴくと痙攣している彼女を見下ろして、私は厳かに告げた。
「これは”狩り”よ。決して遊びなんかじゃないわ。ママゴト気分でいられても迷惑なだけよ。やる気がないなら去りなさい、今すぐ」
「……お、おことばに……あま、えて……いいっ……すか……?」
「甘えるな、ここは戦場だ!」
「あきは……あんた……キャラ、ちがう……」
 それだけ言い残して、彼女の意識は途絶えた。
 この程度で昏倒とは情けない。見損なったわよ、日向。
「正直、俺はあんまりやる気ないんだけどな」
 と、ブランコから立ち上がった崇の顔は、心底迷惑そうだった。
「そもそもなんで俺、ここにいるのかよくわかんないし」
「女の子が困ってるのよ。それを助けてあげるのは、色男の役目じゃなくて?」
「……けど、利用されるのは御免だ」
「人聞き悪いわね。大体、あなたがそれを言う?」
「…………」
 崇は言い返してこない。彼はふてくされた顔をして、再びブランコに座り直した。
 これでいい。この男は扱いやすくて楽だ。
「その通りだぞ、二葉崇!」
 ドキチガイみたいな大声でそう叫びながら、胡桃木がジャングルジムから飛び降りてくる。崇の眼前に着地し、彼はむかつくくらい優雅な仕草で私たち女性陣の方を手で示してみせた。
 チャックの向こう側から下着を覗かせながら。
「女は男が守るべきもの。パンツのリボンは女性にとって純潔も同然――男にとっては、主の玉座のようなもの。それを奪われた丘野妹の心中を、貴様には察することができないのか」
「……お前、確か丘野の体操服をパクったことが問題になったんじゃなかったか?」
「決して男にとって都合のよい穴などではないのだよ、女性とは。種として本来の尊ぶべき心を忘れず、男は常に女性の下であり、前に立つ者であるということを自覚していなければならない」
「…………」
 再度、言葉を失う崇。
 偶然とはいえ――今の胡桃木の言葉はナイスだった。
 私からしてみれば、こいつが言っても何の説得力もなかったが、相手が崇ならば誰が言っても最大の武器となる。
「男ならば立ち上がれ。我々は騎士だ。貴様の胸の内にあるその剣はまがい物か」
「……分かったよ」
 渋々ではあったが、崇はブランコから腰を上げた。
 そんな彼の手を胡桃木が固く握りしめ、今ここに男同士の熱い友情が芽生えようとしていた。
 ……多分、胡桃木の脳内だけで。
「そうと決まれば、だ」
 胡桃木は私の方を振り返り、にやりと唇の端を吊り上げて見せた。
「本気で痴漢を退治するのであれば、緻密な作戦が必要となろう」
「そうね」
「そこで俺としては、囮作戦を推奨したい」
「元よりそのつもりよ」
「流石だ、マイハニー」
 誰が貴様のハニーだ、コラ。
「問題は誰が囮役になるかだが、丘野妹と佐倉嬢は駄目だろう。丘野妹は一度、敵の標的になっているし、佐倉嬢は遠目から見ても目立つ武器を所持している上に殺気を放ちすぎている。それでは痴漢も警戒して寄ってこまい」
 胡桃木のその言葉に、小春は安堵したように肩を落とし、千歳ちゃんは不服そうに眉根を寄せた。
「となると、残るは麻生と丘野のどちらかになるわけだが……」
「私がやるわ。日向じゃ頼りにならないし」
 それに彼女はさっき私が気絶させてしまった。しばらくは起きあがってこれないだろう。
「グッドだ。そこで俺からひとつ、提案がある」
「何?」
「丘野がちゃんとリボン付きパンツを穿いているかどうか、確認を――」
「なんとなく読めてたけどね」
 と、冷静に答えて。
 私は胡桃木の股間を蹴り飛ばした。



***3***



「丘野妹よ。ここで改めて、どういった状況で被害に遭ったのか――その説明をお願いしたい」
 前屈みで且つ内股で、胡桃木が小春を促す。
 潰すつもりで蹴ったのだが、案外平気そうな顔をしている彼のことを少しだけ凄いと思った。
 だらだらと脂汗を垂らしてはいたけれど。
「えと……ここでですか?」
 小春は男二人の顔を交互に見て――特に崇の方を気にしながら、表情にありありと困惑の色を浮かべた。
「恥ずかしがることはない。痴漢の一度や二度、勲章のようなものと思って割り切るといい。それだけ君が魅力的だったということの証明なのだからな」
「そっ、そうなんですか……」
「決して頭の中でその情景を描き、妄想し、興奮したりなどしない。約束しよう。だからどうか話してはくれないか」
「やる気充分じゃないか、お前……」
 私より早く、崇が突っ込んでいた。
 早くもこの二人、息が合い始めているようだった。
 ……もちろん、良い意味でのコンビネーションではなかったが。
「やれるもんならやってみなさい。即、去勢してあげるから」
「……善処しよう」
 私の脅しに、胡桃木は重く頷いた。
「私もあのときは冷静じゃなかったからね。警察が何を言っていたか、断片的にしか覚えていないの。それにこれは大事なことよ。恥ずかしいとは思うけどもう一度、説明してくれないかしら」
 小春の肩に手を置いて、優しくそう告げる。
「はい……突然のことだったらわたしもあんまりよく覚えてないんですけど、頑張ってみます」
 胸の前で小さくガッツポーズを取ってみせる小春。
 そして妹は、ぽそぽそと語り始めた。
「お姉ちゃんと別れた後、並木道で男の人と擦れ違ったんです。見た目はおじさんっぽかったんですけど、実際はもうちょっと若いんだろうな、って感じの……とにかく背広を着ていて、サラリーマンっぽい人でした」
「特徴は?」
 刑事さながらに、手帳にメモを取りながら胡桃木が質問を投げかける。
「ごめんなさい、あんまり顔はよく見てないんです……」
「ふむ。構わない、続けてくれ」
「はい。それで、擦れ違う寸前に、急にその……スカートがめくれ上がったんです。まるでいきなり突風が吹いたみたいで。その男の人に見られるって思って、慌ててスカートを押さえたんですけど――」
「そのときにはもう、手遅れだったと」
「はい……」
「リボンを切り取られたことは、いつ気づいたのかね?」
 その問いを聞いた途端、小春の顔が真っ赤になった。胡桃木の顔から視線を逸らし、何故か私の方を見ながら答える。
「そのときのわたしの下着は……あの……ゴム紐がですね、リボンと繋がってまして……」
「すまないが丘野妹よ。女性の下着とは男子にとって、この世の如何なる神秘よりも謎の多き存在なのだ。もう少し、具体的に頼む」
「えっと、だから……リボンを取っちゃうと、ゴムも切れちゃうわけで……」
 うわー、なんだかエッチなビデオの女優紹介シーンっぽい。
 ……いや、見たことないけどね?
「すとんっ、て……膝まで降りてきちゃったので……嫌でも気づいちゃうっていうか……」
「ふむ……」
 そこまでをメモし終えると、胡桃木は目頭を押さえながら大きく息をついた。
「悪い、少しタイムだ。用を足してくる」
 手帳を胸ポケットにしまうと、彼は公衆トイレの方にそそくさと駆けていった。

 それからきっかり五分後。
 やけにさっぱりした顔で胡桃木が戻ってきた。
「待たせたな、では続きを聞こうか」
 そして何事もなかったかのように、再び手帳を構える。
 ……こいつ……。
 小春と千歳ちゃんには分からなかったようだが、やはり同じ男だからだろうか、崇には胡桃木が何をしてきたか気づいているらしかった。彼が胡桃木を見る目に、今までにはなかった侮蔑の色が含まれていた。
 小春をオカズにしたことは万死に値するが、制裁は後日に回すとしよう。こんな奴でも、今は貴重な戦力だ。殺してしまうにはまだ惜しい。
「それからわたしもパニックになっちゃって……すぐに警察の方がやってきて、それでまたパニクっちゃって、思わず――」
 そこで小春は、手で何かを振り払うようなジェスチャーをしてみせた。
「ビンタしちゃったんです」
「パンツが膝まで下がった状態のとてつもなくエロい姿を見られたのだからな。当然の反応と言えるだろう」
「え……えろぃ……ですか……」
 耳まで真っ赤にして、小春は今にも泣き出してしまいそうなほど瞳を潤ませていた。
「――みっともない姿、に訂正させていただこう」
 そんな小春の隣で私が睨みを利かせていることに気づいた胡桃木が、慌ててそう言い直してくる。
「まぁ、少し話は逸れたが」
 彼は誤魔化しているつもりか、ひとつ咳払いをしてから続けた。
「被害者は我が公塚小学校の生徒が大半を占めている。あの辺り一帯に警察が張っていて、丘野妹の異常をすぐさま察知して駆けつけたのは流石だが、未然に防ぐことができないようでは意味がない。現に――」
 大仰な仕草で両腕を広げて、
「今、ここにいるのは俺たちだけだ。警官が見回りに来るような様子すらない。この公園は、塾帰りによくショートカットとして使われる道だ。狙われるのは何も登下校の時間帯だけとは限らない。そんなことにすら気づかないとは、警察の質も落ちるところまで落ちたものだ」
「連中が信用するに値しないっていうのは、今に始まったことじゃないからね」
 今日、職員室で小春を保護した二人の警察と話したときにも思ったことだ。
 小春――被害者ではなく、あくまでも自分たち主体の物言いに、腹が立った。
 世間で騒がれている警察の不祥事なども含めて、彼らは点数稼ぎと、自分たちの体裁を守ることに必死だ。
 警察の警察による警察のための警察。
 法という名の武器を利用して、彼らは我が身のために戦っている。
 だが私は、決して連中を見くびっているわけではない。
 この件に関しては、既に何人かの警察が動いている。放っておいても犯人が捕まるのは時間の問題だろう。
 なんだかんだで警察は優秀な組織だ。それは認めよう。
 だからこそ、その相反する二面性が気に入らなかった。
 彼らが落とす裁きの鉄槌は被害者の代行などではなく、ロールプレイングゲームのレベル上げのごとく、自身への利益のためのものだからだ。
 偏見なのは分かっているが、警察が組織であり人間である以上は、決して私の考えが全て間違っているとは思えない。
 ――なんて思うだけで、私にしてみれば警察なんてものはどうだっていい。
 けど、私の小春がそんな連中の手を借りなければ救われないだなんて、考えるだに吐き気がした。
 だから、私が裁いてやろうと思った。
 警察よりも早く犯人を捕獲し、小春の前で八つ裂きにしてやるのだ。
「丘野妹の話で、大体のことは飲み込めた」
 胡桃木の声で、私は思考の渦から強制的に浮上させられた。
「作戦の最終確認だ。囮は丘野、俺と二葉崇がバックアップを務める。佐倉嬢は丘野妹の護衛。その薙刀をベンチの下にでも隠して、丘野妹と座って話でもしているといい」
「武器を持っていた方が、痴漢に対して威嚇できると思いますが」
 千歳ちゃんの言葉に、胡桃木は首を振った。
「今回の目的は痴漢の迎撃と捕獲にある。予防策としては有効だが、それではそもそも痴漢が寄りつかない」
「それじゃあ先輩だけでなく、私たちまで狙われてしまいます。二度も小春を危険に晒すつもりですか?」
「あのね、千歳ちゃんがそんな物騒なもの持ってたら、痴漢だって警戒して帰っちゃうでしょう? それで解決するのなら、夜の公園になんかハナっから来ないわよ」
 肩をいからせ、胡桃木に詰め寄ろうとしていた千歳ちゃんを制して、私がぴしゃりと言い放つ。
 それで彼女はおとなしくなった。何か私に対して言いたげだったが、納得してしまった手前、言い出せないといったところだろうか。
「小春。来るなと言ったのについて来たのはあなたよ。それぐらいの覚悟はできているわね?」
 私は小春に向き直り、最後の脅しをかける。
 だが、妹の決意は変わらなかった。
「はい。あんなに恥ずかしい思いをさせられたんだから、ひとことくらい何か言ってやらないと、わたしだって気が済みません」
「よく言ったわ」
 似合わないファイティングポーズを構えた小春を、私は優しく抱き寄せた。
 約束するわ。あなたを辱めた男を――あなたの前で命乞いさせてやると。
「決行は二一三○。一時間半後、二三○○時点で作戦は中断、西出口前に集合。目標と接触した者は、すぐに大声を出して知らせること。幸い相手は直接、肉体に危害を加えてくるような暴漢ではない。常に冷静さを保ち、自分が置かれている状況に最も適した行動を瞬時に模索し、躊躇うことなく遂行しろ。以上だ」
 何故か軍人口調でそう告げて、胡桃木は身を翻した。
 時刻は九時二十八分。
 作戦開始まで――あと二分。



***4***



 その二分の間のこと。
 そっと私の側に寄ってきた千歳ちゃんが、小声で言ってきた。
「先輩……今朝は、すみませんでした」
「なんのこと?」
 知っていて、すっとぼける。
「とぼけないでください」
 見抜かれていた。
 こういうことに対する彼女の洞察力には、いつも驚かされる。
 頭の良い子は好きだが。
 良すぎる相手には、それ相応の対処が必要になる。
「先輩にきついことを言いました。すみません」
 と、改めて彼女は頭を下げてきた。
「ああ、あれね。いいわよ、もう気にしてないし」
「そう言っていただけると助かります」
 あっさりと顔を上げる。
 まぁ、建前なのは分かってたけどさ。
 そういうあからさまなのは、ちょっとむかつく。
「ついで、といってはなんなんですが」
「なに?」
「先輩は、小春のことをどう思っているんですか?」
 いつになく注意深い口調で、千歳ちゃんが尋ねてきた。
 本題はそこか。
「見たまんまよ。千歳ちゃんと同じで、あの子のことは大切に思っているわ」
「ちゃんと――その、妹として?」
「ええ」
 うなずく。
 一瞬、核心を突いてきたのかと思いどきりとしたが、そういう意味ではないということに気づいて内心、胸を撫で下ろした。
「……先輩のことが、よく分からないんです」
「何を今更。だから千歳ちゃんは、私に対してはいつもつんけんしてるんでしょう?」
「違うんです。それとは別で……でも凄く大事な部分で、分からないんです」
 言わんとしていることは、なんとなく理解できた。
 千歳ちゃんと初めて会ったときのことを思い出す。あの頃の私は、小春に――アレな感じだったから、彼女も私に対して敵意を剥き出しにしていた。
 それが最近では、刺々しさと隠そうともしない警戒心だけは相変わらずだったが、一緒に秋葉原にパソコンを買いに行ったりするようになった。
 仲が良くなったわけでも、距離が近づいたわけでもない。
 単にコミュニケーションの間口が、千歳ちゃんの気の緩みによって拡がっただけに過ぎない。
「初めて会ったときの先輩の目は――小春のことを、まるで玩具を見ているみたいだったから」
 それが彼女の、私への第一印象。
 ある日を境に、私は小春への接し方を百八十度変えた。
 その急激な変化が私という人間の印象を壊し、彼女を混乱させ、間口を拡大するに至ったというわけだ。
「でも今の先輩は、凄く優しい目で小春のことを見ています。演技だとしても、とてもそうだとは思えないくらいに」
「そういうことを面と向かって言われると照れるわね。ありがとう、って言っていいのかしら?」
「でも、どうしても先輩に気を許すことができないんです」
 千歳ちゃんは唇の端を噛みしめて、私から顔を背けた。
「先輩のこと、信じてもいいんですか? 答えてください……」
「今も昔も私は私。確かに私の小春への価値観は、あの頃とは違うわ」
 腕時計を見る。
 九時三十分まで、あと数秒。
「でもね、私の本質は何も変わっていない。変えられるはずがない」
 私の言葉から真意を推し量ろうと、千歳ちゃんの顔は真剣だった。
 そこでタイムアップ。
「時間だ。作戦開始! 各自、配置に着け!」
 すっかり軍隊色に染まった胡桃木の号令が響く。
「ま、人間だしね。こればっかりはどうしようもないじゃない?」
 軽く千歳ちゃんの肩を叩いて、最後にそう告げた。

「――分かりました。もう少し、自分なりに考えてみます」

 感情を押し殺した彼女の声を背に受けて。
 私は、公園の闇の中へと足を踏み出した。



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