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奄美タイムス 〜 いわゆる島時間について

Ohguchi Bak

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(WEB master 註:写真は喜界島を北限とするオオゴマダラ蝶と羽化間近の金色のさなぎ)

 鹿児島には「薩摩時間」という言葉がある。時間にルーズなことを指してそういうのだが、ここ鹿児島では(少なくとも私の周辺に聞く限り)南に行くほど時間の観念はルーズになっていくのだ、と信じられているもののようである。
 ルーズさの具合が、薩摩時間 < 奄美時間 < 沖縄時間 というわけだ。そう言えば、同僚の結婚披露宴にいつも遅れてくる沖縄出身の男など、ニックネームが「沖縄タイムス」だった。

 なるほど、本当にそうなんだろうか? と、学生時代のある友人達のエピソードを思い出した。

 天文館でデートの待ち合わせをすると、彼(島の人)はいつも遅れてくる。30分や1時間なら、彼女(これも島の人、でなければ1時間も待っている訳がない)も腹を立てずに待っているのだが、1時間半とか2時間になると、さすがに辛い。
   自分のアシで行ける場所で、島で待ち合わせていた海辺みたいに、退屈せずに
   心穏やかにいられる場所ならまだし、交通費を使ってバスや電車に乗ってきて、
   人いきれとアスファルトの熱気の中で立っているのは、とても辛かった。
   とは、彼女の後日談であるが。
 ある日、意を決した彼女はわざと2時間半遅れて約束の場所に行った。
 たまには私の方が待たせてみたい、と思ったらしい。
 でも、その場所に彼はいなかった...。いつもは自分を待たせるくせに、なんて薄情な奴だ。もう、あんな男とは絶交だ! 悔し涙をこらえて帰ろうとすると、後から声がした。
 「ごめん、ごめん。また遅れちゃった」...。
 彼は2時間40分遅れてやってきたのだった。以来、彼と彼女は天文館で待ち合わせするのをやめたそうな...。

 まぁ、これはあまりに極端な例(実話である、念のため)だが、私たちの学生時代には、相手を30分やそこら待たせるのは日常茶飯のことだった。ひどいもんである。こんな「島時間」はやっぱりいけない、と私は思う。
 これが営業の相手との待ち合わせだとしたら、どうだ? 契約なんて絶対にとれないぞ。

 かくて学校教育の現場では、「有能」なる企業戦士を育成するためにも、とにかく時間を守ることを厳しく教育されるのである。

 とは言うものの、大好きな「島時間」というのも、実は、ある。

 かつてお祝い事というのは、子供の入学・卒業から結婚祝いまで、ほとんどが個人の家で行われるのが常であった。どこかのお店や会場を借りて、なんていうのは、最近の事ではないだろうか?
 今日はウチで××のお祝いですからどうぞお越し下さい。と触れを回すとき、何時開始、などと厳密には決めないのが普通だったように思う。仮に決めても、それはあくまで大体の目安。来たい時刻に来て下さい、というのが暗黙の了解だったような。
 適当な時間にある程度の人数が揃ったら、それで祝宴の始まり。
 でも、その前に来て既に飲んでいる人もいる。
 やがて遅れてお客さんが来ると、あらためて乾杯、それから誰か来れば、また乾杯。
 早く来たお客さんが帰っても、また誰か来る。と、また乾杯。別な話題でまた盛り上がる。
 本当に、一晩中お祝い気分が続くんである。時には朝までずっと。
   余談だが、奄美・沖縄の夜は実に長い。
   沖縄に行くと、民謡酒場など開店が22時である。
   店が混み始めるのは平日でも24時前後から。
   おいおい、明日の仕事は? こちらが余計な心配をしてしまう。
   いまだにそうなのだ。
 もっとも、最近ではお祝い事もどこかのお店を借りてやるので、そんなことも少なくなったが....。

 こういう「島時間」が私は存外好きである。
 招く方にしてみれば、お客さんにも都合があるのだから、万難を排して定時に、とは決してお願いしない。来たい時間に来て祝ってやって下さい、という訳である。
 招かれる方にしてみれば、あまり早く出かけるとかえって相手を急かすことになりはしないかとの気遣いがある。あるいは(特に貧しかった時代など)、よそのお宅でガツガツ飲み食いするのは申し訳ない、という気遣いもあって、自宅で多少の腹ごしらえをしてから、おもむろに「出陣」するわけだ。
 中には一杯引っかけて来る方もいらっしゃる。既に「出来上がって」来るお客さんの存在も、また楽しいものではあった。

 こういうライフスタイルというのは悪しき風習で、一律に排除されるべきものなのだろうか?
 私は「島時間」の中に、ある種のゆとりであるとか、緩やかにつながりあって自己の都合で他を束縛しない大らかさであるとか、ムラ・シマ社会が本来内包していた豊かさ・優しさを見いだすことも出来るように思うのである。
   かつて島にはアミフリユーエー(雨降り祝い)なる言葉があったらしい。
   日の出から日没までくたくたになって働く農繁期、たまさかしとどに雨が降ったりすると、
   その日は仕事を休んで、日も暮れるか暮れぬかの時刻から(時には真っ昼間から)
   お祝いの酒を飲むのだ。天が自分に休養を与え賜うたことのお祝いである。
   日頃の自分の勤労を自分で褒めてやるお祝いである。
   なんとぐうたらな、と思う方もいるかも知れない。
   が、どんなに気張ってみたところで自然には勝てはしない、
   自然に逆らわず、暴風雨をも天の恵みと捉えて楽しもう、という
   「楽天」主義がそこにはあったのではないかと思うのだ。
 自然には逆らわない、他人を束縛しない、ありのままに受け容れて、全てを善なるものとして許容していこうと、そういう南島文化の気風が「島時間」にも現れていたのかも知れない。
   むろん、島の暮らしも「都市化」されて、専業農家の数は激減し、就業人口のほとんどが勤め人であれば、
   こういう習慣も廃れていく一方だとは思われる。
   また、農業自体が高度に集約化・計画化された今日では、雨が降るから休むなどと言うことはありえない。
   ニシカゼ(北西の季節風)が雨・霰を肌にたたきつける中、休むことなく過酷なサトウキビの収穫作業を
   こなさなければならないのだ。製糖工場へのサトウキビの納入に「島時間」はありえない。
 それでもなお日常生活の中に残る「島時間」のありさまに、私は「こころの豊穣」を見る思いがするのだ。

 初めに挙げた待ち合わせの話にしても、彼と彼女にとって待ち合わせは単なる通過点ではなかったのだと思う。会ってそれからどこかへ行こう、何かをしようということよりも、会うこと自体、待ち合わせること自体が目的であり、楽しみだったのではないか。だからこそ、彼女も待っていられたのではないかと思うのだ。
 これをして「愛」と言うのかどうかは知らないが、こういう人と人との素朴な関わり合い方もまた「こころの豊穣」を感じさせる、と言っては強引だろうか?

 ま、だからと言って、のべつ遅刻しても良いということにはなるまい。
 島を出て、旅の土地で勤めるであろう島の子らに「時間を守れ」と口酸っぱく教えねばならなかったのは、そう教える大人たちの苦い経験があったからなのかも知れない。

 島時間は、いまや私の中での追想であり、幻影に過ぎないものになってしまったのであろうか。

 追記:最近某所で聞いた話だが、この「○○時間」というのは、
    薩摩・奄美・沖縄に限らず、全国各所にあるものらしい。
    してみると、日本の農村というのは元来そのような社会だったのだろうか?

 May 2, 1998