店主のつぶやき 平成以降に、アナログメディアに書いてきた分を収めています。
その他もれてるものも随時補充していきます。
更新は少ないかと思いますが、バックナンバーを読まれた感想などもお寄せください。
2001年は、地元紙・「南海日々新聞」の「リレーエッセー・つむぎ随筆21」に1年間(8回)連載の予定です。

つむぎ随筆7」「親なしゃん子」(2001年11月10日付け)          森本眞一郎


まわりの草木ややせ(野菜)・なりむん(果樹)があんかり枯れた。
先月の台風二十一号の塩害だ。
あまくまのうめたてや離岸堤が気になる。

「奄美・自然の権利訴訟」の薗博明さんが、しま(奄美)の本を弁護団に送った。
裁判も六年めだ。
『奄美二十世紀の記録』
『奄美の振興開発』
『奄美の文化と島差別』
『奄美の民話』
『生命めぐる島奄美』
『島を見直す』
『それぞれの奄美論』
『水が育む島―奄美大島』…などだ。
わ(吾)んなりに「自然の権利」を考えた。

枝手久島の石油基地推進派の看板には、「しに(死)膳(自然)は食えん!」と大書されていた。
ゴルフ場建設派の議員は、「アマミノクロウサギは百害あって一利なし!」と発言した。
南部大島は固有の自然が誇り(売り)のはず?
リュウキュウアユだか一利がちねん?
ゴミ処分場も環境を汚染しない?

「な(汝)きゃくし(後)ぬ山ぬ木ば切らしくりしょうらんかい?」
数年前、業者が訪ねてきた。
森のバリカン刈りだ。
里山のこさん(布袋竹)とだーな(筍)・椎木と腐葉土・びっきゃ(蛙類)とながむん(蛇類)・鳥獣と魚介類・川と海…
とき(時間)を経て、無数のいのち(水)のつむぎ(織物)がたちきれる。
いきむん(生物)にはたむぃだむぃ(各自)のシマ(縄張り)がある。
隣の山へ、行きゅんにゃかな〜とはいかない。
断った。
ちなみ、山の散髪代をたずねたら、「二万円ぶぇーり」だった。

奄美観光のキャッチコピーは「手つかずの大自然を堪能!」だ。
「手つかず」?「大自然」?

あぶりたい。
アマシンがうかぎ(御陰)〜森・川・里・海「開発」しゅんも〜
「環境に優しく」「共生」しゅんだか〜アマシンが御陰♪
今さら「世界自然遺産」と言うならば、元のわたし(自然)にしておくれ♪
それがわたし(奄美)の生きる道♪と。

シマでは親をないがしろにしたり、命じたり、まるで親を産んだような親不孝の子を皮肉って、「うや(親)なしゃんくゎ(子)」という。
ユタの阿世知照信さんは、「神拝みを忘れても、親である水・海・月・太陽を尊ぶのがしま奄美の信仰」で、
「神の上に水がある」という。
地球は水のしま(惑星)だ。

しま(奄美)は宇宙のパンドラの(玉手)箱。

ヒトだけが独占的に所有・相続しているが、資源は有限だ。
大量の消費と廃棄で親の寿命も長くはない。
なのに、吾きゃには無限の豊かさ幻想がある。
じんかに(金銭)や所有欲はいくさ(破壊)ばかりだ。

そられは、ほかのいのちや環境やしま(地球)の未来よりも大切なことだろうか?
「自然の権利」とは、「親を尊ぶ子の権利」のことかも。
あたり前の自給へ。

親をぅが拝でぃ神拝み!とも。
                                                                     (校了)



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