第十話 「電子の街(後編)」

***1***



「ふぅ……」
 駅を降りて、私はひとつ大きく吐息した。
 空っぽになった肺に、新鮮な空気が――入り込むはずもなく、得体の知れない淀んだ何かが胸をいっぱいに満たす。
 気持ち悪い。
「ねぇ、千歳ちゃん」
 私は、傍らにいる連れ添いに話しかけた。
「なんですか」
「帰っていい?」
「何しに来たんですか、先輩は」
 思いっきりジト目で睨まれた。
 理不尽だ。

 と、いうわけで。
 やってきました秋葉原。
 日曜日ということもあって、辺りは人でごった返している。大通りなんかは、まともに歩けそうにすらなかった。どこからか電気屋のイメージソングが聞こえてくるが、周囲のあちこちから発している雑音のせいで、もはやその曲がどこから流れているのかすら分からない。
 そして私の嫌う人種が、視界に必ず何人かは収まっているという有様。リュックからポスターを何本も覗かせている奴もいれば、冴えない男が両手いっぱいに荷物を抱えて猫背気味に歩いていたりもする。極めつけはあれだ、あのネックストラップに携帯電話を吊して歩いてる奴。格好よりも実用性を重視しているあたりが、この街の住人らしいと言える。というか腹の贅肉の弾力で携帯がぽよんぽよん跳ねているのはかなり見苦しい。
 これから数時間、ここを歩き回らないといけないわけか。
 ……はぁ。
「今日なんてまだ人が少ない方ですよ」
 しれっとした調子で千歳ちゃんが告げてくる。
「え、そうなの?」
「お盆とか年末になると、遠方の人たちもたくさん来ますから」
「なんで?」
「そういうイベントがあるんです」
「イベント……」
 正直、何のことだかさっぱり分からなかったが。
 お盆とか年末くらい、田舎に帰るとかどっか遊びにいくとかして他のところに出かけろよ、と言いたい。
「ひゃぃっ!」
 と――後ろをついてきていた小春が突然、素っ頓狂な悲鳴をあげた。
 私は振り返って、
「どうしたの?」
「う、ううん……ちょっと、誰かにお尻を触られたような気がして……」
「誰だコラ! 私の妹を汚したその手、今すぐここで狩り取ってやる!」
「お、お姉ちゃんっ! だ、だいじょうぶですからっ! すれ違いざまに当たっただけかもしれないしっ!」
 臨戦態勢で怒鳴る私を、小春が必死に抑えてくる。
「小春」
 千歳ちゃんは何かをカバンから取り出し、それを小春に握らせた。
「何かあったら、これを使って。スイッチはここ」
「は、はい」
 ……スタンガン?
 そう思って小春の手元を覗き込むと――
「ってナイフじゃん! そんなの小春に持たせちゃダメだってば!」
「ただのナイフじゃありません。こうして、ここのスイッチを押すと刃の部分が飛び出す仕組みに――」
「なんでそんなマニアックなもの持ってるかなー、君は!」
 私は慌てて小春からナイフを取り上げると、それを千歳ちゃんに突き返した。
「だって先輩……小春に触れるような男、生かしておけないじゃないですか」
「それには同意するけどっ! だからって小春に手を汚させてどうするのよ!」
 私の指摘に、千歳ちゃんはびっくりしたように目を見開いた。
 まさかそこまで考えてなかったとか言い出すんじゃないだろうね、この子は。
 千歳ちゃんはそれから考え込むように足元を見つめ、しばらくして顔を上げた。
「私か先輩、どちらかが殺るというのは?」
「無し! 駄目! 絶対! 犯罪よくない!」
 力一杯否定してやる。
 千歳ちゃんは不承不承といった感じで、カバンにナイフをしまい込んだ。
 小春のことになると目の色変わるのは人のこと言えないけど……この子も相当なもんだな。
「じゃあ私と千歳ちゃんが小春を挟む形で歩きましょう。それならいいでしょう?」
「はい」
 私の提案に、千歳ちゃんは素直に頷いた。
 そしてフォーメーションを組む。
 横一列だと、この人混みの中では歩きにくいことこの上ないので、縦に並ぶ。千歳ちゃんが先頭を歩く形で。
 しばらく歩いたところで、千歳ちゃんが後ろを振り返り、ぽつりとつぶやいた。
「プラカードが欲しいですね」
「……なにそれ?」
「いえ、ただの戯れ言です」
 と、千歳ちゃんは前を向いてしまった。
 分からん。
 こんなに分かりにくい子だったっけ、千歳ちゃんて。



***2***



 ウチの親は娘に甘い。
 特に私は親に対して距離を置いているので、たまにおねだりとかしてみると快く財布の口を開いてくれる。だらしないにやけ顔で。
 多分、反抗期だと思われているのだろう。そんな状態で娘の方から接触を図ってこられたなら、やはり嬉しいものなのかもしれない。母親としては。
 実際は、反抗期ではないのだけれど。
 それにしても、「パソコンを買うから」と言って、ポンと財布から札束を出してくるのを見ると、自分が金持ちの家の娘なんだなぁということを思い知らされてしまう。
 まぁ、あんだけ四六時中、仕事ばっかりしてりゃーね。
 金もあるだろうさ。
「それで先輩、予算はいくらほどですか?」
 信号待ちで足を止めたところで、千歳ちゃんが尋ねてきた。
 私は指を二本突き出し、
「二十万。これより安くであげたいとは考えてないわね。どうせ親の金だし」
「デスクトップですか? それともノート?」
「ですくとっぷ? ……のーと?」
「本体の形状の種類です」
 それから千歳ちゃんと小春から、両者の違いについて信号が変わるまで聞かされた。
 どうやらデスクトップというのが普通に机の上に置くタイプで、ノートが持ち運びが便利な小さいサイズのパソコンらしい、ということは理解できた。
 どっちでもいいんだけど。
「小春はどっちがいいの?」
 こういうのはやはり、メインで扱う者の意見を汲むべきだ。
 私が尋ねると、小春は小さく肩をすくめてみせた。
「千歳ちゃんの話とか聞いてると、デスクトップの方が面白そうだなぁって思うんですけど……ただちょっと、難しそうだなぁって」
「そうなの?」
 今度は、千歳ちゃんに訊く。
「ええ。考えただけで興奮してきますね」
 ……………………。
 今、何やら千歳ちゃんの発言らしからぬ言葉が聞こえたような気がするけど……。
「どっちが素人にはお薦め?」
 気を取り直して、質問し直す。
「最近は性能的にどちらも大きな差はありませんが……好み次第ですね」
「私的には、ノートのが小さくて邪魔にならなさそうでいいかなーと」
「そんなつまらない選択で良いんですか?」
 …………。
 えーと。
「いや……つまらないとかそういう問題なの? それって」
「やはりメーカー製ですか?」
 私の言葉を完璧に無視して、千歳ちゃんは話を進めようとしてくる。
 いいんだけどね、別に……うん。
「メーカー製っていうと?」
「既製品のことです」
「既製品じゃないパソコンなんてあるの?」
「自作とか、そうですね」
「うっそ! パソコンて自分で作れんの!?」
「当然じゃないですか」
 と、思いっきり蔑むように見下してくる千歳ちゃん。
 ……言い返したいことは山ほどあるが……今はいい。
「とは言っても、自分で基盤を作ったり、ハンダで配線を繋いだりするわけではないですよ。あくまでもパーツを買ってきて、それを自分で組み立てるだけです」
「そうそう、なんだかそれが凄く楽しそうなんですよー」
 両手をぽん、と叩き合わせて、小春が千歳ちゃんに同意してみせる。
 小春は私とは違って、手先が器用だ。編み物とか刺繍とか、手早く高い精度でこなしてしまう。
 私はそういうちまちました作業に合っていないのか、不器用以前にイライラして途中で投げ出してしまうのだが。
 料理とかで包丁を使うぶんには良いのだけど。
 まぁ、それは今は関係ない。
 多分、小春ならその自作というやつも手際よくこなしてしまえるだろう。加えて、千歳ちゃんのサポート付きとあれば、何ら心配することはない。
「じゃあそれでいいんじゃない? 主に使うのは小春なんだから、小春の好きな方を選ぶべきだし」
「分かりました。小春は、それでいい?」
「はい。千歳ちゃんにお任せしますよー」
 というわけで。
 方向性も決まったところで、私と小春は千歳ちゃんについて歩き出した。



***3***



 と、決めてはみたものの。
 何が何やらさっぱりわからん。
 色々と千歳ちゃんに連れられて店を回ってみたが、ごてごてとした基盤だけ見せられてもどれが良いのかちっとも分からない。
 ぺんてぃあむ? あすろん? 何が違うの?
「ねぇ」
 私は、前を歩く小春の袖を引っ張った。
「お姉ちゃん?」
「なんかもー見渡す限りわけわかんないんだけど。小春は分かるの?」
「千歳ちゃんから話は聞いて、頭の中では分かってるつもりだったんだけど……実際に見てみるとさっぱりです」
 しょぼん、とうつむいて、泣き言を漏らす小春。
 やっぱりここは指針を変えて、既製品とやらに手を出すべきなんだろうか。
 そう考えて、私は千歳ちゃんに提案しようと――
「…………」
 ――して、思わずその場に硬直してしまった。
 なんか千歳ちゃん、トロンとしてものすごく危険な目つきで基盤を眺めてるんですけど。
「……もしもし、千歳ちゃん?」
「……はぁ……」
 千歳ちゃんは私の呼びかけに気づかなかったのか無視したのか、麻薬中毒者のように恍惚とした表情でため息をついた。
「ちーとーせーちゃーん?」
 再度、呼びかける。されど、無反応。
 私は、傍らの小春に尋ねることにした。
「……千歳ちゃん、どうしたの?」
「えーと……よく休み時間にパソコン雑誌読んでるときとか、こんな顔してるかな……」
 小春も困ったように、千歳ちゃんの様子を窺っている。
 もしかして。
 千歳ちゃんって極度のパソコンオタク?
 というか、ここまできたらフェチの領域だろう。
「おいこら、千歳ちゃんってば」
 肩を揺すって、強引にこちらへ振り向かせる。
 千歳ちゃんは、はっとして我に返り、何やら慌てたように手を振ってみせてきた。
「え、あ、ごめんなさい! ついうっかり魅入っちゃいました……」
「いいけどね。私にはどれも一緒に見えるけど」
 陳列された基盤を見回して、私はうんざりとつぶやいた。
 唯一、区別のつく違いといえば、色が異なっていたり、ついている部品が多いか少ないか程度でしかない。
「欲しいんですけど、高価すぎて手が出せなくて」
「それは……値札を見れば分かるかな」
「これ単体なら今でも買えないことはないんですけど」
「……そうなの?」
 聞き返しながら、疑問に思った。
 千歳ちゃんて……おこづかい月にいくらもらってるんだろう?
 こんなのに惜しげもなく財布の紐をほどける小学生なんていうのも、なかなか許容しがたい姿ではあったが。
「サーバーを組むならデュアルにしたいんですが、そうすると筐体と電源も新たに買い揃える必要がありますし、やっぱりハードディスクも三、四台は積みたいですよね。RAIDで。メインドライブにはSCSIのが一台余っているから良いにしても、問題はカードですね。最近はシリアルATAという規格も増えて、選択の幅が増えたのは良いところでもあり悩みの種でもあるというか。DATも持っていますが、あれは個人的にはもういいです。基本的に新しもの好きなせいでしょうか、メーカーの評判を問わず、手を出してみたくなるのは私の悪い癖で。水冷クーラーが広まり始めてきた当初は散々でした。安物はいけませんね。水漏れを起こしたときはさすがに気がおかしくなりそうに――」
「はいストーップ! こっちの気がおかしくなる!」
 ほっとけば止まらなさそうだったので、慌てて千歳ちゃんの口を手で塞ぐ。
 くるりと見回してみれば、店内にいる他の客の視線が、全てこちらへと注がれていた。小春はそれから逃げるように、顔を真っ赤にして私の背中に隠れている。
 ただでさえ男ばっかりの店内で、小学生の女の子が饒舌に熱く語っていたら視線も集まるというものだ。
「千歳ちゃん、よく聞きなさい」
 小声で、千歳ちゃんに耳打ちする。
「普段、あなたがどこで何をして目立っていようと構わない。でも、今は私たちもいるってことを忘れないで」
「……? どういう意味でしょうか?」
 自覚ないんかい。
 気にせず、私は続けた。
「ここで私たちみたいなのが目立つと面倒なことになるってことよ」
「面倒なこと?」
「……いいわ。とりあえず出ましょう」
 私は、小春と千歳ちゃんを引っ張って、店を後にした。



「先輩」
 外に出て、しばらく歩いたところで千歳ちゃんが声をかけてきた。
「いいんですか?」
「いいのよ」
 私は、即答した。
 小春は私の前を歩かせている。千歳ちゃんは私の後ろを。出来るだけ足早に。
「ですが――」
「振り返っちゃダメ」
 気配で千歳ちゃんの首が動いたのを察した私は、小さく――鋭く制した。
 数人の男たちに後をつけられている。
 彼らから発せられているねっとりとした視線に、思わず身震いする――恐怖ではなく、純粋な生理的嫌悪感に。
 だが、それだけだ。彼らには何もする気がない。それは、直感で察することができた。
 加えて、この人混みだ。何か仕掛けてくるには場所が悪すぎる。
 ただ、彼らは私たちを観察して愉しんでいるだけだ。パソコンに興味があり、詳しい――自分たちと趣味の合う小学生の女の子なんて、そうそうお目にかかれはしないだろう。連中にロリコン趣味があるならば、尚更だ。
 彼らが衝動的に突っ走った行動に出ない限り、私たちの身に危険が及ぶことはなさそうだが。
 小春は不安そうにしているし、このままでは買い物もままならない。
 どこかで連中を撒く必要があるが――さて、どうしたものか。
「……お姉ちゃん」
 心細そうに小春が肩越しに振り返ってくる。私はそんな妹の肩を軽く叩いて、
「大丈夫よ」
 優しく、そう告げた。
 万が一、奴らが手を出してきて、小春に少しでも触れたりしたら。
 その時は――
「先輩。このままでは、落ち着いて買い物もできませんが」
 千歳ちゃんの方は、状況の割りに落ち着いているみたいだ。
 元々、感情の読みとりにくい子だから、本当にそうなのかよく分からないが。
「現状維持してる限り、何もしてはこなさそうだけどね」
 と、私が見解を口にしたとき。
 一人の男が早足で私たちを追い越して、数メートル先で立ち止まった。
 皮と骨しかないんじゃないかというくらい痩せ細った男。明らかに演技がかった動作で、辺りを無意味に見回している。
 その視線が時折、私たちの顔に固定されていることに気づかないほど鈍くはない。
「――小春、前だけを見て。今の歩調を崩さずに、あいつの横を抜けるの」
 こっそり、小春に耳打ちする。
 私たちが男の横を通過しようとしたとき。
 男の手が光った。
「……………………」
 ほんの一瞬の輝き。電子的な閃光と――周囲の雑踏に紛れてよく聞き取れなかったが、小さく電子音も鳴っていたような気がする。
 ……なるほど、やってくれる。
「先輩?」
 ああ、千歳ちゃんは敏感だ。
 彼女なら、いち早く私の変化に気づくと思っていた。
 私は何事もなかったかのように振り返って、穏やかに口を開いた。
「やっぱりメーカー製ってやつにするわ。自作は、小春も難しそうだってさっき言っていたし」
「そうですか。私は残念ですけど……お二人がそれで良いのなら」
「ね、小春? それでいいわよね?」
「あ、はい。千歳ちゃんがお薦めを選んでくれるならそれでいいですよー」
 小春も千歳ちゃんに向き直って、明るく微笑んだ。
 その横で。
 私は千歳ちゃんの肩越しに、連中の顔を確認していた。



***4***



「なんだかんだで、そろそろ日が暮れるわね」
 時計と空の色を見比べながら、私はつぶやいた。
「お昼抜きで歩き回ったから、もうくたくたです」
 お腹を押さえて、小春が疲労を訴えてくるが――その顔は、どこか満足げだった。
「小春は小さいから……帰ったらいっぱい食べないと」
 そんなことを口にする千歳ちゃんは、私よりも小春の”お姉ちゃん”っぽくて。
 皮肉のひとつでも言ってやりたかったが、小春を見つめる彼女の顔があまりにも暖かすぎて、思わず毒気を抜かれてしまった。
 いや、正確には。
 今の私の頭の中は、そんなことは二の次なのだ。
「あとはインターネットの回線の契約だけだっけ? そっちは母親に任せるつもりだけど」
「そうですね。モノも今年の春モデルですから、それなりに長く使えると思います」
「お金も余ったし、付き合ってもらったお礼に食事でも奢るわ」
「お気遣い無く――と言いたいところですけど、今回はお言葉に甘えさせていただきます」
「あら、珍しい。てっきり断られるかと思ったんだけど」
 小春と二人ならともかく、私がいるなら尚更。と、胸中で付け足す。
「さっきから小春のお腹の音がうるさいですから。気になって帰るに帰れません」
「あ、ひどい、千歳ちゃん……お腹、鳴ってなんかないですよぅ」
 頬を膨らませて反論する小春。それを見て、私と千歳ちゃんは笑った。
 ――笑いながら、私の目はある一点を据えている。
「それじゃあ行きましょうか。せっかくですから、私の知っている美味しいお店をご紹介します」
 そう言って、駅の方へ歩いていこうとする千歳ちゃん。
「あ、ちょっと待って」
 私は千歳ちゃんの側に寄って、できるだけ顔を近づけて、
「ごめん、ちょっとトイレ行きたくって。悪いんだけど、小春と一緒にここで待っていてくれない?」
「い、いいですけど……なんでそんなに近いんですか……?」
 たじろぎながら頷いてみせる千歳ちゃん。
 私はすかさず距離を詰めて――彼女が肩から提げているカバンに手を伸ばした。
「いやほら。あんまり大声で言うことでもないでしょ?」
「そうですけど……先輩にもそんな恥じらいがあったんですね」
「どういう意味よそれ」
 むっとして、私は千歳ちゃんから離れた。
「まぁいいわ。それじゃちょっと行ってくるから。小春、千歳ちゃんと一緒にここで待っててね」
「はーい、行ってらっしゃい」
 小春の肩を叩きつつ、私は足早に二人から離れた。

 角を曲がって、大通りから少し歩いた先。ゲームセンターの前にそいつらはいた。
 千歳ちゃんと話しながら、常に彼らの位置は確認していた。
 私たちが帰ろうとしていたので、連中も後を尾けるのをやめたのか。駅とは反対側に向かって歩いている。
 そっと、人混みに身を隠しながら男たちを追う。
 三人組だ。一人は髪の毛の長い太った男。それと中肉中背の無精ヒゲを生やした男。そして、痩せ細った男。そいつが首から提げているものに、私は用事があった。
 連中が角を曲がって細い道に入っていく。私は駆け足で、それについていく。
 追い越すまであと数メートル。
 息を潜め、機会を待つ。
 右手に意識を集中して、ただその瞬間を。
 男たちはパソコンのパーツショップの前で立ち止まり、ワゴンに並べられている商品を眺め始める。
 大して興味があるわけではなかったのか、すぐに彼らはそこから離れ――
 そのときには既に私は彼らを追い越していた。
 挑発的に、男たちを睨みつける。
「あ、さっきの子」
 ぼそ、と太った男がつぶやくのが聞こえた。
 にやにやと気持ち悪い笑みを浮かべながら、彼らは私の横を通り過ぎようとして――
「所詮、オタクなんてこの程度か」
 私は、彼らに聞こえるようにはっきりと告げていた。
「……え?」
 振り返ってくる男たちを見据えながら、私は続けた。
「自分たちより小さな女の子しか愛せない可哀想な生き物。そんなに女が怖い? 知性と経験を穢れたものと決めつけて、それに傷つけられることが怖い?」
「な、何言ってんの、君?」
「自分が許容され得る世界を、無垢なものにしか求められない。かといって、同質の存在に手を出す勇気もない。生粋の性犯罪者の方がまだマシね。彼らの支配欲は、ヒトのそれを越えている。動物的ではあるけれど、閉塞した空間の中で腐っていくよりかは生物的だわ」
 一気にまくし立てる。他の通行人たちは、この雑音の中では私が何を言っているのか聞き取れるはずもないだろう。
 私は、彼らに向けて喋っているのだから。
「一見して無垢だと思えるものが本当に無垢だとは思わないことね。まぁあなたたちみたいなのが、この先も女の子に話しかけられる機会があるとは思えないけれど」
「なぁ、いきなり俺らを変人呼ばわりしてさ、何がしたいわけ?」
「故に私は例え偶像であっても、そんな腐った世界で辱められたくはない。私は、私の偶像を殺しにきた。それだけのことよ」
 私は言いながら、素早く右手を一閃させた。袖の中に隠していた銀の光の筋が、痩せた男の胸元を薙ぐ。
 ごとん、と。
 男が提げていたカメラが、地面に落ちた。
「あっ……!」
 半ばから断ち切られたストラップを見下ろして、男が小さく叫ぶ。
 男が自分のカメラの所在を確認するより早く、私は足を振り上げて――
 グシャッ!
 その鉄の塊を、踏みつぶしていた。
 それはカメラとは思えないほど薄すぎて。小柄な私の身体でも、砕くことは容易だった。
「こっ……何すんだよお前!」
 激昂して掴みかかってきた男に、私は逆手に持ち替えたナイフの刃先を突きつけた。なるべく周囲に見えないよう、自分の身体を壁にしながら。
「勝手に私たちを盗撮しておいて、何すんだよとは随分な言いぐさね」
「……っ!」
 男たちが息を呑むのが、気配で伝わってきた。
 何事かと通行人らがこちらを見やってきている。なるべく早々にここから立ち去らなければ。
「あなたが何をオカズに自慰に耽ろうが知ったことじゃないけれどね。それが私たちだっていうのが気にいらないだけよ」
「あ、頭おかしいんじゃねぇの、このガキ……」
 中肉中背の男が、そう呻くのが聞こえた。
 頭おかしい、か。
 おかしくなければ、丘野秋葉という人間はこの世界には存在していなかった。
 だからそれは、受け入れることにした。
「じゃあね、ロリコンのお兄ちゃんたち。あ、追ってこないでね。これ、ボタン押すと飛び出す仕組みだから。下手なとこに当たって死んでも、私は知らないわよ」
 それだけ告げて、私は袖口半ばまで隠したナイフを逆手に持ったまま――いつでもその切っ先を彼らに向けておくために――彼らから離れていく。
 くそっ! と男たちが唾棄する声を背中で受け止めて、私は満足した。

 駅前に戻ると、小春と千歳ちゃんが何やら楽しそうに話しをしていた。
 遠巻きに、それを眺める。
 私の守りたいもの。それを横からかすめ取ろうとする女。
 いずれこの刃を、彼女に向ける日も来るのだろうか。
 ――想像してみた。
 愉悦が、肺腑を震わせた――
「あ、お姉ちゃん、おかえりなさーい」
 私に気づいた小春が、手を振ってくる。私は、笑顔でそれに応えた。
「長かったですね」
 ジト目で、千歳ちゃん。
「ちょっとね」
 適当に私は受け流したが、彼女はその嫌な目つきをやめようとしない。
「深くは詮索しませんけど」
 と、そっぽを向いて歩きだした。
 そう。貴女がそんな態度を見せるから。
 私は、こんなにも愉しくて仕方がなくなってくるのだ。
「…………」
 ふと、小春がじーっと見つめてきていることに気づいた。
 視線を送り返すと、妹は小首を傾げて、
「……おっきい方?」
「女の子がそんなことを詮索しちゃいけません」
 軽く小春の頭を小突いておく。
 なんだそっかー、と一人で納得しながら私を前を歩く小春と、それに寄り添って歩いている千歳ちゃんの後ろ姿を見つめながら。
 まぁそんな日は来ることはないだろうな、と。
 心のどこかで、私は認めていた。



PREV<>NEXT