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旅というのは、島を離れた土地のことを意味する。要するに「ヤマトゥ」とほぼ同義語である。ただ、島を離れて暮らす人間が「内地」を「タビ」と呼ぶとき、自分はいつかは島に帰るのだ、という気持ちがそこには込められているように思う。逆にまた、島に住む人間が「兄弟(子供)が旅にいて」と語るとき、そこには「いつかは帰ってくる肉親である」との気持ちがあるのだろう。
高校を卒業して島を離れてから20年近くになった。島で暮らした年月よりも、島を離れて暮らした年月の方が長くなってしまったわけである。故郷を離れて生業(なりわい)を為す人間には誰しも訪れる通過儀礼のような時期なのだろうが、何とも感慨深く、感傷的でさえある。
ついこの前まで、島を離れても心は島の中に息づいていると感じていたし、島のあらゆる事象はまだ自分の掌の中にあるものだと感じていた。それが、いつの頃からだろう? 自分自身は何も変わらないつもりでいるにも関わらず、島が自分から離れていくような気がすることが多くなってきた。
いや、離れて行きつつあるのは実は自分自身なのかも知れない。島は島なりに、時代の波の中で変貌を遂げて行くにしても。
時には、自分は本当に「島の子」だったのか? と自問することさえあるのだ。
自分の生まれ育った場所を離れるとき、誰もが「今までとは違う何か」に出会いたくて巣立っていくのだと思う。
少年の日の僕は、今と変わらず随分な怠け者で、
何をするともなく水平線を眺めたり、
空ゆく雲を眺めては日がな一日過ごすのが好きだった。
海の向こう、同じ目の高さにまだ見ぬ世界があり、
雲の行く先、同じ空の下にまだ見ぬ友がいる、
そんな夢想が空腹を満たす糧だった。
おそらくは、海の向こう、雲の行く先に見ていたのは、島の子供の範疇を超えた未知の世界で生きる「今までとは違う『自分』」だったのだろう。
再来年で不惑を迎える。そろそろ人生の折り返し点だ。
誤解してほしくないので言うが、まだまだ老け込みたくはない。やりたいこともたくさんあるし、仕事も楽しい。まだまだ「今までとは違う何か」になりたいという欲も捨てきれない。
ただ、では自分は何になればいいのか? という疑問は日々膨らむばかりだ。言い換えれば、自分は元来何者だったのか? ということなのだ。
そう考えるとき、どうしても生まれ島のことが頭をよぎる。
自分の生まれ育った場所のことを実は何一つ知らないままに、島をあとにしてきたのではないだろうか?
駱駝の瘤にまたがつて、貧しい毛布にくるまつて、
かうしてはるばるやつて来た遠い地方の国々で
いつたい俺は何を見てきたことだらう
(三好達治「駱駝の瘤にまたがって」より)
島は、すでに「帰りたいけど帰れない」場所になりつつある。自分は、本当に「『旅』の『島っちゅ』」になりつつある。
だからこそ、今ここでこのまま、ダボハゼのように眼前の餌に食らいつくような生き方を選びたくはない。
もう一度、自分の生き方を考えるためにも(それは自己満足であり、独善であるのかも知れないが)、旅の空から生まれ島を振り返ってみたい。
そんな気持ちでこのサイトを始めた、というのが正直なところである。
旅というのは、島を離れた土地(内地)のこと。
その空の下から、もう一度島を振り返ってみたい。
実のところ、このサイトに記しているのは「自分探し」の道筋なのかも知れない。
Nov. 08, 1998. Ohguchi Bak