シアトルへの旅(1)

大工の徳さん〈上園田徳市〉 TOM UESONODA USA

 一日でも早く行きたかった。子供の頃の遠足を待つように指を数えて待っていた。もうすぐ三歳になる長男の初孫が見たくてたまらん。一歳の時に息子夫婦がロスからシアトルへ引っ越す途中に1日だけ、泊まって行った。まだ歩けなかった。可愛くてしょうがなかった。

 一日中、孫の傍をうろうろしていた。気になって仕方がなかった。初美が寝かしたまま、おしめを変えるところへ行って、チンチンを見ようとして顔を向けたとたんに、まともに小便をかけられた。「そんなヘンな所を見るから、罰だと言われた」。 私にしてはヘンなところか、一番大事なところや。将来の上園田家の後継ぎを作る源や。それを見ようとして何が悪い。  その源は大人の源みたいに開いていた。つぼみではなかった。アメリカでは生まれてすぐに医者が開くのだ。どうも理由はわからん。日系人の医者は自然のままがいいと言ってそのまま自然な状態している医者もおるらしい。なんや織田信長と徳川家康を思い出した。「咲かしてやろう、つぼみ。咲くまで待とう、つぼみ」。

 その孫が、もう三歳になって走りまわって、おじいちゃんよりも上手な英語で喋り始めている。電話で話していても、意味をわからんことを喋っているが、まともな英語の発音になっている。アメリカで生まれた親の元で育つ子はほんとの英語を喋る。娘と息子の時は、日本語を習わそうと思って、私たちは子供には日本語と島ユミタばかりを使った。

 家で彼らは親には日本語と、時々島ユミタで喋っていたが、友達とは英語ばかりだった。だから、英語については安心していた。ところがそれは少し勘違いだった。小学校三年生か四年生の時、息子の通知表に、発音の悪いところがあると書かれていた。ちょっとショックだった。その国の言葉を完璧に喋るには非常に難しい。30年近くアメリカに住んでいる私達は夫婦で島ユミタで生活しているからなかなか英語は上手にならない。

 英語は子供から習うのが一番早いとはわかっていたが、日本語と島ユミタのハナサに負けて、家で英語も使わなかったのが失敗だった。もし、英語が上手だったら、今ごろ大金持ちになっていたと思うが、もう遅い。「徳さん、そんな負け惜しみ言いなはんな」 と言う声が東京の方と喜界島の方から聞こえてくるみたいだ。

 たったの8日間だけど、孫と一緒に英語を勉強する機会でもある。6月の3日にEメールでアラスカ ヱアラインの切符を送ってきた。6月6日から6月14日までだ。コンピューターでの文章をコピーして飛行場へ持っていったら、それが切符になると言う。偉い世の中になってしもうた。なんでもコンピューターで出きるのだ。サンノゼとシアトルの往復の切符で、一人260ドルと書いてある。家からサンノゼまで車でおよそ2時間、飛行場のロングパーキングに車を止めていく事にした。

 ところがこのパーキング代が高い。一日15ドル、8日で120ドル。一人の飛行機の片道分だ。収入のない私達には高い。新しい家を買って間もないむすこに飛行機のパーキング代までくれとは言いにくい。でも孫に合いたい。初美が頑張って稼ぐと言う。思いきっていくか。

(続く)