続・山羊汁(乳)ホスピタリティ 〜異郷にて〜


Back to Bak's Home
 4月から職場が変わって、12年ぶりに引っ越した。山の中の温泉郷から裾野の盆地に降りて、霧島連山を仰ぎ見る毎日だ。妙なもので、あの霧とも湯煙ともつかぬ白いもやのかかった辺りが「自分の場所」だろうか、などと、望郷の念にも似た思いにかられる。

 変化を恐れて小心に生きてきたつもりもないし、石にかじりついて守るほどの物も持たない身の上だから、人生至る処青山あり、のはずなのだが、引っ越して来てしばらくは、何とも言い難い寂しさを覚えたものだった。

 おそらくは、県境を一つ越えて、また島が遠くなった、いや、自分が遠のいた、そんな気持ちだったのだろう。たまに出かける歓楽街に「鶏飯」と書かれた赤ちょうちんは見つからない。まして山羊汁)などお目にかかれまい。そう思って過ごしていた。

 そんなある日のこと。前を走るトラックの荷台に目がくぎ付けになった。「自然の恵み・やぎみるく」と大書してあるではないか。
 やぎみるく? 山羊のミルク? 山羊乳? 後を追っても見失い、その正体は知れなかったが、この一条の光は、見知らぬ街での暮らしに新たな希望を与えてくれたのだった。

 笑ってはいけない。人は誰しも、他者との間の距離を測り、自分の「居場所」を探しながら生きている。かつて無意識に出来ていたはずの「居場所探し」が、島を離れた途端に大事業になるというような経験は、諸兄諸姉にもあるのではないだろうか。異郷にあって、自らを異分子と錯覚し、居場所を見失いかねない人間にとって、何らかの共通点が身近にあるという、それだけのことが、大きな希望の光になったりするものなのだ。

 正体は、ほどなく知れた。隣町の牧場が山羊を飼っていて、そのを販売しているらしい。肉を食する習慣はさすがに無さそうだったが、一見牛乳かと見まがう瓶詰めの山羊乳の他に、山羊乳で作ったアイスクリームも販売しているのだった。

 以来、遠来の客が訪ねてくるときには、山羊乳アイスを振る舞うことにしている。相手は「えっ、山羊ですか?」「へぇ」「ほぉ」などと言いながらアイスを頬張るのだが、その表情が何とも可笑しい。そして、それを楽しんでいる自分もまた可笑しいのだが。

 とまれ、島を離れて24年目にして、僕は「山羊を以て人をもてなす」身の上となった。何とも痛快な事この上ない。H兄の気持ちが、今頃になって分かるのだった。

追伸 山羊のフィラリアについて
 前号で書いたフィラリア云々の話だが、あれは、あくまでも冗句である。山羊乳で経口感染することは考えにくい、らしい。幸か不幸か僕の股間が腫れ上がってこなかったのは医学的に考えれば至極当然のこと、らしい。H兄の名誉のために、一応付言しておく。ただし、山羊に限らず、動物の生乳を飲むことはあまりお勧めできない、らしい。摂氏60度で20分程度の加熱処理をした方がいい、らしい。親しい医者に聞いた話である。

追々伸 「自然の恵み・やぎみるく」について
 最近では、鹿児島市の電車通り沿いでも売っている、らしい。親しい友に聞いた話である。

(Jan. 02, 2003 OHGUCHI Bak)