今なぜ象のオリ?〜聞いてほしい私の訴え〜

K H

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 喜界島に大規模な通信施設(一名象のオリ)が建設されそうだという話にまつわり、喜界島をこよなく愛する一人として、どうしても一言言わざるをえない気持ちにさせられてしまいました。
 喜界島を離れて半世紀に近い身であってみれば、故郷に対して意見を唱えることは筋違いだと言われても仕方のないことだとは思います。しかし・喜界島は私の故郷ですし、時がたつにつれて、ますます故郷が恋しくなるのは人の常でありましょう。老後は故郷に帰ってのんびり過ごそうと思っている一人でもあります。
 さて、これまでも喜界島の発展ぶりを見聞しますと、私は喜界島の島民や為政者の方々に感謝の念を捧げざるをえません。道路も実によくなりました。港も立派になりました。福祉施設もよく整備されました。体育施設も見事です。百之台や中西公園などを見ると環境整備もすばらしいものがあります。教育環境も整ってきました。耕地整理についても、大雨の際に泥水が海に流れ出るという欠点はあるにしても、島の農業発展の為にはよいことでありました。地下ダムについても、農業用水の確保という点から見れぱ、若干の自然破壊はあるにしても必要なものと評価できましょう。防波堤に関しても、美観を損ない、無駄ではないかという意見もありますが、北海道は奥尻島の大津波のような災害がないという保証はありませんから、これもよしと致しましょう。そして最も私が有難いと思っていますことは、喜界島の島民や為政者の方々が、喜界島が観光化し、観光汚染化されないように尽力してくださったことです。美しい島(クレオパトラアイランド)を守ってきてくださったことです。
 喜界島の方々はご存じかどうかわかりませんが、喜界島を買い取って私物化し、観光で売り出そうと考えた人さえ本土にはいたのです。さすがにこの発想は立ち消えになりましたが、百之台を大規模なゴルフ場にするとか、国防上と称して大きな施設などを作ろうとする発想が過去にあったことは喜界島の方々もご存じだろうと思います。しかし、幸いなことに、高い見識を持った島民や為政者の方々が、このような発想を食い止めたことは実にすばらしいことでした。私は喜界島出身の一人として、このことをとても嬉しく思い、そして誇りにしてきました。
 そのような喜界島を思う気持ちがあればこそ、私は(略)
島内の方々も島外の方々も等しく島民であるという気持ちから、そして故郷をこよなく愛すればこそのことです。純粋に故郷を思う一念からのことです。そこには思想的、政治的な背景は全く含まれてはおりません。
 そういった一途な気持ちの私ですが、今問題になっている象のオリについてだけは気持ちがすっきりしません。大きな疑間は、今なぜ喜界島に象のオリを建設するという話が出てきたかということです。私は悲しくなります。それは悲しい喜界島の歴史を考えるからなのです。喜界島は(奄美群島全体といってもよいのですが)過去において常に時の権力者による何らかの支配に苦しんできたではありませんか。砂糖地獄をもたらした支配者もいました。島から美しい女性を奪い去ろうとした支配者もいました。島民をシマジンと称して見下げ、半人前の取扱いしかしなかった支配者もいました。近くは北緯二十九度線以南を占領していた支配者もいました。そのような支配の下で、島民はじっと我慢を強いられてきたのです。このように都合よく便利に利用されてきた歴史を私達はじっと見据える必要があるのではないでしょうか。戦争中に飛行場があるということで、アメリカ軍の爆撃を受けたのも、結局は時の支配者が喜界島を利用していたからなのです。誤解していただきたくないことは、その時、喜界島から飛び立って南の海に散った若き航空兵の方々には非はありません。純粋に国の為と思いつつ、粛々と飛び立ち、帰らざる身となったこれらの方々に、私は深く頭をたれ、謹んで合掌するのみです。
 いろいろな支配の経験の中から、お上には絶対に従わなければならない、という意識が喜界島の島民に定着しているとすれば、それはとても残念なことです。民主主義の時代に「上意である。間答無用」ということは通用してはならないことだと思います。象のオリに関しては、喜界島の島民が喜び勇んで自発的に誘致しようとしたのでしょうか。お上からの話が先にあったのではないでしょうか。喜界島ならどうにかなるだろう、という安易な考えが当局の背景にあるような気がしてなりません。火種は外部から持ち込まれたものでしょう。とすれば、喜界島はまたまた都合よく、便利に利用される結果になるのではあませんか。
 島民や万といる島外の喜界島出身者の胸の内をよく聞き、いわゆる声なき声をよく聞く会(ヒアリング)や話合いや討論会(デスカッション。シンポジウム)を今こそ開いて意見の統一(コンセンサス)を図るべきだと思います。そういう手続きの経過の中で、今まで平和に、何の波風もなく過ごしてきた島民や島外の喜界島出身者の間に対立や亀裂が生じる恐れがあれば、象のオリの件は無かったものにする島民の勇気を見せることが必要でしょうし、それに断を下ろすに際しての当局との繋ぎ役(パイプ役)は現在の喜界島の為政者の方々でありましょう。現在の為政者の方々にお願いしたいことは、自分達は知っていても、島民にはよくわかっていない、いわゆる「由らしむべく知らしむべからず」の政治姿勢をお取りにならないようにということです。時代は情報公開の時代(ディスクロウジヤーの時代)へと移り変っているのです。島民は今何が進行しているかを明確に知っておく必要があると思います。対立や諍いのない平和な喜界島をいつまでも存続させるために、見事な采配振りを喜界島の為政者の方々に切にお願いする次第です。
 喜界島は奄美群島の中でも緑の少ない島の一つです。空から見ればそれがはっきりしています。かつてあった森や林は消えてしまいました。今三十ヘクタール(三十町歩)の緑が消えるとすれば、これは実に悲しいことです。ドイツは一時期緑を無くしたことで大問題になり、その反省に立って、今では人造森林が見事に復活しています。アメリカのオレゴン州などは、自分の家の樹木を切ることでも、当局に届けを出して許可を必要としています。私は国防を無視して発言しているのではありません。自然との共存共生のバランスを考えてほしいと言っているのです。熱帯雨林が年々少なくなり、オゾン層の不安定や地球の温暖化が間題になっている現実を地球人の一人として考えているのです。
 島に帰ると、緑の並木道などがあって心が和みます。それはそれですばらしいことですが、松の木も枯れ果て、見渡す限り草原と砂糖黍畑の喜界島に、皆で力を合わせて植林をしようではありませんか。島の気候に合った、生長の早い、風に強い樹木などを、鹿児島大学や琉球大学あたりの専門家に教示願って植林をすれば島の緑は復活します。緑があってこそ、地下水も湧水も確保できるというものです。島の砂漢化はご免です。
 発想の中に、緑陰公園を作るというのがあってもよいでしょう。喜界島は星の名所ですから、その緑陰公園にプラネタリウムがあってもよいでしょう。全国の星愛好者が訪ねて来るはずです。大戦で命を失った方々の英霊を祭る墓地も緑陰にしずしずと納めておきたいものです。
 さもなければ、果樹園や菜園や花園をもっと開発して、島の経済を活性化してみてはどうでしょうか。北海道の極寒の地でも米を栽培できるほどに開拓されたのです。島は暖かいのです。砂糖黍以外の産業の開発(漁業も含めて)をじっくり考える時ではないでしょうか。
 しかしながら、いろいろな発想があるにしても、私が今最も強く望む選択肢は、象のオリ用として考えられている緑の大地をそのまま残して欲しいということです。保存するということです。
 喜界島の島民は、現在の自衛隊の通信所については何一つ文句を言ってはおりません。私も文旬を言う気持ちはさらさらありません。自衛隊の方々も実は仲のよい島民なのですから。喜界島の酒を、喜界島を去ってからも愛してくれる自衛隊員の方々がおられると聞き、むしろ親近感を抱いている一人でもあります。
 そこで申し上げたいのは、この高度先端技術(ハイテク)の時代ですから、現在存在する自衛隊の敷地内で、その施設を高度化、効率化すればよいではないかということです。頭脳の使い方次第というものです。そういう発想こそが共存共生の発想というものではないでしょうか。そうすれば喜界島は今まで通りの、諍いのない平和な島として存続するはずです。このことについては自衛隊の方々も島民と同じ立場に立づてじっくりと考えてほしいと思います。
 象のオリは国土防衛上必要だという意見もあるでしょう。民主主義の時代ですから多様な意見があるのは当然です。理解できないわけではありません。しかし、戦争の歴史を繙くと誰しもがおわかりのことでしょうが、通信施設というものは、地味のようですが、最前線の兵士以上に重要のものなのです。太平洋戦争で日本軍が不利になった大きな原因の一つに、電波探知機(レーダー)開発の遅れがあげられています。現代、一万メートル以上の上空を飛ぶ偵察機は、地上の五センチの物体まで解明できるといわれています。若し戦争の危機到来ともなれば、象のオリと喜界島がどのような運命を辿るかははっきりしています。悲惨な結果になるでしょう。逆に、これから未来永劫平和が続くとすれば、象のオリは、ますます進む高度先端技術の流れの中で旧式化し、無用の長物となり、その処置に困ることになるでしょう。どちらにしてもよい結論は出ないはずです。どうしても象のオリを建設したいのでしたら、それに適する無人島があるはずです。
 象のオリは喜界島の経済の活性化に役立つとおっしゃる方もおられますが、長期的、恒久的に見ていかがなものでしょうか。仮に象のオリが建設されるとしても、完成までの期間に、一部の関係者は潤うかもしれませんが、完成してしまえばそれでおしまいです。決して全島民が潤うとは思われません。
 象のオリが建設されて、自衛隊員が増員されれば、災害の折に大きな助けとなる、とおっしゃる方もおられます。戦後の災害における自衛隊員のご活躍振りから見て、その意とするところは理解できます。自衛隊員への感謝の念を忘れるものではありません。しかし、危機管理の問題では他力本願であっては困ると思います。喜界島島民自身が先ず危機管理体制を確立し、島民自らがそれに対処するという発想をすることが、いわゆる地方自治の視点からも必要だと思います。自衛隊の本務は別にあるわけで、災害対策にのみあるわけではないのですから。
 私は戦後台湾から故郷喜界島に引き揚げて来ました。無一文、裸一貫の私達家族の空腹をどうにか満たしてくれたのは、父が島に残してくれたわずかばかりの上地でした。その時ほど故郷の上地を有難く思ったことはありません。喜界高校に通っていた頃、月謝が払えずに困りましたが、先生方や友人達とともに、百之台の荒れ地を開墾して薩摩芋を植え、それを売って月謝を払ったことなどは尊い思い出です。百之台の大地があってのことでした。
 歴史は繰り返すと申します。いつ、どのような時代が来るかは予想できないものがあります。喜界島出身の私達の子、孫、そしてさらに先の末裔が島に帰り、島の土地を必要とする時代が来ないという保証はありません。個人が所有している島のちっぽけな土地は、個人の物であると同時に、島民共有の土地であるという意識を持つことが愛郷心というものではないでしょうか。この経済不安定な時代に、地主の方々が安易に土地を手放して・末代に禍根を残すことのないよう私は願ってやみません。八億円ほどのお金で三十ヘクタールの上地が買い取られようとすることにも私は悲しみを感じます。現金収人の少ない島民の弱みを見抜いてのことでしょうか。島民を見下げるのも甚だしいことだと思います。
 二十一世紀は地球環境の時代、人間と自然との共存共生の時代、人類共存共栄の時代となりましょう。ベルリンの壁は倒れました。ソビエト連邦は消えました。東西の思想対立の時代は去りました。軍縮の波がじわじわと押し寄せて来ています。広い視野に立った地球人として、私達は喜界島の間題を考えなければいけないと患います。
 私は思想的にも、政治的にも、中立的な人間だと自ら任じています。専門が英語・英文学ですから、日本の本以外にも多少は外国の本も読み、バランス感覚が狂わないように努力もしているつもりです。そして故郷喜界島をこよなく愛しています。この投稿文を書きながらも体が熱くなってきます。どうかこの文をお読みになる喜界島の島民の方々、そして島外におられる喜界島出身の方々、とりわけ現在の喜界島の為政者の方々が、じっくりお考えいただき、今まで通りの、平和な、諍いの無い喜界島を存続させるべくご尽力くださいますよう切に切にお願いする次第です。喜界島島民の方々や島外の喜界島出身の方々のご健勝をお祈りして筆をおきます。