喜界島「天女の羽衣」伝説を追う

その3:銅鏡の謎

 喜界島の「天女の羽衣」伝説における「天女」の遺品のうち最も興味深いのは、実は「羽衣」よりも銅鏡であると思われる。
 まずは、下の写真とスケッチをご覧頂きたい。

銅鏡銅鏡のスケッチ

 左は銅鏡の写真。凸面鏡で、直径7.5cm、周縁部の厚さが4mm程度らしい。


 右は、研究者による銅鏡のスケッチを複写したもの。

 この銅鏡については、複数の識者の鑑定も出ており、これがまた興味深い。
 WEB master が入手したものは1987年当時の鑑定である。現時点ではこれらの鑑定をまとめられた研究者の方への了承を得ていないので掲載を見送ろうかとも考えたが、既に12年を経過していることでもあり、学術的には支障のないものと判断して掲載することとした。ただし、御本人の了承を得るまでは匿名として掲載させていただく。

 以下、鑑定の見解である。


 鑑定者氏名(イニシャル)
 A:名称
 B:年代
 C:製作地
 D:様式
 E:コメント
 京都府、M.K. 氏
 A:不詳
 B:不詳
 C:不詳
 D:漢式鏡
 E:外区その他、全体として漢式鏡。内区の文様には新しい要素が加味されていて、珍しい。多角的な検討の余地あり。現在までのところ、名称、年代、製作地は実物を見ないと確定できない。
 奈良県、S.F. 氏
 A:「イ方」漢盤龍鏡(?) (註:「イ方」は「にんべん」+「方」で一つの漢字)
 B:元代から明代(?)
 C:中国本土のどこか
 D:漢式鏡
 E:外区と鈕は漢式鏡。文様の半分は龍文であり、残りは判読不明。全体は漢代から三国時代のものである。従って、この鏡は、基本になる盤龍鏡を写したものと思える。元から明代にかけて、中国本土のどこかで製作された物。これと似たような物は奈良の法隆寺に十枚あり、極めて少ない。ノロとの関連が重要。
 鹿児島県、Y.N. 氏
 A:龍文鏡
 B:不詳
 C:不詳
 D:漢式鏡
 E:凸面は鉛ガラス製(S.K. 氏談)で約三千年前から使用されていた技術。全体は漢代のものか? 内区の文様は主に龍文であり、他にサンショウウオ、蛇の形も認められる。
 愛知県、A.T. 氏
 A:蛇獣文鏡(新名称)
 B:漢代から三国時代(?)
 C:中国本土のどこか
 D:漢式鏡
 E:外区と鈕は漢式鏡。内区の文様は蛇、鼠、龍等の獣文。特に蛇文がシンボリックにレリーフされている。蛇文は雲南省の高床神殿(前漢)の蛇文、広東省の金印(前漢)の蛇鈕に酷似している。「三国志」によれば、この地方の人は虫称で形容されている。奄美のノロ、ユタとの関連重要。