山羊汁(乳)ホスピタリティ

 WEB master 註:この話は、必ず最後の最後までお読みください。さもないと、とんでもない誤解が残ることになります(笑)。

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 上司の指令で、ある宴会に出席せねばならなくなった。前日から風邪気味だったのだが、欠席するわけにもいかない。女には分かるまいが、こんなとき、男は口実ではなく本心から「酒を飲むのも仕事のうち」と自分に言い聞かせ、えいやぁっ!と気合いを入れて玄関を出るんである。霧島温泉郷に住む僕の場合、天文館で宴会の際は、鹿児島市内にある女房の実家を宿とする。その日も、女房と岳父母に見送られて玄関を出たのであった。えいやぁっ!
 仕事と割り切り、男芸者よろしく酌をして回る。女には死ぬまで分かるまいが、こんなとき、会費分相応に料理を食おうなどという浅ましい魂胆は通用しない。ひたすらアルコール分を友とするしかないんである。返杯返杯で、やがてこちらもほろ酔い気分。頬の火照りは芋焼酎のせいなのか、微熱のせいなのか…。運悪く二次会にまで拉致されて、やっと解放された深夜の天文館。腹を空かせた酔っぱらいの行く先は決まっている。鶏飯を食って帰るんである。
 路地を抜け、コートの襟を立てて暖簾をくぐったその店は、大和村出身の気のいい女将がやっている。
 「風邪ひいてしまってョ。何も食べてないし、鶏飯ちょうだい。」
 すかさず、気のいい女将は言うのだった。
 「はげぇ! アンタ、『風邪ひき』っち言えばョ、山羊汁飲まんば!(WEB master 註1)」
 出てきた山羊汁は、普通のどんぶりの三杯分はあろうかという、バケツの如き器になみなみと注がれていた。こちらの体調を気遣ってのサービスらしい。泣かせるホスピタリティだ。
 さすがに山羊汁、効果抜群である。一杯分で芯から暖まってきた。二杯分、額から汗が噴き出してきた。三杯分、腹も膨れてきたが、ここが男の見せどころ、『ぐいっ』と飲み干した。背広の下はぐっしょりだ。
 山羊汁は…、効く。確かに…、効く。だが…、それがいけなかった。
 気のいい女将のホスピタリティに礼を述べ、店を出た途端、我と我が身の異変に気付いた。師走の風が歯の根も合わぬほどに冷たい。タクシー乗り場が異様に遠い。……。女房の実家にたどり着いたとき、冷え切った身体は悪寒を生じる寸前だった。風呂にも入らずシャツとパンツを替え、布団にもぐり込む。と…、なんと、冷え切った身体が再び暖まってきた。
 これだから山羊汁は侮れない。やはり、それがいけなかった。
 一時間もすると汗びっしょりになった。これ以上の着替えも無し、シャツもパンツも、濡れたパジャマも脱ぎ捨て、素っ裸の身体をバスタオルにくるんで布団にもぐり込む。これだって、えいやぁっ!である。明け方近く、やっと汗が出なくなったと思った頃、猛烈な悪寒に襲われた。39度8分の熱が出ていた。
 山羊汁は、本当に侮れない…。

 念のために言っておくが、僕が流感に罹ったのは、山羊汁のせいでもなければ、気のいい女将のせいでもない(WEB master 註2)。むしろ、彼女のホスピタリティには心から感謝している。
 だが、山羊ホスピタリティにまつわる話をするのなら、天文館ではなく、やはり本場は島だろう。山羊を以て遠来の客をもてなすという類の話は、枚挙にいとまがない。

 結婚した翌年の夏、鹿児島人(かごしまっちゅ)の女房と岳父母を連れて島に帰ったことがある。僕が帰省したって誰も見向きもしないが、マレビト同伴となると話は別である。誰や彼やと挨拶に立ち寄っては、「まぁ、食べてみて」と島の珍味を差し出すのであった。
 もちろん、山羊汁のもてなしもあったが、より思い出深かったのは、H兄の持ってきた山羊の乳である。
 「いや、ちょうどウチの山羊を出すんでね。」
 「こりゃ滅多に口に出来ないし、いい思い出になりますよ。」
 「ささ、『ぐいっ』と飲み干してみてくださいな。」
 女房も岳父母も恐る恐る口を付けていたが、冷やして持ってきてくれたお陰か、さしたる臭みもない(WEB master 註3)。我々四人は、コップになみなみと注がれた山羊乳を『ぐいっ』と飲み干したのだった。
 翌朝、軽トラックの荷台に山羊を載せて、H兄の奥さんが通りかかった。
 「Y子さん、その山羊どうすんの?」
 訊ねる僕にY姉は朗らかに答えるのだった。
 「保健所で注射してもらわなきゃいけないのよ。」
 「ウチの山羊フィラリアに罹ってるんだぁ。」
 ……。
 軽いめまいがした。さすがに、女房や岳父母には、ついぞ言い出せなかった。自分ひとりの胸に深くしまい込んでおいたが、それからというもの、「腫れてしまうのか?」と、風呂に入るたび股間に目をやる日々が続いた。一年経ち、二年経ち、十年以上経過したが、幸か不幸か、僕の股間が腫れ上がってくる気配はない。岳父の股間も昔のままだし、H兄の股間が腫れたという話も聞かない。
 念のため、真面目な話をしておくが、山羊フィラリアを介してヒトに経口感染し発病するかというと、これはかなり疑わしい(WEB master 註4)。医者に確認する必要がある。もっとも、いまだ確認はとっていないし、今さら確認する気にもならないが。
 この山羊乳、牛乳に比べるとアトピーなどを起こしにくいらしく、再評価されつつあるのも事実である。また、そこらの葉っぱでも何でも食べて成育し乳を出すから、最近では、途上国における安価で貴重な蛋白源として、国際的にも見直されているらしい。
 そんな記事の載った新聞を読んだ岳父は、感慨深げにこう言うのだった。
 「そげん言えば、婿どんと島に行った時(とっ)、Hさんが山羊ん乳ば飲ませっくれたどなぁ。」
 「こげん貴重な良か物(もん)じゃったたんなぁ。ありがてぇ事(こっ)じゃったなぁ。」
 「婿どんの親戚は、ほんなこて良か人ばっかいじゃなぁ。」
 薩摩隼人の岳父は、今では晩酌には黒糖酒が欠かせない。それも、『ぐいっ』と飲み干す、というくらい、いまや押しも押されもせぬ喜界島ファンである。

 まったくもって、山羊汁(乳)ホスピタリティの成果には恐れ入るばかりなんである。

(Jan. 18, 2002 OHGUCHI Bak)
WEB master 註1山羊汁は風邪の特効薬?:奄美では風邪ひきさんには山羊汁なの? 何人かの方から訊かれたが、まぁ、確かにそういうことはある。しかし、山羊汁でなければならない、というわけでもない。例えば、鶏のスープを飲ませたりもする(鹿児島県本土でもそうする)し、あるいは鍋焼きうどんを食べるとよい、というのは多くの方が聞かれたことがあるだろう。要するに、暖かい水分を摂って汗を出そうと云うほどの意味合いであって、別に特効薬というわけではない。(本文へ戻る

WEB master 註2なんで悪くなっちゃったの?:どんぶり3杯分もの「暖かい水分」を摂って大量の汗をかき、師走の風に吹かれ、なおかつ、ロクに着替えもなかったのだから、風邪を悪くして当然だろう。年甲斐もなく、気のいい女将の前で「男の見せどころ」などと粋がった馬鹿者の、自業自得というやつである。(本文へ戻る

WEB master 註3山羊は臭い?:確かに、臭う(笑)。観光客相手の店などで出る山羊汁は大量の生姜を入れて炊き込んであるので、さほど臭わない(と「ネイティブ」な人間は感じる)が、それでも、初体験の人間にはちょっと堪らないにおいだろう。そこで、沖縄あたりでは食べる直前にヨモギの葉っぱを入れたりするが、奄美ではヨモギ入りにはあまりお目にかからない。味噌仕立てにして匂いを消すことが多いようである。当然「山羊汁通(あるのか、そんなもの?)」は、味噌仕立てではなく、塩で味付けして食べるのだが。
ちなみに、どんなにおいかと問われても、これがなかなか、説明しがたい。あえて言うなら…、男やもめの所帯のにおいとでも言おうか…(爆笑)。学生時代、ロクに掃除もせず、洗濯物をため込み、異臭を放つWEB masterのアパートを訪れた老母は、ドアを開けるやいなや、「はげぇ! お前の部屋は山羊臭い!」と言い放ったのだった…(火暴・笑)…。
要するに、山羊はそういうにおいがする。しかし、食べつけると、ホッコリ・ホクホクした食感もあって、山羊はやみつきになる。ウンコのようなにおいのチーズがやめられないのと同じようなもんである。(本文へ戻る

WEB master 註4股間が腫れる?:一応、医者に訊いてみたら、以下のような回答を得た。
「フィラリアは蚊を媒介とした血液感染であり、経口感染の報告はない。また、山羊のフィラリアが人畜共通感染症であるかどうかも疑わしい。山羊の乳を飲んだだけの筆者の股間が腫れるなどということは、未来永劫ないであろう。もっとも、山羊に限らず、フィラリアとも関係なく、動物の生乳を飲むことはお勧めしがたい。摂氏60度で20分程度加熱してから飲用するのがよろしいかと…(長ったらしいので、以下略)。」(本文へ戻る




























いい年こいて、こんなことばっかりしているから…。でもね、山羊は本当に美味です。でわでわ。