奄美 21世紀への序奏 「8面では物足りない」

〜伝える側の責任と課題〜

 今年4月、15年勤めた喜界町図書館から保健福祉課に異動した。やり残した仕事は確かに多いが、リクエストやレファレンス業務の充実など利用者サービスの豊かさは県内でも自慢出来ると自負している。幼児期から学校を卒業して島を出るまで、島の子ども達の読む力の成長ぶりを借りていく本で知ることができ、図書館司書として仕事冥利に尽きることであった。

 働きながらずーと気になっていたことがある。大人の利用が伸びないことである。その大人の利用も多くは本土からの赴任者で、地元の人の利用が少ない。冠婚葬祭や学校・集落サバクリで忙しく、そんなヒマなんて無い...。そんな弁明も聞こえてくる。確かに公私の区別をつけにくい島では、自分の時間を確保する事は難しい。しかし、島・都会を問わず忙しい人ほど本を読んでいるのもまた確かである。いみじくも、本土の専門学校で学ぶ「喜界町図書館卒業生」が休みで帰ってきた時、そのことを語ってくれた。「都会の人達がよく本を読むのにビックリした。揺れ動く電車の中での読書シーンに深い感動すら覚えた」と彼はいう。

 では、新聞はどうだろう。喜界島の世帯数約4000戸の内、新聞を購読している世帯は3500戸。内訳は、地元紙の南海日日と大島新聞が合わせて2100戸。南日本新聞と鹿児島新報の県紙で約650戸、読売・朝日・毎日等の全国紙で750戸とある。比率では、地元紙が60%、県紙19%そして全国紙21%となる。 

 次に、紙面数を南海日日と南日本で比べてみよう。10月28日付けの南海日日が8面、一方南日本は28面(ちなみに全国紙の読売は38面)。もう少し読む行為を数値化してみよう。同日に中川官房長官更迭の報道がある。南海日日は、これを700字で伝え、一方南日本は4300字で伝える。6倍の差がある。2紙による情報量の違いとそれを読む両読者の理解の違い。又、1日8面に目を通すのと28面通して読む時間・読む力の違い。それがほぼ365日くり返される。

 記事だけではない。多彩な記事で構成される紙面は、同時に読者の関心の広がりをも助けてくれる。新聞をとっても島と本土との読む量、そしてストックされる情報の差が浮かびあがる。以前、島に帰って来たばかりの友人が感嘆まじりにぼやいていたのを思いだす。自分の職場では、パチンコ・野球・人の噂、この3つの話題で一日が終わり、一週間が終わる。何か他に話題は無いのか、と。

 次のようなマーフィーの法則がある。親のレベル以上の子はいない。社員のレベル以上の管理職はいない。有権者のレベル以上の議員はいない、と。となると、住民のレベル以上の新聞はない......。さらに乱暴に言うと奄美の私達のレベルに合った報道量がこの8面なのだ、ともとれる。

 否、断じて否である。読者は、身近な確かな情報を求めて、島々の豊かな自然の息づかいを紙面で感じたくて、そしてこの地に刻まれたアジー、アンマー達の汗と知恵から学びたくて、日々紙面をめくるのである。ただ8面の内容に決して満足しているのではない。

 没交流で同質な島社会では、比較する対象が少なく自己を相対化して見つめる機会が少ない。その結果、偏狭な「わきゃ島ナショナリズム」に陥ることも少なくない。一方、情報公開やネット社会の広がりがあり、地方と中央の意識差、時間差がなくなりつつある。島だからこの量この程度でいい、という甘えが許されない時代になってきた。

 そういった時代に、島で育ちいずれ一度は島を出て行かざるを得ない若い世代に島の歴史文化を伝え、世界の在りようを語るのは大人の責任である。だからこそ、奄美の地で発信し続ける地元2紙に期待し、こだわり続けるのである。

 これまで、南海日日と大島は、互いに競い合って紙面を充実し、住民の知る権利に応えてきた。しかし、その競争も、購読料、一月1835円、1750円という現実的な制約の中で、自紙のカラーをきわだった違いとして紙面に反映させることは難しかったように思える。何にもまして、喜界島、与論島に常駐の記者が同様にいないことは地元紙として致命的である。

 企業の統合合併が世界的な規模で行われている。ディズニー文化が示すように、資本は力であり文化でもある。そんな時代だからこそ、奄美が奄美で在り続けるために、地元紙により力強い発信力を期待する。

 新世紀の社会的要請に、地元紙2紙はどう応えていくのだろう。広告・購読料金の問題や奄美全体の購読者数の問題もあり、それを現在の2紙体制で実現するのは、極めて困難に思える。それならば思いきって両紙が現在の取材力を維持したまま統合し、1たす1を3として機能強化をはかることは非現実的なことであろうか。

 社会の健全な発展には健全で力強いジャーナリズムが不可欠である。地元紙がもっと多岐・多彩・多様な記事や論評を多数である6割の読者に確実に届けること。そしてその6割がもっと広く高い視点から奄美と世界を見つめること。時間はかかるが、そこからしか奄美の21世紀は始まり得ないであろう。

 「読むこと」は、気づき、考えることでもある。そのことは身近な自治意識を育むことであり、足元の民主主義をたくましくすることにもつながる。それは、同じ「伝える」ことを仕事としてきた図書館の15年間に、強く感じたことでもあった。

 とくもと・ひらく 1954年、農家の4男として喜界町赤連に出生。喜界高校・日本大学法学部卒業後、イギリスの養護学校で福祉を学ぶ。1981年帰国し帰島。 象のオリ建設に反対する町民会議・喜界島郷土研究サークル・喜界島メ-リングリスト「ワンナーML」等の会員。喜界町役場保健福祉課職員。

2000年11月08日、南海日日新聞掲載