私自身が反対の立場にあることもあり、このサイトで紹介する声は「象のオリ反対」一色になりかねない。
しかし、南海日日新聞96年12月09日付の社説が言うように、この問題については、防衛庁・防衛施設庁側からの
具体的な説明もなければ、賛成派住民からの意見も聞こえてこない。具体的な動きや声としてマスコミに
掲載されるのは反対派のものがほとんどで、その割には事態は賛成派の志向する方向へ流れている。
旅の空から眺めていると、象のオリとは何かという問題抜きに、かつ双方が表だって意見を交わさぬままに、
住民の主体的な判断が置き去りにされて事態が流れているようにも見える。
そういう状況に「石を投げる」意味で、往復書簡を公開したいと思う。
美津元さん以外にも、賛成派や、賛成でも反対でもない方々の声も掲載できれば、何より嬉しい。
掲載に当たっては、原則としては匿名・仮名扱いとさせて頂く。
「やりとりの要点だけを抜き出」すというやり方も、匿名性保持のためである。
今後 Yさんから、Zさん からという具合に私とは異なる意見を寄せて頂ければありがたい。
(Apr. 29, 1998)
追記:こういうサイトにしては珍しく(?)、複数の御意見を頂いた。が、匿名でも公開の承諾が頂けなかったので、
御意見(質問)の要旨にお答えする書簡の形で私の考え方を述べてみたい。
おそらく多くある質問だと思うのでここに公開する次第である。ちょっと変わったFAQとして読んで頂ければ、と思う。
(May. 12, 1998)
軍備は要らない、というのは幻想ではないのか?
国を守る「防衛戦力」は絶対に必要である。「戸締まりをしない国家」などというモノはいまだかつて存在した試しがない。
永世中立国のスイスにも徴兵制はあるし、護憲を唱える日本共産党だって、政権をとったら国民全体の合意のもとに「改憲」する用意がある、と言っている。
喜界島を硫黄島や伊江島と同列に扱うべきではない?
激しい地上戦が行われ、艦砲射撃の雨によって破壊し尽くされた硫黄島や伊江島と、「たかだか100人少々」の人間が死んだ程度の喜界島を同列に並べて「戦争被害」を言い立てるのはヒステリックであり、被害妄想ではないか?
美津元さんが危惧しておられるのが具体的にどのような点なのか、正確には理解
出来ていないのですが、島の「象のオリ」問題について私自身が危惧する事と、
ひょとしたら似たようなことかな? と感じました。
私自身が(賛成派・反対派どちらにも)危惧するのは以下のようなことです。
・結論だけを求めた議論に陥りがちである。
・実証的な根拠や、数字で表される事を話題にしない。
例:反対派→象のオリは危険だ。島にとって害悪だ。としか言わない。
賛成派→危険はない。利益をもたらす。としか言わない。
象のオリが危険なものであるのかどうか、というのは、解釈に依存する部分が
大きいと思います。で、実際に危険な攻撃目標になるかならないかの解答は、
実のところ、戦時の作戦司令官の腹ひとつ、という部分があります。
賛成派も反対派もその評価をする(作戦司令官の腹を探る)にあたっては、
実際に象のオリがどのような任務を負っているのか、ということを知らねば
なりません。
註:実はこれを知るのはとても難しいことですね。
国防上の秘密にあたりますから。
象のオリというのは、実のところ一体何なんだ? というのが出発点にならな
ければいけないはずなのに、それを放ったらかしにしておいて、オレは反対だ、
いや賛成だ、と心情論だけが先行していませんか?
細かい理屈はいいから、結論はどうなんだ? と言わんばかりに、お互いに
そうなってはいませんか? 私はそこのところを最も危惧しています。
象のオリがどういうものなのか、それを知るべきいい資料があります。
沖縄県楚辺通信所の象のオリに関する裁判の原告(知花)側の資料として採用
されたものですが、決して心情論的な反戦主義ではなく、軍事専門家の眼から
見た「象のオリ」の実態が書かれています。
読みにくいかも知れませんが、一度読んでみられて下さい。
私のホームページの表紙から「象のオリ問題資料集」を選択すると、最後の方
の「象のオリに関するその他の資料」という項目の中に「ランナーの資料室」と
ありますから、その中の「西沢鑑定書」をクリックして頂ければ御覧になれます。
読んでみると、象のオリが如何に凄い施設であるか分かります。
それが分かった上で、だから危険だと考えるか、国防上の必要性が大きいから
受け入れるべきだと考えるか、それはまた別問題です。
まずは、データをきちんと把握して考えることが大事でしょう。
賛成派も反対派も、島の人達に正確なデータ・実証的な根拠を呈示せずに、
あるいは自身も把握せずに、心情論だけで議論していることが、最も「残念な
こと」であると私は思います。
> とくに島の人は権威(大学教授、
> 学者、医者等)に弱い、彼らの言うことは頭から正しいと思うふしがある。
この点は反論しますが、「権威」とされる人達の中にも「賛成派」はたくさん
います。賛成派が「権威」に支持されていないという事はないでしょう。
問題は、その結論だけを抜き取って議論するやり方なのではないでしょうか?
双方とも、多少難しくても結論に至る「根拠」を示すべきです。あまりに難し
すぎるのであれば、噛み砕いて(換骨奪胎せぬ注意は必要ですが)呈示する
努力も必要なのだと思います。
> おいおい「揚げ足をとる」ようにHP上で質問状(挑戦状)を書いていきたいと
> 思います。その節は大口漠さんもご注意を ("_")
> 冗談はこの辺で これからもよろしく。
冗談でなく、書いていただいてもいいですよ。(^^)
ただ、美津元さんのところを毎日チェックしているわけではないので、書いたら
お知らせしていただくか、メールで頂いても結構です。難しい事は週末にしか
お返事できません(週末も仕事が入ると、次の週末になります)が、私なりに
勉強してお返事します。
{私自身が(賛成派・反対派どちらにも)危惧するのは以下のようなことです。
・結論だけを求めた議論に陥りがちである。
・実証的な根拠や、数字で表される事を話題にしない。
例:反対派→象のオリは危険だ。島にとって害悪だ。としか言わない。
賛成派→危険はない。利益をもたらす。としか言わない。}
同意見です。
ことの始まりは何か、なぜ今なのか、何がどう問題なのかを
考えないといけないのではとおもいます。
{この点は反論しますが、「権威」とされる人達の中にも「賛成派」はたくさん
います。賛成派が「権威」に支持されていないという事はないでしょう。}
言葉足らずでした、間違った(勘違い)意見が彼らの口から出るとあたかも
それが正しいこととして信じ込んでしまう。と言う意味です。「先生が
言っているから間違いないんだ 下々の者は黙って聞けばいい。」ってなぐあい。