店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

琉球新報:落ち穂(H3.12.25)

クリスマスプレゼント


 「今こそ日本国民万歳、奄美大島万々歳を心の底から皆様とともに高唱いたしたいと想います」(泉芳朗議長)

 1953年12月25日、アメリカは奄美群島の返還を沖縄に先がけてクリスマスプレゼントにした。先月やっと公開された外務省のマル秘外交文書「奄美返還記録」によると、返還の理由は奄美の戦略的位置が比較的少ない、というダレス長官の発言がひきあいにだされていた。しかし、交渉の経緯をみるとそう単純な問題ではない。

 当時の極東情勢は朝鮮戦争の終結した直後で、アメリカは東西の冷戦構造を背景に日本に防衛力増強をテコに圧力をかけていて、そのカードに奄美の返還が使われていたのだ。実際、奄美返還を軸に沖縄では米軍の基地強化が進行し、半年後には自衛隊が発足した。19年後の沖縄返還の時も、アメリカの手の中にはポストベトナムを見こして、「アジアにおける日本の一層の軍事的肩代わり」という圧力が用意されていたのと酷似している。

 奄美・沖縄で高揚したそれぞれの復帰運動も、日本やアメリカにとっては住民の多様な主張など二の次で、本国の利害が交渉の最優先基準であったことにかわりはない。「フッキ」などは、人身御供(プレゼント)のシマジマでしかなかったのである。

 話はとぶが、かつて(1609年)薩摩が琉球を侵攻した時、戦後処理として琉球国の存続という条件をカードに与論島以北の奄美群島は薩摩の直轄地として琉球国から売りにだされた。私たちは現在もその「奄美処分」の歴史を引きうけながら、弱者ながらも自立の道を模索しつづけている。

 半年間、奄美と沖縄のアイデンティティーについて舌足らずながら書かせていただいた。共有する母なる基層文化、と異化する父なる歴史というテーマは、琉球弧のシマ島の関係にも同定できるということを確認した。
 
トゥトゥガナシ・・・。

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