第十二話 「ちゃんと食べれるもん(前編)」

***1***



「メシだ!」
 唐突に絶叫にも似た雄叫びが、授業中の教室に響く。
 その場にいる全員の視線が、その一点へと収束する。
 日向の席だった。
 日向は椅子から立ち上がり、天に向かって高らかに両腕を突き上げている。
 長い、長い沈黙と共に、一同は彼女を見守る。
 やがて――日向は、その勝利を勝ち取ったかのようなポーズのまま、間の抜けた声を漏らした。
「……あれ?」
「麻生、そのままこっちに来い。授業が終わるまでそこに立っていろ」
 月代先生の静かな怒りが飛ぶ。
「……うぃす」
 そうして、日向はガッツポーズをキメたまま教壇の横に佇み続けることになった。



***2***



「で、なんだってあんな羞恥プレイに晒されたくなったわけ?」
 給食時間。
 食パンにイチゴジャムを塗りたくりながら、私は訪ねてみた。
「あたしも何がなんだか……夢を見てた気がするんだけど」
 ジャムに負けないくらい顔を真っ赤にした日向が、歯切れ悪く答えてくる。
「どんなのよ」
「それがねー、もうすっげーのやっべーのなんのって」
「ふーん」
 適当に相槌を打って、パンを頬張る。あまり食パンは好きじゃないけど、付属のジャム次第では食べられなくもない。
「普通に授業受けてたらさ、学校にテロリストが攻めてくるのね」
「私、マーマレードだけはダメなのよ」
「そんで全校生徒奮起して立ち向かうんだけど」
「マーガリンも最初はどうかと思ったけど、あれはあれでなかなか」
「ばったばったとみんな死んでいっちゃって。あ、そこでびくんって震えて一回目が覚めたんだけどまた寝ちゃった。ほら、たまに寝てると意味もなく痙攣することってあるじゃない?」
「給食のパンって絶対にトーストも用意するべきだと思うのよ。もしくは各自、トースター持ち込み可にするとか」
「そいでね、今度は死体の山の上をあたしが颯爽と駆け抜けてるわけよ。もうそんな自分がかっこよくて強いて言うならジャンヌダルクみたいな?」
「ていうかなんで給食ってお総菜系のパンってないのかしら。寝言は寝て言え。焼きソバパンとかチョココロネとか」
「そこでチャイムが鳴って、あー給食の時間だーって思って、そのことを味方に伝えるために叫んだら目が覚めたって感じ?」
「あ、イチゴジャム使わないんならちょうだい。一袋じゃ足りないのよ」
 私は日向のトレーからジャムを奪い取り、再びパンにジャムを塗りたくり始めた。
「ちょっ……あたしのイチゴジャムっ! てゆーかあんた、あたしの話聞いてた!?」
「え? ごめん、聞いてなかったかも」
「寝言は寝て言えとかって突っ込みがあったよーな気がするんですけど……?」
 ……やっぱりそういうことは聞き逃さないのね。
「でも話を総括すると、そういうことでしょう?」
 空になったジャムの袋を日向のトレーに戻しながら、私は告げてやった。
「寝言を言うからあんなことになるのよ。今度から授業中に寝るときは自制しなさい」
「ひふぇいあんてふぇきるほうならほんなほとになぁないっへぇ」
「……飲み込んでから喋りなさい。汚いから」
 日向は食パンを半分くらい一気に頬張っていた。
 もうそろそろ恥じらいというものを覚えても良いのではないだろうか、こいつは。
 じっくり咀嚼して、牛乳で口の中のものを胃に流し込んでから、改めて日向が発言してくる。
「自制なんてできるようならこんなことにならないって」
「同じこと二回も言わなくていいから」
「飲み込んでから喋れって言ったのはあんたでしょうが!」
「噛んでる最中のものが見えるから汚いって言っただけよ」
「あーもーこの女はあーいえばこーこーいえばあーと可愛げねー!」
 頭を抱えて、悶絶するように身をよじる日向。
 どうでもいいけど、食べてる最中にそんなダイミックに動いたら胃によくないと思うよ、私。
「もうちょっとあんたにも小春ちゃんみたいなしおらしさがあればねー」
 ……充分しおらしいと思っているのは、もしかして私だけなのだろうか。
 少なくとも他のクラスメイトの女子たちよりも気品があるという自信がある。お嬢様を気取っているわけではないが、初対面の相手だと特にそういった仕草をすんなりとやってしまえているように思う。
「ガサツってわけじゃないんだけどさ。なんか陰険なんだよね」
 それはきっと日向のような馬鹿が相手だからだろう。
「日向みたいな馬鹿が相手だからじゃない?」
 思ったままを口にしてみた。
「……そういうことを相手の目を真っ直ぐ見て言えるのは、確かにあんたの才能だと思うわ。ええ」
 魚の切り身入りのスープをスプーンで掻き混ぜながら、日向はうんざりとつぶやいた。
 そう。
 こういう切り返し方をしてくるから、日向と話すのは嫌いじゃないんだ。
 こんなおちょくり甲斐のある小学生、他にはいない。
 我知らず、私は日向のことを見つめてしまっていたらしい。日向が訝しげに眉根を寄せていた。
「? 何よ、人の顔、じろじろと見てさ」
「え? いや」
 私は取り繕うように肩をすくめ、
「どっちかというと好きな部類かな、ってね。あなたのこと」
 ――カチャーン。
 甲高い金属音。
 日向の手から落ちたスプーンが床に落下したのだ。
 日向は右手はスプーンを掴んだままの形で、わなわなと――むしろ痙攣するように――全身を震わせている。
「そ、それって……どういう意味……?」
「え? 言葉通りの意味だけど」
「ライクオアラヴ!? てゆっかどっちもぶっちゃけありえねー!」
 とうとう日向は頭を抱えて絶叫した。
 なんなんだ。人がせっかく好意を示してやったのに失礼な奴だな。
「あんたが小春ちゃんにお熱なのはやっぱり美しい姉妹愛だから? とか思ってたけど実はそっちの気があったりするとですか?」
 と、何故かフェンシングの構えみたいなポーズを取って、そう尋ねてくる。
 だからそんな激しく動いたら胃に悪いっての。
「うーん」
 腕組みして私はしばし思案して見せた。別に考えるまでもなく結論は既に出ているのだが、日向のへんてこなポーズをできるだけ維持して周囲の視線に晒させてやりたかったのだ。
 それに気づいたらしい日向の顔が、徐々に紅潮してきた。それでも姿勢を崩さない彼女の意地に、私はそこはかとなくポリシーのようなものを感じたのだった。
 実はそんなことはどうでもよくて、単に色々考えて時間を稼いでいただけだったりするのだけど。
「あるかな?」
 そろそろ飽きてきたので、私は小首を傾げてきらめくような笑顔で答えてやった。
 日向は何も反応しない。ただじっとフェンシングの構えをキメているだけで、眉目ひとつ動かさない。
「……ねぇ、そろそろこの格好、やめていい?」
 ややあって、少し荒い息づかいで彼女が訊いてきた。あれでいて結構疲れるポーズだったらしい。
 私は無言で頷く。
 はぁー、とおばさんくさい吐息をついて、椅子の上で姿勢を正す日向。
 それからスープを一気に平らげ、牛乳のストローを口に含み――
 私は咄嗟に日向のあごを掴んで、横に向けた。
「マジでっ!?」
 言葉と同時に牛乳の白い飛沫が、隣の席に向かって勢いよく噴き出される。
 幸い隣の人は既に給食を食べ終えてどこかに遊びにいっていたらしく、ただ机だけが白く汚されただけに済んだ。
「汚いわねぇ。ここは学校よ。あんまり卑猥な行為は慎みなさい」
「卑猥ってどういう意味よ!? いや、そんなことはどうでもよくてっ! あんの!? レズっ気!? マジで!?」
「女の子同士でじゃれあってる他の女子たちと同じ程度にはね」
「あー……なるほど……でもあれってレズっ気っていうのかな……」
「どうかしらね。でもそのまま男子に興味が沸かずに成長していったら、将来的に真性の同性愛者になるきっかけのひとつになるんじゃない?」
「そういうもんなのかねー……」
 まぁ、興味は持っても男性同士の恋愛だったりとか、倒錯した人は世の中には少なくないらしいが。
「でも、どうして女の子同士は抱きついたりして遊んだりするのに、男の子同士はそういうことしないんだろね」
「例えば胡桃木が男を口説いてたら、あなたはどう思う?」
「……ごめん、あたしが悪かった」
 空になった牛乳パックを握り潰して、日向はうなだれた。
 まぁ、なんというか。
 私が男に興味がないというのは事実だ。だからといって、女が好きだというわけでもない。
 ただ、女性というものに魅力を感じるのも確かだった。
 小春は、また違う。それとはまた別の感情。
 それは、私が”旅”をすることになったきっかけ。

 盟約を交わし、それを果たすために生まれ変わったあの日からの感情――

 と。
 何やら教室の入り口あたりが騒がしいことに気づいた。
 見やると、数人の女子が、一人の女子を囲むようにして群がっていた。
 目を細めて、中心を見据える。
 ランドセルを背負っているということは……今、登校してきたということか。
「細川さんじゃない。やっと来たんだ」
 同じく騒ぎに気づいた日向がそう言った。
「細川さん?」
「……あんたねー、クラスメイトの名前くらいそろそろちゃんと覚えなさいよ」
 そんなこと言われても、興味のある人間なんて、このクラスには数人しかいないわけだし。
「ホームルームで先生が、細川さんは遅刻して来るらしいって言ってたじゃない?」
「覚えてないわ」
「っとにもー」
 呆れられてしまった。
 それはそれとして、騒ぎに耳を傾ける。
 なんでも痴漢に遭って、警察で事情聴取を受けていたのだとか。
 なるほど、それでみんな心配して細川さんの周りに集まってるってわけか。
 しかし――
「なんで痴漢に遭ったっていうのに彼女、あんなにケロリとしてるの?」
「あー、多分、例の痴漢ね」
「例の?」
「最近、このへんで頻繁に痴漢が出没するから気をつけて、ってこないだの全校集会でも言ってたじゃない」
 知らん。
 というか校長の長話を真面目に聞いてるくらいなら、妄想を膨らませていた方がいくらか建設的だ。
「なんでもね、身体には一切、触れないんだって」
「……危篤な痴漢行為もあったものね」
「すれ違った次の瞬間には、もう全てが終わってるんだとか」
 どこの超人だ、その痴漢は。
「もしかして、何か変な液体をかける系?」
「それだったら細川さんがあんな平気そうにしてるはずないでしょ?」
 言われて、改めて細川さんの方を見やる。
 何事もなかったというふうではなく、さすがに表情には多少の陰りが落ちてはいたが、見抜こうと思わなければ分からない程度ではあった。
 この年頃の女の子なら、痴漢なんてされたら一日中へこんで泣き続けていてもおかしくなさそうなものだが。
「まさかすれ違いざまに匂いを嗅いでいくだけとか? そんなんで痴漢呼ばわりされたら世の中の男の大半が性犯罪者になるわよ」
「いやー、触れてないんだけど触れてるっていうか、今まで被害に遭った女の子たちも曖昧なことしか言ってくれなくていまいち分かんないんだけどさ」
「どっちなのよ」
「それがね、その犯人が狙ってるのは、女の子の――」
「――ちょっと待った」
 私は人差し指で日向の口を閉ざし、周囲を警戒しながら立ち上がった。
「こういう話をしていると、決まって奴が現れるのよ」
「んぶっ……! むごぉ!」
 日向が何やら奇声を上げている。
 ああ、と気づいて、私は人差し指を引き抜いた。
「んはっ……! げほっ、げほっ! ……なんでいきなり人の口に指突っ込むかなぁ!?」
 口元を拭いながら、日向が突っかかってくる。
 ついでに私の指も、日向の服の裾で拭っておく。
「実に女の子らしい、相手の発言の制止方法だったと思うけど……」
「そういうときは普通、唇に指を押し当てたりするんじゃないの!?」
「ええ、知っているけど」
「あーもーこの女はぁーっ!」
 癇癪を起こしている日向の脇を抜けて、私は駆け足で教室の外に向かった。
「ちょっと秋葉! どこ行くのよ!?」
「食器、片づけておいて!」
 そう言い残して、廊下に飛び出す。
 振り返ると、ちょうど反対側の入り口から胡桃木が教室に入っていったところだった。
 間一髪。
 痴漢がどうのといった話をしていて、奴が現れないはずがない。

 変態には、変態にしか分からない魅力があるんだから。

(十三話につづく)



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