北島シナ エッセイ集「明日を信じて〜南の島から〜」

 1999年10月04日付の南海日日新聞でも紹介されているのだが、喜界島在住の北島シナさんという方が「明日を信じて」というエッセイ集を自費出版された。
 ひょんなことから、私が書評を書かせていただくことになった。直接の面識はない方なのだが、以前からその短歌を目にすることがあり、何とはなしに気になる方ではあったのだ。
 読んでみると、御歳82歳とは思えないみずみずしい表現(失礼!)で綴られたエッセイ集であった。せっかくなので、ここでも紹介申し上げたいと思う。

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「明日を信じて」表紙  気になる歌を詠む人がいた。北島シナさんという。対象をありのままに切り取る冷静な観察眼で、何とも暖かな光景を読み上げる。
 本書はその北島さんの随筆集である。富山に生まれ、台湾で学び、喜界島に引き揚げて、首都圏での生活を経て再び島に居を定めた大正生まれの女性の、いわば半生記でもある。
 戦後の苦楽がしみこんだ家を建て替え、金婚式を経てますますいたわり合う夫婦でありたいと願う「五十年目の七倉」。七つ違いの夫婦は七倉建てると言うが、子供達こそが自分の心に建った倉であった、と著者は述懐する。
 外地から異郷に引き揚げてきた労苦は想像に難くないが、異郷に在り続けたればこそだろう、多様な他者への視線はいつも優しい。
 あるいは、障碍という多様性についても、その眼は共感にあふれている。庭先のアマリリスに異形の花芽を見つけ、なんとはなしの気味悪さに思わず切り取ってしまう「純白のアマリリス」。いずれは花を咲かせたものを、との後悔から、多様な生を真摯に生きることの尊さに思いは至る。
 視覚障碍者との関わりも長いのだが、点訳のボランティアを始めたのは五十歳を過ぎてからだという。熟年の域に達してなお自らに問い続ける「何が出来ますか」という言葉から、著者の優しさを裏打ちする自彊の姿勢が見えてくる。
 強さと優しさの萌芽は、十六歳で単身離れた故郷にまで遡るのだろう。
 無学ながらも名人芸の仕事をする近所の表具屋の老婆に、精魂込めるという事の意味を教えられた「刀の前で」など、六十余年を経てなお活き活きと描き出される富山の想い出に、凛と切り立った著者のアイデンティティを見るようだ。
 眼前の苦労に泣き言を言わず明日を信じ抜く視点の高さと、常に優しさを湛えた視野の広さが印象的だ。
 短歌を交えた行間にそこはかとなく滲み出るのは、八十路をこえた歌人の矜持であろうか。
(1999年10月23日,南海日日新聞掲載)


WEB master 註外地という表記について
私は本来、外地内地という表現は用いない。その根底にある根性が嫌いなんである。ただ、今回はレトリックとしてこの言葉を使った。推敲にかける時間があれば何とか改めたいと思いつつ、そのままにしてしまったのだが....。
WEB master 註:誤植について?
たまたま、誌面掲載日に名瀬市への出張があり、掲載当日に誌面を確認することができた。視点と書いたところが視線になっているなどするのだが、まぁ、御愛嬌か。(^.^) ただ、障害と書かず障碍と書くのは私の主義によるところであり、誤植ではない。念のため