奄美 21世紀への序奏 「沈黙をこえて」

揺らぐ島々

 旅の空から南の方を振り返るとき、元気な沖縄と沈滞する奄美と、どうしてもそんな見方をしてしまう。
 年に百余の「島唄」が生まれ、「シマナイチャー」と称するIターン者を惹きつける沖縄はいかにも元気。対する奄美は、奄振の行く末に一喜一憂、青息吐息に見えないこともない。
 沖縄には、やわらかながらも強烈な自己主張がある。貪欲に他者を取り込みながらも、根っこでは「ウチナンチュ」であることを頑として譲らない。そんな強さがある。
 ヤマトと琉球との境界で揺らぎ続け、どちらかになりたくてどちらにもなりきれない奄美は、「ならではの財産」を失いつつあるのではないか。

うつむく島々

 「改良」の進んだ畑地や護岸には一片の遮蔽物もなく、憩い、身を潜める場所が見当たらない。陰影を失くした島を見渡せば、コンクリートの街中と同様の、所在なくて窮屈な思いが押し寄せてくる。
 あるいは「島時間」のようなテーゲー文化。本来そこには、シマ社会ならではの豊かさ・優しさが内包されている。単にルーズなのではない。自然に逆らわず、他者を束縛せず、あるがままの全てをその多様性のままに許容する、大らかな文化の気風である。しかし、そんな気風もまた、悪しき風習として一律に排除されつつある。
 島は心の豊穣を見失い、蓄積されるのは「都市の幸せのしわ寄せ」ばかりだ。
 格差を埋めようと必死に努力するにも関わらず、差は一向に縮まらない。同じ土俵に上がろうとすれば、ますます差は開く。
 果たしてこれは、島が自ら望んだ仕儀だったのかという疑問が湧いてくる。島が「本土並み」を目指す手段は、島自身ではなく他者の事情で決定されてきたのではないか、と。
 少なくとも、島自身の発する声は、旅の空には届いてこない。

他者を待つ島々

 言わずもがなの文化の故か、単なる内気さ故かも知れないが、島には声にならない声が満ち溢れている。
 「『シマンチュ』とは『気持を遠くに投げる』側の人々、『ヤマトンチュ』とは投げられた気持を受け取る一方で、自分からは遠くを見つめようとしない人々」と、詩人の松浦寿輝氏は書いている(日経99年12月12日40面)。換言すればこういうことだ。
 両者のコミュニケーションは、いつも、お互い一方通行のすれ違いであった。「シマンチュ」は言葉にならない気持ちを、「ヤマトンチュ」は言葉にできるものだけを投げ返してきた。
 すれ違いの歴史の中で、声にならない声に耳を傾け、代弁してくれる他者を待ち続けてきたのが、従来の島の姿ではなかったか。
 だが、他者の「通訳」を恃んだ結果もたらされたものは、島の独自性に水を差し、本来の豊かさを希釈し、自立の機会を奪う結果にもなったと思われる。
 甘味資源の国内自給が大義名分であったはずのキビ作振興が、今では製糖業の存続と雇用の維持のために自己目的化し、キビ増産のための土地改良が島の自然から陰影を消していく。キビ作と製糖業と公共工事という共依存の連環は強固になる一方だ。
 とは言うものの、いまや奄振は余命も知れない。ニライカナイよろしく、他者の福音を待ってばかりもいられない。

発信する奄美へ

 同じ方向を向く限り、島に訪れる福音は「他者の幸せのしわ寄せ」の代償でしかないだろう。時代の波に乗れば、自らを更なる周縁に追いやるだけである。
 深き陰影を湛えた自然に抱かれ、こころ安らかに助け合って暮らせる社会のありようもまた豊かさであり、その基盤はまだまだ残されている。キャッシュフローが大きく、豪華なモノが揃うことだけが豊かさではないのだ。
 他者を恃まず、島のことは島自らが決めていかねばならない。そんな時代ではないか。自立のために、島には島なりの豊かな価値があることを、他者の言説を待たず、土着の言葉で誇りを持って語るべき時だ。
 既に胎動は見られている。
 地域の問題を拾い上げ、自ら考えようと訴えるミニコミ紙の発信が、島社会だけでなく旅の「シマンチュ」社会にまで波紋を及ぼす例もある。また、距離のハンディを超えたインターネットでの発信が、Iターン者の獲得に役割を果たした例もある。
 これらは、いずれも、いまだ小さな草の根の流れだが、現場から発信されるがゆえの確固たる強さを秘めているかに思われる。
 今後ますます、島からの発信に期待して筆をおきたい。

 とうごう・しんいち 一九六〇年喜界町生まれ。鹿児島大学医学部卒。鹿児島大学医学部リハビリテーション科助手。多様性とノーマライゼイション、バリアフリーアクセスといった観点からの地域社会論を模索中。昨年、琉球新報のコラム欄「落ち穂」に執筆。

2000年03月08日、南海日日新聞掲載