天国へ届け、紅葉の木

大工の徳さん〈上園田徳市〉 TOM UESONODA USA

 12月27日封筒に入った1枚のクリスマスカードが死んだ人の名前で来た。

 この人は三ヶ月前に死んだはずのドクターだ。不審に思いながら封を開けてみた。中には奥さんが書いたカードが入っていた。どうして死んだ人の名前でカードを送ってくれたのか、へんだなあと思った。

 でも、 私もそれに似たことをやっている。3年前に死んだ親友の奥さんが毎月2回ほどロサンゼルスから、日本語のビデをテープを送ってくれる。そのテープを返送する時に、私はいつも死んだ親友の名前を書いて送っている。このドクターの奥さんも死んだ人を思い出させる為に私と同じ気持ちで死んだ人の名前を書いているのかもしれない。

 嫁はんと二人、墓場でのドクターの葬式に行った。ドクターの葬式にしては20人ほどの少ない人数の葬式だった。その墓はパソロブレスの郊外にあるグリーンの芝生が敷き詰められた公園みたいな静かな墓地だった。芝生の上に棺桶を置き、その前の日除けのテントの中に椅子が並べられ、その末席に嫁はんと私は座って、生まれて初めてユダヤ人の葬式に参列した。

 4、5人の身内の人はローマ法王が被る風船を二つに切った形の帽子を被っていた。英語と、ユダヤ語で書かれた式次第にしたがって女牧師が式を進めたが言っていることがさっぱり意味が分からない。私は日本の葬式で坊さんが唱えるお経もわからないと思ったが、ユダヤ語と英語でやるお経も分からない。どこの国の葬式もお経は分からんものだと思った。式の最後はバケツの中の土を全員が順番に一掴みずつ棺おけに投げた。私は仏教の葬式の時の焼香のように一掴みずつを三回投げた。これが日本のスタイルだと思わせたかったからだ。

 彼の名前はサイモン?コーエンと言ってユダヤ系の75歳のドクターだった。今年の正月から嫁はんがスタートしたハウスクリーニングの1番初めてのお客だった。2週間に1回、土曜日の10時から2時まで4時間嫁はんは彼の家に行っていた。英語のあまりわからん嫁はんと非常に気があって、「ハツミ、ハツミ」と呼んで可愛がってくれた。二人とも日本食が好きとわかったら、嫁はんは行く度に、チキン照り焼きやコロッケ、天婦羅を朝早く作って持って行った。36ドルの仕事をする家に毎回ご馳走をつくって持っていく。ガソリン代もバカにならない。仕事して金もうけに行っているのか、人に食べてもらいにいくのか、なんやわからん。だから、うちの嫁はんは金が貯まらんのや。なんぎやのう。

 ところがドクターは日に日に彼が元気がなくなり、痩せていくのが目に見えるようにわかったと初美は言う。彼は、ガンに侵されていたのだ。食べ物にも、空気にも、土にもガンになる要因がいっぱいで、だから子供も、若い人もガンにかかるのだと言っていた。彼は30年前にガンになり、それからベジタリアンになって、肉は一切食べなかった。薬はアメリカ人なのに漢方薬だけだ。絶対、西洋の薬は取らない。自分もガンに侵されており、いつ死ぬかわからんのに、毎日家に来る患者さんを診て漢方薬を調合して与えていた。死ぬ1ヶ月ほど前まで、ベッドに横になりながら、患者さんを見ていた。自分がガンに侵され、枯れ木のようにやせ細って、起きる事も出来ないで、ベッドで横になりながら患者さんを診るドクターを見て嫁はんは人の生命力の強さに驚いていた。

 死ぬ4週間前からは食事も取れなく、点滴をして生きていた。ある日、奥さんが私の嫁はんを呼んで「初美、サイモンが天婦羅が食べたい、今度来る時に天婦羅を作ってきてくれないか」と言う。初美は野菜だけのてんぷらを思いを込めて作って持って行った。なんと点滴で生きている骨と皮だけの枯れ木みたいな人間が天婦羅を全部平らげたと言う。嫁はんはこんなこと信じられん、信じられんと繰り返していた。初美の天婦羅が彼が口に入れた最後の食べ物だと奥さんは言っていた。

 それから2週間して、サイモンが死んだと電話が来た。私と嫁はんは20ドルの紙幣を封筒に入れて葬式に参列したのであった。サイモンの奥さんはこの20ドルで、「サイモンの思い出に日本の紅葉の木を買って家の庭に植えた。いつか紅葉を見に来てください」とこのクリスマスカードに書いてあった。

大工の徳さん  TOM UESONODA