第十三話 「ちゃんと食べれるもん(後編)」

***1***



 逃げてはきたものの。
 一人で昼休みの時間を潰すのは虚しさ以外に何もなく。
 結局、行き先は五年三組――小春のいる教室しかないわけで。
 下級生が上級生の教室に入っていくことはこの学校ではあまり珍しいことではないが、その逆となると話はまた変わってくる。
 やはり人間、進級するにつれて自尊心が芽生えてくるもので、ヒエラルキーというほど大したものでもないが、用事があるなら下級生から会いに来るべきだ、と考えている者は少なくない。
 全校集会という名のレクリエーションで全校生徒が上下問わず月に何度か遊んでいても、個々の人間同士の間では閉鎖的な面があると言わざるを得ない。
 最終的には、グループ化してしまうからだ。
 グループ間の関係は疎遠になり、気のあった者同士が交流を深めていく。
 輪に属したくなければ、そうすればいい。
 それでも生きていけるように、この世界は出来ている。
 拠り所が人でなければならないということは、決してないのだから。
「だけど、私は」
 思わず声に出してしまった。
 小さなつぶやき。何人かの生徒とすれ違ったが、誰も聞き咎めた者はいないだろう。
 五年三組の教室の前に立つ。
 扉に手をかける。
 適応しろというのならば、そうしよう。
 いくらでも欺いてみせる。
 だって私は、人を――妹を、求めてしまったのだから。
 扉を、開けた。



***2***



「小春ー」
 呼びながら、教室の中に顔だけ覗かせる。
 人の数はまばらだった。ひとつの机に集まって談笑しているグループもあれば、休み時間だというのに机に向かって勉強している者もいる。
 それ以外の者は、みんな校庭なりどこかなりに遊びにいってしまったのだろう。
 だから、小春の姿を見つけるのは容易だった。
 一人、まだ給食をもそもそと食べていた。
 千歳ちゃんの姿はない。
「失礼しますよっと」
 軽く断って、中に入る。
 入り口付近にいた何人かの女生徒が訝しげに振り返ってくる。クラスメイトと同じ姿をした人間がいきなりもう一人現れれば驚きもするだろうが、私は既にこの教室の常連のようなものだった。大した反応もなく、そのままスルーされ――
 ――るかと思ったが、今日は何やらすごく気まずそうな顔で私のことを見てくる。
「……何?」
 尋ねてみる。
「あ、いえっ」
 露骨などもり声を発して、ひとりの女生徒が視線を逸らした。
「そんなあからさまに何かあるっぽい反応されると、かえって気になるんだけれど?」
「えと、その……早く丘野さん――あ、小春さんのところに行ってあげた方がいいかなって」
「? もちろんそのつもりだけれど」
 この女生徒たちには見覚えがあった。いつもはこんなにおどおどせず、普通に挨拶してきてくれるのだが。
 小春は教室の隅っこにいるので、まだこちらには気づいていないようだった。
 私はそちらに向かおうと――
「なんだよ丘野ー、まだメシ食ってんのかー?」
 して、足を、止めた。
「早く食えよ。ほら、この牛乳なんてぬるくなってすげーマズそー」
 三人の男子生徒が小春の周りに群がっていた。控えめにパンを頬張っている小春に向かって、口汚い揶揄を飛ばしている。
「あ、あのっ、お姉さん……!」
 と、すぐ近くの机に座っていた女生徒が立ち上がる。
「あの男子たち、先生でも手を持てあましてるようなお調子者で……普段はあんなにあからさまなことはしないんですけど……」
「千歳ちゃんがいないからでしょ」
「あ……そう、かもしれません」
 私の指摘に、女の子は肩を細めてうつむいてしまった。
 千歳ちゃんなら、たとえ相手が男子であっても小春に害をなす者は許さないはずだった。
 この教室において、千歳ちゃんが小春のナイトを務めていたであろうことは、想像に難くない。
「その千歳ちゃんはどうしたの?」
「今日、休みなんです」
「なんでまた」
「風邪みたいです」
 小春が治ったと思ったら今度はあの子か。
 もしやとは思うが、風邪で苦しんでいる小春のことを想像してシンクロしすぎたせいで病気になったとかじゃだろうな。
 後で苦情の電話でも入れてやろう。
 今、小春が受けている苦痛を、余すところなく伝えてやろう。
 そして苦しめ。
 傷ついてなお姫君を護るのが騎士であるというなら、この状況は一日だけとはいえ守護を放棄した彼女を罰に処してしかるべきものだ。
「ありがとう。あ、それからそこのあなた」
 私は女生徒たちのグループの中から適当に一人を指さして告げた。
「これからここで起こることは夢よ。先生に聞かれても、そんなことはありませんでした、って言いなさい。いいわね?」
「は、はいっ」
 ガチガチになりながらも頷いてくれる。
 これから私が何をしようとしているのか気づいたか。
 勘のいい子は好きだ。彼女の顔は覚えておくことにしよう。
 私は髪を結んでいるリボンをきつく縛りなおして、小春を囲んでいる男子たちのところへと向かった。



***3***



「おい、まだパン残ってんぞ? 残したら机の中に放り込んでやるからな。捨てるんじゃねーぞ」
「の、残したりなんかしません……」
「ほんとかぁ? お前、こないだ佐倉に残ったパン食わせてただろうがよー」
「あれはっ……わたしはいいって言ったのに、千歳ちゃんが……」
「あー、なに? お前、佐倉のせいにするわけ?」
「そんなんじゃっ……!」
「案外酷いのな、丘野って。佐倉が休んでるのをいいことにさー」
「明日、佐倉が来たら教えてやろーぜ」
「丘野が佐倉のこと、いい迷惑だって言ってたってなー」
 げらげらと。
 餓鬼が、嗤う。
「あれ?」
 餓鬼のうちのひとりがこちらに気づいた。
「おい、丘野の姉ちゃんだぜ」
 状況、確認、報告。
 三匹の餓鬼が一斉にこちらを振り向く。
 同時に、小春も私がいることに気づいたようだった。
 だが、すぐに真っ赤な顔をしてうつむいてしまう。
 私には見られたくなかったのだろう。
 男子にいじめられている自分の姿を。
「なんすか先輩?」
「俺ら、丘野さんがメシ食うの遅いから応援してるだけなんすけどー」
 ぺらぺらと、訊いてもいないのによくもまぁ口が回るものだ。
 別に私は、お前たちから弁明の言葉が聞きたくて近づいたんじゃない。
 殺す、ためだ。
「早く食ってくれないとさー、食器片づけらんなくて給食委員が迷惑するんすよねー。遊びにも行けないし。なぁ?」
「そうそう。で、その給食委員ってのが俺らと、そこで勉強してる奴なわけ」
「ちょっと急かすくらい、当然のケンリって奴だと思うんだけどなー」
「そうね」
 私は頷いてみせた。そのまま背中を丸め、膝を落とす。
「だったら、私も急かしてあげる」
 あとは、一歩だけ前に踏み出すだけでいい。
 一番近くにいた男子の腹部に頭を押し当てる。これから自分が何をされるのかまるで分かっていない呆気に取られた相手の顔を上目遣いで確認しながら、私は肘を真上に突き上げた。
「んごっ……!」
 押し潰したような悲鳴。同時に、肘から肩にかけて鈍い衝撃。
 続いて男子その一は自分のあごを押さえ、声にならない苦悶の声をあげながら床の上でもんどり打った。
 さらに私はスカートを翻し、悶絶している男子の鼻っ柱につま先を打ち込む。
 喉の奥で胃液を詰まらせたように呻き、鼻血を勢いよく垂らして男子その一は気を失った。
「お、お前っ……! 何してんだよ!?」
 男子その二がよく分からないことを吠えている。
 何をしているか、だって?
 だから最初に言ったはずだ。
「急かしてあげているだけよ。早くあなたたちが大人になって――」
 答えながら、再度スカートをはためかせる。
 鳥が翼を羽ばたかせるように、布生地が扇状を描いて男子その二の視界を塞ぐ。
「早く、死んでしまえるように」
 同時に振り上げていた右足のかかとに、確かな手応え。
 スカートが元に戻る頃には、既に男子その二は近くの机を二つほど巻き込んで床に倒れていた。右の頬骨を赤黒く腫れ上がらせて。
「女の子を苛めることで楽しんでしまえるような人生」
 左手で軽くスカートをはたきつつ、最後の一人を斜に睨め付ける。
「そんなの、長く生きていてもつまらないだけでしょう?」
「この――女のくせに調子ん乗ってんじゃねぇぞ!」
 男子その三がこちらの胸元を掴もうと左手を伸ばしてくる。
 捕まれば、きっと取っ組み合いになるだろう。小学生お得意の喧嘩方法だ。最終的に馬乗りになった者が勝ち。
 そうなれば、単純に力のある方に分がある。何の技術も持たないならば尚更だ。
 だから、その前に折ることにした。
 数歩分ほど後方に跳躍して、振り上げた右足で相手の突き出された指先を蹴り上げる。
「ぎっ……!?」
 短い苦悶。
 蹴り弾いた指は反対側に折れ曲がってこそいないものの、何本かの関節に致命的な痛みを与えたはずだ。
 私はそのまま地についた方の足を軸に全身をひねり、先の男子と同じく顔面を狙って右足を旋回させる。
「お姉ちゃん、やめてぇっ!」
 小春の制止の声が。
 私の挙動を、鈍らせた。
 まず、足の高度が落ちた。スピードも低下していただろう。私の右足は男子その三の肩に命中したが、大した手応えは得られなかった。
「てめぇ――!」
 男子その三の右手が疾る。
 私の顔をめがけて。

 ――小春と同じ造形をしたこの顔。
 ――やっとの思いで成就した、この悲願。
 ――いや、それは少し違うのか。
 ――かつて交わした盟約、その輪廻から脱するために支払った代償そのもの。
 ――傷つけるわけにはいかない。
 ――盟約は、まだ続いているんだから。

 身体を回転させるスピードに勢いを戻す。ちょうど相手の向きに対して身体が真横になると同時に、右足で強く床を踏み込む。
 強く、もっと強く。根を下ろすように。
 今度はそこを軸に、身体を逆回転。男子その三の拳をかいくぐり、そのまま相手のふところへと。
 次の瞬間には、私の裏拳が男子その三の左頬を痛打していた。
 振り子のように横に傾ぐ相手の身体。追い打ちをかけようと思えば、いくらでもできた。
 拳を叩き込むその一瞬に、小春の泣きそうな顔が視界に入らなければ、間違いなくそうしていただろう。
 感謝しろ。
 魔女が愛する女神の慈悲に。
「これまでの行いを後悔しなさい」
 殴られた頬を押さえながらうずくまっている男子その三に、私は冷淡な声で告げた。
「それができないのなら、さっさと屋上からでも飛び降りるといいわ」
「くっ……そ……!」
 男子は青ざめた顔で強気に毒づいてみせたが、もう刃向かってくるつもりはないようだった。
 これでまだ殴りかかってくるなら、別の意味で大したものだったが。
 もう餓鬼どもに興味はない。
 私は小春の前の席に腰を下ろし、彼女と向かい合った。
「小春」
「お姉ちゃん……なんでこんなひどいことするんですか」
 目に涙をいっぱい溜めて、上目遣いで私のことを睨んでくる。
「ナイト様が欠席みたいだったからね。私が代わりを務めようかなって」
「ナイト様って……千歳ちゃんのこと?」
「そ」
「千歳ちゃんはこんなことしません。ちゃんと話し合いで解決します」
「日本語をまともに理解してるかどうか分からないような連中を相手に、言葉でなんとかできるほど器用じゃないわよ、私は」
 肩をすくめて、言ってやる。
 それで小春はさらに機嫌を損ねたらしく、頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
「……まぁ、私が不器用なだけだけどね」
 フォローになっていないと知りつつ、そう付け足しておく。
「ほらほら、そこの餓鬼共。さっさと起きなさい」
 足を組みながら、周囲に寝転がった男子どもに呼びかける。
「こんなぐらいでノビてんじゃないわよ、だらしないわね」
「で、でもこいつ……完全に気絶してんだけど……」
 回し蹴りをくれてやった男子が、鼻血を垂らして昏倒している奴を指さしている。
「叩き起こしなさい。二、三回ひっぱたけば嫌でも目が覚めるわよ」
 言われる通りに、肩を揺さぶりながら頬を叩き始める男子その二。
 鼻血男の目が覚めるのを待って、私は三人に並んで立つように告げた。
「小春に謝りなさい。ちゃんと頭を下げてね」
「ご、ごめん……」
「声が小さい。今度は殴る蹴るだけじゃ済まさないわよ」
「ごっ、ごめんっ!」
 素直でよろしい。
「ちょっとそこの」
 私は男子その三の膝を蹴って、
「なんでそんな不満そうなの?」
「え……?」
「他の二人はちゃんとしてたわよ。なんであなただけそんな不機嫌そうな顔してるわけ?」
「女にここまでコケにされて、腹が立たねー方がおかしいだろ……」
 ぼそぼそと答えてくる。目を合わせてこないあたりが可愛いと言えなくもない。
「男だから無条件で強いなんて思ってるわけ? もしかして馬鹿?」
「なんだと……!」
「威張るなら強くなる努力をしてから言えっていうのよ。そんじょそこらに転がってるただのクソガキの分際で、男であることを主張するだけでもおこがましいわ」
 それきり、男子その三は黙り込んでしまった。
 これでこちらの言わんとすることに気づかなかったら、本当にそこらのガキより救いがない。
「分かったら散りなさい。小春の食事の邪魔になるから」
「くそっ」
 手近な机を蹴ったりして八つ当たりしながら去っていくあたり、あの三人にはある意味、小悪党という将来が約束されているのかもしれない。
「何見てんだよてめー!」
「えっ……?」
「こら、そこ! 八つ当たりするんじゃないわよ!」
 さっき私に状況を教えてくれた女の子に当たっていた三馬鹿は私の一喝で、今度こそ教室を出ていった。最後に舌打ちしていたような気もするけど、もういいや。
「なんとか言葉で解決してみたわよ。これでいい?」
 爽やかに、私は小春に向き直った。
「ただ脅してただけじゃないですか……」
 呆れたようにため息をつく小春。
 まぁ、そうとも言う。
「わたしのためっていうのは分かりますけど」
「うん」
「あんなに暴力的なお姉ちゃんは嫌いです」
「いつも胡桃木に似たようなことやってるんだけどなぁ」
「あ、あれは……なんだか胡桃木先輩、嬉しそうだから……あれはあれでいいのかなって……」
 ……なるほど、小春の胡桃木に対する認識がよく分かった。
 ちょっと安心……していいのか、これは?
「それに、お姉ちゃんがあんなにケンカが強いなんて、初めて知りました」
「あー」
 そうか。小春は知らないんだっけ。
「たまたまよ、たまたま。胡桃木でいい訓練になってたんじゃないかしら」
「そうかもしれないですけど……」
「うん、ごめんね。なるべく控えるようにする」
 少なくとも、小春の前では。
「えと……うん、分かってくれて嬉しいです」
「さてと」
 と、私は何事もなかったかのように、小春の食べかけのパンを手に取った。
「あっ……お姉ちゃん、食べちゃダメだよっ」
 慌てて私の手からパンを奪い取ろうとする小春。
「残さないで、ちゃんと食べれますからっ……」
「小春、何か勘違いしてない?」
「え?」
 小春の手からパンを遠ざけながら、私は告げた。
「私は千歳ちゃんと違って不器用だからね。代わりに食べてあげたりなんて出来ないわよ」
「な、なんでそれを……!?」
 私は親指でさっきの女の子の席を指してみせた。
 女の子は苦笑いを浮かべながら、両手を合わせて謝る仕草をしていた。
「みかちゃんったら……」
 先ほどまでの怒気によるものとは違う、恥じらいの朱で頬を染めて小春はうなだれた。
 なるほど、みかちゃんっていうのか。覚えておこう。
「はい、口開けて」
「……はい?」
「食べさせてあげるって言ってるの」
「そ、そんなっ! ちゃんと自分で食べられるよっ!」
「千歳ちゃんの甘やかし方も大したもんだと思うけど、私にだって小春を甘やかしたいって気持ちはあるのよ」
 真顔で言っていて、少し自分でも照れてしまう。おまけに周囲の視線も痛い。
 こういうことを臆面もなく教室で出来てしまう千歳ちゃんは、確かに凄い。
 ていうかマゾか、あの女?
「はい、おとなしくお口あけましょうねー、小春ちゃん」
「うー……」
 渋々、小春が口をあける。目尻には小さく涙の粒が浮かんでいた。
 パンをちぎって、小春の口に運んでやる。小さな唇がパンをついばみ、控えめな挙動で咀嚼を始める。
 飲み込んだのを見計らって、またパンをちぎって小春の口元へと。
 先と同じように、小春の口が私の指からパンを奪う。
 もくもくと、よく噛んで食べる。
 か、かわえぇぇぇぇ。
 たまにはこんなプレイもいいかもしれない。
 月イチ、いや週イチくらいで。
「どう? おいしい?」
 尋ねる。
 同時に、こくん、と小春の喉が動く。
 耳まで真っ赤になった顔で、小春は微笑んだ。
「……はいっ」



 それから。
 私は最初に話しかけた女子グループを小春の机の周りに呼んで、彼女らと会話に花を咲かせながら小春との食事を楽しんだ。
 双子の姉妹がこんなふうに食事をしている姿には興味があったのか、一声かけるだけですぐにみんな来てくれた。
 話の内容は、主にさっき私たちが三馬鹿を叩き伏せたことについてだったりしたが。
 このことが原因で、私は以降、五年三組で「お姉さま」と呼ばれるようになった。
 安直にも程がある。
 聞けば、今までみかちゃんのグループと小春――と、千歳ちゃんは、あまり同じ輪に入って遊んだりすることはなかったそうだ。
 これをきっかけに小春に友達が増えたのであれば、私も男子三人を相手に立ち回っただけの甲斐があったというものだ。

『六年二組、丘野秋葉さん。至急、職員室まで来てください。繰り返します。六年二組、丘野秋葉さん――』

 放課後、全校放送で呼び出されるだけの甲斐もあったというものだ……。
 月代先生に、早く行けというようなジェスチャーで急かされて、私は足早に教室を後にした。
「ねー、秋葉ー。いったい、なにやらかしたの?」
 なぜか一緒についてきていた日向が訊いてくる。
 ……ほんと、何してるんだろう。
 私は嘆息した。
「お姫様に楽しい食事を楽しんでもらっただけよ」
「……は?」
 日向のはてな顔を見れて満足した私は、軽い足取りで職員室へと向かったのだった。



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